卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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積もる歳月 埋もれぬもの
白き静寂 誰が住まう




11.白嶺の隠者

 

 

 峠を越えた先に道があると聞いたのは、麓の村だった。夏なら三日で向こうへ出られるという。冬に入る者はいないとも言われたが、雪が降るまで待ってから山へ入った。

 

 人のいるところを歩けば、道は次の村へ続いている。飯にも寝床にも困らず旅を続けられる反面、気づけば似たような場所ばかり選んでいた。山本の下を離れてから何度も山を越えたが、道のない方へ進んだことは案外少ない。

 

 初めの二日は木々の間を歩いた。三日目には木が低くなり、四日目には雪から顔を出した岩しか見えなくなった。教わった峠はとうに通り過ぎている。遠くに見えた峰へ向かっていたら、いつの間にか山の奥へ入り込んでいた。

 

「お前様。向こうへ下りるのではなかったので?」

「そのつもりだったんだけどな。あっちの方、誰も行ったことがないって言われたからさ」

「それで、わざわざ」

「何があるのか気になるだろ」

 

 返事の代わりに小さな溜息が聞こえた。俺は襟を寄せ、雪の斜面へ足を踏み入れた。

 

 寒さは感じる。五百年も野宿をしてきた身体だが、冷たいものが平気になったわけではない。ただ、このくらいで動けなくなることもなかった。足を取られる方が面倒で、膝まで埋まる雪をしばらく歩いた後は岩の上を渡っていった。

 

 やがて風が強くなった。踏み出した足の先が見えなくなり、顔を上げると雪が目へ飛び込んでくる。さっきまで目印にしていた峰も消えた。

 

 目を閉じ、周囲へ意識を広げる。左には崖があり、右には斜面が続いていた。降ってくる雪まで一つずつ捉えようとすると、地形を追う方が疎かになる。動くものを追うのをやめ、雪の下にある岩へ意識を向けた。

 

 岩伝いに進んでいくと、風の弱まる場所があった。大きく張り出した岩の下へ入り、肩に積もった雪を払う。奥は浅かったが、腰を下ろす場所くらいはある。

 

「今日はここで寝るか」

「まだ昼でありんす」

「進めなくはないけど、何も見えないんじゃ来た甲斐がないからな」

 

 荷を置いて指先に火を灯した。冷えた手をかざしてから、持ってきた干し肉を取り出す。外では風が唸り、時折、岩の上から落ちた雪が入口を塞いだ。

 

 飯を食い終えた後も、風は止まなかった。俺は懐から紙の束を出しかけ、そのまま手を戻した。吹き込んだ雪で濡らすこともない。今日は筆を持たず、外を眺めていようと思った。

 

 人の声も、家畜の鳴く声も聞こえない。近くに誰かの霊圧を感じることもなかった。けれど岩の向こうには山が続き、その上を絶えず雪が流れている。

 

「ゆめ。こういうところ、嫌いか」

「寒いのは、お前様の方でありんしょう」

「まあな。でも、悪くないだろ」

 

 刀を膝へ横たえた。吹雪が収まったら、もう少し上まで行ってみるつもりだった。

 

            *

 

 風が止んだのは、翌朝だった。岩の下から這い出ると、昨日まで歩いていた斜面が朝日に照らされていた。足跡は一つも残っていない。荷を背負い、膝に積もった雪を落としてから上へ向かった。

 

 尾根へ出ると、向こうにも山が続いていた。白い峰が幾つも重なり、その間へ雲が沈んでいる。麓から見えていたのは、この山並みの端だったらしい。来た方を振り返ったが、村のあった辺りはもう分からなかった。

 

「随分、広いな」

 

 前世で読んでいた頃、尸魂界(ソウル・ソサエティ)といえば瀞霊廷(せいれいてい)と、その周りの流魂街(るこんがい)だった。俺が五百年かけて歩いた土地も、山本の下を離れてから見た景色も、その外へ幾らでも続いている。漫画に出てこなかったというだけで、ここにも山があり、雪が降っていた。

 

 尾根に沿って歩いていると、谷底に黒いものが見えた。岩かと思ったが、雪の中へ四角く収まっている。足を止め、目を凝らした。

 

 屋根だった。

 

「……家?」

 

 周りに道はない。煙も上がっていなかった。半ば雪に埋もれた廃屋を、上から見つけたのかもしれない。けれど近づくにつれ、妙なところが見えてきた。

 

 家の前だけ、土が出ている。

 

 斜面を下り、庭らしい場所の手前へ立った。足元には深く雪が積もっているのに、一歩先には小石が転がっていた。境目に雪かきの跡はなく、退けた雪の山もない。踏み込んでも暖かくはなかった。吐いた息は白く、軒先の桶には氷が張っている。

 

 戸の向こうで物音がした。続いて、木の擦れる音が聞こえた。

 

「入るなら、足の雪を落とせ」

 

 戸が開き、老人が顔を出した。白い髪を後ろで結び、継ぎの当たった着物を着ている。片手には箒を持っていた。

 

「住んでたのか。悪い、上から屋根が見えたもんで」

「見れば分かる。戸口で喋られると寒い。入らんのか」

「入っていいなら、お邪魔するよ」

 

 草履についた雪を払い、戸をくぐった。中には炉があり、鍋が掛かっていた。火は小さい。家の周りの雪を溶かせるようなものではなかった。

 

 荷を下ろすと、老人は向かいへ座り、椀に湯を注いだ。差し出されたものを受け取ってから、開いている戸へ目を向ける。風に運ばれた雪が庭へ流れ込み、途中で脇へ逸れていった。

 

 老人は鍋をかき混ぜている。庭を見てもいない。

 

「爺さん。外の雪、何かしてる?」

「積もらんようにしとる」

「それは分かるんだけどさ。どうやって?」

「お前は、人の家に上がって最初に聞くことがそれか」

 

 顔を戻すと、老人は俺の椀を指した。

 

「冷めるぞ」

「ああ。ありがとう」

 

 湯を飲んだ。茶の味はしなかったが、冷えた口にはありがたかった。老人が箒を置くために立ち上がる。その間も、外を流れる雪は庭の手前で逸れ続けていた。

 

 刀を腰から外し、荷の隣へ置いた。ゆめの声は聞こえない。俺と同じように、目の前の老人を見ているのだろう。

 

「ここ、長いこと住んでるのか」

「長いな」

「ずっと、この雪の中で?」

 

 老人は戸の外へ目を向けた。俺が下りてきた斜面より、その向こうを見ているようだった。

 

「昔は、下に湖があった」

 

 尾根から見た谷底を思い出した。家の下には深い谷があり、その底まで白く埋まっていた。

 

「水があった頃は、もう少し人も来たがな」

 

 老人はそう言って戸を閉めた。俺は椀を両手で持ったまま、雪に埋まった谷の景色を思い返していた。

 

 鍋には芋が入っていた。老人は二つの椀へ取り分け、片方を俺の前へ置いた。荷から干し肉を出すと、少し眺めてから受け取り、歯で端を噛み切った。

 

「下から来たのか」

「ああ。四日くらい歩いたかな」

「物好きじゃな。向こうに道があったろう」

「そっちはまた今度でいいよ」

 

 芋は柔らかかった。どこで手に入れたのか尋ねると、家の裏で作っているという。雪の積もらない場所は庭だけではないらしかった。

 

            *

 

 飯を食い終えると、老人は空の桶を持って立ち上がった。水を汲みに行くと言うので、俺も腰を上げた。

 

「持つよ。飯、ご馳走になったし」

「なら、もう一つ持ってこい。戸の脇にある」

 

 二つの桶を持って後を追った。老人は庭を横切り、家の裏へ回った。そこにも土が出ている。短く刈られた畑の脇を通り、雪の間へ続く細い道を下りていった。

 

 俺が通った後には草履の跡が残った。けれど老人の足元には、雪そのものがなかった。踏み出す先で左右へ割れ、通り過ぎるとまた落ちてくる。裾も濡れていない。

 

 後ろから霊子の動きを追った。雪は溶けても、砕けてもいなかった。道を空けるように動き、老人から離れると元の斜面へ落ちていく。

 

「爺さん、そこでもやってるのか」

「雪に埋まって歩けんじゃろう」

「俺も退けるくらいならできるんだけどさ」

 

 空いた指先へ力を集め、前の雪を横へ押した。足元に土が見える。もう一歩進むために、その先も退けた。老人が振り返ったので、力を引くと脇へ寄せていた雪が崩れ、草履へ被さった。

 

「ほれ。入ったぞ」

「そうなんだよな」

 

 足を振って雪を落とし、先を行く背中を追った。俺なら足元へ力を向け続ける。歩く方へ合わせて、雪を退ける範囲も動かす。老人も同じことをしているのかと思ったが、流れる力を捉えようとしても、雪が動くところばかりが目についた。

 

 力を隠すのが上手いのか。長く使っているから、俺が気づかないほど僅かな力で済むのか。何度見ても、まだ分からなかった。

 

 岩の間から水が流れていた。老人はそこで足を止め、俺から桶を受け取った。縁を水へ沈めながら、こちらを見る。

 

「お前は、さっきから何を見とる」

「雪を動かす時、どう力を使ってるのかと思って」

「気になるか」

「かなり」

 

 老人は満ちた桶を持ち上げ、俺へ渡した。

 

「なら、自分の桶が溢れんように見とけ」

 

 渡された拍子に水が揺れ、袖へ掛かった。老人は鼻で笑い、もう一つの桶へ水を汲んだ。俺は濡れた袖を捲り、桶を持ち直した。

 

 帰り道も、老人の前では雪が割れた。家へ戻ると、軒先で桶の水を甕(かめ)へ移す。庭の端まで意識を広げてみたが、途中で老人に呼ばれた。

 

「もう空じゃ。いつまで傾けとる」

「ああ、悪い」

 

 桶を下ろし、戸口に立つ老人へ向き直った。

 

「爺さん。しばらく、ここにいていいか」

「山を越えるんじゃなかったのか」

「急いでるわけじゃないんだ。薪割りでも水汲みでもやるからさ」

 

 老人は俺の手から桶を取り、軒下へ並べた。それから家の中を顎で指す。

 

「寝るなら奥を片づけろ。鼠がおる」

「そっちは追い出してくれないのか」

「雪より賢い。勝手に入ってくる」

 

 思わず笑った。老人はもうこちらを見ず、炉の方へ戻っていく。俺は戸口で草履を脱ぎ、置いていた荷を奥へ運んだ。

 

「気に入られなんしたね」

「水、零してたけどな」

「次は零さず運べばよろしゅうありんす」

 

 ゆめにそう返され、刀を壁際へ置いた。床に積まれた籠をどかすと、本当に鼠が走り出した。追いかける前に棚の裏へ消えてしまい、俺は空けた場所へ荷を下ろした。

 

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