去りゆく袖に 歳は重なり
仰ぎし空に 星は残る
side:実はずっと生き残っている一般隊士
隊長がまた長く留守にするそうだ。
うちの隊長はよくふらっといなくなる。戻ってきたと思ったら、知らない菓子を食わせてくれたり、見たこともない場所の話をしたりするんだ。こっちも慣れたもので、姿を見かけない日が続くと、今度はどこまで行ったんだろうなって話になる。
え? 俺は誰だって?
聞いて驚け。実は護廷十三隊の創設期からずっと生き残ってる、万年平隊士だ!
……肩書きまで言うと、あんまり驚いてもらえないんだよな。そこまで長くいて、まだ平隊士なんですかって。いいだろ、別に。長く生きてりゃ勝手に刀が強くなるんなら、俺は今頃、隊長の一人くらいやってる。
もちろん、うちの隊長が就任した時にもいた。最初に羽織を着て来た日のことだって覚えてるぞ。あの人、その日からあんまり堅苦しくしないでねぇって言ってたからな。新しい隊長を迎えるために、皆で散々練習した挨拶は何だったんだと思ったね。
「先輩、もう少し前に行きませんか」
「ここでも見えるだろ」
「隊長からは見えないかもしれませんよ」
「見えるって。あの人、こういう時はよく見てるんだ」
隣の若いのが背伸びをしている。
気持ちは分かる。前には槇島三席たちがいて、その向こうに佐伯副隊長がいる。隊長はまだ来ていないけど、見送りに集まった連中で門の辺りはいっぱいだ。もう少し早く来りゃよかった。朝飯をおかわりしたのがいけなかったな。
「五十年って、長いですよね」
「そうだな」
「先輩には短いんですか?」
「お前、俺を何だと思ってるんだ」
長いに決まってるだろ。五十年あったら、旨い飯を何回食えると思う。酒だって飲めるし、休みの日に寝ていられる回数だって随分増える。俺だって一日ずつ生きてるんだからな。
ただ、あの人が五十年で帰ると言ったことには少し驚いた。
今度は副隊長も一緒だそうだ。二人で修行に行くんだってさ。留守の間は槇島三席と榛名四席が預かると聞いている。俺たちはいつものように働いて、いつものように稽古をする。帰ってきた隊長に何か覚えたかと聞かれたら、少しくらいは見せられるようにしておきたい。
「副隊長、どれくらい強くなるんでしょう」
「さあなぁ。今でも俺じゃ勝てないから、困るよな」
「困るんですか?」
「どこが変わったか、分かる前に転がされそうだろ」
若いのが笑った。
俺も笑ったが、これは本当に困るんだぞ。副隊長は手加減してくれるけど、刀を合わせると俺の悪いところをすぐ見つける。帰ってきたら、構えただけで分かるようになってるかもしれない。もう少し腰を落としてくださいって、俺が刀を抜く前に言われたりしてな。
あの隊長が五十年も付きっきりだ。
副隊長には悪いが、帰ってくるのが楽しみで仕方ない。
「隊長も、もっと強くなるんですかね」
「まだなるんじゃないか」
「今でも、あんなに強いのに」
あんなに、か。
この前の掃討戦でも、若い連中は驚いていた。矢を払った時にはもう相手のところへいて、こっちが追いつく頃には次へ行ってる。隊長本人は普通に歩いたつもりらしいから、後ろをついていく方は大変だ。
でもな。あれを見て、うちの隊長の強さを知ったと思ってるなら、まだ早いぞ。
隊長の卍解、見たことあるか?
今じゃ隊長格でも、卯ノ花隊長と総隊長くらいしか知らねぇんじゃないかな。長く隊長をやってた人が皆、今もいるわけじゃないし、あの人も滅多に見せないからな。
でも、俺は知ってるぜ。
密かな自慢さ。
*
昔、滅却師との戦争で死にかけたことがある。
今回の掃討戦じゃないぞ。もっと昔だ。俺が今よりずっと若くて、うちの隊長がまだ隊長じゃなかった頃の話だよ。
敵の弓を見たところまでは覚えてる。その前に誰と斬り合っていたかとか、どっちから走ってきたかとか、その辺はもう怪しい。何しろ忙しかったからな。知ってる顔を見つけても、声を掛ける間に離ればなれになる。後で会おうと思って、それきりになったやつもいた。
俺の刀は折れていた。
手元に残った刃が短すぎて、相手に届きそうもない。右足は動かないし、立とうとすると腹の傷が痛む。向こうはその様子を見て、ゆっくり弓を引いた。
どうする?
俺は何も思いつかなかった。
柄を握ることくらいしかできなくて、それも手に血がついて滑るんだ。握り直しているうちに矢がこっちを向く。ああ、ここまでかと思ったよ。あんなに簡単に死ぬんだなって。今まで生き残った時も、向こうが少し早けりゃこうなってたのかもしれない。
ところが、その相手がいきなり倒れた。
弓を引いたまま膝が折れて、横へ崩れる。俺はまだ矢が来ると思っていたから、折れた刀を顔の前に出していた。いつまで待っても来ないので、少しずつ手を下ろしたんだ。
俺、何もしてないぞ。
そんなことができたなら、とっくにやってる。
誰かが助けてくれたんだと思って辺りを見たけど、すぐ近くには誰もいなかった。倒れた滅却師の向こうでも、もう弓を持って立っているやつがいない。さっきまであんなに飛んできていた矢も見えなかった。
それで、顔を上げたんだ。
空に星が出ていた。
あんなに綺麗な夜空は、それまで見たことがなかったなぁ。寝転がって眺めた夜もあれば、酒を飲みながら見上げた夜もあるけど、あれほど星が見えたことはなかった。目を向ける先に幾つも光があって、まだ向こうにもある。傷が痛むから顔を下げたいのに、もう少しだけ見ていたかった。
その空に、一人浮かんでいた。
白い髪の女だった。
長い髪も白い衣も、地面には届かないところで揺れている。衣に入った金色が見えて、俺はそこまでじっと見ていたことに気づいた。向こうからすれば、血まみれの男が口を開けて見上げていたんだろうな。ひどい顔だったと思う。
女神様が降臨なさったのかと思ったよ。
笑うなよ。本当に、そう思ったんだ。
死ぬ間際に見えたものだったらどうしよう、とも思った。俺の身体はまだ痛かったけど、そこまで都合よく考えられる状態じゃなかったからな。こんな綺麗なものを見て終われるなら、悪くないのかもしれないと、少しぼんやりしてしまった。
あれが、うちの隊長だったんだ。
もちろん、その時の俺は知らない。後で聞いたんだよ。あの辺りで白い髪の女を見たと言ったら、烏有さんだって。聞き間違えたと思って、もう一度尋ねた。
烏有さんって、あの烏有さんか?
だって、男だろ?
そりゃそう思うよな。俺もそう思った。何かの能力で姿が変わるにしたって、随分と変わるものだ。顔も身体も違っていたし、刀を持っているところさえ見えなかった。
卍解ってのは、ああいうことまでできるのか。
いや、俺に聞かれても困る。俺自身はできないんだ。卍解する声も聞いてないし、何がどうなって滅却師が倒れたのかも知らない。もっと別の何かだったと言われたら、そうなのかもしれないな。
とにかく、とてつもない力だった。
あれだけ俺を追い詰めていた相手が、矢の一本も放てずに倒れたんだぞ。俺は折れた刀を握ってるだけで助かった。そんなことができる人がいるなんて、知らなかったよ。
後になって、あの人が十番隊の隊長になった。
羽織を着て俺たちの前へ来て、挨拶をしてさ。そこで、ようやく顔をちゃんと見られたんだ。その頃にはもう、見ても普通の男だった。俺があの夜空を見たことを話すと、見てたんだねぇと言われたよ。
それから、今は怪我したところ、大丈夫かいって。
俺は頷いた。もう治っていたし、自分の足で立っていたからな。でも、そこで傷のことを聞かれるとは思わなくて、ほかに聞こうとしていたことを忘れてしまった。
あの人も、それ以上は何も言わなかった。
だから俺は、今でもあれを隊長の卍解だと思ってる。名前も知らないし、何ができるかも説明できない。けど、姿なら覚えてるぞ。
隊長の卍解の姿は、本当に綺麗なんだ。
こればっかりは、見たことのある俺が言わせてもらうよ。
*
「先輩。来ましたよ」
隣に袖を引かれて、門の方を見る。
隊長が来た。いつもの顔で副隊長へ声を掛け、槇島三席たちにも何か話している。前にいた連中が少し動いて、ようやく俺たちのところからもよく見えるようになった。
「副隊長、嬉しそうですね」
「そうだな」
「俺だったら、あんなふうに返事できるか分からないです」
「五十年も修行するって?」
「はい。隊長と二人きりですし」
分かるよ。
俺だって、朝から晩まで隊長に見られていたら落ち着かない。ちょっと休もうとしたところで、もう一回やってみるかいって言われたら、はいって答えそうだ。その後で後悔するんだろうな。先に水くらい飲めばよかったって。
副隊長は違う。こっちから見ても、早く始めたい顔をしていた。いつも俺たちの稽古を見ている人が、これから教わるんだと思っている。あんな顔をするんだなぁ。
「帰ってきたら、また稽古をお願いしたいですね」
「お前、本人に言っとけよ」
「今ですか?」
「今だよ。もう出るんだから」
若いのが前へ声を掛ける。
副隊長がこっちを向いて、分かりましたと答えた。ほらな。言ってみるもんだろ。隣の顔が明るくなったので、俺もついでに手を上げた。
「俺もお願いします!」
「はい。戻りましたら、ぜひ」
「少しは手加減してくださいね!」
そこは言っておかないとな。
周りが笑って、副隊長も笑った。隊長までこっちを見ている。見えるって言っただろ、という顔を隣へ向けたら、若いのも頷いた。
隊長が道を開くと、その向こうに山が見えた。
何度見ても慣れないな、あれ。俺がせっせと歩いている間に、あの人はこんな道を通ってるんだ。そりゃ、ふらっといなくなるわけだよ。これで戻ってきた時に珍しい菓子を持ってなかったら、一つくらい文句を言ってもいい気がする。
副隊長が皆へ頭を下げた。
留守を頼まれ、あちこちから返事が上がる。俺も声を出した。任せてくださいって。槇島三席たちの後ろで言うことじゃないかもしれないが、俺だってここで働く一人だからな。
隊長が手を上げる。
俺たちも振り返した。副隊長は道へ入ってからもう一度こちらを見て、俺の隣の若いのが、今度は遠慮せずに大きく手を振った。
やがて、向こうの山が見えなくなった。
隊長も副隊長もいなくなって、門の向こうはいつもの道に戻る。あっさりしたもんだな。五十年も会わないのに、明日にはまた、何食ってるのって声を掛けられそうな気がする。
「行っちゃいましたね」
「ああ」
「先輩は、隊長を何回見送ったんですか」
「覚えてねぇな。見送らないうちに出てたことも多いし」
「じゃあ、迎える方が多いんですね」
「そうなるな」
戻ってきた時に、俺が門の辺りにいることもある。
ただいまって言われて、お帰りなさいって返す。それから、いつ帰ったんですかと聞かれて、今だよって隊長が答える。あのやり取りを、今まで何度しただろうな。
五十年後も、できれば俺が最初に言いたい。
その日は朝飯のおかわりを我慢するか。いや、帰ってくる時刻まで聞いてないから、どうしようもないな。
「俺、隊長の卍解もいつか見てみたいです」
「そうか」
「先輩は見たことあります?」
おいおい。
それを聞くのか。
こんなに長く待ってた質問を、見送った後でしてくるとはな。俺は少し顎を上げた。気づいてもらえただろうか。今、随分と得意な顔をしてるぞ。
「あるぜ」
「本当ですか?」
「ああ。昔の戦争でな」
「どんな卍解なんです?」
何ができるかを聞いてるんだろうな。
困った。俺が一番ちゃんと話せるのは、綺麗だったってことなんだ。空を見上げた時のことも、白い髪が揺れたところも、まだ覚えてる。あれだけ昔のことなのに、そこは忘れない。
「空に星が出るんだよ」
「星、ですか?」
「そう。見たことないくらい、綺麗な夜空になる」
若いのが上を見る。
今は朝だから、当然、星なんか出ていない。俺もつられて見上げた。あの人がもういない空を二人で見ていたら、後ろから稽古へ行くぞと呼ばれた。
「続き、後で聞かせてください」
「おう。長くなるぞ」
「先輩の話、いつも長いじゃないですか」
言うようになったな、こいつ。
俺が笑うと、あちらも笑った。先に皆のところへ走っていくので、俺は腰の刀を直して後を追う。今日は稽古だ。五十年後に副隊長へ相手を頼んだばかりだから、俺も少しくらいは頑張らないとな。
門を離れる前に、もう一度だけ空を見た。
白い髪も衣も、今はどこにも見えない。でも、思い出すと綺麗なんだ。あの夜、俺が見上げたところに、あの人がいてくれた。
あぁ、隊長の卍解で広がるあの綺麗な夜空、また見てぇなぁ。