同性愛夫の処刑日~妻と彼氏に愛を約束した男の末路~ 作:桐山さくらこ
金曜日の昼。制作会社の会議室。上司の川瀬が、亮へメールの印刷を差し出していた。
「三浦部長からだ。心当たりはあるか」
文面の「断った後も私的な誘いが続いていた」という一行に、亮の目が止まっていた。
「……高橋さんが、そう言ったんですか?」
川瀬が、亮を見ていた。会社の外。亮が、スマートフォンを耳に当てていた。
「もしもし」
「俺が、断られてもしつこく誘ってるって言ったのか?」
直人は、会社の廊下で足を止めていた。直人は思った。部長……何で、亮の会社にまで話したんだよ。
「いや、そこまで言ったつもりは……」
「上司に呼ばれたんだよ!」
直人が、廊下の奥へ目を向けていた。
「分かった。俺から説明するから」
「お前に言われたとおり、仕事の話しかしてないだろ」
「ああ」
「なのに、何でそんなこと言ったんだ?」
直人は、すぐには答えない。
「……担当を代える理由が、必要だったんだよ」
亮の口が開きかけ、閉じていた。
「俺を悪者にすれば、代えてもらえるってことか?」
「そうじゃなくて……」
「お前も、会いたくて会ってたんじゃないのかよ!」
亮には、付き合っていることを隠されるだけでは済まなかった。断られてもしつこく誘う相手にされていた。自分の知らないところで、仕事の評価に触れる話までつくられている。直人がその説明を必要としたことが、苦しかった。
「そうだよ。もちろん」
亮は顔を伏せ、スマートフォンを耳に押し当てていた。
「じゃあ、取り消してくれ。今日中に」
「……分かった」
亮の表情は憮然としていた。
「してもらえないなら、俺から会社に話すからな」
「大丈夫、俺が話すから。だから、待ってくれ」
通話の切れた画面を、直人が見ていた。
直人の連絡先に「三浦部長」と表示されていた。
直人は考え込んだ。直人は思った。全部、俺の嘘でしたって……直人は思った。そんなこと言えるか?直人の親指が、通話ボタンの手前で止まっていた。
連絡先が「川瀬部長 制作会社」に切り替わっていた。
直人は思った。……行き違いだったって言えば、取り消せるか。直人の指が、通話ボタンに触れていた。夕方の制作会社。川瀬が、席にいる亮に近づく。
「石川君」
「あ、部長」
「取引先の高橋直人さんから電話があった」
「君がしつこく誘っていたという話は、取り消すそうだ」
亮の手が、キーボードから離れていた。
「……高橋さんが自分で、話してくれたんですか?」
「ああ。こちらからも、三浦部長に連絡しておく」
「ありがとうございます」
川瀬の背中を見送った亮が、スマートフォンを手にしていた。会社の外。亮が直人へ電話をかけていた。
「もしもし」
「今、聞いた。……取り消してくれたんだな」
「ああ。悪かった。嫌な思いさせたな」
亮は、しばらく黙っていた。
「逃げるかと思ったぞ」
直人が、会社の外の壁にもたれていた。
「逃げたりなんてしないよ」
取り消してくれた。そのことが、亮の胸を少し緩めた。傷ついた直後だったからこそ、訂正してくれた言葉を頼りにしたくなった。まだ声を聞いていたいと思う自分を、今度は止めきれなかった。亮がうつむいたまま、笑っていた。
「……そうか」
二人とも、スマートフォンを耳に当てたまま黙っていた。
「……まだ切るなよ」
直人が、会社の出入口へ目を向けていた。直人は思った。……もう、仕事の話じゃない。切らないと。
「お前の声、聞きたかったんだよ」
直人は少し考えた。
「……俺もだ」
直人が目を閉じていた。直人は思った。……もう少しだけ、こうしていたい。川瀬のパソコンに、送信済みのメールが開いていた。
宛先「三浦部長」。
「本日、高橋直人様から、社内での説明に行き違いがあったと訂正をいただきました」
*
その夜。亮たちの家。冷蔵庫の前で、紗季がうれしそうな亮を見ていた。
「何か、いいことあった?」
「え、何で?」
「顔。分かりやすいよ」
紗季が笑う。
「仕事で、ちょっと誤解されててね。それが解けた」
「よかったじゃん。お疲れさま」
紗季が、亮の前にプリンを置いていた。
「取っといた。悠斗が、もう一個食べたがったけど」
亮は微笑んだ。
「ありがとう」
紗季が向かいの椅子へ座っていた。
「その悠斗がね。今日、私の誕生日はいつかって聞くの」
「何で?」
「もう一回、ケーキ食べたいんだって。私のでもいいからって」
「でもいいって何だよ」
「そうでしょ?」
笑っていた紗季を、亮が見ていた。亮のスプーンが、プリンの上で止まっていた。亮は思った。別れたいって言ったら、この顔が……紗季が、亮のそばへ自分の椅子を寄せていた。亮は思った。……直人には、早く話せって言ったくせにな。紗季が、悩むようにうつむいた亮を見ていた。
「どうしたの?」
「ううん……何でもない」
「それ、おいしいよね。もう一口ちょうだい」
亮はプリンを、二人の真ん中へ寄せていた。同じ夜。真帆のスマートフォンに、紗季からメッセージが届いていた。紗季からのメッセージには、こう書かれていた。
〈今日、久しぶりに亮とゆっくり話せた。こういうの、いいね〉
真帆の指が、入力欄の上で止まっていた。真帆は思った。……よかった。紗季、うれしそう。真帆は思った。……もう二人は別れたんだし。今さら、紗季を傷つけなくても……紗季の笑顔のアイコンを、真帆が見つめていた。真帆からのメッセージには、こう書かれていた。
〈よかったね〉
「ママ、見て!」
結菜が、色鉛筆で描いた絵を持っていた。
「わあ。これ、パパ?」
「そう!」
「どれ?」
真帆が直人へ絵を見せていた。三人の人間が並び、真ん中の人だけ頭が大きい。
「パパってこんなに頭、大きい?」
結菜が声を上げて笑っていた。真帆も絵を見ながら笑っていた。直人の腕に、真帆の腕が軽く触れていた。
*
休み明け。会社の打ち合わせスペース。三浦のパソコンに、川瀬からのメールが開いていた。
「君が訂正したという連絡が来た」
直人は、三浦の向かいに座っていた。
「私の受け取り違いだったのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「川瀬さんには、社内で説明の行き違いがあったと話したそうだね」
直人が、画面の文面を見ていた。
「どちらが本当なんだ。断っても誘いが続いたと、私に言っただろ」
直人の手が、膝の上で握られていた。直人は思った。付き合ってました。俺も、会いたかったんですなんて言えるわけないし、……三浦は、直人の返事を待っていた。
直人の目が、机の上の「秋季展示会」の資料へ落ちていた。
直人は思った。せっかく、任せてもらえたのに……
「……石川さんに、脅されたんです」
「脅された?」
電話越しに聞いた亮の声が、直人の耳によみがえった。
「してもらえないなら、俺から会社に話すからな」
現在の打ち合わせスペース。直人は、膝の上で両手を握っていた。
「しつこく誘われたという話を、取り消せと……」
「取り消さないなら、私と付き合っていると、妻に言うって……」
三浦の手が、パソコンから離れていた。
「……実際に、付き合っていたのか?」
「違います! そんな関係じゃありません」
答えたあと、直人は亮の顔を思い浮かべた。それでも言い直さなかった。一つ目の嘘を認めないために、交際していることまで否定した。三浦は、その言葉を事実として確認しようとしていた。直人の声に、三浦が顔を上げていた。直人は、膝の上の手をさらに強く握っていた。直人は思った。……今さら、付き合ってたなんて言えない。
「でも、妻にそんなことを言われたら……」
「それで、誘われていたという話を取り消したのか」
「……はい」
三浦が手帳を開いていた。直人は思った。亮だって、俺が困るのは嫌だろ……直人が、三浦へ体を寄せていた。
「私から、もう一度……」
「先方にも確かめる。今度は、川瀬さんと石川さんにも来てもらう」
直人の体がこわばり、顔から血の気が引いていた。
「待ってください。その前に、本人と話を……」
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