並びし膳に 歳は重なり
交わす盃に 道は続く
浮竹のところへ行くと、京楽が先に飲んでいた。
待っているとは言われたけれど、飲まずに待つとは言ってなかったねぇ。庭へ面したところに膳が三つ並び、一つだけ手つかずで残っている。俺が顔を出すと京楽は盃を上げ、浮竹が隣を空けてくれた。
「お帰り。山爺とは何の話だったの?」
「佐伯を連れて、五十年くらい修行に出ようと思ってさ」
京楽の盃が止まった。
浮竹もこちらを見る。俺が座るより先に二人とも同じ顔をしたので、まずは腰を下ろしてから続きを言うことにした。膳に並ぶものも気になる。先生のところで話し込んでいたら、すっかり腹が減ってしまった。
「五十年、付きっきりで?」
京楽が聞き直す。
頷くと盃が膳へ戻り、あちらの口から長く息が出た。
「それは、佐伯に少し同情するねぇ」
「お前さん、俺が何すると思ってるの」
「稽古でしょう。君が途中で帰らず、ほかの用事にも呼ばれず、ずっと見てくれるんだ」
浮竹まで笑った。
俺は先に渡された湯を飲む。二人とも、昔のことを思い出している顔だった。あの頃も真面目に付き合ったつもりだけれど、こちらが覚えているところと、こいつらが覚えているところは少し違うらしい。
「俺たちは、隊の用事の合間に教わったんだぞ」
浮竹が京楽へ言う。
「うん。それであれだったからね。五十年も君を独り占めできたら、どれほど強くなるんだろう」
京楽が俺へ顔を戻した。
さっきより少し楽しそうだ。気の毒だと言ったばかりなのに、もう帰ってきた佐伯を見たくなったらしい。
「佐伯には素質があるよ。今朝も刀を合わせたけど、まだ先を見せてやりたくなってねぇ」
「そう言われる相手は、そう多くないだろうな」
浮竹が頷く。
俺は皿へ箸を伸ばした。こちらへ酒が注がれるまで待つつもりだったけれど、湯を飲んだら余計に腹が動いてしまった。京楽もそれを見て、先に食べてと言ってくれる。
昔は俺が二人に飯を勧めていた。
今は膳を用意してもらい、どこまで弟子を育てるのか聞かれている。こういうところで歳を数える羽目になるとは思わなかったねぇ。
「留守は誰が預かるんだ」
「槇島と榛名。二人には話してきたよ。鷺坂と伏見にも今より任せるものが増えるから、出るまでに皆で決める」
「なら、こちらからも顔を出そう。何かあれば声を掛けてもらえるようにしておく」
浮竹の返事は早かった。
俺が頼む前から、そのつもりでいてくれる。初めて稽古をつけた頃も、相手が動けなくなったら自分が前へ出ると、こいつは迷わず答えた。今は隣にいる京楽だけでなく、十番隊のことまで考えてくれるようになった。
「ありがとうねぇ。佐伯と一緒に、また話しに来るよ」
「僕のところにも来て。隊長と副隊長が二人ともいなくなるんだから、あの子たちも頼む相手が多い方がいいでしょう」
京楽が徳利を持つ。
俺は箸を置き、空いていた盃を取った。注がれた酒へ口をつけると、思ったより強い。あちらは同じものを先に飲んでいたのに、いつもと変わらない顔をしている。
「佐伯は、もう五十年って聞いた?」
「まだ。先生の許しをもらってから、ちゃんと話したくてさ」
「じゃあ、驚くだろうね。その後はきっと、よろしくお願いしますって言うんだろうけど」
ああ、それは言いそうだ。
あいつは分からないことがあると、こちらが用事を終えるまで待っている。今度は待たなくていい。朝から刀を振り、納得できなければ夕方まで同じところにいても構わない。
どんな顔をするだろう。
机へ並ぶ紙より、自分の刀を見ていていいと言ったら。
*
「君の稽古って、終わるつもりで構えたところから長いんだよね」
京楽が言う。
浮竹はその一言で笑い、俺は少し首を傾げた。
「そうだった?」
「二人とも帰るつもりで刀を拭いたら、今のところをもう一度って」
「できるようになったところで終わった方がいいと思ったんだよ」
「俺たちも、できたつもりではいたんだ」
浮竹が自分の手を見る。
柄を握るように指を曲げ、京楽へ顔を向けた。
「春水が左へ回るところ。あそこも、何度やり直したか」
「回れたと思ったら、君がもうそこにいるんだもの。途中で止まると浮竹の方へ行くし」
「二人とも下がってくれたからねぇ。俺も空いたところへ入れるよ」
そう返すと、二人が顔を見合わせた。
俺には当然に思えたことでも、あの頃の二人には違ったのだろう。逃げる方へ目を向けていたら、退いた先まで見られている。こっちも口で説明するより、先にそこへ立った方が早かった。
ただ、少し速すぎたかもしれない。
「昨日、平子にもゆっくりやってほしいって言われたよ」
「平子が十番隊へ行ったの?」
「うん。木刀を借りて、俺が来るのを待ってた。現世で動いたところを見せてほしいって」
「それは頼みたくなるだろうな。見えてからでは間に合わない」
浮竹が言った。
京楽も頷く。さっきまで昔の稽古を笑っていたのに、そこだけは今の顔だった。
「昨日は佐伯ともやったよ。途中から二人で確かめ始めたから、俺は座って見てた」
「君が座ったなら、随分続いたんじゃない?」
「昼飯の話が夕飯になるくらいにはねぇ」
京楽が笑う。
佐伯は平子の刀を見て、自分でも同じようにやろうとした。そこで別の手を使われたら、困りながらも足を出す。まだ間に合わないところはあるけれど、見ていると次を教えたくなる。
平子も、よく付き合ってくれた。
俺が口を挟むより先に、次はどうするか二人で話していたのが嬉しかった。
「君に五十年ついていけるなら、少し羨ましくもあるね」
京楽が盃を持ち上げる。
「さっきは同情するって言ったじゃないか」
「それも本当だよ。毎日あの稽古かと思ったら、僕は先に一度休みたい」
「春水は、休んでから考えたいと言っていたな」
「考えたら、また庭へ戻ったでしょう」
「ああ。戻ってきた」
浮竹が素直に頷いた。
京楽は少し照れたように酒を飲む。こいつも結局、分からないまま帰るのは嫌だったのだ。休むと言った後でまた来るので、こちらも刀を置かずに待っていたことがある。
佐伯にも休む暇はやろう。
戻ってくるまで、俺は待っていられる。爺さんがそうしてくれたように、今度はこっちが庭へ残ればいい。
「どこまで強くするつもりなんだ」
浮竹が尋ねた。
「そこらの隊長格には負けないくらい。長次郎にも勝てるようになってもらいたいねぇ」
京楽がこちらを見る。
浮竹も湯呑を膳へ置いた。二人とも少し黙ったので、俺も盃を下げる。
「本気で、そこまで?」
京楽の声は先ほどより低かった。
「うん。先生にもそう言ってきた。あいつなら行けると思ってるよ」
今朝の佐伯の足を思い出す。
俺の袖へ届いた時にも、その先を狙っていた。何度も止められているのに、また同じ距離へ踏み込んでくる。自分ができないところを知ってから、それを直すことに使える時間が増えれば、まだ伸びる。
「雀部副隊長か」
京楽が小さく呟く。
浮竹は俺を見たまま、やがて口元を緩めた。
「君が見込んで、五十年付き合うんだ。それなら、帰ってきた佐伯を俺も見てみたい」
「そうだねぇ。山爺も許したんでしょう?」
「まずは五十年で戻れってさ。次の話は佐伯の顔を見てからだって」
京楽が笑った。
「山爺も楽しみにしてるんだ」
「途中で放り出すなとも言われたよ」
「それは言っておかないとね。でも、佐伯の方にはどう伝えるの?」
俺は少し考えた。
先生には、誰に勝てるくらいまでと話した。こいつらにも同じことを言った。佐伯へも伝えるつもりだけれど、その前に言いたいことがある。
「まだ強くなれるよって。本気で付き合ってみたいんだって、まずはそう言うかな」
「それを君に言われたら、断れないな」
浮竹が言う。
京楽も頷いた。
俺は、佐伯には自分で選んでもらうつもりだった。隊のことが気になるなら聞くし、ほかにやりたいことがあるなら、それも聞きたい。けれど、二人の返事を聞いていると、俺が考えるよりずっと重く受け取るのかもしれない。
「お前さんたちも、そうだった?」
「君に次はこれを教えると言われたら、僕らは来たよ。できるつもりで来た日も、できないだろうと思って来た日もね」
京楽が庭へ目を向ける。
浮竹はその隣で、自分の刀へ一度触れた。
「今、俺たちが隊で教えていることにも、あの頃に覚えたものがある。刀のことだけではないが」
俺もつられて庭を見る。
踏み固められた土があった。ここでも誰かが同じところを直し、もう一度と頼んでいるのだろう。
俺が教えて済んだと思っていたことが、こいつらのところでまだ続いていた。
そうか。
佐伯を鍛えた後にも、まだ先があるんだねぇ。
*
膳を下げに来た者へ礼を言い、俺たちも立ち上がった。
京楽は残った酒へ一度目を向けたが、今度は何も言わずに徳利を置く。浮竹が出る前にもう一度来てほしいと言ってくれたので、俺も佐伯を連れてくると答えた。
「あの子にも言っておこうか。昔、君に教わっていた時の話」
「怖がらせないでよ」
「大丈夫。強くなる方の話もするから」
京楽が笑う。
浮竹は少し呆れた顔で隣を見た。
「先に余計なことを言うなよ。佐伯なら、それも覚えていくぞ」
「君のところへ五十年ついていくんだよ。何も知らずに出掛けるよりはいいでしょう」
「俺はそこまでひどいことしないって」
二人が俺を見る。
揃って何も言わないところが、昔からよく似ている。こちらが相手をしていた頃は、俺が黙れば二人で相談を始めた。今は俺が話した後で、あちらが黙る。
それなら佐伯本人へ聞いてもらおう。
帰ってきた時、どんな修行だったか話せるくらいには付き合ってやりたい。
門まで京楽がついてきた。
浮竹は縁側から見送ってくれる。俺が手を上げると、向こうも同じように返してくれた。
「五十年後、僕らまでうかうかしていられないねぇ」
京楽が隣で言う。
俺は顔を向けた。あちらはもう、佐伯が戻ってきた後のことを考えているらしい。
「お前さんたちも稽古すればいいよ」
「うん。佐伯が君から何を教わってくるか、楽しみにしておく」
「戻ったら相手してくれる?」
「もちろん。その時には、僕も簡単に負けるつもりはないよ」
いい返事だった。
俺は京楽へも手を上げ、十番隊へ足を向ける。
出掛ける前から、佐伯に話してやれることが一つ増えた。帰ってきたら刀を合わせたいと言ってくれる相手がいる。あいつも、それを聞いたら嬉しいだろう。
五十年、長いねぇ。
それでも今は、帰った時のことまで考えると短くなってしまいそうな気がした。