卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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深き傷にも 春は巡り
伏せたる刃に 夜は残る




100. 剣心の余燼

 

 

 烈の前へ座ると、つい昔の癖で刀を遠ざけてしまう。

 

 傷が治ったと思った途端に、もう一度と誘われたことが何度もあった。こちらの刀が手の届くところにあれば、断る前に渡される。俺も嫌いではなかったから結局付き合うのだけど、せめて一息つく暇くらいは欲しかったなぁ。

 

 今は隣に夕月も座っている。俺の腕を見終えた烈がそちらへ手を伸ばすと、あいつまで素直に袖を上げた。

 

「傷はありません。どちらも、お変わりなく」

「うん。ありがとうねぇ」

 

 刀を腰へ戻そうとして、その手が止まった。

 

 俺の代わりに座った隊士が、烈へ腕を出している。昼に榛名の組で怪我をした子だ。手を当てられ、少しずつ肩の力が抜けていく。烈は男の顔を見てから、巻かれた布を解いた。

 

 馴染んだ光景だった。

 

 俺も部下を連れて何度ここへ来ただろう。今では烈に任せておけばいいと、怪我をした奴へ真っ先に言っている。

 

 それなのに、さっき思い出したのは斬り合いの続きだ。

 

 この人が自分から誘ってくることは、随分と長くなかった。百八十年前、俺を止めるためには刀を抜いた。あの刃は覚えている。けれど、旅から帰った俺へ何を覚えたのかと尋ね、そのまま庭へ連れ出した頃とは違う。

 

「烈。お前さん、最近は斬り合おうって言わなくなったねぇ」

 

 手当ての邪魔にならないよう、男の指が動くのを待って声を掛けた。烈は顔を上げ、隣の四番隊の者へ布を渡す。

 

「お望みでしたか」

「いや。昔は顔を見たら言ってたなと思ってさ。俺が旅の話をしてても、刀の方を見てたじゃないか」

 

 夕月がこちらを向いた。

 

「卯ノ花隊長がか」

「そうだよ。傷を治してくれた後もね。もう動くでしょうって」

「途中で終わってしまうのは、惜しかったものですから」

 

 烈が笑った。

 

 夕月は笑わなかった。俺と烈の顔を見比べている。ああ、お前さんは知らないのか。こいつが知っている烈は、怪我をした者を座らせてくれる四番隊の隊長だ。

 

「治してから、また斬っていたのか」

「ええ。そのために回道を覚えましたので」

 

 夕月の目が烈の手へ落ちる。さっき自分の腕を預けていたところだ。今更引っ込めるものもないのに、少しだけ袖を直した。

 

「初代剣八だったとは知っている。だが、そこまでとは」

「結構、付き合ってもらったよ。俺が治す暇をくれるから、楽だったって言われたこともある」

「烏有隊長には、長くお付き合いいただきました」

 

 そう言われると、俺まで手が止まる。

 

 烈はまだ隊士の腕を見ていた。指を開くよう頼み、傷へ触れる。男は俺たちの話を聞いていたらしく、目が合うと慌てて自分の手元へ戻した。

 

「今はもう、その先を頼まれる心配はないよ」

 

 俺が言うと、烈に少し笑われた。

 

 手当てを終えた男は四番隊の者に連れられ、座る場所を移った。烈が盆を脇へ置くと、夕月が膝へ手をついて少し身を寄せる。

 

「何があったんだ。剣八を退くほどのことが」

 

 俺も烈を見る。

 

 いつの間にか十一番隊ではなくなり、八千流と呼ぶと烈にしてほしいと言われた。旅へ出る前に話してくれればよかったのにと、その時は思ったものだ。

 

 けれど、俺が留守の間も皆は生きている。

 

 帰るたびに少し違う顔が増えることを、長いこと忘れていたんだねぇ。

 

「昔、流魂街で出会った子供がおりまして」

 

 烈の指が胸元へ触れた。

 

 夕月の目がそこへ向く。俺も知っている傷だった。誰につけられたのかは、今まで聞かずにいた。

 

「その子との斬り合いで、私は自分の剣を知りました」

 

        *

 

side:卯ノ花

 

 刀を抜かずに帰った日は、物足りないものでした。

 

 隊の用事を済ませ、報告を聞き、明日の人員を決める。必要なことだとは分かっていても、腰へ差したものを一度も使わなければ、まだ何か残っているような気がします。

 

 相手がいなければ、探しに行きました。

 

 流魂街へ出ると、私の名を知っている者ほど遠くへ逃げます。知らない者は刀を向けてくれますが、二度目を振る前に倒れてしまうことが多い。もう少し待っていれば腕の立つ者が来るでしょうか。そう思っている間にも、足元の血は乾いていきました。

 

 その日も、初めの一人はすぐに倒れました。

 

 後ろにいた男が刀を握り直します。逃げるつもりはないらしい。私は嬉しくなって、立つ場所を少し空けて差し上げました。

 

「こちらへ。足元が悪くなってしまいましたので」

 

 男の顔が歪みます。

 

 踏み込んでくれた刀を受け、こちらも返しました。腕を深く斬られた男は膝をつき、それでも柄を離しません。まだ続けたいのでしたら、こちらも手を貸せます。

 

 傷へ手を当てると、男は身を引きました。

 

「おやめください。治すところまで動かれては困ります」

「何を……」

「次は、もう少し長くお付き合いいただければ」

 

 傷が塞がった男の顔を見て、私は立ち上がりました。

 

 ようやく意味が伝わったのでしょう。男は刀を持ったまま逃げ出しました。

 

 追いました。

 

 背へ刃を通した時には、もうつまらなくなっていました。向き直って振ってくだされば、まだ何か違うものが見られたかもしれませんのに。

 

 私は刀を払い、次を探しました。

 

 あの子に会うまで、そういう日が続いていました。

 

        *

 

 死体の上へ立つ子供を見つけた時も、初めは刀を見ていました。

 

 随分と長いものを持っています。自分に合った刀を選べなかったのでしょう。ですが、使いにくそうにはしていませんでした。こちらを見つけると、それを持った腕が上がります。

 

 部下が前へ出ようとしました。

 

 私は手で止め、自分から近づきました。この子を先に誰かへ渡すのは惜しい。そう思った時には、もう笑っていたのだと思います。

 

 あの子は、挨拶を待ちませんでした。

 

 私が刀を出すより速く、胸へ切っ先が届きます。痛みが来る。その痛みを確かめる前に、次の刃がこちらへ入ってきました。

 

 受ける腕へ力が入りました。

 

 まだ続く。

 

 押し返すと、あの子はもっと深く踏み込んできます。こちらの刀を避けるために下がるのではなく、身体を寄せて通り抜ける。肩へ刃が近づき、私も腰を捻りました。

 

 楽しかった。

 

 この子は、私が返す刀を待ってくださいます。待つと言っても止まるわけではありません。次が来ることを疑わず、その先へ自分の剣を入れてくるのです。

 

 私は追いました。

 

 胸の傷を治す暇も要りませんでした。その間に一度でも刀を合わせ損ねたら、きっと惜しくなる。血が流れていても、腕はまだ動きます。

 

 あの子が笑います。

 

 私も同じ顔をしていたでしょう。

 

 けれど、途中から刃が届くようになりました。

 

 初めには触れられなかった腕へ、私の刀が入ります。避ける足が遅れ、こちらが追うとまた離れる。その後に来る刀は、私が受けられるところを通りました。

 

 もっと近くへ来ていたはずなのに。

 

 あの子の足が止まります。

 

 その一歩が出ていれば、私の刀は間に合いませんでした。あの子も、それを知っていたはずです。いえ、知っているから止まったのでしょう。

 

 私を斬り終えてしまえば、続きがなくなる。

 

 あの子はまだ笑っていました。

 

 私と同じように、ようやく会えた相手を失いたくなかったのです。

 

 私は刀を振り続けました。

 

 もっと速いものを返してほしくて。先ほどまでのように来てほしくて。それなのに、こちらの剣へ合わせる手つきが増えていきます。

 

 戦いが終わった時、立っていたのは私でした。

 

 部下は私を剣八と呼びました。

 

 その声に、私は返事ができませんでした。

 

        *

 

 総隊長の前へ出た時、傷はまだ痛みました。

 

 それまでなら、会う前に治していたでしょう。けれど、手を当てるたびにあの子の刀を思い出し、そこで止まります。

 

 私が足りなかった。

 

 それを、この身体が忘れてしまうのは嫌でした。

 

「十一番隊を退きたく存じます」

 

 総隊長は長くこちらを見ていました。

 

 理由を聞かれ、子供と斬り合ったことを話しました。私を上回る剣を持ちながら、続きを求めるために力を抑えてしまったことも。

 

 口にすると、ようやく傷以外のところまで痛みました。

 

 私はその子に譲らせたまま、剣八と呼ばれている。

 

「その子供は、どうした」

「流魂街に。こちらへ連れてはおりません」

「お前を斬らなんだ相手に、名を渡すつもりか」

「今すぐ渡せるとは思っておりません」

 

 総隊長の杖へ目を落としました。

 

 連れてくればよかったのでしょうか。もう一度戦えばよかったのでしょうか。考えはしました。それでも、同じ私が同じように刀を向けたら、またあの子に合わせてもらうことになる。

 

「ですが、私があの子より強いと、もう思うことはできません」

 

 総隊長は何も仰いませんでした。

 

 私も顔を上げ、返事を待ちました。こうして待つことは得意ではありません。斬り合いなら、相手が黙っていてもこちらから続けられます。

 

 ですが、この日ばかりは手を伸ばせませんでした。

 

「退いた後は、何をする」

 

 ようやく問われ、私は自分の手を見ました。

 

 刀を持たずに、何ができるでしょう。

 

 回道は使えます。自分も、斬った相手も治してきました。その後に刀を握らせないと決めれば、治療だけを続けることもできるはずです。

 

「四番隊へ移ることを、お許しいただけますか」

「戦いを続けるために覚えたものを、使うのか」

「ええ。使えるものは、それですので」

 

 立派な理由はありませんでした。

 

 急に人を救いたくなったとも、もう血を見たくないとも思っていません。斬り合いは今でも好きです。あの子と戦った時の悦びを、なかったことにもできません。

 

 ただ、私の剣を誇って人を呼び止めることが、もうできなかった。

 

 総隊長が目を閉じました。

 

「引き継ぐものは、残していけ。お前が知っておる剣まで持ち去るな」

「承知いたしました」

 

 それから、新しい隊へ移るまでの用事が始まりました。

 

 刀の振り方を尋ねられれば教えました。自分の腕を取り、今の一振りをもう一度と言う者にも付き合いました。

 

 皆、私を八千流と呼びました。

 

 その名も、置いていこうと思いました。

 

        *

 

 烏有隊長が戻ってきた時には、私は四番隊にいました。

 

 どこで聞いたのか、真っ直ぐこちらへ来られます。病室へ顔を入れ、私の後ろに並ぶ寝床を見て、少し珍しそうな顔をされました。

 

「八千流。こっちへ来てたんだねぇ」

「ええ。それと、烈とお呼びください」

 

 あの方の目が私へ戻りました。

 

「烈?」

「私の名です」

「名前も変えたの?」

「元の名へ戻しただけですよ。八千流は、私が自分で名乗ったものですので」

 

 烏有隊長はしばらく黙っていました。

 

 驚いたのでしょう。長い間、昔の名で呼んでくださった方です。私もその声を聞くと、刀を見せ合っていた頃の顔へ戻りそうになります。

 

「そっか。知らなかったよ。お前さん、初めから八千流って名乗ってたから」

 

 そうでしたね。

 

 あの時は気に入っていたのです。あらゆる流派を知り、どのような剣にも応えられる。その自負を、自分の名にまでしていました。

 

 烏有隊長は刀を振る時、私の名前の由来など気にされませんでした。

 

 その剣がどこへ来るかを見て、御自分の刀を返す。こちらが次を求めれば、付き合ってくださる。今も腰には同じ刀がありました。

 

「烈、でいいんだねぇ」

「はい」

 

 呼ばれてみると、少し久しぶりでした。

 

 その響きに慣れる前に、寝床から声がしました。私はそちらへ寄り、起きようとしていた男の肩へ手を添えます。

 

「まだ、お休みください」

 

 男の身体が強張りました。

 

 傷へ触れるより先に、こちらの手を避けようとします。私を知っている顔でした。

 

 以前、刀を合わせた者だったのです。

 

 私が治してから、もう一度斬った者でもありました。

 

 烏有隊長が、後ろで立ち止まります。

 

 私は男へ伸ばした手を引き、自分の膝へ置きました。

 

「刀は使いません。今日は、傷を診るだけです」

 

 男は私の腰を見ました。

 

 まだ信じてはいただけませんでした。自分が以前何をしたかを考えれば、言葉だけで済むはずもありません。

 

 私は待ちました。

 

 男が袖を緩めるまで。布を外してよいと言ってくださるまで。

 

 その間、烏有隊長は傍へ椅子を持ってきて、座っていました。

 

 何も急かしませんでした。

 

        *

 

 夕月は烈の話を聞き終えてからも、暫く口を開かなかった。

 

 俺も四番隊へ初めて顔を出した日のことを思い出していた。烈と呼んでほしいと言われたのは覚えている。けれど、あの時は元の名を教えてもらったことより、この人が剣八を退いた方へ気が向いていた。

 

 飯を食いながらでも聞けばよかったんだよ。

 

 どうしてその名前にしたのか。これから何をするのか。いつもの旅の話を始める前に、もう少し話せることがあった。

 

「元から烈だったのか」

 

 夕月がようやく尋ねた。

 

 烈が頷くと、あいつは少しだけ背を伸ばした。

 

「俺が入った時には、もう四番隊の隊長だった。初代剣八の名は聞いていたが、今の姿とどうにも結びつかなかった」

「そうでしょうね。こちらへ移ってからは、あまり抜くこともありませんでしたので」

「話し方まで違っていたのかと思っていた」

「いや。そこは昔からだよ」

 

 俺が言うと、夕月の顔がこちらへ向く。

 

「同じように笑って、同じように丁寧に付き合ってほしいって言うんだよ。その時にはもう刀を抜いてる」

「お誘いする時くらいは、礼を尽くさなければ」

「お前さん、その後は結構好きに斬ってたけどねぇ」

 

 烈が笑った。

 

 夕月はその顔を見て、ようやく少し口元を緩める。知らない頃の話を聞いてからだと、今の笑い方まで違って見えるのかもしれない。

 

「その子供には、また会ったのか」

「いいえ」

「探さなかったのか」

 

 烈の指が膝の上で重なった。

 

「会えば、また斬り合いたくなったでしょう。ですが、あの時の私では同じことを繰り返します。それでは、あの子へ返せるものがありません」

 

 夕月が頷いた。

 

 俺は烈の刀へ目を向ける。剣を鈍らせて待っているわけではない。そのことは、あの暴走を止めた時に自分の身体で知っていた。

 

 今、ここへ来ている隊士たちは、俺が人を斬れと命じた奴らだ。

 

 その腕を烈が治してくれている。昔この人が回道を覚えた時には、こんなふうに頼むことになるとは思わなかったねぇ。俺だって、手当てを見て眠くなるのは自分の傷が塞がった後だけだった。

 

「烈。こいつらのこと、ありがとう」

 

 こちらへ顔が向く。

 

 改めて礼を言われるとは思わなかったのだろう。少し不思議そうだったが、後ろの隊士たちを見て頷いてくれた。

 

「戻られてからも、傷を隠さずに診せてくださいとお伝えを」

「うん。俺も連れていくよ。お前さんの前なら、ちゃんと痛いって言うからさ」

 

 佐伯が近づいてきた。

 

 交代の隊が着いたので帰還してよいと告げられ、俺たちも立ち上がる。怪我人を運ぶ者が呼ばれ、四番隊の子がそちらへついた。夕月は二番隊へ戻るらしく、道へ出る前に烈を振り返った。

 

「卯ノ花隊長。いずれ、剣の話も伺っていいか」

「ええ。お尋ねいただければ」

「今度、俺も呼んでよ。夕月がどんな顔で聞くか見たいからねぇ」

「お前は見ているだけで済ませろ」

 

 夕月が先に歩く。

 

 俺も続きながら烈へ手を上げた。もう次の怪我人へ声を掛けている。相手が怖がって手を引くこともなく、差し出された腕がその膝へ乗った。

 

 烈。

 

 元の名前だと聞いた時には、すぐに馴染まなかった。

 

 今はもう、こちらが呼ぶより先にその名が出てくる。手当てを待つ隊士の声に、四番隊の子が返事をしていた。

 

 次に訪ねた時は、俺も旅の話ばかりしないでおこう。

 

 覚えた剣のことも、まだ聞いてもらえるだろう。

 

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