監視夫の処刑日~妻を見張る夫の、見られたくない秘密~   作:桐山さくらこ

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夜まで、出かけておいで

翌日の夜。テーブルに、菓子店の箱があった。

 

「帰りに買ってきた」

 

「……シュークリーム?」

 

 箱の中に、チョコのシュークリームが二つ入っていた。

 

「これ、私の好きなやつ?」

 

「まだ残ってたから。コーヒーも淹れるよ」

 

 香織が、少しほっとした顔で夫を見ていた。

 

「ありがとう」

 

 香織が、台所へ向かう夫を見ていた。

 

「ねえ。昨日のこと……」

 

「もう喧嘩はやめよう。せっかく買ってきたんだから」

 

「喧嘩したいんじゃなくて、話を……」

 

 祐介が、困ったように香織を振り返っていた。香織の口が、閉じていた。

 

「砂糖、一つでいい?」

 

「……うん」

 

 香織は箱の中のシュークリームを見つめた。こういうことは、覚えててくれるのに……好きな味を覚えている人に、嫌だと言ったことも覚えてほしかった。箱の中の二つを見ていると、また仲よくできるかもしれないと思う。その期待があるから、話を終わらせられても強く言い直せない。香織はコーヒーの砂糖の数だけ答えた。

 

*

 

 数日後。リビングで、香織のスマートフォンに、千夏からメッセージが届いていた。千夏からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈最近、どう? 会いたいな。また二人で話そうよ〉

 

 香織の入力欄に「私も会いたい」とある。

 

 香織が、寂しそうに画面を見ていた。でも、また途中で帰ったら……

 

「また予定がわかったら、連絡するね」

 

 香織の目に、涙が浮かんでいた。着信画面に、祐介の顔と名前が表示されていた。

 

「……もしもし」

 

『どうしたの。何で泣いてる?』

 

 香織が、はっとして棚のカメラを見ていた。

 

「見てたの?」

 

『今見たら泣いてたから。何かあった?』

 

 香織は涙の残った顔を伏せた。

 

「……何でもない」

 

『何でもなくて泣かないだろ』

 

「もう大丈夫。ごめん」

 

 洗面所で、香織が壁際にしゃがみ込み、両手で口元を押さえていた。泣くところまで、見ないでよ……香織はタオルに顔を埋めた。怒っている顔も、悲しんでいる顔も、映らないところを探さなければならない。夫から連絡を受けない数分を得るために、家の中で小さくなっている自分が、いっそう悲しかった。

 

*

 

 翌週。夕食のテーブルで、祐介が、香織へ顔を向けていた。

 

「今度の土曜、会社の人たちと飲みに行くから。晩飯、いらない」

 

「うん。わかった」

 

「香織も、千夏さんと出かけてくれば?」

 

 香織が、驚いた顔で夫を見ていた。

 

「……いいの?」

 

「最近、会ってないだろ。晩飯も、食べてくればいいじゃん」

 

「夜まで?」

 

「俺もいないんだし。ゆっくりしてきなよ」

 

 香織の口元に、小さな笑みがあった。

 

「うん。千夏に聞いてみる」

 

 香織からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈土曜日、空いてる? 今度は夜まで会いたい〉

 

 千夏からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈空いてるよ! どこに行こうか〉

 

*

 

 土曜日。カフェで、香織と千夏の前に、ランチが並んでいた。

 

「今日は、ゆっくりできるんだね」

 

「うん。祐介のほうから、行っておいでって」

 

「祐介さんが?」

 

「この前、言ったんだ。連絡ばっかりで、つらいって」

 

 香織が、少し照れたように笑っていた。

 

「そのときは喧嘩になっちゃったけど……考えてくれたのかな」

 

「……そっか」

 

 千夏が、香織の笑顔を見ていた。

 

「じゃあ、今日は本屋も行こうよ。あの大きいところ」

 

「行きたい。今日は、いっぱい付き合ってね」

 

「うん!」

 

 書店で、香織が「坂道の先へ 下巻」を持っていた。

 

「それ、面白い?」

 

「上巻が、すごくいいところで終わったの。ずっと読みたくて」

 

「じゃあ、買わなきゃ」

 

「うん」

 

 香織は笑顔でレジに並んだ。バッグのポケットに、スマートフォンが入っていた。

 

*

 

 千夏の家で、テーブルに、誕生日に贈った花柄のカップがあった。

 

「あ。使ってくれてる」

 

「毎朝これ。持ちやすいんだよね」

 

「よかった……」

 

 香織が、カップをうれしそうに見ていた。

 

「あの日、開けるところ見たかったんだ。気に入ってくれるかなって」

 

「うん。開けたとき、香織に見せたかったよ」

 

「……ごめんね。帰っちゃって」

 

「今日はいるじゃん。ほら、香織が好きなお茶もあるよ」

 

 千夏がカップを出し、香織は湯を待った。途中で帰る説明をしなくても、次の話が始まる。二人で本屋を回ったことを話すうちに、もう午後になっていると気づいた。時計を見て焦らなくてよいことが、その日は何よりうれしかった。千夏が、紅茶の箱を香織へ見せていた。香織は目元を指で押さえ、笑った。

 

「うん。それ、飲みたい」

 

*

 

 夕方。千夏の家の窓が、夕焼けに染まっていた。

 

「夕飯、どうする?」

 

「もう、そんな時間?」

 

「帰る?」

 

 香織が、バッグのスマートフォンを見ていた。祐介からの新しい連絡はない。

 

「……まだ、話したい」

 

「じゃあ、何か買いに行こう」

 

 香織は笑顔でうなずいた。夜の自宅。香織が、小さな菓子袋を祐介へ差し出していた。

 

「お土産。祐介も好きそうだったから」

 

「ありがとう。楽しかった?」

 

「うん。ずっとしゃべってた」

 

「よかったじゃん。また行ってくれば」

 

 香織が、うれしそうに祐介を見ていた。

 

「ありがとう。今日は、気がついたら夕方だった」

 

「そんなに話すことあるんだな」

 

「あるよ。祐介は? 飲み会、楽しかった?」

 

「まあね。いつもの顔ぶれだし」

 

 祐介は香織に見えないところで、口元を緩めた。

 

*

 

 それから祐介は毎週ゴルフに行くようになった。居間で、香織が、ソファで足を伸ばしてテレビを見ていた。テーブルには、紅茶と好きなお菓子があった。

 

「ふふっ」

 

 土曜日だけは、電話も、カメラ越しの小言もなかった。香織はクッションを抱え、くつろいだ。誰にも急かされず、好きなことができる。毎週、土曜日が来るのを楽しみにしていた。

 

*

 

 数ヶ月後。夕食のテーブルで、祐介が、香織へ顔を向けていた。

 

「今度の土曜、また千夏さんと遊んでくれば?」

 

「いいね。誘ってみようかな」

 

「晩飯も食べておいでよ。俺も遅くなるから」

 

「また、ゴルフのあとご飯?」

 

「うん。だから、ゆっくりしてきなよ」

 

「ありがとう。千夏に聞いてみるね」

 

 香織は笑顔でスマートフォンを手に取った。

 

*

 

 土曜の夕方。

 

*

 

 千夏の家で、テーブルに、二人分のお茶と空いたケーキ皿があった。香織が、スマートフォンを耳に当てていた。

 

「もしもし。そろそろ帰ろうかなと思って」

 

『え、もう? 晩飯は?』

 

「まだだよ」

 

『千夏さんと食べてくれば。俺、まだ帰れないし』

 

「そう? じゃあ、聞いてみるね」

 

『うん。もっとゆっくりしてきなよ』

 

 電話を終えた香織が、笑顔で千夏を見ていた。

 

「祐介が、夕飯も食べてくればって。千夏、このあと大丈夫?」

 

「うん。私も、誘おうと思ってた」

 

「よかった! じゃあ、もう少しお邪魔するね」

 

*

 

 翌週の金曜日。居間で、祐介が、ソファの香織へ声をかけていた。

 

「明日も、千夏さんと会うんだろ?」

 

「ううん。約束してないよ」

 

「何で? 行ってくればいいじゃん」

 

「先週も会ったし。明日は、家でのんびりしようかなって」

 

 祐介が、眉を寄せていた。

 

「この前、楽しかったって言ってたじゃん」

 

「うん。楽しかったよ。でも、千夏にも予定があるかもしれないし」

 

「聞くだけ聞いてみたら?」

 

「……別に、明日じゃなくても」

 

「せっかく休みなんだからさ。ほら、連絡してみなよ」

 

 祐介の視線が、香織の手元のスマートフォンに向いていた。香織が、戸惑った顔で夫を見ていた。

 

「……わかった。聞いてみる」

 

 スマートフォンに、千夏とのメッセージ画面が開いていた。香織からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈明日、会える?〉

 

 千夏からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈うん。お昼からなら大丈夫だよ〉

 

「お昼からなら、いいって」

 

「よかったじゃん。じゃあ、晩飯も食べてきなよ」

 

「うん、わかった…」

 

 香織が、スマートフォンを持ったまま祐介を見ていた。……そんなに、出かけてほしいの?以前は、帰るのが遅いと言われた。今は、家にいようとすると外出を勧められる。どちらも自分の希望が、返事の前に脇へ置かれる。優しくなってくれたと思いたかった香織には、その違和感を認めるのが難しかった。




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