介護丸投げ夫の処刑日~妻を「もう用済み」と捨てた夫の末路~   作:桐山さくらこ

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何度呼んでも、いいのか

後日。

 

 修一の部屋で、和枝が、ベッド脇の椅子に座っていた。

 

 和枝の膝に、見舞いの果物の袋があった。

 

「夜、よく目が覚めるんだって?」

 

「そうなんだ。奈緒さんには、悪いことをしてる」

 

「達也も寝不足だって言ってたわよ」

 

 修一が、いぶかしげに和枝を見ていた。

 

「……達也が?」

 

「この間の法事でね。夜中の二時に呼ばれて、トイレに連れていったって」

 

 修一の眉間に、しわが寄っていた。

 

「あいつが、そう言ったのか」

 

「ええ」

 

「来てくれるのは、奈緒さんだけだよ。毎晩」

 

 和枝が、目を見開いていた。

 

「……達也は?」

 

「頼んでも来てくれん。この間も、奈緒さんは具合が悪かったのに、代わってもらえなくてな」

 

「そんな……」

 

 和枝が、膝の上の袋を見つめていた。

 

「私、奈緒さんに、もう少し家で見てあげてって言っちゃった……」

 

「奈緒さんに?」

 

「達也が、奈緒さんはお兄ちゃんを施設に入れたがってるって。自分は家で見てやりたいって言うから……」

 

 修一が、唇を固く結んでいた。

 

「……そんなことまで言ってたのか」

 

「私、達也も頑張ってるんだと思って……」

 

「まだ、見に行ってみようって話だよ。俺も行きたいと言ったんだ」

 

 和枝が、顔を伏せていた。

 

「そうだったの……」

 

 入り口に、湯飲みを載せた盆を持つ奈緒が立っていた。

 

「お茶、お持ちしました」

 

 和枝が顔を上げ、奈緒を見ていた。

 

「……奈緒さん」

 

「はい?」

 

「この間の法事のことなんだけど」

 

 奈緒の表情が、こわばっていた。

 

「今、お兄ちゃんから聞いたの。夜も、ずっと奈緒さんが付き添ってたって」

 

 奈緒が、修一へ目を向けていた。

 

「それなのに、もっと頑張れなんて……。ごめんなさい」

 

 和枝が、奈緒に頭を下げていた。

 

 奈緒が、盆を持ったまま目を潤ませていた。

 

「……私も、うまく言えなくて」

 

「ううん。話そうとしてたでしょう。私が、ちゃんと聞かなかったの」

 

 枕元の小さな机に、お茶の盆が置かれていた。

 

 奈緒が、ハンカチで目元を押さえていた。

 

 和枝が、奈緒の顔をのぞき込んでいた。

 

「見学、私も一緒に行っていい? 車、出すから」

 

「ありがとうございます。でも、見学は……」

 

 奈緒が、言いにくそうに目を伏せていた。

 

「どうした?」

 

「達也に、施設は駄目だって言われて……」

 

 修一が、驚いた顔で奈緒を見ていた。

 

「俺も行きたいと言ってることは、話したんだろ?」

 

「はい。でも、親戚に何を言われるか分からないって」

 

 和枝が、つらそうに眉を下げていた。

 

「……私たちまで、あんなことを言ったから」

 

「もう一度、話そうとは思ってるんですけど……」

 

 修一が、奈緒をまっすぐに見ていた。

 

「今度は、俺から話すよ」

 

「お父さん……」

 

「俺も見に行きたいんだ。それは、俺から言わんとな」

 

「私もいるわ。今日は、達也が帰るまで待ってる」

 

 奈緒が、驚いた顔で二人を見ていた。

 

「一人で話さなくていいから」

 

 奈緒は、手元の盆をようやく置いた。言葉を途中で切られても、もう一人が聞いてくれる。達也の返事を怖がる気持ちは消えない。それでも、同じ部屋で自分の話を待っていてくれる人が二人いるだけで、息の深さが違っていた。

 

 奈緒が、涙を浮かべたまま二人に笑いかけていた。

 

「……ありがとうございます」

 

*

 

 夕方。

 

 居間で、達也がソファに座っていた。

 

 向かいの車椅子に、修一が座っていた。

 

 修一のそばに、奈緒と和枝がいる。

 

「達也。奈緒さんに、施設の見学は駄目だと言ったんだって?」

 

「家があるんだから、ここで見ればいいだろ」

 

 達也が、和枝へ顔を向けていた。

 

「叔母さんも、この前そう言ってたじゃん」

 

「ええ。でも、奈緒さんには謝ったわ」

 

 達也が、眉をひそめていた。

 

「何で?」

 

「あなたも夜中の世話をしてるって、信じてたから。奈緒さんにも、もっと頑張れなんて言ってしまって」

 

 達也が、修一へ目を向けていた。

 

 修一は、厳しい顔で達也を見ていた。

 

「……俺には仕事があるだろ」

 

「それなら、どうして自分が付き添ってるって言ったの?」

 

 達也が、口を閉じてうつむいていた。

 

「奈緒さん、夜中に来てくれても、立ってるのがやっとの日があるんだ」

 

 奈緒が、修一の顔を見ていた。

 

「もう少し休ませてやりたい。俺も、一度その施設を見てみたいんだよ」

 

「見に行ったら、そのまま入る話になるんだろ?」

 

「見て、よければ考えたい」

 

 達也が、驚いた顔で修一を見ていた。

 

「……親父は、この家にいたいんじゃないの?」

 

「家は好きだよ。でも、奈緒さんに無理をさせてまでとは思わん」

 

 達也が、口をつぐんでいた。

 

「でも……」

 

「何が心配なんだ?」

 

 達也が、視線を落としていた。

 

「……別に」

 

「俺も行きたいんだ。反対なら、俺に言ってくれ」

 

「奈緒さんにだけ、やめろと言うな」

 

 達也は、三人から顔を背けていた。

 

「……好きにすれば」

 

 奈緒が、目を潤ませて修一を見ていた。

 

 修一が、奈緒へ穏やかな顔を向けていた。

 

「見に行こうな」

 

「……はい」

 

 和枝が、奈緒の肩にそっと手を添えていた。

 

 奈緒が、ほっとした顔で和枝に笑いかけていた。

 

*

 

 見学の日。

 

 施設の玄関で、車椅子の修一のそばに、奈緒と和枝がいる。

 

「お待ちしていました。どうぞ、お入りください」

 

 修一が、少し緊張した顔で廊下を見ていた。

 

「お父さん、行きましょうか」

 

「ああ。よろしくお願いします」

 

 ベッドと椅子が置かれた、明るい部屋。

 

「お泊まりのときは、こうしたお部屋を使っていただきます」

 

「一人で使えるんだな」

 

「はい。夜、お手伝いが必要なときはこちらで呼んでください」

 

 ベッド脇の呼び出しボタンを、職員が示していた。

 

「……何度呼んでも、いいのか?」

 

「もちろんです。トイレのときも、遠慮なく呼んでくださいね」

 

 修一が、ほっとした顔でうなずいていた。

 

「そうか。それは、ありがたいな」

 

 窓の外に、花壇とベンチがあった。

 

 修一が、窓の方へ顔を向けていた。

 

「庭もあるんだな」

 

「お天気のいい日は、皆さん出ていらっしゃいますよ」

 

「いいなあ」

 

 奈緒が、修一の横で庭を眺めていた。

 

「お父さん、ここに来るとき、お母さんの鉢も持ってこられたらいいですね」

 

「そうだな。……持ってきてもいいんですか?」

 

「はい。置く場所も一緒に考えましょう」

 

 修一が、うれしそうに奈緒を見ていた。

 

「澄江の花も、連れてこられるって」

 

「よかったですね」

 

 修一が、部屋の中で穏やかな顔をしていた。

 

「ここで、ずっと暮らしている人もいるんですか?」

 

「はい。入居のご相談もできますよ」

 

 奈緒が、少し驚いて修一を見ていた。

 

「……お泊まりだけじゃなくて?」

 

「うん。ここなら、暮らしてみてもいいかもしれんな」

 

「でも、今日、決めなくても……」

 

「分かってるよ。まず、話を聞いてみたい」

 

 修一が、穏やかな顔で奈緒に笑いかけていた。

 

「来てみて、よかった」

 

 修一が尋ねたのは、何度呼んでもよいかということだった。奈緒は、その質問が胸に残った。家ではいつも、二人とも相手に悪いと思いながら夜を過ごしていた。呼ぶ人も、起きる人も、遠慮しなくてよい場所があった。見学は家を捨てることではなく、暮らし方を選ぶための時間だった。

 

「……はい。私もです」

 

「じゃあ、もう少し聞いていこうか。私も一緒に聞くわ」

 

 奈緒が、ほっとした顔でうなずいていた。

 

*

 

 数日後。

 

 修一の部屋で、修一が、スマートフォンを耳に当てていた。

 

 手元の名刺に「弁護士 大森誠」と書かれていた。

 

「大森さんか。お久しぶりです」

 

「今度、施設で暮らすことも考えていてね。その前に、相談したいことがあるんだ」

 

*

 

 後日。

 

 修一の部屋で、弁護士の大森が、修一と向かい合っていた。

 

 和枝も、ベッドのそばに座っていた。

 

 奈緒が、二人の前にお茶の盆を置いていた。

 

「ほかに、ご用意するものはありますか?」

 

「大丈夫だよ。ありがとう」

 

「奈緒さん、買い物、まだだったでしょう。私がいるから、行ってきて」

 

「いいんですか?」

 

「うん。ゆっくりでいいよ」

 

 奈緒が、ほっとして笑っていた。

 

「ありがとうございます。お父さん、何か食べたいものは?」

 

「どら焼きがいいな」

 

「ふふ。じゃあ、帰ったら一緒に食べましょう」

 

「ああ。頼むよ」

 

 廊下で、鞄を肩にかけた奈緒が、玄関の前にいる。

 

 修一の部屋で、修一が、開いた入り口を見ていた。

 

「奈緒さんを、とても頼りにされているんですね」

 

「ええ。頼ってばかりで……」

 

 修一が、大森へ真剣な顔を向けていた。

 

「あの子に、俺もしてやりたいことがあるんです」

 

 修一は、大森の顔を見た。世話を頼むときばかり名前を呼んできた。毎日の薬を間違えずに並べ、花が咲いたことを知らせてくれる奈緒に、自分から渡せるものを残したかった。その相談を、本人に気を使わせずに進めたいと思っていた。




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