マチアプ夫の処刑日~待ち合わせに現れたのは、妻だった~ 作:桐山さくらこ
彩乃がスマートフォンを胸元に伏せていた。楽しかった……彩乃の笑みが消えていた。何、喜んでるんだろう。私。
翌朝の台所。彩乃がマグカップを持っていた。拓也は食卓でスマートフォンを見ていた。
「今日、雨降るって。傘、持った?」
「んー」
「玄関に、折り畳み出しておいたよ」
「うん」
彩乃は、拓也の顔を少し見ていた。昨日の続きを、普通に話せたら……拓也が、スマートフォンから顔を上げていた。
「何?」
「ううん。コーヒー、飲む?」
「いい。もう出る」
食卓に、彩乃のマグカップだけが残っていた。
夕方、彩乃のスマートフォンに、映画の告知が表示されていた。「『星の帰り道 2』夏、公開決定」。ポスターの隅に、小さなロボットのノアがいる。
「……続き、出るんだ」
彩乃の口元が、少し緩んでいた。彩乃が、棚に並ぶ二冊のパンフレットを見ていた。夜の食卓。拓也が食事を終え、椅子にもたれていた。
「ねえ。『星の帰り道』、続きが出るんだって」
「ふうん」
彩乃が、スマートフォンのポスターを拓也へ向けていた。
「ポスターにノアがいたよ。あれ、やっぱり動くんじゃない?」
拓也は、自分のスマートフォンに目を落としていた。
「最後の光、覚えてる? あの……」
「今、疲れてるから。あとでいい?」
彩乃の言葉が止まっていた。
「……うん」
「ごちそうさま」
彩乃が、差し出しかけたスマートフォンの画面を消していた。寝室から、湊の小さな泣き声が聞こえていた。
「はい。今、行くよ」
寝室で、眠った湊の隣で、彩乃がスマートフォンを手にしていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈『星の帰り道』って観ました? 続編、出るみたいです〉
彩乃の指が止まっていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈好きな映画なので、楽しみで〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈観ました。ロボットが出てくる映画ですよね〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈そうです。ノア、続編にもいるみたいで〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈本当ですね〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈前の最後、あれで終わりだったら嫌だなって、ずっと思ってたので〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈ナツさんは、どう思いました?〉
リビングの拓也が、笑顔でスマートフォンを見ていた。彩乃が、閉じた寝室のドアを見ていた。スマートフォンに、続けてメッセージが届いていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈すみません。こういう話、長くなっちゃって〉
彩乃の目に涙が浮かんでいた。疲れてるんじゃ、なかったの?ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈いえ、大丈夫です〉
彩乃が、布団の上にスマートフォンを置いていた。画面はまだ明るかった。彩乃はそれを見ず、湊の髪をそっと撫でていた。
*
後日。
午後の公園。彩乃と里奈が、ベビーカーを挟んでベンチに座っていた。
「最近、どう?」
「……アプリでは、すごく話してる」
「家では?」
彩乃が首を横に振っていた。
「同じ話をしてみたんだけど。家だと、あとでって」
「そっか……」
彩乃が、眠る湊の顔を見ていた。
「私、途中で楽しくなっちゃったの」
里奈は黙って、彩乃の方を向いていた。
「変な冗談を言うところとか。そうだったなって、思い出して」
彩乃が、少しだけ笑っていた。
「返事が来ると、うれしくて」
確かめるために始めた会話なのに、返信が届くと胸が弾んだ。昔と同じように、話したいことを拾ってくれる。相手は夫なのに、自分は妻の名前で話していない。そのうれしさを里奈に言うのは、責める言葉を並べるより難しかった。彩乃は、里奈から目をそらしていた。
「……でも、私だって知ってたら、返してくれないんだよね」
「彩乃」
「ごめん。何やってるんだろうね」
「私には、そういうの話していいんだよ」
里奈が、彩乃の手を握っていた。彩乃が、目元を指でぬぐっていた。
「ねえ、少し歩かない? 向こうに花、咲いてたよ」
彩乃が、スマートフォンをバッグにしまっていた。
「……うん」
ベビーカーを押す彩乃の隣を、里奈が歩いていた。夜のリビング。拓也がアプリを開いていた。ナツとの会話には、今日はまだ返信がない。今日は、忙しいのかな。
拓也が、別の女性からの「こんばんは」を閉じ、ナツとの会話へ戻っていた。
拓也の入力欄に「もう寝ました?」とある。
拓也の指が、送信ボタンの手前で止まっていた。いや。返事、催促するのもな。ソファの反対側で、彩乃が保育園の持ち物案内を読んでいた。
「ねえ、湊のタオル、名前を書くところがある方が……」
「ごめん。今、何て?」
彩乃が、拓也のスマートフォンを見ていた。
「……タオル。明日、私が見てくる」
「ああ。じゃあ、お願い」
拓也の視線が、スマートフォンへ戻っていた。彩乃が、案内の紙を閉じていた。
*
翌日。昼の自宅で、湊が昼寝をしていた。彩乃のスマートフォンに、拓也からメッセージが届いていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈ナツさん。よかったら今度、食事に行きませんか〉
彩乃が、画面を見つめたまま唇をかんでいた。
彩乃の入力欄に「私も、お会いしてみたいです」とある。
彩乃が目を閉じていた。彩乃の指が、スマートフォンの送信ボタンに触れていた。
「私も、お会いしてみたいです」というメッセージが送信された。
会社の休憩スペースで、拓也が、届いた返事を見て口元を緩めていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈どんなお店が好きですか?〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈落ち着いて話せるところだとうれしいです〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈じゃあ、ここはどうですか〉
アプリの画面に、店の案内が表示されていた。「イタリアン・アトリ」。窓際に二人掛けの席が並ぶ店内写真があった。
彩乃が、驚いた顔で店の写真を見ていた。……この店。
*
少し前。以前、食卓で彩乃が店の写真を拓也へ向けたときのことが、よみがえった。
「ここ、一回行ってみたいな」
「高そう」
「たまには、二人で行こうよ。お母さんが湊を見てくれるって」
「そんな高いところじゃなくても、近くにいくらでもあるじゃん」
「……そっか」
彩乃が、スマートフォンを自分の方へ戻していた。
*
その日の自宅でのことが、よみがえった。彩乃のスマートフォンに、続けてメッセージが届いていた。拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈前から気になってたんです。よければ予約します〉
彩乃が、スマートフォンの縁を強く握っていた。ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈素敵なお店ですね。ここがいいです〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈来週の金曜、19時はどうですか?〉
ナツからのメッセージには、こう書かれていた。
〈大丈夫です〉
拓也からのメッセージには、こう書かれていた。
〈楽しみにしてます〉
彩乃が、返信欄を開いたまま黙っていた。自宅で、彩乃が、湊の眠る布団のそばでスマートフォンを持っていた。画面には、里奈との会話が開いていた。彩乃からのメッセージには、こう書かれていた。
〈来週の金曜、七時。アトリっていうお店になった〉
里奈からのメッセージには、こう書かれていた。
〈わかった。終わったら連絡して〉
彩乃からのメッセージには、こう書かれていた。
〈うん〉
*
その夜。台所で、彩乃が湊の食器を洗っていた。
「来週の金曜、遅くなるから」
「……何かあるの?」
冷蔵庫の前で、拓也がペットボトルのふたに手を掛けていた。
「月末の資料。まとめないといけなくて」
彩乃の手が止まっていた。
「……本当に?」
拓也が、彩乃を見ていた。
「何が?」
「仕事で、遅くなるんだよね」
拓也は、ペットボトルを持ったまま彩乃を見ていた。
「そうだよ。……まだ疑ってるの?」
「もう、嘘はつかないって言ったよね」
拓也が、眉を寄せていた。
「ついてないって。だから、こうやって前もって言ってるんじゃん」
彩乃が、拓也の顔を見つめていた。
「急に遅くなるって言ったら、また心配するだろ」
彩乃の唇が、わずかに開いていた。
「……そうだね」
彩乃が、手元の食器へ目を落としていた。
「夕飯は?」
「外で済ませるよ。先に寝てて」
拓也が、ペットボトルの水を飲んでいた。流水の下で、彩乃が小さな器を持っていた。私の顔を見て、そう言えるんだ。
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