監視夫の処刑日~妻を見張る夫の、見られたくない秘密~   作:桐山さくらこ

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離婚をやめる約束はしない

喫茶店で、香織の手元の画面に、祐介と玲奈のメッセージが並んでいた。

 

 画面に「先週の土曜日」と表示されていた。

 

 祐介からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈今日、家に来ない?〉

 

 玲奈からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈奥さんは?〉

 

 祐介からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈友達と出かけてる。夜まで帰らないから〉

 

 香織の指が、日付のそばで止まっていた。

 

「この日……私、そろそろ帰るって電話したよね」

 

「……うん」

 

「まだ帰れないって言ってたけど……この人と、家にいたの?」

 

 祐介が、目をそらしていた。

 

「……ごめん」

 

 香織が、スマートフォンを握ったまま祐介を見ていた。

 

「もっとゆっくりしておいでって……」

 

 香織が、千夏へ顔を向けていた。

 

「私、うれしくて。夕飯も一緒に食べようって……」

 

 千夏が、つらそうにうなずいていた。香織の頬に、涙が落ちていた。

 

「香織。もう、こんなことは……」

 

「私が帰ったら、困るからだったんだね」

 

 あの土曜日、友人と夕飯まで食べてよいと言われて、香織は喜んだ。本の続きも読めると思った。その安心した顔さえ、祐介には都合のよい反応だったのか。画面の日付と、自分の楽しんだ日の記憶が、同じ場所で重なってしまった。祐介が、口を閉じていた。香織が、口元を手で覆っていた。千夏が、香織の背に手を添えていた。

 

「お前と別れるつもりなんか、なかったんだよ」

 

 香織が、涙のたまった目を祐介へ向けていた。

 

「……それで、私が喜ぶと思う?」

 

「そうじゃなくて。俺は、香織と……」

 

「私、もう帰れない」

 

 祐介が、顔を上げていた。

 

「二人がいたところに座って、ご飯作って、またあなたと笑うなんて……できない」

 

「香織……」

 

「離婚したい」

 

 祐介が、目を見開いていた。

 

「待って。そんな、今すぐ決めなくても……」

 

「今だって、目を閉じると二人が浮かぶの。あなたと家に帰るなんて……」

 

 香織が、首を横に振っていた。

 

「無理だよ。お願いだから、帰ってこいって言わないで」

 

 香織が、涙を拭いていた。

 

「このやり取り、私にも送って」

 

「……全部?」

 

「隠さないって、言ったよね」

 

「……わかった」

 

 店の外で、香織が、千夏と並んで立っていた。

 

「言っちゃった……離婚したいって」

 

「うん」

 

「本当に、一人になるんだよね」

 

 香織が、涙を流したまま千夏を見ていた。

 

「怖い。でも……戻りたくない」

 

「今日、全部決めなくていいよ。とりあえず、うちに帰ろう」

 

 千夏が、香織の背に手を添えていた。

 

「……ありがとう」

 

*

 

 翌日の昼。村瀬家の玄関で、香織と千夏が、旅行鞄を持っていた。

 

「祐介さん、仕事だよね」

 

「うん。荷物を取りに来るって、送ってある」

 

 リビングの入口で、香織が、誰もいないソファを見ていた。

 

「香織?」

 

「……あそこ、見たくない」

 

「うん。先に寝室へ行こう」

 

 寝室で、開いた旅行鞄に、衣類と通帳が入っていた。棚には、二人の結婚写真が飾られていた。香織が、写真の中の自分を見つめていた。千夏が、隣で黙って待っていた。

 

「……行こう」

 

 棚には、写真が残っていた。

 

*

 

 その夜。村瀬家で、祐介が、一人で電話をしていた。

 

「香織と、やり直したい。だから、もう……」

 

『私だって、もう会いたくない』

 

「……ごめん」

 

『あなたの家なんか、行かなきゃよかった』

 

 祐介は通話の切れた画面を見た。祐介からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈玲奈とは別れた。もう会わない。帰ってきてほしい〉

 

*

 

 千夏の家で、香織が、スマートフォンを見ていた。

 

「祐介さん?」

 

「うん。あの人と別れたから、帰ってきてって」

 

「……そう」

 

 香織が、画面を見たまま目を伏せていた。

 

「それで、なかったことになると思うのかな」

 

 千夏が、黙って香織を見ていた。

 

「昨日、帰れないって言ったのに……」

 

*

 

 数日後。香織のスマートフォンに、祐介からのメッセージが並んでいた。祐介からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈会って話したい〉

 

〈もう一度だけ。頼む〉

 

 香織の返信には、こう書かれていた。

 

〈話は聞く。でも、家に戻るつもりはありません〉

 

 喫茶店で、祐介が、香織へ身を乗り出していた。

 

「これからは、仕事が終わったらすぐ帰る。休みも家にいる」

 

「……戻るつもりはないって、送ったよね」

 

「読んだよ。でも、今度こそちゃんとするから」

 

「今、そう言われても」

 

「どうしたら、信じてもらえる?」

 

 香織が、うつむいたまま黙っていた。

 

「……写真でも送ろうか。毎日、どこで何してるか」

 

 香織が、顔を上げていた。

 

「写真?」

 

「香織に送ってもらってたみたいに。俺も、そうするよ」

 

 香織が、眉を寄せていた。

 

「写真に写ってないときは、何してるかわからないよ」

 

「位置情報も見ていい。カメラも切らない。いつでも確かめてよ」

 

 香織が、祐介を見つめていた。

 

「……ずっと見られるんだよ。嫌じゃないの?」

 

「もう、見られて困ることなんかしないから」

 

 香織の顔がこわばっていた。

 

「私も、何もしてなかったよ」

 

「……うん」

 

「それでも嫌だった。何回言っても、聞いてくれなかった」

 

「それは悪かったよ。だから、俺にもさせてくれって」

 

 香織の手が、膝の上で握られていた。まだ……それくらい平気だと思ってるんだ。

 

「私が、あなたと同じことをしても?」

 

「もちろん。見れば、もう嘘ついてないってわかるだろ」

 

「……それで離婚をやめるって、約束はできない」

 

 香織は、はっきり言っておきたかった。相手と別れたことも、監視を自分に向けたことも、戻ると決めた理由にはなっていない。祐介は、それでも見ていてほしいと言った。あとから約束をしたことにされないよう、香織は同じ言葉をもう一度、胸の中で確かめた。

 

「今すぐ決めてくれなくていい。とにかく、見てて」

 

 香織が、自分のスマートフォンをテーブルに置いていた。

 

「わかった。じゃあ、見せて」

 

 祐介の画面に「香織に位置情報を共有」と表示されていた。

 

 香織の画面には、喫茶店の位置に祐介の顔のアイコンがあった。

 

「見える?」

 

「うん」

 

「カメラも、帰ったらつける」

 

 祐介はほっとした。

 

「ありがとう」

 

 香織は笑わず、スマートフォンを見ていた。

 

*

 

 その夜。村瀬家で、祐介が、弁当をスマートフォンで撮っていた。祐介からのメッセージには、こう書かれていた。

 

〈帰った。これからご飯〉

 

 これくらいなら、毎日だって。

 

*

 

 千夏の家で、香織の画面に、弁当の写真が届いていた。

 

「やり直すことにしたの?」

 

「ううん。離婚をやめる約束は、できないって言った」

 

「じゃあ、この写真は……」

 

 香織が、唇を結んでいた。

 

「自分を見張ってていいって。何もしてなければ平気なんだって」

 

「……そう言ったの?」

 

「うん」

 

 香織の目に、涙が浮かんでいた。

 

「私が嫌だって言ってたの、何だったんだろうって。腹が立って……」

 

 千夏が、香織を見ていた。

 

「一度、自分もやられてみればいいって、思っちゃった」

 

 千夏が、テーブルのティッシュを香織へ寄せていた。

 

「……香織まで、しんどくならないでね」

 

「うん。私、もうあの人の顔色ばっかり見て、暮らしたくない」

 

*

 

 翌日の夕方。スーパーの弁当売り場で、祐介が、スマートフォンを耳に当てていた。

 

『今、どこ?』

 

「スーパー。弁当買って帰る」

 

『まっすぐ帰るって、送ってきたよね』

 

「帰り道だよ。ちょっと寄っただけ」

 

『寄るなら、言って』

 

 祐介が、むっとした顔で弁当の棚を見ていた。

 

「弁当買うだけだぞ」

 

『私が本屋に寄ったときは、一言くれればいいって言ってたよね』

 

 祐介が、口を閉じていた。

 

『写真、送って』

 

「……わかった」

 

 スマートフォンのカメラ画面に、弁当の棚が映っていた。最初のうちだけだ。安心すれば……

 

*

 

 数日後。

 

*

 

 千夏の家で、香織が、封筒を千夏へ差し出していた。

 

「何?」

 

「食費とか。毎日、ご飯まで食べさせてもらってるから」

 

「今すぐ、気にしなくていいのに」

 

「ううん。受け取って。……それと、部屋を探そうと思ってるの」

 

「だから決まるまでは…」

 

 香織は申し訳なさそうに尋ねた。

 

「もう少し、ここに置いてもらってもいい?」

 

「もちろんよ」

 

 香織が、ほっとした顔で笑っていた。

 

「ありがとう。仕事も、増やせるか聞いてみる」

 

 生活雑貨店のバックヤードで、香織が、恵に話しかけていた。

 

「店長。前にお話しいただいた、午後の勤務なんですけど」

 

「うん」

 

「まだ、空いていますか」

 

「あるよ。何曜日なら入れそう?」

 

「えっと、確認して……」

 

 香織が、鞄のスマートフォンへ手を伸ばしかけていた。祐介に……香織ははっとした。香織の手が、鞄から離れていた。予定を決めるときは、まず夫へ聞く。その順序が、体に残っていた。今、店長が尋ねているのは香織が働ける曜日だ。自分の手帳を開いて答えればよい。香織は火曜日の欄を見た。

 

「火曜と木曜は大丈夫です。ほかの日も、相談できます」

 

「助かる。来週の分から、調整してみようか」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 恵が、勤務表の火曜日と木曜日を指していた。香織が、明るい顔でうなずいていた。




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