「——なぁアリス、本当にこのやり方で合ってんのか?」
難易度Bランク「奈落の翡翠洞」の最下層。
地下湖のほとりで、Sランク冒険者ランキング2位の重戦士ガルドは、自分の身の丈ほどもある巨大な釣竿(と彼らが呼んでいる『特注の強化鋼鉄ロッド』)を構え、膝をガクガクと震わせていた。
「合っているはずです」
魔法使いのアリスが、いつもの無表情で魔導書を開きながら頷く。
「配信のアーカイブを0.5倍速で10回解析しました。イツキさんは『発光ホタルイモ』を針に仕掛け、水深15メートルのポイントへキャスト。あとは魚が喰いつくのを『静かに待つ』だけです」
「待つって……もう3時間経ってんだけど!?」
ガルドの叫びが暗い洞窟内にこだまする。
背後では、弓術士のルナが退屈そうに岩場に寝そべり、ハーブティーを飲んでいた。
「だいたいさぁ、なんで私たちがこんなチマチマしたことしてんのよ。私が上空から『竜殺しの太矢』で湖面ごとぶち抜けば一発でしょ?」
「ダメですルナさん!」
アリスが珍しく声を張り上げた。
「そんなことをしたら、あの極上の身が衝撃でミンチになってしまいます! あのトロトロの頬肉と、コラーゲンたっぷりのアラ汁を味わうには、一本釣りの技術(フィッシング)で完璧な状態で揚げなければならないのです!」
「食い意地が凄すぎるだろお前……」
ガルドが呆れたその時だった。
ピシッ……ピシャッ!!
ガルドの手元にある太い鋼鉄ワイヤーが、急激にピンと張り詰めた。
巨大なウキ代わりの魔導フロートが、一瞬で水中に引きずり込まれる。
「き、来たあああああッ!! クリムゾン・ガー……じゃなかった、クリスタル・ガーだッ!!」
ギャギャギャギャギャギャギャギャッ!!!
リール代わりに設置した小型の捲揚機(ウインチ)から、猛烈な勢いで煙が吹き出した。鋼鉄ワイヤーが摩擦熱で真っ赤に発光する。
「うおっ!? ぐあああああっ!?」
ガルドの身体が、一瞬で水面に向かって引っ張られた。
重量200キロを超える重鎧を着たSランク前衛が、まるで紙切れのように湖へと引きずり込まれそうになる。
「ちょっとガルド! 何やってんのよ引き戻しなさいよ!」
「無理言うなバカ! 引きが強すぎる!! これ重戦車が時速100キロでバックしてるみたいなパワーだぞ!? イツキの奴、なんでこれを一人で腕力だけで引っこ抜けたんだよおかしいだろあいつ!!」
「キャッチ&リリース(物理)の男ですからね!」
アリスが素早く呪文を唱え始める。
「『重力増幅(グラビティ・チャージ)』! ガルドさんの体重を一時的に3トンにします!」
ドズゥゥゥン!!
「重っ!? 潰れる、俺が潰れる!!」
体重3トンとなったガルドが岩場にめり込み、なんとか踏み止まる。しかし、湖底の主も負けてはいない。湖面がバシャァァンと激しく爆発し、七色に輝く巨大な結晶魚が跳ね踊った。
『ギシャアアアアアン!!』
「ルナ! 補助して!!」
「はいはい!『風の縄束(ウィンド・バインド)』!」
ルナが放った魔法の矢が風の縄となり、跳ねるクリスタル・ガーの胴体に巻き付く。
Sランク冒険者3人が全力を尽くし、冷や汗を流しながら、死闘を繰り広げること実に20分。
「ぬんがああああああッ!!!」
ガルドが全身の筋肉を筋繊維レベルで限界突破させ、ついに巨大な魚体を陸へと引きずり揚げた。
ドサァァァン!!
岩場に横たわる、完璧な美しさを持つクリスタル・ガー。
ガルドは重力魔法が切れると同時に、その場に大の字になって倒れ込んだ。鎧の中は汗でビショビショ、両腕の筋肉は断裂寸前である。
「はぁ……はぁ……勝った……俺たちは……勝ったんだ……!」
「やりましたね、ガルドさん! これであのアラ汁が……!」
アリスが目を輝かせながら、調理用のナイフを取り出した。
そして、クリスタル・ガーの頑丈な外皮に向かって、ナイフを思い切り突き刺した。
キンッ!
甲高い金属音が響き、アリスの超高級魔法ナイフが、根元から綺麗にポッキリと折れた。
「……あ」
「あ……」
硬度7のダイヤモンド並みの外皮は、かすり傷ひとつついていない。
「……アリス、グラインダーは?」
「持ってきていません。あれは日曜大工の工具ですので……」
「『太古の鉄塊剣』みたいな、超重量の斬撃武器は?」
「ガルドさんの両腕が今、筋肉痛でピクピク言っています」
「「…………」」
暗い地下湖のほとりで、極上の獲物を目の前にしたSランク冒険者たちに、絶望的な静寂が訪れた。
その横で、ルナがスマホを取り出し、溜息交ちに画面をタップする。
「……はい、イツキ? あ、私ルナだけど。今ね、翡翠洞にいるの。……うん、釣れた。釣れたんだけどさ……出張解体、いくらでやってくれる?」
画面の向こうから、『ええ!? ガルドさんたち本当に釣ったんですか!? いいですよ、アラ汁一杯で請け負います!』という呑気な声が聞こえてきて、ガルドは力尽きたように洞窟の天井を見上げたのだった。