同性愛夫の処刑日~妻と彼氏に愛を約束した男の末路~ 作:桐山さくらこ
水曜日の昼。公園のベンチに、直人が座っていた。近くには、昼休み中の会社員たちがいる。
「真帆が、電話で話したいって」
会社の階段の踊り場で、亮がスマートフォンを耳に当てていた。
「俺と?」
「付き合ったままじゃ、離婚の話もできないって言われて」
「……ああ」
「だから、一度、関係を切ってほしい」
「一度って?」
「離婚するまで。会うのも連絡も、仕事だけにしてくれ」
亮は階段の手すりに手を置いていた。
「それで、今度はいつまで待つんだよ」
「少しだけ、待ってくれ。ちゃんと話を進めるから」
「昨日も、待ってくれって言っただろ?」
直人が自分の腕時計に目を落としていた。直人は思った。……そんなに、急かすなよ。直人は焦った。
「直人。いつまでだ」
「今月末。カタログが納品できたら、別居の日を決める」
亮は手すりを握ったまま黙っていた。
「真帆さんにも、それで話してるんだな」
直人は目を閉じていた。
「ああ」
「……今月末だな」
亮が、少し考えていた。
「真帆さんには、何て言えばいい?」
「会わないって約束してくれ。まず、それを聞いてもらいたい」
「分かった」
通話の終わった画面を、直人が膝の上に置いていた。直人は思った。……今月末までなら、まだ時間はある。直人は考え込んだ。
*
その夜。食卓で、真帆と直人の間に、スマートフォンが置かれていた。
「スピーカーにするよ」
画面に、亮の顔のアイコンと名前が出ていた。
「もしもし」
「真帆も、ここにいる」
真帆は膝の上で、両手を組んでいた。
「……真帆です」
「はい」
「もう、直人と二人では会わないでください」
亮は自宅のベランダで、スマートフォンを耳に当てていた。
「すみませんでした。もう、個人的には会いません」
真帆の唇が震えていた。
「私、亮さんのことも……信じてたんです」
真帆が口元を押さえていた。隣の直人は、スマートフォンを見つめていた。
「みんなで、あんなふうに……」
亮がうつむいていた。
「本当に、すみません」
直人の指が、テーブルの縁を押さえていた。直人は思った。今、離婚の話はするなよな。直人は思った。頼むから。亮は唇を結び、スマートフォンを耳に当てていた。亮は思った。今月末までの我慢だ……食卓で、真帆が涙を拭いていた。
「……分かりました」
「じゃあ、切るよ」
「ああ」
通話の終わったスマートフォンが、テーブルに置かれていた。真帆は、膝へ目を落としたまま座っていた。
「真帆……」
「少し、一人にして」
真帆の隣の椅子が空いていた。真帆は同じ姿勢で座っていた。真帆は思った。これで、終わったんだよね。真帆が、目元を拭いていた。テラスで抱き合っていた二人の姿が、真帆の脳裏に浮かんだ。
現在の食卓。真帆が口元を押さえ、うつむいていた。真帆は思った。……本当に終わったんだよね。真帆が、自分のスマートフォンを手にしていた。紗季との会話画面。紗季の笑顔のアイコンがあった。
入力欄に「今、少し話せる?」と表示されていた。
真帆は思った。直人が、亮さんと……送信ボタンの手前で、真帆の指が止まっていた。真帆は思った。……そんなこと、紗季にどうやって言えばいいの。真帆がスマートフォンを膝に置き、両手で顔を覆っていた。
画面の入力欄には、「今、少し話せる?」が残っていた。
*
翌朝。朝の食卓。結菜が、食パンの耳を指でつまんでいた。
「パパ、ここ、硬い」
「じゃあ、パパと交換しよう」
「いいの?」
「うん。パパ、そこ好きだから」
結菜が、直人の皿へパンの耳を置いていた。
「全部あげちゃ駄目だよ。自分でも食べて」
「はーい」
直人は、二人のやり取りを聞きながらパンを食べていた。直人は思った。……いつもの朝だ。直人は思った。まだ、ここにいられる。直人が結菜を見て微笑んでいた。玄関で、直人が靴を履いていた。真帆は、少し後ろに立っていた。
「じゃあ、行ってくる」
「……ねえ。やっぱり、仕事でも亮さんと会ってほしくない」
直人が、真帆へ顔を向けていた。
「でも、昨日は仕事以外ならって……」
「……うん。そう言ったけど」
真帆が、直人の顔を見ていた。
「ほかの人に、担当を代わってもらえない?」
「カタログは、まだ納品前なんだよ」
「途中で担当を代わるなんて、部長に何て説明すればいいんだ」
真帆は、唇を結んでいた。
「バーベキューのときも、仕事の話だって言ったよね」
直人の目が、真帆からそれていた。
「私、それを信じて、子どもたちを連れていったんだよ」
「……もう、あんなことはしない」
「でも、今日も会ってるのかなって……また考えながら、帰りを待つのは嫌だよ」
直人は、仕事鞄の持ち手を握っていた。真帆の目に、涙がたまっていた。
「会社で二人の関係を話してって、言ってるんじゃない」
「亮さんとの連絡を、ほかの人に代わってもらいたいだけなの。上司に頼んでみてくれない?」
直人が、手元の鞄へ目を落としていた。
「……分かった。部長に聞いてみる」
「お願いね」
その日の会社の打ち合わせスペース。三浦の机に「秋季展示会 新製品提案」の資料があった。
「カタログの件で、少しご相談が」
「納期か?」
「いえ。先方との窓口を、代えていただけないかと」
「それは石川亮さんのことか」
「はい」
「何かあった?」
「石川さんとは友人付き合いと仕事を、少し分けたくて」
「やり取りに支障が出てるのか」
「そうでは……仕事というより、私的なことで」
三浦が資料から手を離し、直人を見ていた。
「何か、もめたのか」
「妻が、ちょっと……」
「うん?」
直人の目が、次の案件の資料に向いていた。直人は思った。不倫してました、なんて言えるわけないよな。直人は思った。これで、展示会の仕事まで外されたら……
「個人的に会おうって、何度か言われていて」
「石川さんに?」
「はい。仕事の連絡もあるので、完全には切れなくて」
直人の膝の上で、両手が重なっていた。直人は思った。誘われたのは、本当だ。
「断っても、続いているのか」
直人が三浦を見ていた。直人は思った。……違う。
前夜の亮との通話画面。「個人的には会いません」という亮の言葉が重なっていた。
直人は思った。あいつは、約束を守ってる。三浦は眉を寄せ、直人の返事を待っていた。
直人の目が、「秋季展示会」の資料へ落ちていた。
直人は思った。俺も会いたかったなんて、言えるかよ……
「……はい。断ったんですが、それでも何度か」
「分かった。窓口は別の者にする。進行管理は、そのまま頼めるか」
「はい。もちろんです」
「そのことで無理して対応しなくていい」
三浦は、部下が困っているという話を受け止めていた。直人はその顔を見て、さらに本当のことを言えなくなった。仕事を任せてもらえる安心と、亮にしていないことをしたと言った重さが、同じ席に残った。
「ありがとうございます」
打ち合わせスペースの外。直人がネクタイを少し緩めていた。直人は思った。よかった。仕事は、任せてもらえる。
スマートフォンに、亮の「確認用の原稿を送りました」が残っていた。
直人は思った。……亮には、あとで謝ろう。直人は思った。事情を話せば、分かってくれるだろ。三浦のパソコンに、送信済みのメールが開いていた。
宛先「制作会社 川瀬部長」。
「御社の石川亮さんから、断った後も私的な誘いが続いていると相談がありました。一度、事実をご確認いただけますか」
*
その夜。直人たちの家。真帆が、帰宅した直人の前に立っていた。
「本当に、担当代わってもらえたの?」
「連絡窓口は、代えてもらった。亮とのやり取りは、別の人がする」
「……ちゃんと相談してくれたんだ」
「約束したからな」
真帆は直人を見てから、小さくうなずいていた。
「ありがとう」
食卓に、鶏肉の照り焼きと、ご飯が並んでいた。
「お、照り焼き」
「結菜も、食べたいって言ったから」
「私、これ好き!」
「パパも好き」
「知ってる。ママが言ってた」
「結菜、先に手を洗って」
真帆は台所へ顔を向けていた。直人がその横顔を見ていた。直人は思った。少しは、信じてくれたかな。食卓で、結菜が両手を広げていた。
「今日ね、すっごい大きいお山、作った!」
「結菜より大きい?」
「それよりは小さい!」
真帆が、ご飯をよそう手を止めて笑っていた。
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