帰りし道に 灯は続き
訪れし声に 庭は開く
門をくぐったところで、ようやく帰ってきた気がした。
現世から戻る道を抜けた時には、まだ後ろの荷車や隊士の足が気になっていた。今は槇島が前に立ち、伏見が怪我人の傍へ来ている。見慣れた顔に呼ばれると、疲れた奴らも自分から返事をする。俺が最後まで名前を確かめなくても、こちらで覚えてくれていた。
「お帰りなさいませ」
「うん。ただいま。待たせたねぇ」
槇島に声を掛ける。
留守の間に何があったか聞こうとしたら、その前に四番隊の子へ場所を教えていた。空けてある部屋は一つではないらしい。俺たちがいない間にも、帰ってきた隊の支度は進んでいたのだ。
頼もしいねぇ。
俺が迎える時より、手際がいいかもしれない。
「皆の飯も、残してくれてる?」
「はい。温め直すよう伝えております」
「俺の分も?」
「隊長がお召し上がりになるかは、まだ伺っておりませんでしたので」
「食うよ。向こうでも食ったけど、帰ってきたらまた腹減っちゃった」
槇島の目が一度、佐伯へ向いた。
佐伯はもう笑っている。俺が何を食ったかまで話されそうだったので、先に二つだけだと言っておいた。
「握り飯を二つ。夕月も同じくらい食ってたよ」
「では、隊長の分も用意させます」
「ありがとうねぇ。皆も先に食っておいで。まだ四番隊に呼ばれてる奴は、そっちを済ませてからね」
返事が幾つか重なる。
門の外で張っていた顔が、少しずつ普段のものへ戻っていく。榛名は怪我をした二人についていき、残る連中は荷を下ろす場所へ散った。途中で誰かが風呂の話を始めると、俺までそちらへついていきたくなった。
先に報告を一つ。
佐伯へ約束したことは、まだ覚えている。
「俺たちは部屋へ行こうか」
「はい。こちらをまとめておりますので」
渡された紙は端まで揃っていた。
山道へ入る前にも、現世の救護所でも、この手に何度か助けてもらった。俺が先へ出た後で誰が残り、どこへ運ばれていったか。佐伯へ聞けばちゃんと分かる。
昔なら、俺が戻って聞くまで待たせていた用事もあっただろう。
あいつが隊を預かっていた五十年に、俺が何を考えていたかはよく覚えている。こいつが何を覚えたかは、帰ってきてから見つけるものの方が多かった。
部屋の戸を開けると湯があった。
机には余計なものが置かれていない。ありがたく座ろうとしたところで、佐伯に袖を見られた。
「お着替えになってからで結構です」
「そんなに汚れてる?」
「裾が」
「ああ。山も歩いたからねぇ」
下を見る。
乾いた土が畳へ一つ落ちた。今のを見られてしまったので、俺は湯へ手を伸ばす前に立ち直す。
現世の川では袖ばかり洗っていた。
上だけ綺麗にして帰ってきても、こちらの部屋へ入るには足りなかったらしい。
*
庭に平子がいた。
来るとは聞いていたけれど、俺が昼飯を済ませるより先に着いている。縁側から声を掛けると、手に持っていた木刀を上げた。
「借りましたよ。副隊長には断ってます」
「お前さん、顔出すって言ってたのは稽古の話だったの?」
「ほかに何やと思うてはったんです」
「飯でも食いに来るのかなって」
「それもいただけるんやったら、いただきますけど」
随分と用意がいい。
こちらが断る方は考えていなかったらしい。庭の端には佐伯がいて、もう一本の木刀を持っている。そこまで済んでいるなら、俺も腰を下ろして眺めるだけでは悪いねぇ。
刀を外して縁側へ置き、庭へ下りた。
「佐伯とやる?」
「隊長に頼みに来たんです」
「うん。じゃあ、俺が先ね。何を見たいの?」
「昨日、屋根へ上がったところです。見えてから狙い変えよう思うても、間に合わへんかったんで」
あれか。
烏有隊長は速い、で済ませず、ここまで来てくれたのは嬉しい。平子へ手を出すと木刀を渡してくれた。佐伯からもう一本を受け取り、握る位置を少し変えている。
「一回、同じように動いてもらえます?」
「屋根まで?」
「庭でええです。そっちへ行かれたら、こっちのが壊れますやろ」
隊舎の屋根を見る。
まだ新しいところもある。槇島に見つかったら修理の話が増えそうだったので、俺は塀の手前へ立った。
平子が少し離れる。
こちらの足を見てから木刀を上げ、構える位置を直した。俺が動くところを待っている。昨日は声を掛ける側だったけれど、今日はその声を出す暇があるかまで気にしているようだ。
踏み出す。
平子の手が動き、木刀がこちらへ向いた。俺はその脇を抜けて肩へ触れた。
「今、そっちを見たよ」
「分かってます。見えたんで」
平子が振り返る。
顔は少し険しい。でも木刀を下げないので、俺も元の位置へ戻った。今度は平子が足を開き、こちらへ肩を向け直す。
「もう一回お願いします。さっきより、ちょっとゆっくり」
「いいよ。どのくらい?」
「俺の木刀が届くくらいまで」
「じゃあ、届かせてみてねぇ」
踏み込むと、切っ先が先ほどより低く来た。
肩を追うのをやめたらしい。俺の身体が通るところへ先に置き、こちらが避けた時にはもう腕を引いている。そこで手を取ろうとすると、柄の端が俺の指へ向いた。
おや。よく続けるねぇ。
指を引いて脇へ抜ける。平子は向き直り、今度は俺の足元へ木刀を下げた。その上を越えて胸へ軽く当てると、ようやく息が漏れる。
「はい。今ので一つ」
「もう一つ取られてる気ぃしますけど」
「指のところは、まだお前さんが返してたよ」
平子が自分の手を見る。
俺が木刀を下げても、そちらの指はまだ柄を握っている。何か確かめるように一度回し、佐伯へ顔を向けた。
「今の、見えてました?」
「はい。腕を引かれた後ですね」
「そっちか。俺、引く前に触られる思てたんです」
「隊長は、まだ平子殿の左手を見ておられましたので」
佐伯が自分の木刀を持ち直す。
平子と同じように腕を引き、空いたところへ目を向けた。そこへ俺が手を出すと、柄がすぐにこちらへ返る。
さっき見たものを、そのままやってくれた。
平子が近づいてくる。
「俺はもうちょい外からでしたね」
「では、こちらですか」
「そう。そこやと、次に足を狙えるんです」
二人が木刀を並べている。
俺は少し離れて見ていた。佐伯は平子の動きを真似るだけでなく、次に自分の足をどこへ置くかまで確かめている。柄を返した後、左へ動いた方がいいと思ったらしい。平子へ尋ね、今度はそちらへ踏み出した。
いいところを見てるねぇ。
自分が失敗した時だけでなく、人がやったことまで持ち帰ろうとする。佐伯は昔から、分からないところをそのままにするのが苦手だった。聞きに来る時には、もう何度か試した後の顔をしている。
俺が教えているつもりでも、いつの間にか教えていないことまで覚えていた。
「今度は二人でやってみる?」
声を掛けると、平子がこちらを向いた。
「隊長は?」
「見てるよ。さっきのがどこまで続くか、俺も知りたいからねぇ」
「副隊長。ええですか」
「はい。お願いします」
佐伯が礼をする。
平子も木刀を上げ、さっき俺が立っていたところへ戻った。佐伯はそれより少し広く間を取る。俺の真似をするつもりはないらしい。
縁側へ腰を下ろす。
何人かが庭の端に集まっていた。通り掛かった者が足を止め、隣へいた者を呼んだようだ。槇島までいるので、俺が木刀を持って暴れていないことは先に見てもらえた。
今日は屋根も無事だよ。
平子が先に動く。
佐伯は正面で受けず、半歩下がって刃を合わせた。木が鳴る。平子の腕が引かれると、佐伯もその柄を見た。
知っている動きへ目が止まる。
平子はそこを待っていたのだろう。木刀を返さず、左手を離して佐伯の袖を取った。佐伯の肩が引かれ、その胸へ切っ先が寄る。
俺が少し腰を浮かせたところで、佐伯の足が動いた。
引かれる方へ一歩出る。
近づきすぎた身体の間では、平子の木刀も長かった。佐伯は自分の柄を横へ押し、相手の腕へ当てる。そのまま二人が離れると、袖を握っていた手も空いた。
「今のは、さっきと違うんやな」
「覚えたばかりですので。つい、そちらを見てしまいました」
「俺が同じことするとは限らんでしょう」
「はい。よく分かりました」
佐伯は真面目に頷いた。
平子の口元が少し上がる。こちらから言われるより、目の前で一度困る方が佐伯にはよく残る。今夜も自分の袖を見ながら、足を出すまでのところを考えるのだろう。
二度目は佐伯が先に入った。
平子が木刀を下げて受けると、佐伯の足が止まる。押し合うかと思ったら、こちらはすぐに刃を離した。平子の木刀が上がるところへ、佐伯が右から回る。
平子も向く。
その足元へ白縫が一本伸びた。
細い光が見えた途端、平子は跳んだ。佐伯の木刀がそこへ届く。避けた肩へ掠めたが、その先へ平子の柄も返ってきた。
佐伯の胸元で止まる。
白縫もそこで緩んだ。平子は足をつき、肩へ触れてから佐伯を見る。
「鬼道も使うんですね」
「お断りしておくべきでしたか」
「いや。聞かんかった俺の方です。隊長に習うてるんやから、刀だけやと思うたらあかんか」
俺まで見られた。
「稽古なら、今のくらいはいいよ。二人ともちゃんと止めたしねぇ」
佐伯は少し残念そうだった。
肩へ届いたことより、自分の胸へ返された方を考えている。平子へもう一度頼むと、あちらも断らなかった。
若い頃なら、佐伯は今の一振りに夢中になっただろう。
今は白縫を張った後まで考えている。刀へ気を取らせた時に何を使うか。そこへ戻されたら、次をどうするか。
俺も結構、教えたんだねぇ。
けれど、見ているとまだ口を出したくなる。今の足なら、もう少し速く運べる。霊力を乗せるところも、本人が思っているより先へ伸ばせるだろう。
三度目の木刀が鳴った。
俺は腰を浮かせず、今度こそ最後まで見ていることにした。
*
平子が帰る頃には、昼飯の話が夕飯に変わっていた。
本人は少しのつもりだったらしい。庭へ来た時と同じように木刀を肩へ乗せていたけれど、袖はすっかり土に汚れている。
「結局、隊長にはあんまり相手してもらえてませんね」
「佐伯とはよくやったじゃないか」
「それはそれで、続きがあります。次も来てええですか」
「いいよ。今度は先に飯を食っておいで」
「飯の後やと動けへんでしょう」
「食ってから動けるようにするのも大事だよ。俺、先生のところで結構覚えたから」
平子が笑った。
木刀を返すと、佐伯へも次の約束をしている。二人で日を決める間、俺は縁側に置いていた刀を取った。
庭には細い線が何本も残っている。
佐伯が踏み込んだところと、平子が回ったところ。足跡を見ていると、さっきよりもっと上手く動ける気がしてくる。明日になれば二人とも、今日とは少し違うところへ立つのだろう。
俺も次は、もう少し先を見せようか。
佐伯が平子を門へ送っていく。途中でこちらを向き、飯をどうするか尋ねてきた。
「食うよ。お前さんも一緒にねぇ」
「はい。戻りましたら」
待ってるよ、と返す。
あいつの卍解は、帰ってきてから見せてもらった。俺がいない間にそこまで辿り着いたことが嬉しくて、まずはよくやったと伝えたものだ。
今日の佐伯を見ていると、その先を考えたくなる。
俺が今まで付き合った時間より、これから教えられることの方が、まだ多いかもしれない。
門の方から平子の声がした。
佐伯が答え、少しして一人で戻ってくる。その顔を見ながら、俺は庭を指した。
「佐伯。明日、少し空けられる?」
「稽古でしたら、朝に」
「うん。俺も出るよ。今日、お前さんを見てたら、教えたいことが増えちゃった」
佐伯の足が止まる。
すぐに承知しましたと返ってきたが、その後でもう一度こちらを見た。
「何を用意いたしましょう」
「刀でいいよ。お前さんのを持ってきて」
木刀を返していた手が、腰へ下りる。
その動きを見ていると、俺も少し楽しみになってきた。まだそんな顔をしてくれるのなら、付き合う甲斐もありそうだねぇ。