同性愛夫の処刑日~妻と彼氏に愛を約束した男の末路~ 作:桐山さくらこ
翌朝。朝のテーブル。直人が、フレンチトーストに粉砂糖を振っていた。
「いっぱいかけて!」
「これくらいで十分。ほら、ママにも」
真帆の前に、皿が置かれていた。
「……ありがとう」
「真帆、眠れなかった? 顔色、悪いよ」
「ちょっと。枕が違うからかな」
亮が真帆を見ていた。真帆は、その視線から目をそらしていた。真帆は思った。ここでは、聞けない。真帆の隣で、結菜が口の周りを白くして笑っていた。
*
旅行から帰った、翌朝。直人たちの家。リビングに、片づけ途中の旅行鞄があった。
「結菜、ちゃんと行けた?」
「うん。先生に、旅行の話してた」
「そっか」
直人が、鞄から取り出したタオルを畳んでいた。真帆は、その手を見ていた。
「……亮さんと、いつから?」
直人の手が止まっていた。
「何?」
「テラスで、見た」
真帆は、直人から目をそらさずにいる。
「あなたから、抱きしめてた」
畳みかけのタオルが、直人の膝に落ちていた。直人は思った。起きてたのか……
「真帆。あれは……」
「いつからなの」
直人が、タオルへ目を落としていた。
「……一年、くらい」
「一年?」
直人は顔を上げない。真帆が、ソファの端に腰を下ろしていた。真帆は思った。あのお正月も。結菜の誕生日も……棚に、二家族で結菜の誕生日を祝った写真があった。真帆の視線が、その写真に止まっていた。
「……亮さんが、好きなの?」
「うん」
真帆の唇が、わずかに開いていた。
「じゃあ、私は?」
直人が顔を上げていた。
「真帆も、結菜も、大事だよ」
「結菜のことじゃなくて……」
真帆が、自分の指輪に触れていた。
「男の人が……好きなの?」
直人が、真帆から目をそらしていた。
「……うん」
真帆は、直人を見つめたまま黙っていた。その視線が、自分の結婚指輪へ落ちていた。
「……私と結婚する前から?」
「……うん」
真帆の指が、指輪に触れていた。
「それなのに……私と、結婚したの?」
直人が目をそらしていた。
「一緒にいて、楽しかったんだ。真帆が喜んでくれるのも、うれしかったし」
「……うん」
「だから、幸せにできると思った」
真帆が、指輪から手を離していた。真帆は思った。好きだったって、言ってよ……指輪の箱を差し出された日が、真帆の脳裏によみがえった。あのときは、笑っていた。
「本当に? 私で、いいの?」
「真帆がいいんだよ」
現在のリビング。真帆の膝に涙が落ちていた。
「私、両想いだと思ってた」
楽しかったと言われても、欲しい言葉はそこになかった。指輪を差し出された日の笑顔を、真帆は自分の記憶から取り出してしまう。今まで大切にしてきた場面を、一つずつ別の意味で見直すことになるのが怖かった。
「真帆……」
直人が真帆のそばへ座っていた。真帆が、ソファの端へ体を寄せていた。直人の手が、二人の間に止まっていた。直人は思った。……触られたくも、ないのか。真帆は、指輪のある手を膝に握り込んでいた。
「ごめん」
真帆は顔を伏せ、返事をしない。
*
その夜。夜の玄関。直人が仕事鞄を持って立っていた。
「パパ、おかえり!」
「ただいま」
リビングのソファで、結菜が直人の膝に乗っていた。
「先生に、川のお話したんだよ」
「何て話したの?」
「パパが、お魚、見つけてくれたって」
「小さかったのに、よく覚えてたね」
結菜が直人の腕を抱え、笑っていた。真帆が、結菜と笑い合う直人を見ていた。真帆は思った。……どうして、そんなに普通にしていられるの。結菜が直人の腕を抱え、頬を寄せていた。真帆の視線が、結菜の笑顔へ移っていた。真帆は思った。この子に……パパと離れて暮らそうなんて、言えるのかな……
「ママも来て。ここ!」
「……うん」
真帆は、直人との間を空けて座っていた。結菜が二人の間に足を伸ばしていた。結菜の寝た後。食卓で、真帆と直人が向かい合っていた。
「亮さんとは、もう会わないで」
直人が顔を上げていた。
「じゃあ、まだ……」
「分からない。あなたを信じられるかも、分からない」
真帆はテーブルの木目へ目を落としていた。
「でも……まだ一緒にいるつもりなら、亮さんとは終わりにしてほしい」
真帆が、直人を見ていた。
「私、もう、あんなの見たくない」
「分かった。もう会わない」
「仕事じゃないところで、連絡するのもやめて」
「うん。約束する」
真帆は、すぐに明日から普通に笑えるとは思っていなかった。それでも、会わないという約束があれば、この家にいる時間を考え直せるかもしれない。何を信じればいいか、まだ決められないまま、その言葉を受け取った。真帆が両手で顔を覆っていた。直人は思った。このまま……離婚しなくても、済むかもしれない。真帆は、顔を覆ったまま肩を震わせていた。直人は思った。もう、泣かせちゃダメだ……直人は、テーブルに置いた自分のスマートフォンを見ていた。
*
翌日の昼休み。会社の建物の外で、直人が亮へ電話をかけていた。直人は思った。亮にも、別れようって言わなきゃ。
「もしもし」
「今、大丈夫か?」
「ああ。真帆さんとは話せたか?」
亮は会社の休憩スペースに立っていた。声を抑えながらも、口元が緩んでいた。
「……話した」
「そうか。ずっと連絡、待ってたんだぞ」
直人は、足元を見つめていた。
「俺たちは、もう……」
直人が言葉に詰まる。
「……ん? どうした?」
「……もう、二人で会うのは、やめた方がいいと思う」
亮の口元から、笑みが消えていた。
「……離婚の話が、まとまるまでってことか?」
直人は、すぐには答えない。
「……真帆を、これ以上泣かせたくないんだ」
亮が、スマートフォンを耳に押し当てていた。
「それは……俺と、別れるって言ってるのか?」
直人の口が開きかけ、止まっていた。直人は思った。……本当に、もう会えなくなるのか。
「……俺には、待ってろって言ったよな」
「亮」
「離婚の話をするって……そういう約束だっただろ」
直人は、唇を結んだまま答えない。
「……もういい。切るぞ」
直人が、スマートフォンを握り直していた。
「待ってくれ。違うんだ。真帆とは、離婚する方向で話してる」
言い終える前から、違うとわかっていた。真帆が言ったのは、まだ一緒にいるなら亮とは終わりにしてほしいということだった。直人は、電話が切れるのを止める言葉を選んだ。その言葉の先に、真帆の知らない約束ができていく。
「……じゃあ、会うのをやめるって、何だよ」
「話がまとまるまでってことだ。真帆も、つらいだろうし……今までみたいには会えない」
亮が、唇を結んでいた。
「……本当に、真帆さんと別れる話は、したんだな」
「……ああ」
亮が目を閉じていた。肩から力が抜けていた。
「……話してくれたんだな。ありがとう」
直人は、建物の壁へ背を預けていた。
「ああ」
直人は思った。……よかった。亮と、別れずに済んだ。
「真帆さんも、それでいいって言ってるのか?」
「少し時間がほしいって。だから、今は待っててくれ」
「……分かった。お前がそう言うなら、待つ」
直人が、電話を耳に強く押し当てていた。その晩の食卓。真帆の前に、飲みかけのお茶があった。
「亮さんには、話した?」
「うん。昼に電話した。もう、二人では会わない」
「……亮さんも、それでいいって?」
「分かったって」
真帆が、小さく息を吐いていた。直人は、その顔を見ていた。
「だから、もう大丈夫だよ」
真帆は、湯飲みを両手で包んだまま、黙っていた。
「ねえ……私にも、言ってもらえる?」
「え?」
「亮さんの口からも。もう会わないって、私にも言ってほしい」
直人の顔が、こわばっていた。直人は思った。……何言ってんだ……
「いや、俺が話したから、大丈夫だよ」
真帆は、直人を真剣に見つめた。
「……私にも、確かめさせて」
「……俺のこと、信じてくれないのか」
真帆が、湯飲みから手を離していた。
「……信じてたよ」
信じていなかったのなら、あんなふうに子どもたちを川へ連れていかなかった。仕事の話をする二人を、安心して残していけた。真帆は、過去の自分の無防備さを責めるように、湯飲みから手を離した。今は、自分でも確かめたかった。直人の口が閉じていた。
「あなたと亮さんが会ってた間も、ずっと」
直人が、目を伏せていた。真帆の目に、涙がたまっていた。
「私だって、疑いたくないよ」
「でも、また何も知らないまま、あなたを信じてたら……」
真帆が口元を押さえ、うつむいていた。
「……もう、あんな思いはしたくない」
直人は、真帆を見ていた。
「わかった……ごめん。亮に連絡する」
真帆が顔を上げていた。
「明日、電話で話せるようにするから」
「……うん。お願い」
真帆が、指で目元を拭っていた。テーブルの下で、直人の手がスマートフォンを握っていた。直人は思った。……これはまずいことになった。直人は思った。先に、亮と話しておかないと……直人の顔に焦りが浮かんだ。
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