卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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教わりし手に 歳は積もり
応えし声に 道は開く




104. 師弟の約束

 

 

 佐伯は、もう紙を広げていた。

 

 俺が部屋へ戻ると椅子を引き、隊首会の報告を受ける用意をしてくれる。机の端には湯もある。ありがたいのだけど、今日ばかりは先に筆を置いてもらいたかった。

 

「佐伯。そっちは後でもいい?」

「はい。何かございましたか」

「うん。今日はお前さん自身の話をしたくてさ。こっちへ座って」

 

 向かいを示すと、佐伯の目が紙から俺へ戻った。

 

 何かしくじったかと思ったのだろうか。座るまでの顔が少し硬い。今朝の稽古なら、直したいところも褒めたいところもあるけれど、俺はその続きを一刻だけ頼みに来たわけではない。

 

 湯を飲んでから話そうと思っていた。

 

 けれど、待っている佐伯を見たら、先に言いたくなった。

 

「お前さん、まだまだ強くなれるよ。そろそろ俺も、本気で修行に付き合おうかと思ってねぇ」

 

 佐伯が黙った。

 

 膝へ置いた手が動き、こちらを見たまま少し背が伸びる。その顔で待たれると、俺まで先生に何か教わる前の気分になってくる。

 

「隊を少し離れて、二人でやってみたい。五十年くらい。先生には、許しをもらってきたよ」

「五十年、ですか」

「うん。何年かかるか分からないけど、まずはそれくらい使ってみようと思ってさ」

 

 佐伯の目が机へ向いた。

 

 今日の報告だけではない。明日の巡回も、交代する者の名前も、あいつが揃えた紙の中にある。五十年と言われて、先にそちらが気になるのは無理もなかった。

 

「隊長も私も不在となりますが、その間は」

「槇島と榛名に頼んできた。二人とも引き受けてくれたよ。鷺坂と伏見にも任せるものは増えるけど、出る前に皆で決めようと思ってる」

 

 佐伯がこちらへ顔を戻す。

 

 今朝はまだ、俺が何を言い出すか知らずに刀を持ってきた。槇島たちにも話していない時なら、まず隊の用事を確かめる時間が欲しいと頼まれただろう。

 

 あいつが気にしそうなところを、今日は俺が先に歩いてきた。

 

「手が足りない時には、ほかの隊も頼れるようにする。京楽と浮竹も顔を出してくれるってさ。お前さんを連れて、挨拶に行くつもり」

「お二人も御存知なのですか」

「今、話してきたんだよ。五十年付きっきりかって、驚いてたねぇ」

 

 佐伯の口が少し開いた。

 

 自分より先に皆が聞いていたことへ驚いたのかもしれない。俺も、ここまで先に話してから誘うのは珍しかった。いつもなら行きたいところができて、誰かへ声を掛ける。今回は佐伯へ教えたいことが先に増えた。

 

「だから、隊のことは一人で抱えなくていい。気になる用事は、出るまでに俺も一緒に聞くよ」

「……はい」

 

 返事をしてから、佐伯が湯呑を手元へ寄せる。

 

 飲むのかと思ったが、指が縁へ触れただけだった。まだ何か言いたそうなので俺も待つ。京楽たちは断れないと言っていたけれど、あいつ自身の返事は聞いておきたい。

 

「隊長」

「うん」

「私に、そこまで時間を使っていただいてよろしいのでしょうか」

 

 そっちへ気が向いたか。

 

 俺は少し笑ってしまった。五十年を頼んだ時、先生もそんなふうに思ったのだろうか。弟子がどこまで伸びるかも分からないのにと。

 

「いいから誘ってるんだよ。今朝、お前さんと刀を合わせてても、まだ続けたかった。昨日、平子とやってたところもね。もう少し先まで教えたら、どうなるか見てみたくなったんだ」

 

 佐伯の指が湯呑から離れる。

 

 そこで顔を上げてくれたので、俺も続きを言った。

 

「そこらの隊長格には負けないくらいになってもらいたいねぇ。長次郎にも勝てるくらいには」

 

 今度は、はっきり驚いた顔になった。

 

「雀部副隊長に、ですか」

「うん。簡単じゃないよ。だから五十年も頼みに行ったんだしね」

「私は、まだ隊長の一太刀を受けることさえ」

「俺の方も、そう簡単に受けてほしくないなぁ。お前さんが上手くなったら、その分こちらも続きを見せるよ」

 

 佐伯が口を閉じた。

 

 俺を斬れるようになるまで強くなければ、留守を預かれないと思っているわけではない。それでも、こちらへ近づきたいと思ってくれるのなら、離れたところから褒めるだけで済ませたくなかった。

 

 爺さんも、俺が一つ覚えると次を寄越した。

 

 できたつもりで刀を振れば、今度は違うところで止められる。庭へ座り込んで考えている間、爺さんは先に飯を食い、俺が立つ頃にはまたそこへいた。

 

 あの頃、俺は教わることばかり考えていた。

 

 爺さんが待ってくれている時間まで、自分の修行に使っていたんだねぇ。

 

「佐伯。お前さんには素質があるよ。俺が留守にしてる間にも、随分と覚えてくれた。今度は俺の方が、最初から最後まで付き合ってみたいんだ」

 

 佐伯の目が少し下がる。

 

 腰へ差した刀を見ていた。今朝、俺の袖へ届いたものだ。あいつにとっても、まだあそこで終わりにしたくはなかっただろう。

 

 俺も同じだった。

 

「来てくれる?」

 

 尋ねると、佐伯が顔を上げた。

 

「はい。御一緒させてください」

 

        *

 

side:佐伯

 

 返事をしてから、五十年という長さをもう一度考えました。

 

 隊長が御不在だった五十年は、よく覚えています。初めには、何を先に決めればよいのかも分からず、机へ紙を並べたまま夜になったことがありました。

 

 今は、同じ机に座っております。

 

 ここを槇島たちへ預け、自分も隊を離れる。そう考えると、伝えておかなければならないことが幾つも浮かびました。

 

 ですが、向かいには隊長がおられます。

 

 この方も一緒に来てくださる。

 

 先ほどから何度も同じことを考え、そのたびに、隊の用事から刀へ気が戻りました。

 

「よかった。俺だけ楽しみにしてたら、少し困るところだったよ」

 

 隊長が湯を飲まれます。

 

 私はまだ自分の分へ口をつけていませんでした。勧められて持ち上げましたが、温かさを確かめるくらいで、すぐに机へ戻してしまいます。

 

 聞きたいことがありました。

 

「卍解も、見ていただけますか」

「もちろん。お前さんの刀も、まだ先があると思うよ。でも、それだけでは済ませないからねぇ」

「はい。お願いしたいのは、斬術や鬼道も含めてです」

 

 隊長が頷かれました。

 

 私はその顔を見て、今朝の庭を思い出します。肩へ触れられた後、自分の刀を戻すところまではできました。ですが、あの方が次に何をなさるかは見えていません。

 

 続けられたことを褒めていただいても、自分が届かなかったところは残ります。

 

 それを、もう一度尋ねられる。

 

 時間が来たので明日に、ということを繰り返さず、分かるまで教わってよいのです。

 

「今朝、肩へ触れられた時にも、まだ御手が空いておられました。私は刀を戻すだけで、そちらへは何もできておりません」

「うん。そこは、まだ使わなかったね」

「次を拝見したいと思っていました。庭を離れてからも、どうすれば見せていただけたか考えておりましたので」

 

 口にすると、隊長の顔が少し変わりました。

 

 嬉しそうでした。

 

 私はそれを見て、ようやく自分も笑っていることに気づきました。五十年と伺ってから、隊を空ける話ばかりしてしまいましたが、本当は最初に修行と聞いた時から、続きをお願いしたかったのです。

 

「見せるよ。お前さんが間に合わなくなったところも、何度でもやろう」

「はい」

 

 その返事だけでは足りない気がしました。

 

 私は膝へ手を置き、改めて頭を下げます。

 

「御指導をお願いいたします。隊長がお時間を使ってくださるだけ、私も強くなりたいです」

 

 隊長はすぐには答えられませんでした。

 

 顔を上げると、こちらを見ておられます。その目に覚えがありました。初めて稽古をつけていただいた頃、自分ではできたと思ったものを、もう一度と言われる前の顔です。

 

 あの時は、なぜ駄目だったのかが分かりませんでした。

 

 今は少しだけ分かります。

 

 それでも、この方が見ているところまでは届きません。

 

「うん。俺も本気で教える。お前さんができるようになるまで、ちゃんと付き合うよ」

 

 そう仰って、隊長は机の紙を見られました。

 

「そのためにも、まずはこっちを皆に渡そうか。俺も聞くから、お前さんだけで片づけないでねぇ」

 

 私は頷きます。

 

 紙へ手を伸ばすと、隊長も一枚取ってくださいました。普段なら御自身が目を通す分を選ばれるところですが、今日は私の方のものです。

 

 槇島へ渡すつもりだった、巡回の記録。

 

 隊長が開き、私に尋ねられます。

 

 私はいつもより少しゆっくり、何を残しておくべきかを話しました。

 

        *

 

 槇島と榛名を呼ぶと、佐伯が先に立ち上がった。

 

 俺も行くつもりだったのに、戸口へいた隊士へ声を掛けるところまで先に済んでいる。修行を受けてくれたからといって、今日から全部置いていけるわけではなかったねぇ。

 

 でも、戻ってきた顔は少し違う。

 

 こちらへ座った時の硬さがなくなり、槇島へ渡す紙を自分の手元へ分けていた。皆が来るまでに何を話すか考えているのだろう。その隣へ刀がある。

 

 俺はそれを見て、行く先をまだ決めていないことを思い出した。

 

 佐伯へ教えたいことばかり増えて、どこへ連れていくかが後になった。昔の俺なら、旅に出る話は順番が逆だったはずだ。

 

『お前様。よう楽しみにしておいでで』

「うん。あいつも来てくれるって」

『わっちにも聞こえておりんすよ』

 

 笑われた。

 

 そうだねぇ。わざわざ言わなくても、ゆめは同じところにいた。けれど、もう一度誰かに話したくなったのだから仕方がない。

 

 槇島たちが来る。

 

 佐伯が二人へ向き直り、自分も隊を離れることになったと伝えた。槇島は頷き、榛名は俺を一度見てから、佐伯へ顔を戻す。

 

「お引き受けになったのですね」

「はい。留守をお願いすることになります。私からも、改めて」

「隊長から伺った時に、引き受けるとお伝えしております。まずは、こちらを確かめさせてください」

 

 槇島が座った。

 

 佐伯も腰を下ろし、紙を広げる。榛名が隣へ入り、俺も向かいへ戻った。途中で鷺坂と伏見を呼ぶことになり、机の周りが少し狭くなる。

 

 皆が揃ったところで、俺から修行の話をした。

 

 五十年と聞いて伏見の目が丸くなったが、佐伯も行くと分かると、今度はあちらへ顔を向けた。鷺坂は出発の日を尋ね、まだ決めていないと答えたら少し安心した顔になる。

 

「いきなり明日とは言わないよ。渡すものを渡して、皆にも挨拶してからねぇ」

 

 佐伯が頷く。

 

 俺はその顔へ目を向けた。

 

「蒼純のところへも、一緒に行こうか。銀嶺にも留守の話をしておきたいし」

「はい。六番隊へ伺う日を確かめておきます」

「夕月とも茶を飲む約束があるんだよ。そっちも連れていくからね」

 

 佐伯がまた頷いた。

 

 机を離れる話をするたび、あいつが自分の用事として聞いてくれる。いつもは俺が誰に会うかを確かめ、隊へ残るものを揃えていた。

 

 今度は一緒に行く。

 

 俺は紙の端へ手を置き、槇島の話を聞いた。途中で佐伯が答え、榛名が自分の分を書き足す。鷺坂も伏見も、頼まれたところだけで済ませるつもりはないらしい。

 

 帰ってきたら、こいつらの顔も変わっているだろうなぁ。

 

 それを見るためにも、ちゃんと五十年で戻らなければね。

 

 話が一段落すると、佐伯がこちらを見た。

 

「隊長。明日の朝も、庭へ伺ってよろしいでしょうか」

 

 もうその続きを待っている。

 

 俺は笑って頷いた。

 

「いいよ。刀を持っておいで。出掛けるまでも、少しずつ始めようか」

 

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