同性愛夫の処刑日~妻と彼氏に愛を約束した男の末路~ 作:桐山さくらこ
「別れたくないんだよ。亮……」
「……もう、お前とは付き合えない」
直人が、息をのんでいた。
「切るな。頼むから、まだ……」
画面が「通話終了」に変わっていた。
直人は、スマートフォンを耳に当てたまま動かない。
「……亮?」
直人が画面を見て、すぐに電話をかけ直していた。直人は思った。出てくれ……直人は、スマートフォンを耳に押し当てていた。呼び出し音だけが続いていた。
「……頼むよ」
人々が、立ち止まった直人のそばを通り過ぎていた。直人は、その場を動かずに待っていた。亮の声は聞こえない。直人が、ゆっくりとスマートフォンを耳から離していた。震える指で、発信を終えていた。画面には、亮の名前と笑顔のアイコンがあった。直人は、その顔を見つめていた。直人は思った。……もう、俺とは会いたくないんだ。直人の目から、涙がこぼれていた。手の甲で拭っても、また頬を伝っていた。
「……嫌だよ」
直人が建物の壁へ背をつけ、そのまましゃがみ込んでいた。鞄が、足元に倒れていた。
「亮……」
直人は、スマートフォンを握った手を額に押し当てていた。うつむいた顔から、涙が膝へ落ちていた。
*
その夜。亮と紗季の家。悠斗の寝室の扉が閉まっていた。食卓で、亮の前に、手のついていない夕食があった。紗季が、向かいの椅子に座っていた。
「会社の話し合い、どうだった?」
「直人が、嘘をついたって認めた。俺に脅されたって話も、取り消した」
「……そう」
亮は、箸に触れずに座っていた。
「……それと、直人とは別れた」
紗季が、顔を上げていた。
「……本当に?」
「ああ。夕方、電話で。俺から、終わりにしようって言った」
紗季の膝の上で、握っていた手が緩んでいた。紗季は、亮の前の皿に手を伸ばしていた。
「……おかず、冷めちゃったね。温め直そうか」
「ごめん。今、食べられそうにない」
紗季の手が、皿のそばで止まっていた。亮は目元を赤くし、うつむいていた。
「……私、うれしかったんだよ」
亮が、紗季へ顔を向けていた。
「別れたって聞いて。私と、やり直してくれるのかなって」
紗季は、皿から手を離していた。
「亮は……私と、もう一度やっていきたいって思ってる?」
亮の口が開きかけていた。紗季は、亮から目をそらさずに待っていた。
「……ごめん。まだ、直人のことが好きなんだ」
紗季の唇が、わずかに震えていた。膝の上で、両手を重ねていた。紗季は思った。……もう少し待てば、私のことも……紗季は、自分の手に目を落としていた。
「……私、ずっと待ってたんだよ」
「紗季……」
「前に、手をつないだら、暑いって言ったの、覚えてる?」
「……覚えてる」
「それから、触るのも怖くなっちゃった。嫌がられたらどうしようって」
紗季が、手の甲で目元を拭っていた。
「でも、旅行で隣に座ったときは、嫌がらなかったでしょ」
「うれしかったんだ。少しは、また近づけたのかなって」
亮は、紗季の顔を見つめていた。
「あなたがちょっと優しくしてくれると、まだ大丈夫だって思って……」
紗季の声が途切れていた。テーブルに置いた手の上へ、涙が落ちていた。亮が、その手へ自分の手を伸ばしかけていた。紗季の目が、亮の手に向いていた。亮は思った。……好きだって、言えないのに。亮の手が、紗季の手に触れる手前で止まっていた。紗季は、その手を見つめていた。
「……無理しなくていいよ」
亮が、紗季を見ていた。
「本当は、握ってほしい。でも……また、信じちゃうから」
伸ばされた手を見て、紗季の体はほんの少し前へ傾きそうになった。ずっと欲しかった手だった。それでも、握られたことだけで、好きだと言ってもらえた気になりたくなかった。自分の手を戻すまでに、時間がかかった。紗季は、自分の手を膝へ戻していた。亮の手だけが、テーブルの上に残っていた。
「……離婚しよう」
亮の目が、大きく開いていた。紗季は、涙を拭わずに亮を見ていた。
「まだ、好きだよ。別れたくなんかない」
「でも、いつか私を好きになってくれるって待ちながら、一緒に暮らすのは……もうつらい」
亮は、口を開きかけていた。言葉が出ず、目を伏せていた。紗季は、亮の返事を待っていた。膝の上で、スカートを強く握っていた。
「……分かった」
紗季の顔が、くしゃりとゆがんでいた。紗季は思った。……引き止めては、くれないんだ。紗季が、両手で口元を押さえていた。伏せた顔から、涙が落ちていた。亮は、テーブルに残っていた手を膝へ戻していた。向かいで肩を震わせる紗季を、何も言えずに見ていた。二人の間に、手のついていない夕食があった。
*
同じ夜。直人と真帆の家。結菜の寝室の扉が閉まっていた。真帆が、食卓に座っていた。直人は、仕事鞄を椅子の脇に置いていた。
「……亮とは、本当に終わった」
真帆が、顔を上げていた。
「会社でも、付き合ってたことを認めた。もう、隠さない」
「……あなたから、別れようって言ったの?」
直人の口が、開きかけていた。
「もう会わない。それは、本当だ」
真帆は、直人を見たまま返事をしない。直人が、目をそらしていた。
「……亮に、もう付き合えないって言われた」
真帆の唇が、わずかに震えていた。
「亮さんに断られたから、私とやり直すの?」
「違う。俺は、真帆と結菜と暮らしたいんだ」
直人が、向かいの椅子に座っていた。
「……私も、三人で暮らしていきたかったよ」
直人が、真帆へ身を乗り出していた。
「だったら、もう一度……」
「だから、亮さんと別れてほしいって頼んだの」
直人の言葉が止まっていた。
「もう会わないって、約束してくれたでしょ」
「私、その言葉を信じて、もう一度やっていこうと思った」
「……うん」
「でも、亮さんには、私と離婚するまで待っててって言ってた」
直人が、テーブルへ目を落としていた。
「私が何も知らずに、安心してるのを……隣で見てたんだよね」
「本当のことを言ったら、また悲しませると思って……」
真帆が、直人を見つめていた。
「私が笑ってたら、それでよかったの?」
直人は、答えられずにいる。真帆が、唇をかんでいた。
「私、紗季にも、よかったねって言っちゃったんだよ」
「あなたたちが別れたって、信じてたから……」
真帆の頬に、涙が伝っていた。直人が、テーブルの上へ手を伸ばしていた。
「ごめん。もう、嘘はつかない。亮とも、本当に終わったんだから」
真帆は、伸びてきた手を見ていた。自分の両手を、膝の上で握っていた。
「……本当かどうか、私にはもう分からないよ」
「真帆……」
「今も、また何か隠してるんじゃないかって、考えちゃう」
真帆が、指で涙を拭っていた。直人は、真帆の顔を見つめていた。
「……離婚したい」
直人の手が、テーブルの上で止まっていた。
「……本気で、言ってるのか?」
真帆が、小さくうなずいていた。
「あなたの言うことを、ずっと疑いながら暮らすのは……もう、無理なの」
「待ってくれ。俺は、ここで……真帆と結菜と……」
直人は、真帆を見たまま言葉に詰まっていた。真帆は、首を横に振っていた。
「……結菜は、どうするんだよ。俺が帰ってこなくなったら、泣くだろ」
真帆の目が、結菜の寝室の扉へ向いていた。膝の上の手に、力がこもっていた。
「泣くと思う。私だって、悲しませたくない」
「だったら、結菜のためにも、もう少し考えて……」
真帆が、直人へ顔を戻していた。
「私も、そう思って、あなたを信じようとしたんだよ」
直人の口が閉じていた。
「結菜にどう話すかは、一緒に考えてほしい。あなたは、これからもあの子の父親だから」
「でも……あなたと一緒には暮らせない」
直人が、椅子から腰を浮かせていた。
「頼むよ。俺、ここにいたいんだ」
真帆の目から、また涙がこぼれていた。
「……私は、あなたといるのがつらい」
直人は、口を開いたまま真帆を見ていた。テーブルについていた手から、力が抜けていた。真帆が、目元を押さえて立ち上がっていた。
「……今日は、結菜のそばで寝るね」
「真帆……」
真帆は、結菜の寝室の前に立っていた。扉に手をかけたまま、しばらく顔を伏せていた。真帆の入った寝室の扉が、閉まっていた。直人は、食卓の椅子に座り直していた。向かいの椅子は、空いていた。直人の膝の上で、両手が握られていた。直人は思った。……真帆まで、俺と別れるのか。直人が、片手で顔を覆っていた。指の間から、涙がこぼれていた。
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