去りし袖にも 情は残り
継ぎたる名に 刃は立つ
十一番隊へ入ると、奥から刳屋敷の声がした。
「だから、そっちの腕まで動かすなと言ってるだろうが」
返す声は聞き取れなかった。けれど、叱られた方がまた何か言ったらしい。今度は、お前の刀がなくなるわけじゃねえと続いた。
佐伯と顔が合う。
俺たちが出た後、十番隊へ来た子をこちらまで送ってくれたのだろう。廊下には四番隊の子もいる。挨拶をして部屋へ入ると、刳屋敷が寝かされた男の傍から顔を上げた。
「戻ったか」
「うん。こっちは?」
「全員、生きてる。こいつは、もう起きる気でいるがな」
男が気まずそうに目を逸らす。その肩には包帯が巻かれていた。俺も傍へ屈み、指を動かしてもらう。握るところまではできたが、腕を上げようとすると顔が歪んだ。
「刀は明日にしようか」
「明日なら、いいんですか」
「治り方を見てからだねぇ」
「ほら見ろ。まだ決まっちゃいねえ」
刳屋敷に言われ、男はようやく枕へ頭を戻した。
俺も少し笑って肩へ手を当てる。傷は塞がり始めていた。四番隊の子がちゃんと見てくれている。そこへ無理に霊力を流さず、痛むところを確かめてから手を退けた。
部屋の入口に、一人立っていた。
十一番隊副隊長、
「烏有隊長。痣城隊長は」
寝ていた男まで、こちらを見る。
俺は立ち上がった。廊下の足音も止まる。部屋へ入れずにいた者が、戸の向こうから顔を向けていた。
「止めたよ。流魂街の者には、何もされてない」
誰かが息を吐いた。
けれど、錆杜の目は動かなかった。俺もそちらを見たまま、続ける。
「痣城は眠らせた。もう、目を覚ますことはない」
「……死んだのでは、ないんですか」
「うん。先生が引き取ってくれた。ここへ戻ることもないよ」
男の顔から、少しずつ力が抜けていく。
斬られた相手だ。それでも、隊長が戻らないと聞けば、すぐに頷けるものではないのだろう。俺へ何か聞こうとして、結局、枕へ顔を戻した。
「流魂街で、何をするつもりだったんです」
錆杜が尋ねる。
俺は紙に書いてあったことを話した。虚圏へ送る兵を作るつもりだったこと。そのために住民の魂魄へ手を加えようとしていたこと。先生が禁じた後も、やめなかったこと。
刳屋敷は隣に立って聞いていた。
話し終えると、入口を塞いでいた者たちへ顔を向ける。
「聞こえたな。まだ手当てを受けてねえ奴は、四番隊に診てもらえ」
「刳屋敷隊長」
「話は後でも聞ける。血を流したまま突っ立ってるな」
一人が自分の袖を見る。
手首から先が赤くなっていた。隣の者へ背を押され、ようやく廊下を動き始める。錆杜も顔を向け、ほかに隠している者はいないかと声を掛けた。
俺は寝ている男へ目を戻す。
こいつらを斬らずに、出ていくことはできなかったのかい。
今さら尋ねても、あいつはもう答えない。肩に掛かった布を少し戻すと、男がこちらを見た。
「俺たちは、間違ってませんでしたか」
俺の手が止まる。
「隊長を、止めようとしたのは」
その先が出ないらしい。
刳屋敷が男の傍へ屈んだ。大きな膝が畳を鳴らし、寝ている顔へ影が差す。
「お前、あいつが何をしに行くか聞いて、刀を抜いたんだろう」
「はい」
「じゃあ、間違ってねえよ」
男が唇を結んだ。
刳屋敷はその顔を見てから、布団の端へ載っていた手を、中へ押し戻してやる。
「今度は、斬られずに止められるようになれ。治ったら付き合ってやる」
「……はい」
返事を聞き、俺も立ち上がった。
廊下へ出ると、佐伯が四番隊の子へ何か渡していた。足りなくなった布を運んできたらしい。こちらに気づいて頭を下げたが、俺はそのまま続けてもらう。
今は、あいつらへ手を貸してほしい。
錆杜が廊下の先を示した。
「こちらで、お話を」
刳屋敷も一緒に歩き出す。
何度も来た廊下だった。昔は向こうの部屋から笑い声がして、まだ門を入ったばかりの俺まで呼ばれたねぇ。
今日は、刳屋敷の足音ばかりがよく聞こえた。
*
錆杜が座ったのは、机の横だった。
正面は空いている。刳屋敷はそこを通り過ぎ、俺と同じ側へ腰を下ろした。錆杜が一度顔を上げたが、何も言わずに膝へ手を置く。
痣城が使っていた部屋なのだろう。
机の上には紙が揃えてあった。あの計画書があるかと思って目を向けたが、ここからでは分からなかった。
「明朝、一番隊へ参ります」
錆杜が言った。
「痣城隊長が持ち出されたものと、残されたものを確かめます。隊士への聞き取りも」
「うん。先生にも、そう伝えておくよ」
「ありがとうございます」
頭が下がる。
刳屋敷は錆杜の顔を見ていた。俺も黙っていると、男は膝へ置いた両手を少し握る。
「刳屋敷隊長」
「何だ」
「……いえ」
そこから先が出ない。
戸の外で足音が重なった。誰かが止めようとする声の後に、失礼しますと襖が開く。入ってきた男は刳屋敷を見ると、すぐに畳へ手をついた。
「戻ってきていただけませんか」
錆杜の顔が上がる。
男はそちらを見なかった。後ろにも二人いる。一人は腕を吊っていて、部屋へ入ろうとしたところを、錆杜に座るよう言われていた。
「痣城隊長は、もう戻らねえんでしょう。だったら、あんたが」
「俺は負けたんだぞ」
「でも、生きておられます」
刳屋敷は答えず、その男を見た。
俺も目を向ける。知っている顔だった。刳屋敷が隊長をしていた頃、酒を運んできては、自分もそこで飲み始めていた子だ。
あいつの大きな笑い声を、もう一度この部屋で聞きたいのだろう。
俺だって、そう思う。
「俺を倒した男がいなくなったからって、また俺が座るわけにはいかんだろう」
「そんなこと、俺たちは」
「お前らがどうでもいいから言ってるんじゃねえよ」
男が顔を上げた。
刳屋敷は少し困ったように頭を掻いた。それから、横に座った錆杜へ目を向ける。
「巌介。いつまで、そこへ座ってる」
錆杜の肩が動いた。
「……まだ、何も決まっておりません」
「今夜、こいつらに声を掛けるのは誰だ」
「それは、俺が」
「明日、現世へ出す組を決めるのは」
「俺です」
「なら、こっちを見ろ」
錆杜が顔を上げる。
刳屋敷は笑っていなかった。
「俺に何を聞こうとした」
部屋が静かになった。
戸の傍へ座った者たちも、錆杜を見ている。男の手が膝から離れ、机の端へ触れた。そこに置かれた紙を、一枚だけ自分の前へ寄せる。
「隊を、引き受けたいと思っております」
低い声だった。
「ですが、俺はあの方を倒していない。あんたにも、一度も勝てなかった」
俺は錆杜の顔を見た。
名を欲しがる声には聞こえなかった。けれど、いらないとも言わない。正面の空いた場所を見てから、もう一度刳屋敷へ向き直った。
「それでも、ほかへ任せるつもりはありません」
刳屋敷の口元が、少し上がる。
「なら、最初からそう言え」
「……はい」
「俺の許しが欲しかったのか」
「欲しかったんでしょうな」
錆杜が自分で答えた。
その顔が僅かに歪む。笑ったのだと分かるまで、少し掛かった。
「長く、副隊長をしておりましたので」
「知ってる。俺がやらせてたんだからな」
刳屋敷が膝へ手をつく。
錆杜も立とうとしたが、その肩へ大きな手が載った。
「総隊長に話してこい。俺に勝てなかった話まで、隠さずにな」
「承知しました」
「その後は、お前が考えろ。俺ならどうするかばかり考えてたら、いつまでも同じところにいるぞ」
錆杜が頷いた。
刳屋敷は手を離し、今度は戸の方へ向く。
「聞いたな」
「……はい」
「気に食わねえなら、治ってからこいつに挑め。それまでは、大人しく寝てろ」
腕を吊った男が、錆杜を見る。
錆杜もそちらへ顔を向けた。
「逃げん。いつでも来い」
あら。
俺は少し、姿勢を直した。
刳屋敷の後ろへ立っていた頃には、あまり聞かなかった声だねぇ。男は驚いた顔をしていたが、やがて頭を下げ、仲間に支えられながら部屋を出た。
最後に残った子が、襖へ手を掛ける。
「刳屋敷隊長。稽古には」
「行くと言っただろう」
「はい」
今度の返事は、さっきより少し大きかった。
襖が閉まると、刳屋敷が長く息を吐く。俺も立ち上がろうとしたが、錆杜が先にこちらへ頭を下げた。
「お手数を、お掛けしました」
「俺にはいいよ。今夜は、お前さんの方が大変でしょう」
「いつものことです」
そう返してから、男が刳屋敷を見る。
「……今後は、そうも言っておれませんが」
「俺がいた時も、言ってたぞ」
「あんたがおられたからでしょうが」
刳屋敷が声を上げて笑った。
廊下の向こうで、誰かがこちらを見る気配がした。俺まで少し笑ってしまう。今日はもう聞けないかと思っていた声だった。
*
錆杜が羽織を着て来たのは、それからしばらく経ってからだった。
一番隊で先生たちの前へ立った時には、いつもの死覇装だった。刳屋敷を倒してはいないことも、痣城に代わって隊を率いるつもりであることも、自分の口で伝えた。
先生はその場で頷いて済ませなかった。
隊長としての力を確かめること。今回の件について隊の内を調べ、残っている者たちをまとめること。錆杜は一つずつ引き受け、その間も十一番隊へ帰っていった。
俺が顔を出した時には、庭で刀を合わせていた。
見ていた子に聞くと、隊長になりたいなら受けろと言われたらしい。勝ったのと尋ねたら、俺が聞いている間に相手の刀が飛んできた。
そう。お前さんも、待っているだけではなかったんだねぇ。
その男が、今日は十番隊の門を入ってくる。
背には十一の字があった。
「おめでとう、錆杜」
声を掛けると、男が深く頭を下げた。
「九代目、剣八の名を預かりました」
「うん。似合ってるよ」
「まだ、肩が落ち着きません」
「そのうち、着てない方が変になるよ。俺は、よく忘れるけどねぇ」
隣で佐伯がこちらを見る。
今は着ているでしょう。肩へ手をやって見せると、あいつは何も言わずに錆杜へ向き直った。
「刳屋敷殿でしたら、庭に」
「ありがとうございます。……皆さん、お集まりですか」
「はい。本日は四席以下の者が、順にお願いしております」
錆杜が少しだけ目を伏せる。
聞き慣れた話だったのだろう。庭の方から大きな声が来ると、今度は迷わずそちらを向いた。
刳屋敷は榛名の刀を受けていた。
押し込まれた榛名が片足を引き、それでも刀を外さずに踏ん張っている。その横に槇島がいて、後ろでは伏見まで順番を待っていた。
「また増えたねぇ」
「隊長がよろしいと仰いましたので」
「うん。言ったよ」
佐伯へ返している間に、榛名の刀が外へ流れた。刳屋敷が肩の前へ刃を止め、今日はそこまでだと言う。
榛名が礼をしたところで、こちらに気づいた。
すぐに場所が空く。刳屋敷も刀を下げ、門から来た男の姿を見た。
「よう」
錆杜が足を止める。
一度、羽織の襟へ手をやった。それから手を下ろし、刳屋敷の前で頭を下げる。
「九代目を、継ぎました」
「ああ。聞いた」
刳屋敷が近づいた。
男の肩へ手を掛け、少し後ろへ回る。十一の字を見てから、もう一度正面へ戻った。
「悪くねえな」
「ありがとうございます」
「で。いつまで頭を下げてる。お前が隊長だろうが」
錆杜が顔を上げる。
刳屋敷は腰の刀を見た。男もそこへ手を添えたので、俺は先に庭の真ん中を指す。
「合わせるなら、ここじゃなくてねぇ」
「今日は、そのつもりでは」
「俺は構わんぞ」
「お前さんには、先に言ってるよ」
刳屋敷が笑う。
錆杜の口元も緩んだ。佐伯が槇島たちへ休むよう声を掛け、廊下の方へ茶を頼む。俺はそちらへ行こうとしたが、錆杜はまだ刳屋敷を見ていた。
「隊の者にも、申し伝えました」
その声に、刳屋敷の顔が戻る。
「あんたへ頼みに来る前に、まず俺へ来いと。稽古も、隊のことも」
「そうか」
「ですが……顔は、出していただければ」
刳屋敷が錆杜を見る。
男はもう、頭を下げなかった。
「酒なら、俺が用意します」
少しして、刳屋敷が笑った。
「お前の酒は辛えんだよ」
「薄いのは、ほかの者が勝手に買ってきます」
「俺の時と変わらんな」
「変える必要もありませんので」
俺は二人を見ていた。
錆杜の背で、白い袖が揺れる。あの部屋で机の横へ座っていた男が、今日は刳屋敷へ来るように言っている。
今度は、お前さんが迎えるんだねぇ。
刳屋敷がこちらを振り返った。
「烏有。今晩、こいつを借りていいか」
「お前さん、うちの隊士へ何を頼んでるの」
言ってから、自分で少し笑う。
刳屋敷も気づいたらしい。錆杜の肩から手を退け、改めてそちらへ顔を向けた。
「来るか。うちで飯を食っていけ」
「十一番隊の連中には、戻ると言ってあります」
「なら、また今度だな」
錆杜が頷く。
佐伯が廊下から戻ってきた。茶の用意ができたと伝えると、男は一杯だけいただきますと答えた。
その後ろを、刳屋敷が歩く。
新しい羽織へ何か言っている。袖を引くなと錆杜が返し、前にいた榛名が慌てて道を空けた。
俺も刀を腰へ直し、皆の後へ続く。
茶を飲んだら、あいつは十一番隊へ帰る。ここには、刳屋敷が残る。
「烏有。早く来い。お前の分まで飲まれるぞ」
「今行くよ」
呼ばれて顔を上げる。
刳屋敷の隣には、一つ席が空いていた。
いつになればチャンイチが出てくるところまですすむのだろうか。。