介護丸投げ夫の処刑日~妻を「もう用済み」と捨てた夫の末路~ 作:桐山さくらこ
「その言い方、お葬式の夜もしたよね」
「お葬式の夜?」
「お父さんのことも終わったから、別れようって」
勝彦が、驚いた顔で達也を見ていた。
「……お前が、離婚しようと言ったのか」
「ほかに好きな人がいるから、私に出ていくようにって」
「だって一緒にいても、お互いつらいだろ。奈緒だって別れたいって……」
「ちゃんといつから付き合ってたかも、おじさんにもわかるように言ってよ」
達也が、険しい顔で奈緒を見ていた。
奈緒の手元に、ホテルから出てくる達也と梨花の写真があった。
「会社の、小西梨花さんです。一年くらい前からだって、達也が言いました」
勝彦が、写真を見つめていた。
「……一年?」
「それは、もう二人で話してるから」
「叔父さんには、言ってなかったんでしょう」
達也が、視線を落としていた。
奈緒が、スマートフォンを机に置いていた。
画面に、録音「達也との話し合い」と再生ボタンが表示されていた。
「お父さんが亡くなってから言い出した理由も、聞きました」
「おい。何だよ、それ」
勝彦は厳しい目を達也に向けた。
「達也。今は、奈緒さんの話を聞いてる」
スマートフォンの画面に、再生中の波形が表示されていた。
録音された奈緒の声が流れた。
『じゃあ、どうして今になって言うの。お父さんが亡くなって、すぐに』
録音された達也の声が流れた。
『それより前に別れたら、親父は誰が見たんだよ』
録音された奈緒の声が流れた。
『……え?』
録音された達也の声が流れた。
『お前が出てったら、俺は仕事にも行けないだろ』
録音された奈緒の声が流れた。
『……だから、私をここに置いてたの?』
録音された達也の声が流れた。
『梨花に介護させるわけにもいかないし』
和枝が、口元を押さえていた。
勝彦は、怒りを帯びた目で達也を見ていた。
録音された奈緒の声が流れた。
『……私は?』
録音された達也の声が流れた。
『お前は、ずっとやってたじゃん』
録音された奈緒の声が流れた。
『お父さんが亡くなるまで、待ってたんだ』
録音された達也の声が流れた。
『俺だって、ずっと我慢してたんだよ』
奈緒の指が、画面の一時停止ボタンに触れていた。
「こ、こんなの……前後を聞かないと、分からないだろ」
「全部、残ってるよ。じゃあ続きも聞く?」
達也は、スマートフォンから目をそらしていた。
「達也!俺には、金をせびられて困ってると言ったな」
「実際に、請求はされて……」
「自分が何をしたかは、言わずにか!」
「……もう、いいだろ」
勝彦が机を叩いた。
「俺に説得させて、奈緒さんを追い出すつもりだったのか!」
達也は、悔しそうにうつむいて黙っていた。
勝彦が、奈緒に頭を下げていた。
「すまなかった。前の法事でも、つらい思いをさせた」
奈緒の目から、涙があふれていた。
「……聞いてもらえて、よかったです」
奈緒は、介護記録を閉じなかった。ノートを見せたのは、自分がどれほどよく働いたかを褒めてもらうためではない。確かにそこにいた自分の時間を、なかったことにされないためだった。ページの隅に、薬を受け取った日と庭の花のことが並んでいた。どちらも奈緒が暮らした日の記録だった。
奈緒が、ハンカチで目元を押さえていた。
和枝が、奈緒の背中に手を添えたままうなずいていた。
*
午後三時。
玄関で、鞄を持った大森を、和枝が迎えていた。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「どうぞ。みんな、そろっています」
食卓で、大森の向かいに、奈緒、達也、和枝、勝彦が座っていた。
机の上に「公正証書遺言」と書かれた書類があった。
「修一さんが残された遺言について、ご説明します」
「家の名義も、これで俺に変えられるんですよね」
奈緒が、膝の上で手を握りしめていた。
「ご自宅についても、こちらに定められています。まず、内容をお伝えしますね」
「はい」
大森が、開いた遺言に目を落としていた。
「修一さんは、ご自宅と預貯金を含むすべての財産を、高瀬奈緒さんへ遺贈すると定めていらっしゃいます」
達也が、目を見開いていた。
奈緒も、顔を上げて大森を見ていた。
「……奈緒に?」
書面に「その有する一切の財産を、高瀬奈緒に遺贈する」と記されていた。
達也の指が、「高瀬奈緒」の名前を押さえていた。
「この家も、奈緒のものになるってことですか?」
「はい。修一さんは、そうお決めになりました」
達也が、青ざめた顔で書面を見つめていた。
奈緒は、自分の名前から目を離せずにいる。
「……私に、残してくれたんですか」
達也の顔が、奈緒へ向いていた。
「お前、知ってたのか?」
「……ううん。私も、今……」
「嘘つくなよ。ずっと親父のそばにいたくせに!」
奈緒が、肩をこわばらせていた。
「達也。奈緒さんは知らないの」
「何で叔母さんに分かるんだよ」
「兄さんに頼まれたからよ。奈緒さんには、まだ内緒にしておいてくれって」
達也が、和枝を見つめていた。
「……叔母さんは、知ってたんだ」
「公証役場にも、私が一緒に行った。兄さんが、自分で決めて、自分で話したのよ」
「でも、あのころは弱ってたんだろ。ちゃんと分かってたかどうか……」
「私も何度も、ご本人のお考えを伺いました。作成の際には、公証人もご意思を確認しています」
達也が、唇をかんでいた。
「……俺は、息子ですよ。俺には何もないんですか」
「達也さんには、遺留分として金銭を請求する権利があります。ただ、それは、この家をご自分のものにできるという意味ではありません」
達也が、言葉を失っていた。
目の前に開かれた遺言には、奈緒の名前があった。
奈緒が、おずおずと大森を見ていた。
「……私、ここを出ていくものだと思っていました」
大森が、奈緒へ顔を向けていた。
「お父さんの家だから、私が出ていくんだって……」
奈緒の声が途切れていた。
隣の和枝が、奈緒の手に手を重ねていた。
「兄さんは、その家を、あなたに残したかったのよ」
奈緒の目に、涙がたまっていた。
「……お義父さん」
達也が、食卓に両手をついて立っていた。
「待てよ! そんなわけないだろ!」
「親父が、俺に黙って全部こいつに渡すなんて……!」
奈緒が、驚いて達也を見上げていた。
「こんなの無効だ! 俺は絶対に認めないからな!」
大森が、正面から達也を見ていた。
「何を理由に、無効だとおっしゃるのですか」
「俺は息子ですよ! 何で奈緒が、家も預金も……!」
「ご納得いただけないというだけで、遺言が無効になることはありません」
達也が、顔を歪めて奈緒を見ていた。
「奈緒! お前が断れば済むだろ!」
「……え?」
「もらえませんって言えよ! お前だって、こんなのおかしいと思うだろ!」
奈緒が、胸元で手を握りしめていた。
「いい加減にしろ!」
達也が、びくりと肩を上げていた。
勝彦は、厳しい顔で達也をにらんでいた。
「兄貴の世話は奈緒さんに押しつけて、家も金も全部、自分のものか!」
「違う。俺は……」
「何が違うんだ?」
「挙句の果てに兄貴が亡くなったら、奈緒さんを追い出そうとしていたんだろう!」
達也が、口を開いたまま黙っていた。
「そして兄貴が自分で残した遺言まで、気に入らなければ無効か」
「お前の思いどおりにならないからって、奈緒さんを責めるな!」
達也が、すがるように大森を見ていた。
「でも……この家は……」
「修一さんが残すと決めた相手は、奈緒さんです」
「受け取るかどうかも、奈緒さんご本人が決めることです。辞退を迫るのは、おやめください」
奈緒は、膝の上の手を開いた。家を残してもらえることがうれしいのか、修一が自分を見ていたことがうれしいのか、まだ分けられなかった。達也の大きな声より、書面の自分の名前へ意識を戻す。これは夫を困らせるための遺言ではない。修一が自分の意思で、奈緒に渡そうとしたものだった。
達也が、青ざめた顔で奈緒を見ていた。
和枝が、奈緒の隣でその手を握っていた。
達也の前には、奈緒の名前が記された遺言があった。
達也は椅子に座り込み、何も言えずに書面を見つめていた。
大森が、奈緒へ一通の封筒を差し出していた。
「奈緒さん。修一さんから、こちらもお預かりしています」
封筒に、修一の筆跡で「奈緒さんへ」と書かれていた。
奈緒の手が、封筒に添えられていた。
「……お父さんの字だ」
奈緒が、両手で封筒を持っていた。
「奈緒さんに、読んでほしいと」
奈緒の頬に、涙が落ちていた。
奈緒が、封筒を胸元に抱え、小さく頭を下げていた。
この作品の漫画版は、次の収録本でお読みいただけます。
『食い尽くし夫の処刑日~妻と娘の取り分まで奪った男の末路~【合本版】: 匿名希望の体験談【コミック】第10~12巻+「ケチ夫」「介護丸投げ夫」全5作品収録 (ヴァンクール出版)』
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