介護丸投げ夫の処刑日~妻を「もう用済み」と捨てた夫の末路~ 作:桐山さくらこ
夏。
病室の窓の外に、葉の茂った木が見える。
修一は、頬が以前より痩せていた。
奈緒が、ベッド脇の椅子に座っていた。
「奈緒さん。理恵さんとは、あれから会えたか?」
「まだです。でも、メッセージはしてますよ」
「会っておいで。ここには、看護師さんもいるんだから」
「はい。今度、誘ってみます」
奈緒が、微笑んでいた。
「今日は、これを見せたくて来たんです」
奈緒の手に、花が増えた鉢の写真があった。
「おお。こんなに咲いたのか」
「お義母さんだったら、朝からみんなを呼んでますね」
「俺が寝てても、起こすからな」
「ふふ。お父さん、眠そうな顔でお庭に出てきて」
「そりゃ、見たいからな」
二人が、写真を見て笑っていた。
「……ありがとう。持ってきてくれて」
「はい。また、撮ってきますね」
*
その夜。
梨花の部屋で、達也と梨花が、向かい合って食事をしていた。
達也が、スマートフォンを見ていた。
奈緒の顔のアイコンの横に、メッセージが表示されていた。
奈緒からのメッセージには、こう書かれていた。
〈明日、先生のお話を一緒に聞けない? 食事もあまり取れていなくて、まだ退院は難しいそう〉
「どうしたの?」
「親父のこと。まだ退院できないって」
「そう……」
「食べられなくなってるみたいだし。もう少しだよ」
梨花が、箸を止めて達也を見ていた。
達也は、料理を口に運んでいた。
「これ、うまいな。毎日でも食べたい」
梨花の視線が、達也のスマートフォンに落ちていた。
「……毎日は作らないよ」
「じゃあ、週三回」
梨花が、小さく笑っていた。
「作るもの、私が決めても文句言わない?」
「言わないって」
「約束だからね」
*
数日後の夜。
病院の廊下で、奈緒が、必死な表情で電話をしていた。
スマートフォンの通話画面に、達也の顔と名前が表示されていた。
「お父さんの容体が悪いの。先生に、家族を呼んでくださいって言われた」
『今、まだ仕事なんだよ』
「呼んでも、ほとんど返事がなくて……。早く来て」
『終わったら行くから』
奈緒の目に、涙が浮かんでいた。
「待てないかもしれないの。今、来て」
『……分かった。なるべく早く行く』
病室で、看護師の椎名友紀が、奈緒に椅子を勧めていた。
「おそばに、座ってあげてください」
奈緒が、修一の右手を両手で包んでいた。
修一は、目を閉じて横たわっていた。
「お父さん。奈緒です」
奈緒が、修一の顔をのぞき込んでいた。
「達也も、来ますから」
修一の手が、奈緒の手の中にある。
「……聞こえますか。お父さん」
修一はベッドで、静かに目を閉じていた。
医師が、ベッドのそばで奈緒に頭を下げていた。
「……ご臨終です」
奈緒が、呆然と医師を見上げていた。
「……え?」
奈緒の目が、修一の顔へ向いていた。
「お父さん……?」
修一は目を閉じたまま、動かない。
奈緒が、修一の手を握ったままベッドに額をつけていた。
「……お義父さん」
*
その後。
病室の入り口に、達也が立っていた。
ベッドの修一のそばで、奈緒が泣いていた。
「……間に合わなかったか」
奈緒が、涙で濡れた顔を達也に向けていた。
「早く来てって、言ったのに」
「急いだんだけど」
「達也も来るからって、お父さんに……」
達也は、奈緒から目をそらしていた。
奈緒が、修一の手に顔を寄せていた。
「ごめんなさい……」
奈緒が泣いていた後ろで、達也の口元がわずかに緩んだ。
*
葬儀。
修一の遺影の前に、白い花が並んでいた。
奈緒は、膝の上で手を組んで座っていた。
明日の着替えも、お薬も。
もう、用意しなくていいんだ。
奈緒が、遺影を見つめていた。
……寂しいよ、お父さん。
葬儀場のロビーで、喪服姿の達也と奈緒が並んで立っていた。
二人の前に、黒いスーツ姿の大沢と岡本、喪服姿の梨花がいる。
「部長。本日は、お忙しいところありがとうございます」
「このたびは、ご愁傷さまです」
大沢たちが、二人に頭を下げていた。
達也が、奈緒へ顔を向けていた。
「奈緒。会社の大沢部長」
「いつも主人がお世話になっております。本日は、ありがとうございます」
「高瀬君も、お父さんの介護と仕事で大変だったろう。しばらくは、ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
奈緒が、隣の達也を見ていた。
私が代わってほしいって頼んでも、起きてくれなかったのに……
奈緒の手が、ハンカチを強く握っていた。
「小西と申します。いつも高瀬課長にお世話になっております」
奈緒が、梨花へ顔を向けていた。
「来てくださって、ありがとうございます」
「突然のことで……。お力落としのことと思います」
「はい。まだ、お義父さんがいないのが信じられなくて……」
奈緒が、ハンカチで目元を押さえていた。
梨花は、言葉を失った顔で奈緒を見ていた。
「すみません……」
「いえ。どうか、ご無理なさらないでください」
奈緒が、小さくうなずいていた。
葬儀場の外で、梨花が、スマートフォンを見ていた。
達也とのメッセージ画面では、達也の顔が表示されていた。
達也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈落ち着いたら奈緒と話す。もう少し待ってて〉
梨花が、眉を下げて画面を見つめていた。
奥さん、私にまでお礼を言って……
私たちのことを知ったら、どんな顔するんだろう。
梨花は葬儀場の入口を振り返った。
今日じゃ、なくても……
スマートフォンの返信欄に「今日じゃなくてもいいよ」と入力されていた。
梨花が、唇を結んで画面を見ていた。
でも、これを送ったら……また、いつになるか分からない。
ずっと待ってた。やっと、一緒に暮らせると思ったのに。
梨花が、顔を伏せていた。
……やっと、って。
お父さんが亡くなったのに、私……
画面には、未送信の「今日じゃなくてもいいよ」が残っていた。
梨花は送信ボタンを押さなかった。奈緒にお礼を言われた場面を思い出すと、顔が熱くなる。それでも、夫と暮らす妻の悲しみより、自分の待った一年を先に数えてしまった。知らなかったことにはできない。今日会った妻の顔は、もう名前だけの存在ではなかった。
梨花が、スマートフォンを両手で握っていた。
……でも、達也さんと別れるのは嫌だよ。
*
帰宅後。
修一の部屋で、奈緒が、病院から持ち帰った袋を抱えていた。
枕元に、修一の眼鏡ケースと花の写真が置かれていた。
奈緒が、誰もいないベッドを見つめていた。
「一緒に、お庭でお茶にしようって……」
窓の外に、花の咲いた鉢植えが並んでいた。
奈緒が、袋を抱えたままうつむいていた。
居間で、達也が、スマートフォンに文字を入力していた。
梨花とのメッセージ画面では、梨花の顔が表示されていた。
達也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈全部終わった。今日話す〉
梨花からのメッセージには、こう書かれていた。
〈うん。待ってる〉
*
その夜。
食卓で、奈緒が、湯飲みを前に座っていた。
向かいに、達也が座っていた。
「これで、ようやく落ち着くな」
「……うん」
「じゃあ、俺たちも、別れようか」
奈緒が、ぼんやりした顔を達也に向けていた。
「えっ……何?」
「離婚。親父のことも、もう終わったし」
奈緒が、目を見開いていた。
「どういうこと?」
奈緒は、達也を見つめたまま動かない。
「前から考えてたんだよ。今まで、言えなかっただけで」
「前から……?」
奈緒の眉が、苦しそうに寄っていた。
「私には、何も言わないで?」
「だから、今、話してるだろ」
奈緒が、顔を伏せていた。
「……いきなり離婚って」
「奈緒」
「今日、お父さんのお葬式だったんだよ。どうしてこんな時に……」
奈緒が、ハンカチを握りしめていた。
「分かってる。でも、もう待たせられないんだよ」
奈緒の顔が、ゆっくり達也に向いていた。
「待たせられないって……誰を?」
達也が、奈緒から目をそらしていた。
「ほかに、好きな人がいる」
奈緒の口が、わずかに開いていた。
「好きな人?」
「うん」
「……付き合ってるの?」
「その人と、一緒になりたい」
奈緒が、湯飲みを両手で握って手が震えていた。
目から涙が落ちていた。
「私が、お父さんのことで精いっぱいだった間も……?」
達也は、うつむいたまま黙っていた。
「……そうなんだ」
「黙ってたのは、悪かったよ」
奈緒が、涙を拭かずに達也を見ていた。
「誰なの。その人」
「会社の、小西梨花」
奈緒の目が、大きく見開かれていた。
「小西……」
奈緒の手が、口元を覆っていた。
「……今日、来てた人?」
「会社のみんなと来たんだよ。わざと会わせたわけじゃない」
この作品の漫画版は、次の収録本でお読みいただけます。
『食い尽くし夫の処刑日~妻と娘の取り分まで奪った男の末路~【合本版】: 匿名希望の体験談【コミック】第10~12巻+「ケチ夫」「介護丸投げ夫」全5作品収録 (ヴァンクール出版)』
Amazonで漫画版を見る
漫画版はKindle Unlimited対象作品です。
Kindle Unlimited会員の方は、追加料金なしでお読みいただけます。