脱ぎし袖にも 縁は残り
迎えし門に 声は満つ
先生は、俺の出した紙をしばらく見ていた。
佐伯が書いてくれたものだ。刳屋敷を十番隊へ迎えたいと伝えたら、まず総隊長へお出しするものをと言われた。俺は先に顔を見て話すつもりだったけれど、こうして持ってくると、先生もすぐには帰れと言わない。
「本人は承知しておるのか」
「うん。来るって」
「傷は」
「隊へ移ってもいいと、烈が言ってくれたよ。刀を振るのは、まだ少し先だけどねぇ」
先生の目が紙から上がる。
「お主が、勝手に連れ出すのではあるまいな」
「それをしたら、ここへ来る前に連れ戻されるよ」
長次郎が横で口元を動かした。
笑ったのかい。お前さんからも、俺がちゃんと待っていたと言ってくれていいんだよ。四番隊へ顔を出した時にも、廊下で会ったでしょう。
先生が紙を机へ置く。
「席次はどうする」
「今いる子たちには、そのまま続けてもらう。刳屋敷は俺の預かりで、まずは皆を見てもらおうと思ってるよ」
「佐伯には話したか」
「はい」
隣から返事が来た。
佐伯が背を伸ばす。先生は俺へ聞いたのだけど、本人がいるならそちらの方が早いねぇ。俺は少し横へ寄り、あいつの前を空けた。
「稽古のほか、隊の任務にも加わっていただければと考えております。ただ、御快復までは卯ノ花隊長の御指示に従っていただきます」
「元隊長を預かることになるぞ」
「はい。刳屋敷殿にも、隊の指示は私からお伝えすると申し上げております」
先生が、佐伯を見ている。
あいつは目を逸らさなかった。刳屋敷へ話した時も、こんな顔をしていたねぇ。寝台の前できちんと座り、退院してすぐ稽古を頼まれてもお受けできません、と先に断っていた。
刳屋敷は笑っていたよ。
言われる前に頼もうとしていた顔だったから、俺も少し笑ってしまった。
「負けた者の居場所まで、お主が決めるつもりか」
先生の声へ顔を戻す。
「俺が誘ったんだよ。来るかどうかは、あいつが決めた」
「十一番隊へ戻る道は選ばなんだか」
「うん。痣城へ譲ったからねぇ」
紙の端へ、先生の指が触れた。
剣八。
あいつが長く呼ばれてきた名だ。俺もつい口にしそうになる。けれど四番隊へ見舞いに来た子がそう呼ぶと、刳屋敷は今の隊長へ使えと返していた。
何度目かには、声が少し大きくなった。
烈に聞こえ、部屋の外から窘められたけれどね。
「十番隊へ来たら、また皆と刀を合わせられる。俺も、そばにいてくれたら嬉しいよ」
先生が俺を見る。
俺はそれ以上、言葉を足さなかった。強いから預かりたいという話なら、佐伯の紙にも書いてある。俺がここへ来て言いたかったのは、そっちだった。
先生が筆を取る。
「預かる以上は、隊へ馴染ませよ」
「うん」
「お主ら二人で遊び歩くために、移すのではないぞ」
「分かってるよ。佐伯もいるからねぇ」
「その佐伯へ、二人分の手間を掛けるなと言っておる」
隣で返事が聞こえた。
俺より先だったので顔を向けると、佐伯はもう頭を下げている。そこはお前さんから、二人ともちゃんと働きますと言ってくれてもよかったんじゃないかい。
紙が戻ってくる。
俺は両手で受け取り、先生へ礼をした。
*
刳屋敷が門をくぐると、庭から人が減った。
逃げたわけではない。全員、こちらへ来てしまった。竹刀を持っていた子までそのまま並んだので、榛名が先に片づけてこいと声を掛ける。
刳屋敷はそれを見て、少し口元を上げた。
「元気だな」
「お前さんが来るの、待ってたからねぇ」
「見舞いの時にも、いつから刀を振れるか聞かれたぞ」
「ここでも聞かれるよ。たぶんね」
横を見ると、佐伯が皆へ手を上げていた。
待ちきれずに口を開きかけた子が、そこで止まる。槇島が後ろの者も呼び、俺たちの前へ場所を作ってくれた。
刳屋敷を連れて、その真ん中へ立つ。
「今日から、うちへ来てもらうことになったよ。皆も、もう知ってるねぇ」
顔を見渡す。
知っているどころか、俺が留守にしていた五十年の間にも、十一番隊へ世話になった子がいる。刳屋敷の方から顔を見つけ、片手を上げた。
「お前、まだ脇が空くか」
声を掛けられた男が、すぐに肘を締めた。
「直しました!」
「じゃあ、後で見せろ」
「はい!」
俺が紹介するところ、もうなくなっちゃったねぇ。
佐伯も少し笑ってから、刳屋敷の隣へ立った。
「御快復までは、療養が優先です。稽古をお願いする場合は、先に私か榛名へ申し出てください」
「素振りを見るくらいはいいだろう」
「そちらは、お願いいたします。ただし、御自身で振ってお見せになるのは」
「分かってる。聞いてるだけにするさ」
刳屋敷が両手を上げる。
その手へ、鷺坂が何か差し出した。木で作った札だった。刳屋敷が受け取り、表を見てから裏返す。
「これは?」
「お部屋の場所です。廊下を曲がられましたら、こちらと同じ札がございます」
「助かる。こっちは、まだ覚えてねえからな」
「庭からでしたら、私が」
別の子が前へ出た。
そちらも見舞いに来ていた顔だ。刳屋敷の荷へ手を伸ばしたが、本人が持ち上げてしまったので、少し困っている。
俺は横から、その包みを取った。
「持つよ」
「このくらいなら平気だぞ」
「俺も、このくらいなら平気だよ」
刳屋敷が俺を見る。
けれど、取り返そうとはしなかった。じゃあ頼むと手を離す。その声を聞いて、荷を持とうとしていた子まで笑った。
廊下へ上がると、伏見が待っていた。
新しい死覇装を抱えている。佐伯の時にも見た顔だねぇ。刳屋敷が自分の袖へ目を落とすと、伏見は先に、そのままでもお召しになれますがと口を開いた。
「肩と腕のところを、少し広くしております。一度、お確かめください」
「俺の分か」
「はい。寸法は四番隊で伺いました」
「わざわざ悪いな」
「すぐに裂いてしまわれる方がおりますので。こちらも、先に用意するようになりました」
こちらを見ないで言う。
俺も黙っていた。帰ってきた時の佐伯の服は、俺が切った分ばかりではないんだけどねぇ。
刳屋敷が新しい服を受け取る。
広げた肩を見て、自分の身体へ一度当てた。確かに、今着ているものより動かしやすそうだった。
「ありがたく使わせてもらう」
「はい。傷まれましたら、お持ちください」
伏見が頭を下げる。
刳屋敷も軽く頭を下げてから、俺の隣へ戻った。部屋を教えてくれる子は、さっきから少し先で待っている。
「面倒を見てもらってばかりだな」
「治ったら返せるよ」
「そうだな」
前の子が振り返った。
刳屋敷が呼ぶ。
「飯を食うところも、後で教えてくれ」
「はい。今日の分もございます!」
「そいつはよかった」
大きな声で笑った。
部屋へ案内する足が速くなり、俺も包みを抱え直す。後ろから来た佐伯が、歩くのはゆっくりでお願いいたしますと声を掛けた。
お前さん、もう仕事が増えたねぇ。
そう言おうとしたけれど、佐伯の顔も笑っていたので、俺は一緒に歩いていくことにした。
*
刳屋敷が来てから、飯の減りが早くなった。
本人もよく食う。けれど、それだけではない。庭で稽古をした子たちが、今までより椀を持って並ぶようになったのだ。
腹が減るまで付き合ってもらえているらしい。
「隊長。そちらは私の分です」
佐伯に言われ、皿から手を戻す。
似た皿が並んでいたので、間違えたんだよ。あいつは自分の前へ寄せてから、俺の方へ別の皿を置いた。ちゃんと残っているなら、先に教えてくれたらいいのに。
向かいで刳屋敷が笑っていた。
「お前、いつもそうなのか」
「たまにだよ」
「先日も、喜助殿の分を」
「喜助は、喋ってる間に俺の前へ置いたでしょう」
あの後、本人にも返した。曳舟のところで飯をいただいた時の話だ。喜助は食うより先に器の方を気にしていたから、俺までそちらを覗いてしまった。
刳屋敷が椀を置く。
「佐伯。明日の連中は、今日と同じでいいか」
「はい。ただ、榛名の組は午前の任務から戻ってからになります」
「じゃあ、その後だな」
「お願いいたします」
もう、俺へ確かめなくても決まる。
初めの頃は、刳屋敷が一人へ教え始めると、周りの子まで足を止めていた。佐伯が組を分け直し、今は順番に付き合ってもらっている。
俺も見に行ったけれど、すぐには気づかれなかった。
あいつが刀を振れるようになるまで待っていた子たちだ。いざ目の前で受けてもらえるとなれば、こちらへ挨拶するより、もう一本を頼みたくなるねぇ。
刳屋敷が、ふと庭の方を見た。
十一番隊の子が二人、こちらへ歩いてくる。任務の帰りに寄ったらしく、挨拶をしてから刳屋敷へ顔を向けた。
「今、お時間は」
「ああ。飯は食ったか」
「いえ、これからです」
「なら座れ。話は食いながらでいい」
二人が俺を見る。
俺も頷き、佐伯が席を空けてくれた。椀を受け取ってくる間、刳屋敷は自分の分を食べ終えて待つ。
こちらへ来たばかりの頃には、あいつらも立ったままだった。
今は隣へ座れる。
痣城へ隠れて来ているわけでもないと聞いていた。刳屋敷の方から、今の隊長へ任務の知らせを怠るなと言ってある。
「今日は、何だ」
「西の巡回で、前に教わったところを。あの崖沿いですが」
「ああ。足場が崩れたか」
「はい。ですが、先に下へ回しておきましたので」
刳屋敷が頷く。
それから、そっちの組はどう動いたともう一人へ尋ねた。二人とも箸を止めて話し始める。俺は佐伯と顔を見合わせ、そのまま自分の飯へ戻った。
隊が変わっても、聞いてほしいことはある。
こいつも、よく覚えているねぇ。
話が済んだところで、刳屋敷が二人の椀を指した。
「冷めるぞ」
「はい」
「食い終わったら戻れよ。うちへ移ったと思われちゃ、俺が叱られる」
「そこまでは、仰いませんよ」
二人が笑う。
刳屋敷も笑っていた。俺は皿へ残ったものを取り、佐伯の方へも少し寄せる。
今日は俺の方が、早く食い終わりそうだねぇ。
*
痣城が隊長になって、一年が過ぎた。
隊首会で隣へ立つことも増えた。話す時には声を荒らげず、尋ねられたことへ短く答える。十一番隊の報告も、誰がどこへ出たかまでよく覚えていた。
けれど、一緒に茶を飲んだことはない。
終わったらどうだいと一度誘ったが、必要な話なら今聞くと返された。茶を飲んでから思いつく話もあるんだけどねぇ。その日は俺も用事があったので、また今度と別れた。
今日は、その痣城が紙を持っていた。
先生へ差し出したものと同じ束が、俺たちにも配られる。受け取ると、思ったより厚い。隣の京楽が最初の一枚を開き、俺も続いた。
虚圏への侵攻。
その字を見て、指が止まった。
昔歩いた砂のことを思い出す。夜になっても、あそこは静かではなかった。遠くで吼えたものへ別の声が応え、俺もゆめを握って顔を上げたものだ。
先生が痣城を見る。
「これだけの数を、どこから出す」
「流魂街です」
紙が鳴った。
向かいでも、誰かが次の頁を捲っている。俺はまだ最初の頁へ指を置いたまま、痣城の顔を見ていた。
「死神を選び、育て、虚の発生を待って派遣する。現在の方法では、終わりがありません。虚圏へ十分な戦力を送り、殲滅する必要があります」
「流魂街の者を、戦わせると申すか」
先生の声が低くなる。
痣城は頷いた。
「霊術院で学ばせる必要はありません。魂魄へ処置を施せば、戦闘に必要な力を与えられます」
俺は次の頁を開いた。
図がある。
身体の中へ線が幾つも通してあった。自分で霊力を流すために、佐伯と何度も描いたものとは違う。線の先へ、動かす者の姿が描かれていなかった。
その次を読む。
読んでから、もう一度痣城を見る。
「お前さん。これをされた者は、自分でやめられるのかい」
部屋が静かになった。
痣城の目がこちらへ向く。俺の指しているところを見ずに、答えた。
「戦闘を放棄する余地を残せば、運用に支障が出ます」
「帰りたいと言っても?」
「作戦の終了まで、帰還させる必要はありません」
俺は紙へ目を戻した。
今日、門を出る前に、刳屋敷へ声を掛けられた。
帰ったら庭へ来い。佐伯がまた頼みに来ているぞ。
あいつは笑っていた。俺もすぐ戻ると返した。今頃は皆で、どちらが先に刀を合わせるか決めているだろう。
この紙に描かれている者には、それを選ぶこともできないのかい。
「魂魄へ手を加えれば、力を持たせることはできます」
烈が口を開いた。
痣城はそちらを向く。
「ええ」
「ですが、その者が耐えられるとは限りません。こちらの処置を、誰かへ試されたのですか」
「まだ、実証の許可は得ていません」
「では、この数字は何を根拠に?」
痣城が別の紙を示す。
烈は受け取ったが、すぐには頷かなかった。先生もそちらへ目を向け、それから全員へ紙を置くよう命じる。
俺は手を離した。
まだ、誰にも使っていない。
そこは、ちゃんと聞こえたよ。
「この場で進めることは許さぬ。まず、お主の言う処置について、卯ノ花に説明せよ」
先生の声へ、痣城が頭を下げた。
返事にも顔にも、変わったところはない。俺は机へ置かれた図を見てから、もう一度そちらを向いた。
「痣城」
「何でしょう」
「その話、俺にも聞かせてねぇ」
男が頷く。
俺も頷いて、紙を閉じた。
帰ったら、刳屋敷たちへ少し待ってもらおう。
今日は、こいつの話を最後まで聞いておきたい。