介護丸投げ夫の処刑日~妻を「もう用済み」と捨てた夫の末路~ 作:桐山さくらこ
翌日。
奈緒が、腫れた目で電話を耳に当てていた。
スマートフォンの通話画面に「坂井法律事務所」と表示されていた。
「先生。離婚の話、お願いしたいです」
『はい』
「夫に言われたとおりには、したくありません。小西さんにも、慰謝料を請求したいです」
『分かりました。こちらで進めましょう』
「昨日の話を録音したので、聞いてもらえますか」
『はい。お送りいただけますか』
「夫、今も毎日、仕事だって出ていくんです。でも、どこまで本当なのか……」
『今も会っているか、確かめたいということですか』
「はい」
『調査を頼む方法もあります。費用がかかるので、見積もりを見てから決めましょう』
「お願いします」
奈緒の机に、調査の見積書と開いた通帳が並んでいた。
見積書に「調査費用合計 220,000円(税込)」と記されていた。
通帳の名義は「高瀬奈緒」。残高欄に「800,000円」とある。
奈緒が、通帳に手を添えて見積書を見ていた。
二十二万円なら、自分の預金から払える。奈緒は費用をもう一度確かめて、調査会社へ依頼のメールを書いた。
奈緒のメールには、こう書かれていた。
〈この内容でお願いします〉
*
調査後。
坂井の事務所では、机の上に、調査報告書が開かれていた。
ホテルから並んで出てくる達也と梨花の写真。その下に「8月7日 13:42」とある。
別の日、同じホテルから出てくる二人の写真。その下に「8月14日 14:06」とある。
「……昼間なんですね」
「二日とも、平日です」
奈緒が、写真を見つめていた。
「私には、仕事だって……」
写真の梨花が、達也の腕に手を添えて笑っていた。
奈緒が、きつく唇をかんでいた。
「……少し、休みますか」
「いえ。大丈夫です」
奈緒が、顔を上げて坂井を見ていた。
「これも使って、請求してください」
「分かりました」
*
後日。
高瀬家の食卓では、「坂井法律事務所」と印刷された封筒があった。
達也が、中の書面を険しい顔で読んでいた。
書面に「慰謝料請求」「財産分与」の見出しがあった。
「何だよ、これ。慰謝料に、貯金まで分けろって?」
「先生に連絡して」
「弁護士なんか頼む金は、あるんだな」
奈緒が、唇を結んでいた。
「二人で話せば済むことだろ!」
奈緒の肩が、びくりと上がっていた。
「……私の話、聞いてくれた?」
「は?」
「部屋を探せ、仕事を探せって。そればっかりだったじゃない」
「だから、それは……」
奈緒が、こわばった顔で部屋のドアに手をかけていた。
「もう、二人だけでは話したくない」
閉じたドアの前に、書面を握った達也が立っていた。
居間で、達也のスマートフォンに、勝彦の顔と「勝彦叔父さん」が表示されていた。
達也が、電話を耳に当てていた。
「叔父さん。奈緒に、少し話してやってくれないかな」
『どうした?』
「別れることになったんだけど、金をよこせって。弁護士まで頼んでさ」
『……離婚? 急にどうしたんだ』
「いろいろあったんだよ。俺も、今まで頑張ってきたのに」
『奈緒さんは、何て言ってるんだ』
「何を言っても、お金のことばっかり。四十九日に、話してもらえない?」
『奈緒さんからも聞かないと、何とも言えんが…』
「うん。聞いてやって。叔父さんの話なら、少しは聞くだろうから」
*
翌日。
奈緒が、自室で電話をしていた。
スマートフォンの通話画面に、和枝の顔と「和枝叔母さん」が表示されていた。
『勝彦から聞いたんだけど……。達也と別れるって、本当?』
「……はい」
『達也、お金をせびられてるって言ったそうなの。そんなはずないって、私、言ったんだけど』
奈緒が、悔しそうに顔を伏せていた。
「また、そんなふうに……」
『何があったの?』
「会社の人と、付き合ってたんです。達也」
『えっ?』
「お葬式の夜に、その人と一緒になるから、この家を出ていけって」
『お葬式の夜に……?』
「はい。弁護士さんに、間に入ってもらってます」
『そんな話、勝彦は何も……。つらかったでしょう』
「……はい」
奈緒の目に、涙がたまっていた。
『勝彦には、ちゃんとあなたの話を聞くように言っておくわ』
「私も、ちゃんと話したいです。今までのことも」
『うん』
「途中で泣いてしまっても、待ってもらえますか。今度は、最後まで話したいですから」
泣くことを理由に、話が終わるのが怖かった。奈緒はスマートフォンを握ったまま、叔母の返事を待った。全部を上手に話せなくてもよい。そのことを、あらかじめ頼めたのは初めてだった。
『待つよ。私も、そばにいるからね』
奈緒が、目元を拭っていた。
「……ありがとうございます」
*
後日。
居間で、達也が、一枚の案内を奈緒に見せていた。
案内に「高瀬修一様の遺言について」「四十九日法要後、午後三時にご説明」とある。
「大森さんから。三時に来るって」
「お父さん、遺言を残してたんだ……」
「家も預金もあるからな。整理してくれてたんだろ」
奈緒が、案内を見つめていた。
「私も、ここにいていいの?」
「奈緒もいてほしいって。何がどこにあるか、聞かれるんじゃないか?」
奈緒は不安げに案内を見つめた。
*
四十九日。
仏壇に、修一と澄江の遺影が並んでいた。
奈緒が、その前で手を合わせていた。
食卓に、達也と勝彦、和枝が座っていた。
奈緒が、お茶を載せた盆を持って立っていた。
「奈緒さん。二人のこと、聞いたよ」
「……はい」
「弁護士まで頼んだそうだね。二人で話すのは、難しいのか?」
奈緒が、達也を見ていた。
「話そうとはしました。でも、私が話している途中で、終わりにされてしまって……」
「だって、いつも俺を責める話ばっかりじゃん。親父のことだって」
奈緒の表情が、こわばっていた。
「手伝ってほしいって、お願いしたんでしょう」
「俺だって仕事があるんだよ。疲れて帰ってきて、あれもこれもって……」
勝彦が、二人の顔を見ていた。
「奈緒さんも、大変だったんだろうけど、達也も夜中に起きて、そのまま仕事に行ってたんだし…」
「そうなんだよ。俺だって、余裕なかったから」
奈緒が、唇をかんで達也を見つめていた。
盆を持つ手に、力が入っていた。
「……叔父さん」
勝彦が、奈緒へ顔を向けていた。
「夜中に起きていたのは、私です」
「え?」
食卓の横の台に、お茶の盆が置かれていた。
奈緒が、空いていた席に座っていた。
「代わってって頼んでも、起きてくれなかったんです」
「俺が、何もしてないみたいに言うなよ」
和枝が、厳しい顔で達也を見ていた。
「達也。兄さんから、私も聞いてるのよ」
達也が、和枝に顔を向けていた。
「夜、来てくれるのは奈緒さんだけだって。具合が悪くても、代わってもらえなかったって」
達也が、気まずそうに目をそらしていた。
「……あのときは、朝が早かったんだよ。俺だって、寝ないで仕事には行けないだろ」
食卓の横の台に、お茶の盆が置かれていた。
奈緒が、達也の向かいに座っていた。
「前の法事で、夜中の二時にトイレに連れていったって、言ってたよね」
「今、その話?」
「私、あの夜、具合が悪くて。あなたに代わってって頼んだ」
「それは……」
奈緒が、まっすぐ達也を見ていた。
「最後まで、聞いて」
勝彦の前に、開いた介護記録があった。
ノートに「2月8日 夜間のトイレ介助 奈緒」と書かれていた。
余白に「体調不良。達也に交代を頼む。『明日朝早い』と断られる」とある。
「隣で寝てるあなたを起こしたよね。気持ち悪くて、起き上がれなかったから」
「でも、明日朝早いって。それで、私が行った」
勝彦が、険しい顔で達也を見ていた。
「具合が悪いのに、代わらなかったのか」
「その日は、本当に朝が早くて」
「じゃあ、代わってくれた日はいつ?」
「いちいち日付なんか覚えてないよ」
「どの日でもいい。私が忘れてるなら、教えて」
達也が、ノートから目をそらしていた。
「俺だって仕事があるんだよ。毎晩なんて、無理だろ」
「毎晩どころか、1回もやったことないよね」
達也が、口をつぐんでいた。
勝彦は、達也を見つめたまま眉をひそめていた。
「叔父さんに、二人で支えろって言われて……」
奈緒が、膝の上でハンカチを握りしめていた。
「私、一人なのにって」
和枝が、奈緒の背中に手を添えていた。
「……ごめんね」
奈緒が、涙をこらえて首を振っていた。
「……分かったよ。もう親父の世話も終わったんだし。今は、これからの話をしようって」
奈緒の顔が、達也へ向いていた。
この作品の漫画版は、次の収録本でお読みいただけます。
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