穏やかなる声に 問いは潜み
重なりし袖に 道は続く
「十番隊は、子守りまで始めたんですか」
平子が部屋へ入ってきて、最初にそう言った。
俺は膝へ置いていた紙から顔を上げる。佐伯が戸口へ目を向けたが、平子はもう勝手に座っていた。隣へ連れてきた者には、そこに立っとかんでええと手を振っている。
「白哉のこと?」
「ほかにもおるんですか」
「夜一も来てるよ」
「ほな、二人分ですね」
「あいつら、自分で帰れるけどねぇ」
平子が俺を見る。
帰れるかどうかの話やないでしょう。そう返され、隣で佐伯が小さく咳払いをした。笑うなら笑ってくれていいよ。白哉も夜一も、帰る時にはちゃんと挨拶していったでしょう。
「どこで聞いたの?」
「六番隊の連中が言うてましたよ。白哉様が、今度はいつ十番隊へ行けるか聞いてはるて」
「そっか。また来てくれるんだねぇ」
「嬉しそうですね」
「うん。よく走るから、見てると面白いよ」
「見てるだけで済んでへんいう話も聞きましたけど」
そこまで届いていたのかい。
俺が佐伯を見ると、あいつは首を振った。疑ってないよ。けれど平子は、そのやり取りまで見て笑っている。今日は随分と喋る用事がありそうだねぇ。
茶を頼もうとして立ちかけると、平子が懐から紙を出した。
「その前に、こっちをお願いします。これ渡すために来たんですから」
「お前さんが喋り始めたんじゃないか」
「黙って渡して帰ったら、愛想ない言うでしょう」
言ったことはないと思うよ。
紙を受け取り、佐伯の方へも寄せる。流魂街の地図だった。道の脇に印があり、その下へ小さく人数が書き添えてある。
「虚?」
「ええ。五番隊で追うてます。ただ、出たいう場所が離れすぎてまして。同じ奴が動いとるんか、別々におるんか、まだ分かりません」
「十番隊も出るんだね」
「そっちへ話が回る前に、道だけでも見てもらえたら思いまして。前に、おたくの組が通ったところですやろ」
佐伯の指が、川沿いの線を辿る。
俺もそこを見た。ああ、この道かい。昔はもう少し狭かった。川が増水するたびに土が崩れるので、荷を持った子を向こう岸へ渡したことがある。
「橋は、まだここ?」
「一本増えてます。そっちは新しい方です」
「じゃあ、こっちも通れるようになったんだねぇ」
そう言って指を置くと、平子の隣から声がした。
「そちらは、荷を運ぶ者がよく使っているようです」
顔を上げる。
茶色い髪の男だった。眼鏡の向こうから地図を見ていたが、こちらと目が合うと穏やかに頭を下げる。
「申し遅れました。五番隊の、
指が、紙の上で止まった。
藍染。
喜助と会った時には、顔を見て懐かしくなった。白哉にも、もうこんな歳かと思ったねぇ。けれど今は、返事をする前にそいつの腰へ目が行ってしまった。
刀がある。
そりゃ、あるでしょう。死神なんだから。
「……烏有玄十郎。よろしくねぇ」
「こちらこそ。以前から、お話は伺っております」
「俺の?」
「はい。先日の佐伯副隊長と雀部副隊長の手合わせも、見事なものだったと」
「そっちは、佐伯の話だねぇ」
あいつへ顔を向ける。佐伯は頭を下げたが、藍染はそちらへも身体を向けて、いつか御指導いただければと続けた。
声は柔らかかった。
俺が昔覚えていた声にも、よく似ている。顔と名前が揃えば、忘れたと思っていたことまで出てくるものだねぇ。
「何や、烏有隊長。こいつの顔に何かついてます?」
平子に言われ、もう一度そちらを見る。
藍染も俺を見ていた。俺は地図へ指を戻し、首を振る。
「いいや。どの道を通ってきたのか、聞こうと思って」
「でしたら、こちらから」
藍染が地図へ手を添えた。
*
説明は分かりやすかった。
虚が出た家。逃げた者が使った道。五番隊が着いた時に、まだ人が残っていた場所。藍染は聞いた話と自分で見たものを分けて、順に教えてくれた。
平子はその間、黙っていない。
「そこは、お前が来る前や。先に行った組が見てる」
「ええ。その者にも確かめました」
「ほな、こっちへ書いといて。後から見たら、お前も一緒におったように読める」
「分かりました」
藍染が紙の端へ書き足す。言い返さず、筆を置く前に平子へ見せた。平子も頷き、今度は川の上へ指を置く。
「ここから先は、十番隊の方がよう知ってるでしょう」
「佐伯。この辺り、榛名と行ってたね」
「はい。ただ、家が増えているようです。以前は、この道を抜ければ畑へ出ましたが」
「今は家が並んでます。間を通れる道もあるんで、そっちは明るいうちに確かめときたいんです」
佐伯が頷く。
俺も地図を覗いたまま、藍染の指を見る。爪の先に墨が少しついていた。自分で書いた紙なんだねぇ。道の曲がるところまで、細かく直してある。
こいつが、ここにいる。
平子と同じ紙を見て、うちの副隊長へ頭を下げている。
知っている名前を聞いたからといって、今すぐ刀を抜くつもりにはなれなかった。目の前ではまだ、誰も害されていない。俺の覚えていることだけで斬れば、それを止めるのは先生たちになるだろう。
けれど、何も知らない顔で忘れるわけにもいかないねぇ。
「烏有隊長は、この辺りへもよくおいでになるのですか」
藍染が尋ねた。
「昔はね。今は道まで変わってるから、佐伯に聞いた方が早いよ」
「長く旅をなさっていたと伺いましたので。瀞霊廷を離れておられる間も、任務で各地を?」
「任務じゃない時も多かったよ。気になったところへ行って、帰るのが遅くなっちゃった」
「遅いで済む年数やないんですわ」
平子が横から言う。
「先に帰る日ぃ決めとかんと、こっちの隊長がおらん間に副隊長まで強うなって戻ってきますからね」
「佐伯は、帰る日を決めてたよ」
「ほな、ほかは決めてへんのですね」
「……大体は」
「大体」
平子が繰り返す。
佐伯が茶を受け取りに立ったので、俺も少しそちらを見た。助けてくれないんだねぇ。藍染は口元を緩めたが、俺が見ると、もう地図へ目を戻していた。
「道を御存じでしたら、現地でもお力をお借りできるかと思いました」
「うん。俺も行くよ」
「隊長御自身が?」
「気になるところもあるからねぇ」
平子が顔を上げた。
「ほな、先に言うときます。勝手に一人で奥へ行かんといてください」
「お前さん、会うたびにそれを言うね」
「言うた先から行く人がおるんです」
茶を持って戻った佐伯まで頷いた。
俺は湯呑を受け取り、まず一口いただく。平子はまだこちらを見ていたが、地図を畳もうとはしなかった。
よかったよ。今日は、これから行く道の話をしていられる。
*
川へ着いた頃には、日が高くなっていた。
新しい橋は、思っていたより広い。荷車が一台渡り、その後ろから子供が二人ついていく。昔、俺が腕を貸した子は、もうこの辺りにいないだろうねぇ。欄干へ手を置くと、削った木の匂いがまだ少し残っていた。
「烏有隊長。皆、渡りました」
榛名に呼ばれ、手を離す。
十番隊からは榛名の組を連れてきた。佐伯も後ろを確かめ、橋を下りてくる。五番隊は道の先で二つに分かれ、平子がそれぞれへ声を掛けていた。
「家ん中へ入る前に呼べよ。人が逃げるからいうて、虚までおらんとは限らんで」
隊士が返事をする。その横で藍染が地図を渡し、先へ出る者と一緒に道を見ていた。俺は平子の隣へ立ち、屋根の向こうへ目を向ける。
「人は、戻ってきてるんだねぇ」
「昼のうちはな。夜は、川の向こうの親類んとこへ行く者もおるそうです」
「じゃあ、暗くなる前に見つけたいね」
「ええ。そう毎日、家ぇ空けてもおれんでしょうし」
平子が歩き出す。
俺もついていこうとしたところで、横の家から男が出てきた。手へ巻いた布が赤く染まっている。榛名が声を掛けると、男は隣の家を指した。
「奥に、まだ一人おります。昨日、足をやられて」
「動かせないの?」
「立てません。今朝から、熱も」
俺が家へ向かうと、佐伯が先に戸を開けてもらった。土間の向こうへ男が一人寝ている。掛けてあった布を取ると、腿に深い傷があった。
これは、昨日から痛かったでしょう。
傍へ膝をつき、傷へ手を当てる。男の身体が強張ったので、今から少し楽になるよと伝えた。佐伯が水を借り、傷の周りを拭いてくれる。
「虚にやられたの?」
「……はい。家の脇から、急に」
「どっちへ逃げたか、見えた?」
「裏の方へ。ですが、白い顔が塀より高くて……その後は、分かりません」
頷いて回道を続ける。
大きい相手なら、家の間を通る時にもどこかへ触れる。けれど男が示した裏の塀は、ちゃんと残っていた。俺がそちらを見ると、戸口にいた平子も気づいたらしい。
「藍染。裏、見てきて。二人連れてな」
「はい」
藍染の足音が遠ざかる。
俺は傷から目を離さず、霊力を通した。男の呼吸が少しずつ落ち着く。握っていた手も緩んだので、水を飲んでもらい、その間に佐伯へ表の様子を聞いた。
「周囲には、今のところ」
「うん。皆、二人ずつで動いてもらってね」
「承知しております」
佐伯が立つ。
平子は戸口へ残っていた。外を見ながら俺へ顔を向け、治るんですかと尋ねる。
「歩けるところまではね。傷が塞がっても、今日は休んでもらうよ」
「ほな、運ぶ組を一つ残します。こっちの道を空けとけば、向こう岸までもすぐですし」
男が何か言おうとした。
礼はまだいいよと返すと、口を閉じて頷く。俺もその顔へ笑ってから手を戻した。話せるくらいになったのなら、もう少しだねぇ。
外で、短く何かが擦れた。
平子の顔が動く。俺も手を止めずに戸の方を見た。屋根の上で音がする。瓦を踏むほど重くはない。けれど、小さなものがいくつも走っていた。
「榛名」
呼ぶと、すぐ返事が来た。
「皆を家から離して。道の真ん中へ」
「はい!」
平子が外へ出る。
その背が戸口を抜けたところで、軒下から白い爪が伸びた。俺たちの前を通り、土間へ寝かせた男へ向く。
俺は左手を上げた。
「
爪へ糸が巻きつく。引かれた相手が軒を掴んだので、そこも巻いて地面へ落とした。細長い身体が土間で跳ねる。顔の半分ほどを占める口が開き、男が悲鳴を上げた。
「大丈夫。こっちへは来ないよ」
傷から右手を退け、刀を抜く。
起き上がろうとした虚の首へ刃を通した。佐伯が男の前へ立ち、崩れた土壁から降ってきた欠片を払う。
外でも刀の音がした。
「小さいのが三つ! 上、気ぃつけろ!」
平子の声が通る。
俺は刀を納め、男の傷へもう一度手を当てた。足はまだ動かせない。ここで途中にしたら、運ぶ子たちまで困るからねぇ。
「佐伯。外をお願い」
「はい」
あいつが戸口へ向かう。
その前に、屋根からもう一つ落ちてきた。佐伯は足を止めずに刀を抜き、頭から斬り下ろす。身体を避けて外へ出ると、今度は榛名たちへ声を掛けていた。
任せられるね。
俺も男へ顔を戻した。目が合うと、そいつは息を詰めたまま俺を見ていた。
「もう少しだけ、じっとしててねぇ」
「……はい」
外の足音が遠ざかる。
ほどなく、裏へ回っていた藍染の声も聞こえた。
「こちらにもおります。塀の下からです!」
平子が返事をする。俺は傷が塞がるところを確かめ、男の膝へ手を添えた。ゆっくり曲げてもらうと、さっきほど顔は歪まない。
よし。運んでもらおうか。
榛名を呼ぶと、すぐ二人連れてきてくれた。男を担架へ移し、表へ出てもらう。その後ろから庭へ出ると、平子が屋根の端から降りてきた。
「大きい奴を探してたら、こっちですわ」
「塀より高かったって言ってたね」
「ええ。ほな、あれとは別です」
白い仮面が、道へ転がっていた。
小さいねぇ。男の見間違いだったと済ませるには、随分と大きさが違う。
裏の道から藍染が戻ってくる。刀には血がついていたが、連れていった二人も一緒だった。平子へ数を伝え、川の方を示す。
「床下へ潜り込めるものがおります。空き家だけでなく、人のいる家も調べた方がよいかと」
「せやな。十番隊とも組み直そか」
「うん。見つけた子だけで追わないようにしよう」
佐伯が近づいてくる。
俺が口を開く前に、榛名の組を分けるところまで考えてくれていた。平子も五番隊の者を呼び、二隊を混ぜて家へ向かわせる。
藍染はその傍で、次の道を確かめている。
今は、同じ虚を探している。
俺はあいつから目を離し、刀の柄へ手を置いた。まずは、この家々へ戻ってくる者が、今夜ちゃんと眠れるようにしようか。