介護丸投げ夫の処刑日~妻を「もう用済み」と捨てた夫の末路~   作:桐山さくらこ

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食べられなかったオムライス

達也は奈緒に背を向け、布団を肩までかぶっていた。

 

「……達也」

 

 枕元の受信機が、再び鳴っていた。

 

 呼び出し音が響いた。

 

 奈緒が、不安そうに寝室のドアを見ていた。

 

 お父さん、待ってて……

 

 ベッドの端では、奈緒が両足を床につけ、片手で額を押さえていた。

 

 廊下で、奈緒が壁に手をつき、前かがみになっていた。額には汗がにじんでいた。

 

 修一の部屋で、修一はベッドの上に座り、呼び出しボタンを握っていた。

 

「お待たせして、すみません……」

 

「すまん。トイレを頼めるか」

 

「はい」

 

 修一が、奈緒の顔を心配そうに見ていた。

 

「奈緒さん、具合が悪いのか?」

 

「少し、気持ちが悪くて……」

 

「達也を呼んでくれ。あいつに頼もう」

 

 奈緒が、困った顔で目を伏せていた。

 

「頼んだんですけど……明日、朝が早いって」

 

 修一の眉間にしわが寄っていた。

 

「あいつ……」

 

 奈緒が、修一のそばにしゃがんでいた。

 

「お父さん、つかまれますか?」

 

 修一が、ためらいながら奈緒を見ていた。

 

「……すまんな」

 

 奈緒が、汗のにじんだ顔で小さく笑っていた。

 

「お父さんが謝らないでください。ゆっくり、行きましょう」

 

*

 

 翌朝。

 

 台所で、修一の朝食を載せた盆に、薬の袋が添えられていた。

 

 食卓で、奈緒が椅子に深く腰を下ろしていた。目の下にはくまがあった。

 

 奈緒の前に、一口だけかじったトーストがあった。

 

 まだ、気持ち悪い……

 

 達也が、あくびをしながら台所に入ってきた。

 

「おはよう」

 

「……おはよう」

 

 達也が、奈緒の顔を見ていた。

 

「まだ具合悪いの?」

 

「うん。あのあとも、お父さんに呼ばれて。ほとんど眠れなかった」

 

「じゃあ、昼間寝ときなよ」

 

 奈緒が、うつむいていた。

 

「……うん」

 

 達也の手に、椅子から取ったワイシャツがあった。袖や襟にしわが残っていた。

 

 達也が、眉をしかめてシャツを見ていた。

 

「これ、アイロンかかってないじゃん」

 

「昨日は、できなかったの」

 

「今日、客に会うんだけど」

 

 奈緒が、疲れた顔で達也を見上げていた。

 

「棚の一番下に、別のがあるから。それを着て」

 

「そういうのは、先に言ってよ。時間ないんだから…」

 

 奈緒が、唇を結んでいた。

 

「……ごめん」

 

 玄関で、達也が、鞄を持って靴を履いていた。

 

「行ってきます」

 

 閉まった玄関の扉。

 

 食卓で、奈緒はトーストに手をつけず、額を押さえていた。

 

 昼間寝ればいい。その言葉は簡単だった。けれど、薬の時間も、洗濯機を回す時間も、病院へ連絡する時間もある。眠っていた間に誰が代わってくれるのか、達也は尋ねなかった。奈緒も、玄関まで追って説明するだけの力が残っていなかった。

 

 背後の流しには、朝食の支度に使った鍋や食器が残っていた。

 

*

 

 休日。

 

 居間で、達也がソファに寝そべり、テレビを見ていた。

 

 庭で、奈緒が洗濯物を干していた。

 

 足元のかごには、まだ洗濯物が山積みになっていた。

 

 居間で、車椅子に座った修一が、達也を見ていた。

 

「達也。トイレまで、ちょっと手を貸してくれ」

 

「奈緒ー。親父、トイレだって」

 

「お前でいい。奈緒さんは手が離せんだろ」

 

「俺、慣れてないし」

 

「一緒に教わったろう。立つとき、支えてくれれば……」

 

「いや、無理だって。汚れたらどうするんだよ」

 

 修一が、口を結んでうつむいていた。

 

「おい、奈緒、頼むよ」

 

 険しい顔の奈緒が、開いた窓越しに達也を見ていた。

 

 私は汚れてもいいってこと?

 

 奈緒は修一のそばにしゃがみ、優しい顔を向けた。

 

「お義父さん、大丈夫ですよ。行きましょう」

 

 修一が、奈緒に右手を差し出していた。

 

 達也はソファに寝そべったまま、テレビを見ていた。

 

*

 

 午後。

 

 台所で、奈緒が、スマートフォンを見ていた。

 

 スマートフォンには、石田理恵とのやり取りが表示されていた。

 

 理恵の顔のアイコンの横に、オムライスの写真があった。

 

 理恵からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈駅前に新しいお店ができたよ。久しぶりにランチしない?〉

 

 奈緒の顔がほころんだ。

 

 カウンターに置かれた、修一の通所予定表。

 

 平日に「デイサービス」の予定が並んでいた。

 

 奈緒が、眉を下げて予定表を見ていた。

 

 でも、理恵が休みなのは土日だよね……

 

 入力欄に「行きたいけど」と表示されていた。

 

 隣の食卓で、修一がお茶を飲んでいた。

 

「どうした?」

 

「理恵からです。ランチに行かないかって」

 

「いいじゃないか。行っておいで」

 

「でも、土日だから……」

 

 奈緒が、言いにくそうに目を伏せていた。

 

「……達也か」

 

「さっきも、あんなふうでしたし」

 

 修一が、眉を寄せていた。

 

「一緒に頼もう。俺からも言うよ」

 

「……ありがとうございます」

 

*

 

 その夜。

 

 居間で、奈緒と車椅子の修一が、ソファの達也に向き合っていた。

 

「来週の土曜日、何か予定ある?」

 

「ないけど」

 

「理恵とお昼を食べに行きたいの。十二時から二時まで、お父さんをお願いできる?」

 

「頼むよ。奈緒さん、ずっと出かけてないんだ」

 

「いいよ」

 

 奈緒は目を丸くした。

 

「……本当に?」

 

「二時間だろ?」

 

「うん。駅前だから、何かあったらすぐ戻れるけど」

 

「大丈夫だって。行ってきなよ」

 

 奈緒が、ほっとして笑っていた。

 

「ありがとう。理恵に返事するね」

 

 スマートフォンには、理恵とのやり取りが表示されていた。

 

 奈緒からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈土曜日、行けるよ。会いたい〉

 

*

 

 金曜の夜。

 

 寝室のベッドに、二枚のブラウスが広げられていた。

 

「こっち、まだ着られるかな」

 

 奈緒のスマートフォンに、理恵からメッセージが届いていた。

 

 理恵からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈予約できた! 窓際の席だって〉

 

 奈緒からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈ありがとう。楽しみ〉

 

 奈緒が鏡の前でブラウスを体に当て、笑っていた。

 

*

 

 翌日。

 

 台所のテーブルに、ラップをかけた昼食があった。

 

 その横に、修一の薬袋が置かれていた。

 

 奈緒が、達也に薬袋を示していた。

 

「お昼は温めるだけだから。お薬は、食べた後にこれを」

 

「分かった」

 

 修一の部屋で、奈緒が、達也にベッド脇の呼び出しボタンを示していた。

 

「ベルが鳴ったら、見に行ってね」

 

「何度も言わなくていいって。遅れるよ」

 

 車椅子の修一が、外出用の鞄を持つ奈緒を見ていた。

 

「奈緒さん。その服、いいな」

 

 奈緒が、照れくさそうに自分のブラウスを見ていた。

 

「久しぶりに着たので、ちょっときつくて」

 

「はは、そうかい」

 

「おいしいもの、食べておいで」

 

「はい。行ってきます」

 

 レストランの窓際の席に、理恵が座っていた。

 

「奈緒、こっちこっち!」

 

 奈緒が、笑顔で理恵に手を振っていた。

 

 奈緒と理恵は向かいの席に座った。

 

「会いたかった。元気だった?」

 

「うん。……髪、切った?」

 

「半年前にね」

 

 奈緒は目を丸くした。

 

「そんなに会ってなかったっけ」

 

「そうだよ。今日は、ためてた話を全部するからね」

 

「二時間で足りる?」

 

「足りないね」

 

 奈緒と理恵が、声を上げて笑っていた。

 

 二人の前に、オムライスが並んでいた。

 

「わあ。写真と同じ」

 

「奈緒こういうの、好きだったよね。前に旅行したときも、朝からお店調べてた」

 

「だって、せっかく行くなら、おいしいもの食べたいじゃない」

 

「結局金沢も行ってないね。あんなに調べてたのに」

 

 奈緒が、寂しそうな笑顔で皿に目を落としていた。

 

「そうだね……」

 

「また行こうよ。あのお店、まだあるかな」

 

 奈緒が、うれしそうに理恵を見ていた。

 

「後で見てみようか」

 

 奈緒のスマートフォンに、修一の顔と「お父さん」の表示が出ていた。

 

 奈緒が、不安そうに着信画面を見ていた。

 

「もしもし?」

 

『すまんな……。トイレに行きたいんだが、達也が……』

 

「呼んでも、来ないんですか?」

 

『待ってろとは、言われたんだが』

 

 奈緒が眉を寄せ、スマートフォンを強く握っていた。

 

「今、帰ります。立たないで、待っててください」

 

「お父さん?」

 

「うん。トイレに行けないって……。ごめん、帰らないと」

 

 理恵の顔に心配が浮かんだ。

 

「分かった。行ってあげて」

 

「お金、今……」

 

「今度でいいよ。慌てて転ばないでね」

 

 奈緒の席に、手をつけていないオムライスが残っていた。

 

*

 

 帰宅。

 

 玄関に、慌てて靴を脱いでいた奈緒がいる。

 

「お父さん!」

 

 修一の部屋で、修一は膝にタオルをかけ、ベッドの端に座っていた。

 

「……間に合わんかった」

 

 修一が、目を合わせずにうつむいていた。

 

 奈緒が、修一の肩にそっと手を添えていた。

 

「着替えましょう。寒くないですか?」

 

「せっかく、出かけたのに…本当に申し訳ない」

 

 奈緒が、清潔なズボンを修一に見せていた。

 

「大丈夫ですよ。これに着替えましょう」




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