卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

102 / 112


授かりし手に 歳は積もり
差し出す手にも 道は伸びる




102.師恩の行方

 

 

 佐伯の刀が、俺の袖を掠めた。

 

 避けたところへ、もう一度踏み込んでくる。昨日、平子に袖を取られた辺りから少し変わったらしい。空いた手まで見ているので、俺も掴むのはやめて刀だけで受けた。

 

 刃が鳴る。

 

 佐伯の腕が下がる前に押し返すと、今度は足が引かれた。戻ったところへ追えば、脇から白縫が伸びてくる。

 

 そこまで用意してきたか。

 

 糸を跨いで肩へ触れる。佐伯はすぐに刀を引き、俺との間へ戻した。首元まで寄せれば止まるつもりだったけれど、その手が続いたので、こちらも一度離れる。

 

「今の、よかったよ」

「まだ肩へ触れられております」

「うん。でも、そこで全部止まらなかった」

 

 佐伯は俺の手を見た。

 

 自分が斬られたことばかり気にしている。稽古の時からそうやって覚えてくれるのは助かるけれど、俺と同じ速さになるまで駄目だと思われては、こっちも何を褒めればいいか困るねぇ。

 

「お前さん、昨日より少し近くへ来たよ。まずはそこを覚えといて」

「承知しました」

「じゃあ、もう一度。今度は糸を張った後、俺の顔ばっかり見ないでね」

 

 佐伯が構え直す。

 

 付き合い始めた頃は、刀を握るところから直したものだ。今では足を取る鬼道まで、自分で斬り合いへ入れてくる。あいつが考えたところへ俺も付き合っていると、朝の短い時間ではどうにも足りなかった。

 

 門へ出る刻限を告げられ、二人で刀を納める。

 

 佐伯はまだ庭を見ていた。白縫を張ったところへ足を置き、こちらへ踏み込んだ距離を確かめている。

 

 今日は俺が先に呼ばれる日だ。

 

「続きは帰ってからねぇ」

「はい。ありがとうございました」

 

 頭を下げる顔を見ながら、俺はもう少し長い続きを考えていた。

 

        *

 

 隊首会へ向かう前に、槇島と榛名を呼んだ。

 

 机へ来た二人が紙の方を見る。いつもなら次の巡回か、人員の相談だ。今日はまだ何も広げていないので、こちらが座るまで立って待っていた。

 

「座って。ちょっと先の話なんだけどねぇ」

 

 俺も向かいへ腰を下ろす。

 

 どこから言おうかと考えたけれど、二人ともこちらの顔を見ている。先に旅先の話をしたら、結局何日留守にするのかと聞かれるだろう。

 

「佐伯を連れて、暫く隊を離れようと思ってる。先生の許しは、これからもらうつもり」

「副隊長も御一緒にですか」

 

 槇島の目が少し動いた。

 

 榛名も同じ顔をしている。俺だけならいつものことだが、佐伯までいなくなる話は初めてだった。

 

「うん。本気で修行に付き合ってみたくなってさ。その間、隊はお前さんたち二人に任せたい」

「どの程度の期間をお考えでしょう」

 

 榛名が尋ねる。

 

「五十年くらい」

 

 二人とも黙った。

 

 短く言ったつもりはないよ。俺もそのくらいの時間を使おうと思っている。ただ、聞く方には急だったねぇ。

 

 槇島が先に息を吐いた。

 

「巡回の指揮と、隊内の取り纏めを分けることになるかと存じます。鷺坂と伏見にも、今より任せるものが増えます」

「うん。いきなり全部置いていくつもりはないよ。出るまでに皆で決めよう」

「隊長も副隊長もおられない間、他隊への応援要請は」

 

 榛名の言葉を聞いて頷く。

 

 留守を守れるかと聞かれて、二人とも気合いだけで返さない。何が足りなくなるかを先に考えてくれている。

 

「そこも先生に頼む。お前さんたちだけで何でも止めろ、とは言わないからねぇ。必要な時には、ちゃんと呼んでほしい」

 

 槇島が榛名を見る。

 

 榛名は少し考え、こちらへ顔を戻した。

 

「お預かりします。ただ、引き継ぎに時間をいただけますか」

「もちろん。槇島も、それでいい?」

「はい。副隊長が戻られた時に、困らせぬよう整えておきます」

 

 佐伯の方なんだねぇ。

 

 俺が笑うと、槇島も少し口元を緩めた。

 

「隊長にも、御報告はいたします」

「うん。帰ってきたら聞かせて。二人とも、ありがとうねぇ」

 

 立ち上がる頃には、二人の間で話が始まっていた。

 

 今の当番をどう分けるか、誰へ何を覚えてもらうか。こちらが五十年と言っただけで、もう最初の用事を見つけている。

 

 俺も先生のところで、ちゃんと頼んでこなければね。

 

        *

 

 隊首会の部屋へ入ると、京楽に手を上げられた。

 

「お帰り。十番隊は皆戻れた?」

「うん。まだ四番隊に診てもらってる子はいるけどね」

「それならよかった。こっちも二人、もう少し掛かりそうだよ」

 

 京楽の頬には小さく布が貼られていた。

 

 笠に隠れていた傷だ。俺がそこへ目を向けると、あちらは先に卯ノ花隊長に診てもらったと言う。

 

「言われる前に行ったの?」

「君が言ったことは、ちゃんと覚えているよ」

 

 こちらまで覚えてくれていたか。

 

 浮竹も隣へ来て、自分の隊の者は戻ったと話してくれた。俺たちが川沿いを進んでいた間、あちらは別の集落を回っていたらしい。

 

「弓を下ろす者もいた。家の中へ入ったまま出てこない者には、時間が掛かったが」

「そっか。こっちも、最後まで中にいたよ」

「まだ残っている家は、交代した組へ伝えてある。これから確かめるところもあるだろうな」

 

 浮竹の声が少し落ちる。

 

 俺も、山の小屋で箱へ座っていた男を思い出した。歩けないと聞いて車を直したところまでは覚えている。あの後は四番隊に任せた。自分が見ていた道の先にも、同じような用事が幾つもあったのだろう。

 

 先生が入ってきた。

 

 皆が立つ場所へ戻り、話し声が止まる。俺も持ってきた紙を開いた。佐伯の字は相変わらず綺麗だ。朝に刀を振った同じ手で書いたものなのに、こちらは俺より余程落ち着いている。

 

「各方面の報告は、届いておる」

 

 先生が皆を見渡す。

 

 抵抗を続けていた集団の討伐、弓を下ろした者の拘束、戻ってきた隊士の数。その声を聞きながら、俺は自分の紙へ目を落とした。

 

 数字の横に、負傷した二人の名前がある。

 

 昨日は飯を食っていた。今日も四番隊の子が顔を見に来る。先生の声で同じ数が読まれても、俺にはどうしてもその顔が先に出てくる。

 

「大規模な掃討は、これにて終える」

 

 紙を持つ手が少し緩んだ。

 

 隣で夕月も顔を上げる。先生はまだ話を続けていた。残った場所の確認と、捕らえた者の監視。それは二番隊と六番隊を中心に組み直すという。

 

「今ある名簿は、各隊から渡せ。引き継ぐまで、所在を曖昧にするでない」

「承知しました」

 

 銀嶺が答える。

 

 夕月も頷き、拘束した者がいる場所を伝えた。山の小屋で捕らえた者たちも、あちらの組へ渡してある。俺の方は川沿いの分だ。佐伯が残した記録をそのまま渡せると伝えると、銀嶺から受け取ろうと言われた。

 

 現世での巡回には、八番隊と十三番隊が交代で人を出す。

 

 四番隊は治療を続ける。歩けるようになったからすぐ任務へ戻すつもりの者は、先に相談するよう烈から言われた。あれを聞いて何か言いかけた隊長もいたが、烈の顔が向くと返事だけになった。

 

 俺も朝の佐伯との稽古を思い出す。

 

 怪我をした子は庭へ呼んでいないよ。そこはちゃんと待てるようになった。

 

 幾つかの確認が済み、先生が杖を鳴らす。

 

「後始末は、今定めた組で進めよ。ほかの隊は、通常の任へ戻る。動かす人員に変更があれば、一番隊へ知らせよ」

 

 皆が答えた。

 

 俺も紙を畳む。

 

 ここへ来る時には、掃討の報告を済ませるつもりだった。その先の話まで持ってきたことを、先生へ言わなければならない。

 

        *

 

 皆が部屋を出る中、俺はそのまま残った。

 

 京楽が戸口から振り返る。

 

「何かあるの?」

「先生に頼み事。お前さんたちとの話は、後でいいかな」

「もちろん。じゃあ、浮竹のところで待ってるよ」

 

 返事をして先生へ顔を戻す。

 

 既にこちらを見ていた。俺が残れば、何か言い出すくらいは分かるだろう。旅へ出る時にも何度かこうして許しをもらったけれど、今日は連れていく相手がいる。

 

「先生。佐伯を連れて、五十年くらい帰らないつもりなんだよ」

 

 眉が動いた。

 

「帰らんと決めてから、儂へ言うか」

「そのつもりで、許してもらいに来たんだって」

「今度は副隊長まで連れ出すのか」

「うん。あいつを、本気で育ててみたい」

 

 先生が紙を脇へ置く。

 

 そちらの手が空いてから、俺も少し近くへ座った。立ったままでは、こちらがもう出掛ける支度をしているみたいだからねぇ。

 

「佐伯には素質があるよ。俺がいない間に卍解まで辿り着いて、隊もちゃんと預かってくれた。今朝、刀を合わせてても、まだ教えたいことが増えるんだ」

「隊で教えられぬのか」

「できることはやってる。でも、今度はあいつの修行だけに付き合いたいんだよ。隊の用事が入れば、佐伯はそっちへ手を伸ばすからさ」

 

 俺が呼ぶより先に戸口へ向く顔を思い出す。

 

 それが助かる日も多かった。だから今度は、こちらから連れ出してやりたい。目の前の一太刀が分からないなら、分かるまで同じ場所にいてもいい。

 

「留守は誰に任せる」

「槇島と榛名。二人には話してきた。引き継ぐ時間が欲しいって言われたから、出る前に皆で決めるよ」

「二人とも引き受けたか」

「うん。ただ、手が足りない時には他隊を頼れるようにしてほしい。俺と佐伯の代わりを、全部あいつらだけでやらせるつもりはないからねぇ」

 

 先生が顎へ手を当てる。

 

 すぐに頷いてはくれない。こちらも五十年と言った以上、途中で帰ってくれば済むような顔はできなかった。

 

「それで、どこまで育てるつもりじゃ」

「そこらの隊長格には負けないくらい。長次郎にも勝てるようになってもらいたいねぇ」

 

 先生の目が細くなった。

 

 長次郎の名を出したせいだろうか。あの人のことを軽く言ったつもりはない。だからこそ、目標にしてみたいのだ。

 

「佐伯なら、そこまで行けると思ってるよ。俺がまたふらっと出掛けても、何があっても大丈夫だって、安心して任せられるくらいにさ。先生も、その方がいいでしょう?」

 

 先生はまだ答えなかった。

 

 俺は膝へ手を置き、もう一度言った。

 

「本気で育て上げてくる。今度は俺が、あいつに付き合う番だと思うんだよ」

 

 少しして、先生が口を開いた。

 

「厳十斎の真似事か」

 

 爺さんの名を聞くと、顔が浮かんだ。

 

 あの庭へ立ち、こちらの刀を待っていた。俺が何度同じところで転んでも、もう一度と頼めば付き合ってくれる。教えてもらう方は次の一振りに夢中で、爺さんがどれほど長くこちらを見ていたかまでは考えなかった。

 

 今の佐伯を見ていると、あの時の俺まで少し分かる。

 

 できたと思ったところへ次が来る。まだ先があると見せられたら、刀を納めるのが惜しくなる。

 

 俺は、随分と付き合ってもらったんだねぇ。

 

「そうかもしれない。俺も爺さんに、長いこと教えてもらったからさ」

 

 先生が俺を見る。

 

 こちらから爺さんの話をしても、何も慰めるようなことは言わなかった。ただ、膝に置いた俺の手へ一度目を落とす。

 

「ならば、途中で飽きて放り出すでないぞ」

「放り出さないよ。五十年で足りなかったら、その時はまた頼みに来る」

「まずは五十年で戻れ。次の話は、佐伯の顔を見てからじゃ」

 

 俺は顔を上げた。

 

 先生はもう脇の紙を取っている。留守の間に出す人員の話を、こちらへ尋ね始めた。

 

 許してくれるらしい。

 

 嬉しくなってすぐに立ちそうになったが、まだ用事が残っていた。槇島と榛名から聞いたことを、俺も一つずつ伝える。

 

 今度は五十年、佐伯を預かる。

 

 そう思うと、行ってみたい場所より先に、あいつへ何を見せようかと考えた。

 

 爺さんも、あの頃こんなふうに思っていたのかなぁ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。