マチアプ夫の処刑日~待ち合わせに現れたのは、妻だった~ 作:桐山さくらこ
数日後。昼のカフェで、彩乃の隣のベビーカーで、湊が眠っていた。里奈が、スマートフォンを両手で持っていた。
「どうしたの?」
「拓也さん、アプリ……もう、やめたんだよね」
彩乃の顔から、笑みが消えていた。
「……うん。消したよ。私の前で」
「私、婚活で使ってて」
里奈が、スマートフォンを彩乃へ向けていた。
「……これ、拓也さんだよね?」
画面に拓也のプロフィールがあった。名前は「タク」。公園で撮った顔写真と「独身」の文字。
「……古いのが、残ってるんじゃ」
写真を見た彩乃の指が止まっていた。この服……彩乃が自分のスマートフォンで、三人の写真を開いていた。二台の画面に、同じ顔で笑う拓也がいた。一方には、彩乃と湊も写っていた。
「……同じ写真?」
自分のスマートフォンにも、棚の額にもある写真だった。三人で笑った記憶が、夫一人の顔に切り取られている。あの日のうれしさを捨てたくないのに、その写真で別の相手を探していたのだと、目の前の画面が告げていた。
「うん」
「……これ、いつ撮ったの?」
「私が……家に、戻ってから」
里奈の口が、わずかに開いていた。
「三人で、公園に行ったときの……」
彩乃の指が、写真の自分と湊の上にある。
「……私たち、切っちゃったんだ」
里奈が、彩乃の手元を見ていた。彩乃は、うつむいたまま画面を消せずにいる。夕方の自宅で、棚の前に立つ彩乃が、家族写真の額を持っていた。これ、飾ってるの……知ってるよね。玄関の方から、鍵の音がする。
「ただいま」
彩乃が、額を胸の高さで持ったまま振り返っていた。
「湊、寝た?」
「……うん」
「腹減った。ご飯、できてる?」
彩乃の口が、少し開いていた。今、聞いたら……実家のテーブルで、拓也がスマートフォンを差し出したときのことを、彩乃は思い出した。
「消すから。見てて」
現在のリビングで、拓也がテレビのリモコンを手にしていた。
「彩乃?」
「……温めるね」
額を棚に戻した彩乃の手が、その縁から離れずにいる。
*
後日。昼の実家で、恵子が湊のそばで洗濯物を畳んでいた。別室の彩乃が里奈と電話をしていた。
「話せた?」
「まだ」
「そっか」
「見つけたって言ったら、また、消すだけだと思う」
「うん」
「それで、もうしないって言うんだよ」
彩乃が、唇をかんでいた。
「私と湊を、あんなふうに切っておいて……また、それで済むと思われたくない」
今すぐ問い詰めれば、拓也はまた目の前で消すかもしれない。そして、何もなくなった画面を差し出す。彩乃が知りたいのは削除できるかどうかではなかった。妻が見ていないつもりの場所で、何を選ぶのか。その言葉を、自分の耳で聞きたかった。
「……どうするの?」
「……私、別の人のふりをしてみようかな」
「え?」
「アプリで。知らない女の人だと思って会いに来たら、私が待ってるの」
「……それ、彩乃が自分でやり取りするの?」
「うん」
自室の里奈が、眉を寄せてスマートフォンを耳に当てていた。
「でも……つらくない? ほかの人を誘ってるところ、自分で読むんだよ?」
彩乃が、目を伏せていた。
「今だって、何してるのかって、ずっと考えてる」
「会う約束までしてたら、見てただけなんて言えないでしょ」
里奈が、しばらく黙っていた。
「……会いに行く前に、私にも教えて。何時に、どこか」
「うん」
「写真……どうしよう。私の顔は出せないし」
里奈は、すぐには答えない。
「拓也さん、私の顔は知らないんだよね」
「うん。写真も、見せたことないと思う」
「でも、里奈の写真は……」
「……少し、考えさせて」
「うん。ごめん」
*
その夜。彩乃のスマートフォンに、里奈の顔写真が届いていた。里奈からのメッセージには、こう書かれていた。
〈考えたんだけど、この写真でよければ使って。アプリには載せてないやつ〉
彩乃からのメッセージには、こう書かれていた。
〈本当にいいの?〉
里奈からのメッセージには、こう書かれていた。
〈私も、あの家族写真は腹が立った。会うことになったら、ちゃんと教えてね〉
彩乃が、ほっとした顔でメッセージを読み返していた。彩乃からのメッセージには、こう書かれていた。
〈ありがとう。ちゃんと連絡するね〉
自宅の寝室で、湊が眠る布団のそばで、彩乃がスマートフォンを持っていた。
画面に、新しいプロフィールが表示されていた。名前は「ナツ」。アイコンは里奈の顔写真。
彩乃が、拓也のプロフィールを開いていた。
映画の欄に「『隣の灯り』が最近のお気に入りです」と書かれていた。
彩乃の入力欄に「『隣の灯り』、私も観ました」とある。
彩乃の指が、送信ボタンの手前で止まっていた。……返事、来るのかな。
アプリの会話画面で、「ナツ」から「タク」へ、「『隣の灯り』、私も観ました」と送信されていた。
彩乃が、スマートフォンを伏せていた。彩乃が、すぐにスマートフォンを取り上げていた。画面に、拓也からの返信があった。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈あの映画、観た人が周りにいなくて。うれしいです〉
……早い。ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈お母さんの役、どう思いました?〉
仕事帰りの電車で、拓也がスマートフォンに返信を打っていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈怖かったです。子どもの手紙、勝手に開けるし〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈嫌な人だと思ったけど、駅でずっと待っていたところは、少し悲しかったです〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈ああ。雨の中で〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈傘を二本持ってきてたんですよね。帰ってくると思ってたんだなって〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈二本? 気づかなかったです〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈ベンチの横に、もう一本立ててあって〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈そこ、もう一回観てみますね〉
彩乃が、画面を見つめていた。昔も、こうやって聞いてくれたな。
*
後日の昼休み。公園で、拓也が一人でベンチに座り、スマートフォンを見ていた。画面には、ナツとの会話があった。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈自己紹介、まだでしたね。タクです。営業の仕事をしてます〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈ナツです。よろしくお願いします〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈お休みの日も、よく映画を観るんですか?〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈家で観ることが多いです〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈俺も。一人だと、気づいたら二本とか観てます〉
自宅で、彩乃の膝の上で、湊が絵本をつかんでいた。
彩乃のスマートフォンに「一人だと、気づいたら二本とか観てます」と表示されていた。
一人、か。ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈一人暮らしなんですか?〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈はい。気楽ですよ〉
彩乃の口元が、固くなっていた。湊の手が、彩乃のスマートフォンに伸びていた。
「あ、これは駄目だよ」
彩乃がスマートフォンを置き、湊へ絵本を向けていた。
「続き、読もうね」
*
別の日の夜。夜のリビングで、拓也がスマートフォンを見ていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈映画のお母さん、傘二本でした。ほんとだ〉
寝室で、湊のそばに座る彩乃が、届いたメッセージを見ていた。ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈あ、観直したんですね〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈気になったので。見方、変わりました〉
彩乃の口元が、わずかに緩んでいた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈でも、手紙は開けちゃ駄目ですよね〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈それは駄目です〉
リビングの拓也も、返信を見て口元を緩めていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈そこは意見、一致ですね〉
彩乃が、声を立てずに笑っていた。湊が布団の上で身じろぎしていた。彩乃が口元を押さえていた。……危ない。起こしちゃう。ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈今日は、もう寝ますね〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈引き止めてすみません。おやすみなさい〉
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