譲りし名に 刃は残り
救いし命に 道は続く
「お前の副隊長、もう一度やるって言ってるぞ」
十一番隊へ顔を出すと、刳屋敷が笑っていた。
その向こうで佐伯が刀を拾う。右手を一度握り直してから、こちらへ頭を下げた。先に来ているとは聞いていたけれど、もう始めていたんだねぇ。俺を迎えに来てくれた子まで、門を閉めるとすぐ庭へ戻っていく。
「何度目?」
「次で四度目です」
「お前さんに聞いたんじゃないよ」
「こちらは、まだ数える余裕があるようなので」
佐伯が返すと、刳屋敷が声を上げて笑った。
あら。言うようになったねぇ。
庭の端へ腰を下ろす。周りには十一番隊の子たちがいて、俺が座ると少し場所を空けてくれた。佐伯が地面へ刀を向け、刃についた土を払う。その間も刳屋敷は待っていた。
「手は?」
「握れます」
「なら来い。さっきは退くのが早かった」
「はい!」
佐伯が踏み込んだ。
肩へ入れた刀を刳屋敷が受ける。重い音がした。押し返される前に佐伯が刃を離し、脇へ回って斬り上げる。刳屋敷は身体ごと向きを変え、その刀へ上から打ちつけた。
佐伯の膝が沈む。
そこで退かなかった。柄へ左手を添え、刃を斜めに滑らせる。刳屋敷の刀が地面を削ったところへ、胸を狙って突きを出した。
「そうだ!」
刳屋敷の左手が佐伯の腕を払う。
切っ先が肩の外へ抜けた。佐伯もすぐに刀を引いたが、その柄へ相手の柄頭がぶつかる。指が開き、刀が宙へ上がった。
今度は落とさずに掴んだねぇ。
けれど、拾い直した刀を上げる前に、刳屋敷の刃が胸の前へ止まっていた。
「……参りました」
「ああ。今のはよかったぞ」
刳屋敷が刀を下げる。
佐伯は礼をしてから、自分の手元を見た。悔しい顔だ。俺のところへ戻ってくる間にも、左手で右の指を触っている。
「最後、柄を見てた?」
「見えてはいたのですが」
「刀を取られないようにすると、胸が空くねぇ」
「はい。どちらも、と思ったところへ」
両手を少し動かす。
俺も同じようにやられたことがある。刀へばかり力を入れていたら、爺さんに額を小突かれた。あの人は刀を持った手でも、空いた手でも、よく俺を殴ってくれたねぇ。
刳屋敷がこちらへ来た。
「前にやった時とは、別人だな」
「お前さんも、よく付き合ってくれてるね」
「こいつが頼みに来るんだ。断る理由もねえよ」
佐伯が少し顔を上げる。
そうかい。俺の知らないところでも、ちゃんと続けていたんだね。
「今日は、お前もやるだろう」
「そのつもりで来たよ」
「よし」
刳屋敷が笑って庭へ戻った。
俺も立つ。佐伯が場所を空け、十一番隊の子たちまで後ろへ下がった。そんなに離れなくてもいいのにと思ったが、刳屋敷の顔を見ると、こちらへ来る足がもう決まっていた。
「始解までな」
「うん。庭は残そうねぇ」
「お前が飛び回らなけりゃ残る」
言い終わるより先に、刀が来た。
受けると手の中で柄が鳴った。いいねぇ。俺が刃を傾けると、刳屋敷は押しつけるのをやめ、すぐ次を肩へ落としてくる。
その下へ入った。
刀を合わせたまま懐へ寄り、空いた手で脇腹へ触れる。刳屋敷は肘を下げて受け、俺の足を踏もうとした。
「おっと」
「まだ逃がさねえぞ!」
足を抜いたところへ刀が返る。
俺も受けた。今度は少し強く押し返す。刳屋敷の踵が土を削り、その顔がますます楽しそうになった。
後ろで誰かが声を上げる。
佐伯も何か言っていたが、次の刀が来たので聞きそびれた。後で尋ねよう。今はもう少し、こいつと付き合っていたい。
*
十日ほどして、京楽が十番隊へ来た。
佐伯と一緒に茶を出すと、盃ならないのかいと言う。昼から飲むつもりだったのかと思ったけれど、持ってきた包みは机へ置かれたままだった。
「刳屋敷に、挑戦者が来たよ」
俺は湯呑から顔を上げた。
「剣八の名を?」
「そう。君にも知らせておこうと思ってね」
「刳屋敷は?」
「受けた」
短い返事だった。
あいつなら、そうするだろうねぇ。
佐伯が京楽を見る。先日、打たれたところはもう治っている。けれど刀を合わせた相手に挑む者が来たと聞いて、すぐには茶へ手を戻さなかった。
「どのような方ですか」
「痣城双也。僕も、まだよくは知らないんだ」
その名を、頭の中でもう一度呼んだ。
痣城。
聞き覚えはある。剣八の名と一緒だったか、それとも無間の話だったか。思い出そうとすると、別の顔や言葉まで浮かんでくる。
目の前の刳屋敷は、十日前にも笑っていた。
俺は湯呑を置く。
「いつ?」
「明後日。立ち合いは僕が頼まれた」
「俺も行くよ」
「うん」
京楽は、そこでようやく茶を飲んだ。
*
刳屋敷は、いつもの顔で俺たちを迎えた。
広い野に十一番隊の者たちが集まっている。俺へ挨拶をした子が、佐伯にも頭を下げた。稽古の時に見ていた顔だ。今日は刀の音がしないので、草を踏む音がよく聞こえた。
「お前まで来たのか」
「京楽が教えてくれたからねぇ」
「そんな顔をするような話じゃねえだろう」
「俺、どんな顔してた?」
刳屋敷が俺を見て、少し笑う。
「佐伯が俺に打たれた時と、似たような顔だ」
「じゃあ、お前さんも気をつけてよ」
「ああ。こいつらの前で、無様には負けられねえな」
後ろの隊士たちへ顔を向ける。
返事が幾つも上がった。刳屋敷はそれを聞いてから、肩へ掛けていた羽織を外す。近くの者へ預ける手つきまで、稽古の日と同じだった。
少し離れたところに、男が一人立っていた。
細い身体だった。こちらへ目を向けたが、挨拶を交わすほど近くへは来ない。刀を握る手を見ようとして、俺はその腰へ目を落とした。
刳屋敷が歩き出す。
京楽も二人の間へ出た。名と意思を確かめる声が、静かな野へ通る。痣城の返事にも迷いはなかった。
「十一番隊隊長の座と、剣八の名をいただく」
刳屋敷が笑う。
「取れるものなら、取ってみろ」
刀が抜かれた。
京楽が下がる。俺は佐伯の隣で、二人を見ていた。
刳屋敷の足が草を踏む。
次の瞬間、痣城の前へ刀が走った。男の身体へ届いたはずの刃が、その向こうへ抜ける。
浅くもない。避けたようにも見えなかった。
刳屋敷もすぐに刀を返す。今度は首へ。痣城の顔は動かず、その手だけが僅かに上がった。
俺の頬へ、細い痛みが来た。
離れたところで草の先が揃って落ちる。佐伯が刀の柄へ触れたので、俺はその腕を押さえた。
「まだ、抜かないで」
刳屋敷は立っている。
頬に赤い線がついていた。けれど目は痣城から離れず、刀を持つ腕にも力が残っている。
俺は周りへ目を向けた。
風が通っている。草も揺れる。さっき顔へ触れたものを探そうと、指先から霊力を細く伸ばす。
触れた。
空気の中に、男の霊力がある。
俺がそちらへ顔を戻した時、刳屋敷の胸が大きく裂けた。
「隊長!」
声が上がる。
刳屋敷の刀が地面へ落ちた。膝をつきかけた身体が、一度だけ持ち直す。口から血が溢れ、それでも後ろを振り返ろうとしていた。
俺は、もう隣へ入っていた。
「喋らなくていい」
胸へ手を当てる。
掌の下へ血が流れ込んだ。外から斬られただけではない。霊力を通すと、奥で切れたところへ触れる。
刳屋敷が俺を見る。
「……まだ」
「分かってる。お前さんの隊だね」
顔を上げると、十一番隊の者たちが刀を抜きかけていた。佐伯がその前へ出る。京楽も痣城との間へ立ち、こちらを一度見た。
俺は頷く。
勝負は、ついている。
「刳屋敷は戦えない。そこまでだよ」
京楽の声がした。
俺は白縫を伸ばし、胸から流れる血を拭った。見えたところへ回道を通す。傷の奥で霊力が乱れ、塞ごうとした端がまた離れた。
そこに、別の霊力が残っている。
痣城へ目を向けた。
「もう離れてくれるかい。治す邪魔になる」
「……救命するのか」
「そうだよ」
男の目が、俺の手へ落ちる。
掌の下で、傷を引いていた力が消えた。俺はすぐに霊力を深く通す。切れたところを寄せ、血が漏れる先を塞いだ。
刳屋敷の指が、俺の袖を掴んだ。
「こいつらを」
「京楽がいる。佐伯もいるよ」
向こうから、佐伯の声がした。
「刀を納めてください。隊長は、今も治療を受けておられます!」
刳屋敷の目がそちらへ向く。
俺はその肩を支え、ゆっくり地面へ寝かせた。何か言おうとするので、首を振ってみせる。
「後で聞くよ。俺はここにいるから」
血のついた口が、僅かに動いた。
今度は声にならなかった。けれど袖を掴んでいた手から力が抜け、胸が浅く上下する。
よし。
もう少し、付き合ってもらおうか。
背後で痣城が何か言った。京楽が答える声もしたが、俺は顔を上げなかった。胸の奥へ流している霊力を、ここで切りたくはない。
佐伯が膝をつく。
「四番隊へ知らせを出しました」
「うん。こっちの布を押さえて。強くしなくていいよ」
あいつの手が、俺の隣へ入った。
震えてはいない。刳屋敷の顔を一度見てから、言った通りのところを押さえてくれる。
この前、その手へ刀を打ちつけた男だ。
また頼みに来られるように、ちゃんと治して帰ろうねぇ。
*
「もう、起きてもいいだろう」
刳屋敷がそう言った時、烈は薬を置いているところだった。
俺は隣で蜜柑を剥いていた。佐伯が持ってきてくれたものだ。一つ渡そうと顔を上げると、烈が先に刳屋敷を見る。
「昨日も、同じことを仰いましたね」
「昨日より動く」
「動かして、確かめられたのですか」
刳屋敷の返事が止まった。
俺は剥いた蜜柑を皿へ置く。笑うとこちらまで叱られそうなので、ひと房取って口へ入れた。
あれから、半月になる。
最初の数日は俺もここへ泊まった。烈へ任せて帰ろうとしたところで、刳屋敷の手が動いたからだ。目を開けるかと思って待っていたら、結局、朝になってしまった。
今日は自分で蜜柑を取れる。
それだけでも、随分と嬉しいねぇ。
「寝ていてください。歩く時には、こちらの者をお呼びになるように」
「ああ」
「烏有さんも、お連れになりませんように」
「まだ誘ってないよ」
「では、引き続きお願いいたします」
烈が部屋を出ていく。
戸が閉じてから、刳屋敷が長く息を吐いた。俺が皿を寄せると、ようやくひと房取る。
「お前も、ああやって叱られるのか」
「うん。前からねぇ」
「そうか」
少し笑った。
しばらく二人で食べる。刳屋敷が手を伸ばすたび、袖の奥から包帯が見えた。まだ刀を振れる身体ではない。本人も分かっているのだろう。皿から手を戻すと、空いた膝の上へ置いた。
「十一番隊の連中は?」
「今日も来たよ。お前さんが寝てたから、また来るって」
「そうか」
「痣城が、隊長になったね」
「ああ。京楽から聞いた」
刳屋敷は窓へ顔を向けた。
外から足音がする。誰かが呼ばれ、返事をして走っていった。あいつはそれが聞こえなくなるまで待ってから、こちらを見る。
「俺が負けたんだ。あいつらにも、そう言っておく」
「うん」
「お前にも、面倒を掛けたな」
「俺は、お前さんを治したかったんだよ」
皿へ目を落とす。
白い筋が少し残っていたので、指で取った。あの日、俺の袖を掴んでいた手が、今は自分で次の蜜柑へ伸びる。
「もう一つ、剥こうか」
「そんなに食わせる気か」
「さっきのは、俺が半分食っちゃったからねぇ」
刳屋敷が笑った。
俺も笑って、新しい皮へ爪を入れる。こいつが起きたら言おうと思っていたことがある。けれど、目を覚ましたばかりの時には、烈に先を越されてしまった。
今日は、ちゃんと喋れるね。
「治ったら、うちへ来なよ」
「十番隊へか」
「うん。先生には、俺から話す」
刳屋敷がこちらを見た。
俺は皮を開きながら、その返事を待った。十一番隊の羽織は、もうここにはない。けれど刀は部屋の隅へ置いてある。あいつが目を覚ました時、最初に確かめたものだった。
「俺を入れたら、稽古が長くなるぞ」
「佐伯も喜ぶよ」
「お前は?」
「俺も。まだ、お前さんとやりたいからねぇ」
蜜柑を二つに分ける。
半分差し出すと、大きな手が受け取った。あの日は、この手がもう一度動くところを見たくて、朝まで待っていた。
「……じゃあ、世話になるか」
刳屋敷が言った。
俺は頷いてから、ひと房食べる。さっきのものより少し酸っぱかった。あいつも同じ顔をしたので、二人で皿を見た。
「これは、俺が選んだんじゃないよ」
「佐伯か」
「うん。後で、お前さんから言っておいて」
「稽古で返すか」
「まずは、歩けるようになってからねぇ」
廊下から足音が来た。
佐伯の声がして、俺たちはそちらへ顔を向ける。入ってきたあいつは二人の顔を見比べ、何かございましたかと尋ねた。
「うん。刳屋敷が、うちに来てくれるって」
佐伯の目が大きくなる。
刳屋敷は寝たまま、片手を上げた。
「よろしく頼む。副隊長」
佐伯が背を伸ばす。
返事をする前に一度だけ、隅へ置かれた刀を見た。それから深く頭を下げる。
「こちらこそ。どうぞ、よろしくお願いいたします」
顔を上げた時には、もう笑っていた。
俺は残った蜜柑を皿へ分ける。三人なら、一つずつ取ればすぐになくなるねぇ。次に来る時には、もう少し持ってこようか。
その頃には、こいつも隣へ座って食えるだろう。