同性愛夫の処刑日~妻と彼氏に愛を約束した男の末路~ 作:桐山さくらこ
その記憶が途切れ、目の前の顔へ視線を戻した。食卓で、紗季が亮の返事を待っていた。
「お前と結婚したときは、直人のことは、仲のいい友達だと思ってた」
「直人が好きなんだって気づいたのは、結婚してからだ」
紗季が、亮を見つめていた。
「……私のことは? 好きだったの?」
「好きだと思ってた。お前と一緒に暮らしたいって思ったのも、本当だ」
料理を分け合った日の楽しさを、亮は嘘にしたくなかった。紗季と暮らしたいと思ったことも、覚えている。けれど、今の紗季が聞いているのは、昔の食卓だけではない。現在形で答えられないことが、二人の間に残った。紗季の口元が、わずかに震えていた。
「……思ってた?」
亮は、言葉を止めていた。
「直人さんのことは、好きだって言えるのに?」
紗季は、亮を見たまま黙っていた。
「紗季……」
伸ばした手を握ってもらえなかった日が、紗季の胸によみがえった。亮は自分の手をポケットに入れていた。紗季は思った。私ばっかり、近づきたがってたんだ。
現在の食卓。紗季が、握っていた布巾をテーブルへ置いていた。
「……私とは、別れたいの?」
「……お前と別れて、直人と暮らそうって、話してた」
紗季の手が、布巾の上で止まっていた。
「私には何も言わないで、そんな話までしてたの?」
「言おうと思ってた。でも、お前の顔を見ると、言えなくて……」
紗季が、亮の顔を見ていた。
「……じゃあ、今日はどうして?」
亮は、膝の上で両手を重ねていた。
「直人が、俺とは付き合ってないって、会社に話してたんだ。今日、それを知った」
紗季の眉が、わずかに寄っていた。
「もう、あいつに任せて待ってるのは、やめようと思って……」
「……それで、私に話したの?」
亮の言葉が止まっていた。
「直人さんが、あなたに嘘をつかなかったら……まだ言わなかった?」
「いや。ちゃんと話すつもりだった」
「いつ?」
亮は、うつむいていた。亮は思った。……俺だって、だまされてたんだ。向かいで、紗季の頬を涙が伝っていた。亮は口を開きかけ、その顔を見て黙っていた。亮は思った。……紗季に、そんなこと言えるかよ。
「……ごめん」
紗季が、手の甲で涙を拭いていた。亮は、膝へ目を落としたまま座っていた。
「……真帆は、知ってるの? 二人のこと」
「ああ。旅行のあと、電話で謝った」
紗季の手が、目元で止まっていた。
「……何て、話したの?」
「もう二人では会わないでくれって言われた。俺も、会わないって約束した」
「だったら……もう、別れたんじゃないの?」
「そうじゃない。直人が真帆さんと離婚するまで、会わずに待つって約束だったんだ」
紗季は、亮を見つめていた。
「真帆も、それが分かってるの?」
「直人は、そう言ってた」
「あなたが電話で話したとき、真帆も離婚するって言ったの?」
亮は困った顔をした。
「……離婚の話は、直人から聞いた。真帆さんからは、会わないでくれって、それだけだ」
紗季が、テーブルへ目を落としていた。紗季は思った。……知らなかったの、私だけ?紗季が、自分のスマートフォンを手にしていた。画面には、真帆とのメッセージが開いていた。紗季からのメッセージには、こう書かれていた。
〈今日、久しぶりに亮とゆっくり話せた。こういうの、いいね〉
真帆からのメッセージには、こう書かれていた。
〈よかったね〉
紗季は、真帆の返事を見つめていた。紗季は思った。……知ってたのに、よかったねって……
*
同じ夜。直人たちのリビング。真帆が洗濯物を畳んでいた。少し離れたソファで、直人がスマートフォンを握っていた。直人は、廊下で受けた亮からの電話を思い返した。
「紗季には、今夜、俺から話す」
現在のリビング。直人が、亮へメッセージを送っていた。直人からのメッセージには、こう書かれていた。
〈紗季ちゃんには、もう話したのか? 一度、連絡をくれ〉
直人は画面を見つめていた。亮からの返事はない。直人は思った。離婚するって俺が言ったことまで、紗季ちゃんに話したら……直人が、洗濯物を畳む真帆へ目を向けていた。直人は思った。……二人で話されたら、真帆にばれる。
「……亮が、紗季ちゃんに話したって」
真帆の手が、畳みかけのタオルの上で止まっていた。
「……二人のこと?」
「うん」
真帆がタオルを置き、自分のスマートフォンを手にしていた。
「私からも、謝らなきゃ。知ってたのに、ずっと黙ってたから……」
「待って。紗季ちゃん、今は真帆から連絡しないでほしいって」
真帆が、スマートフォンから顔を上げていた。
「……紗季が、そう言ったの?」
「……亮から、そう聞いた。黙ってたこと、怒ってるって」
真帆の視線が、手元の画面へ落ちていた。
紗季との会話画面に、自分が送った「よかったね」が残っていた。
真帆は思った。……そうだよね。何も知らない紗季に、私……真帆の指が、入力欄の手前で止まっていた。
「……謝りたいけど、今は、私と話したくないよね」
「少し、そっとしておこう」
「……うん」
真帆がスマートフォンを伏せていた。膝に置いたタオルへ、目を落としたまま座っていた。直人の手元には、亮へ送ったメッセージが表示されていた。返事は、まだ届いていない。直人は思った。……亮。返事くらい、くれよ。
*
翌朝。真帆のスマートフォンに、紗季からメッセージが届いていた。紗季からのメッセージには、こう書かれていた。
〈会って話したい。今日、少し時間ある?〉
真帆の指が、画面の上で止まっていた。真帆は思った。……紗季?真帆は思った。……会ってくれるの?真帆が、スマートフォンを両手で持ち直していた。真帆は思った。怖いけど……ちゃんと、私から謝らなきゃ。真帆からのメッセージには、こう書かれていた。
〈うん。園に送ったあとなら。うちに来られる?〉
*
子どもたちを園へ送ったあと。真帆の家の食卓。向かい合う二人の前に、お茶が置かれていた。紗季は、湯飲みに触れずに座っていた。
「……黙ってて、ごめん」
紗季は、真帆を見ていた。真帆の両手が、膝の上で重なっていた。
「連絡、ありがとう。もう、私とは話したくないんだと思ってた」
「……どうして?」
「直人が、紗季は私から連絡してほしくないって。亮さんから、そう聞いたって言ってたから……」
紗季の眉が、寄っていた。
「そんなこと、言ってないよ。亮にも、頼んでない」
「……そうなの?」
「黙ってたことは、怒ってる。でも、真帆からも話を聞きたくて、来たの」
真帆は、紗季を見つめていた。真帆は思った。……じゃあ、どうして直人は……
「いつから、知ってたの」
「旅行の夜。テラスで……二人が、キスしてるのを見た」
紗季が、目を伏せていた。膝の上で、スカートを握っていた。
「帰りも、私、何も知らないで……」
「……ごめん」
「あの『よかったね』って。どんな気持ちで送ったの?」
真帆の目が、テーブルへ落ちていた。
「……あのときは、もう二人は別れたと思ってたの」
「別れた?」
「直人に、亮さんとは終わりにしてほしいって頼んだの。もう会わないって、言ってくれて……」
「亮さんにも、電話で約束してもらったから」
紗季は、唇を結んでいた。
「紗季から、亮さんとゆっくり話せたって聞いて……そっちも、やり直せるんだと思った」
「私のところも、戻れるかもしれないって……」
真帆が、テーブルの上で両手を組んでいた。
「……亮は、直人さんを待ってるって言ってたよ」
「……待ってる?」
「あなたと離婚するまで、会わずに待ってくれって。直人さんに、そう言われたって」
真帆の組んだ手が、ほどけていた。紗季は、その顔を見ていた。
「私……離婚するなんて、言ってない」
「……真帆は、別れるつもりじゃなかったの?」
「うん。直人と、まだ一緒にいたかったんだけど……」
真帆が、紗季へ顔を向けていた。
「……直人は、私にはもう亮さんとは会わないって、約束したのに」
「亮さんには、私と離婚するから待っててって、言ってたんだ……」
紗季は、真帆を見つめたまま黙っていた。真帆の視線が、自分の結婚指輪へ落ちていた。
「私、直人が亮さんと別れて……私と、やり直してくれるんだと思ってた」
真帆の頬を、涙が伝っていた。真帆が、目元に手を当てていた。
「また、信じちゃった……」
紗季は、真帆を見つめていた。テーブルの上に置いた手から、力が抜けていた。紗季は思った。……真帆も、やり直せるって信じてたんだ。真帆が、指で涙を拭いていた。紗季の手が、ティッシュの箱へ伸びていた。
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