馴染みし声に 袖は変わり
並びし影に 道は伸ぶ
平子が羽織の袖を引っ張っていた。
門を入ってきた時には、ちゃんと両手を下げていたはずだ。榛名に挨拶され、廊下へ上がるところでまた片方を引く。後ろにいた藍染が何か言うと、そちらへ顔を向けた。
「分かっとるわ。引っ掛けてへん」
「まだ、何も申し上げていませんが」
「言う顔しとったやろ」
「お似合いだと、申し上げようかと」
「さっきも聞いたわ」
俺は部屋の入口へ寄った。
平子がこちらに気づき、袖から手を離す。そこで笑ってしまったので、あいつは挨拶をする前に眉を寄せた。
「何ですの」
「似合ってるねぇ」
「笑いながら言わんといてください。こっちはまだ慣れてへんのです」
背へ回ろうとすると、先に身体をずらされる。
見せてくれてもいいでしょう。昨日、先生の前で着せてもらったところも見たけれど、十番隊の廊下を歩いていると、また違って見えるんだよ。
「五の字、ついてる?」
「ついてます。見ましたやん」
「うん。もう一度見たくなっちゃって」
「俺の背中に用があるんやったら、先に言うてください」
平子が横を向く。
白い羽織に五の字があった。俺が頷くと、あいつはすぐに戻ってしまう。その後ろで藍染が笑っていた。
こちらの腕にも、副隊長の章がある。
「お前さんも、おめでとう」
「ありがとうございます。改めまして、よろしくお願いいたします」
藍染が頭を下げた。
俺も頷き、二人を部屋へ入れる。佐伯はもう座布団を出してくれていた。平子が礼を言って座ると、藍染もその隣へ腰を下ろす。
錆杜が剣八を継いでから、五年が過ぎた。
十一番隊の子が十番隊へ来ることは、今もある。けれど、錆杜に言ってから来たかと聞けば、最近は皆、ちゃんと頷くようになった。刳屋敷も向こうへ出掛け、帰ってくると巌介の奴が、と話している。
今日は、五番隊だ。
掃討戦で屋根の向こうから怒鳴ってきた男が、先生と同じ羽織を着て、俺の前へ座っている。
「嬉しいねぇ」
「何がです」
「今度から、隊首会でもお前さんと喋れるでしょう」
「喋るために行くんちゃいますよ」
「始まる前ならいいじゃないか」
「終わった後にしてください。俺まで一緒に叱られるん、嫌ですから」
佐伯が茶を置いた。
そちらを見ると、あいつは俺へ何も言わず、平子へ湯呑を寄せている。今の返事には、佐伯も賛成らしいねぇ。
「平子隊長。藍染副隊長。今後とも、よろしくお願いいたします」
「こっちこそ。うちからも頼むこと、増える思いますわ」
「私でよろしければ」
「隊長を連れて帰る方法とか」
「そちらは、まだ確実なものが」
「お前さんたち、俺の前で相談するんだねぇ」
平子が茶を取った。
藍染も口元を緩めている。副隊長になったからといって、あいつまで急に喋り方が変わるわけではない。けれど佐伯と向かい合うと、前より少し長く目を合わせ、これから御相談させていただければと続けた。
「平子が選んだの?」
俺が尋ねると、二人の顔が向いた。
「副隊長?」
「うん」
「ほかに誰が選ぶんです。総隊長に一から頼んでたら、いつまで経っても決まりませんわ」
そう返してから、平子が藍染を見る。
「こいつは、隊の中もよう知っとる。俺が口出す前に済んでることも多いですし」
「口を出す必要がございましたら、仰ってください」
「ある時は言うとるやろ」
「ええ。ですので、言われないうちは進めてよいものと」
平子の湯呑が止まった。
俺は少し笑ってしまう。そういうところまで、選ぶ前にちゃんと知っていたんだろうねぇ。
「頼もしいじゃないか」
「頼もしいのは認めてますよ。せやから頼んだんです」
藍染が平子へ顔を向ける。
あいつはもう茶を飲んでいた。改めて礼を言われるのが面倒だったのかもしれない。俺も菓子を一つ取り、二人の方へ皿を寄せた。
平子が、今度は俺を見る。
「ところで、夜一さんには、ここに来る言うてあります?」
「会ってないよ。何か用?」
「昨日から、俺の羽織を一回引っ張らな気が済まんらしいです」
「もう引っ張られたの?」
「避けました」
「じゃあ、まだ来るねぇ」
平子が嫌そうな顔をしたところで、庭から声がした。
「おるではないか」
あら。
俺が振り返るより早く、平子は湯呑を机へ戻していた。
*
夜一は縁側へ腰を掛け、平子の顔を覗き込んだ。
喜助は庭へ残っている。抱えていた箱を置くところを探していたので、俺が手を伸ばすと、先に佐伯が受け取った。
「お主、儂を避けておったな」
「避けてません。挨拶に回ってただけです」
「なら、昨日はなぜ逃げた」
「袖に手ぇ伸ばしてきたからでしょうが!」
夜一が笑った。
平子も立とうとはしない。座ったまま、羽織の袖だけを自分の膝へ寄せていた。
「ちゃんと着ておるか、確かめようと思うただけじゃ」
「目ぇで確かめてください」
「ほれ。烏有も見たかろう」
「俺はさっき見せてもらったよ」
「裏切り者みたいな顔で言わんといてください」
俺も何か言われてしまった。
喜助が縁側へ上がる。その腕にも二番隊の装束がある。夜一の後を歩きながら箱を運んでくるところは、初めて会った頃とあまり変わらないねぇ。
「喜助。今日は何を持ってきたの?」
「後で、お時間があれば。先に平子隊長のお祝いをと思いまして」
「箱、祝いの品やないんか」
「お渡しした後に壊れたら、申し訳ないじゃないスか」
「壊れるもん持ってくるなや」
平子が箱を見る。
喜助は蓋へ片手を置いたまま、いやぁと笑った。
「ですから、こちらへ持ってきたんです」
「うちなら、壊してもいいの?」
「烏有隊長なら、壊れる前に分かってくださることもございますから」
「分からなかったら?」
「その時は、直すところが見つかりますね」
藍染が小さく笑った。
喜助がそちらへ頭を下げる。副隊長になったことを祝われ、藍染も礼を返した。初めて顔を合わせるわけではないらしい。箱の方へ目を向け、今日は何を試されるんですかと尋ねている。
平子が夜一へ顔を戻す。
「そっちは、仕事ええんですか」
「済ませてきた」
「ほんまに?」
「疑うな。お主と違って、儂はもう慣れておる」
夜一の手が伸びた。
平子は袖を引かず、湯呑をそちらへ持ち上げる。夜一の指がその手前で止まり、二人の目が合った。
「茶、こぼれますよ」
「こぼさぬよう持っておれ」
「そういう問題ちゃうでしょう」
佐伯がもう一つ湯呑を置いた。
夜一はそれを受け取り、ようやく平子の袖から目を離す。俺は隣へ座ってもらおうとしたが、縁側がよいと言われた。そこからだと、逃げる相手が庭へ下りるところまで見えるらしい。
今日は、逃がす用事もないでしょう。
「平子」
声を掛けると、あいつがこちらを見る。
「五番隊にも、遊びに行っていい?」
「今まで来てはったでしょう」
「お前さんが隊長になってからも」
「構いませんけど、来る前に言うてくださいね。部屋におるとは限りませんから」
「うん。皆にも会いたいしねぇ」
「そっちは、もう来る話になってますよ」
俺の横で佐伯が顔を上げた。
平子はそちらへ頷き、来月の合同稽古のことですと続ける。前の隊長の頃から相談していたらしい。俺も聞いていたはずだったが、日までは覚えていなかった。
「今度は、平子も来る?」
「俺が頼みに行かせたんです。行きますよ」
「それなら、刳屋敷にも言っておこうか」
「何で増やすんです」
「来たがるでしょう」
「うちの連中が、稽古終わっても帰らんようになりますやん」
藍染が佐伯へ日程を尋ねていた。
佐伯もすぐ答える。喜助が箱を脇へ退けてくれたので、二人の前へ紙が広がった。そんなに長くかからない相談なのだろう。俺が覗こうとすると、夜一に袖を摘ままれた。
「そちらは任せておけ」
「俺も聞いていいでしょう」
「聞くだけで済まぬから言うておる」
「お前さん、今日は皆の袖を引くねぇ」
夜一が手を離した。
平子はそこを見て笑っていた。お前さんの代わりになったわけじゃないよと思ったが、言う前に藍染から声が掛かる。
「烏有隊長。当日は、御指導もお願いできますか」
「いいよ。どのくらい来るの?」
「初めて参加する者もおりますので、まずは席官から」
「藍染」
平子が呼ぶ。
「先に、何してもらうか決めとけ。任せます言うたら、この人、思いついた分だけ付き合うてくれはるから」
「ありがたいことではありませんか」
「帰る時には立てへんようになってても、同じこと言えるか」
俺は佐伯を見る。
あいつは紙へ目を落としたまま、まずは歩法からがよろしいかと答えた。
ちゃんと返事をしてくれるんだねぇ。
「佐伯さんも、そうして教わったんですか」
喜助が尋ねた。
佐伯の筆が止まる。俺も先に言っておこうと口を開きかけたが、あいつの方が早かった。
「一つ覚えますと、次をお願いしておりましたので」
「ほら。俺が全部決めたわけじゃないよ」
「ええ。ですが、何をお願いしても、できるまで続きました」
夜一が笑う。
平子まで頷いた。藍染は佐伯を見ている。こちらへ何か聞かれるかと思ったが、そのまま御指導の際に拝見できればと言った。
「私の方も、確かめられると助かります」
佐伯が答える。
俺は二人の間へ置かれた紙を眺めた。教わったことを皆へ見せてほしいと頼んでから、随分経ったねぇ。あいつはもう、自分の言葉で次に来る者を迎えてくれる。
平子も、そちらを見ていた。
今度は袖を触っていない。その顔へ目を向けると、あいつは俺に気づき、何ですかと小さく返した。
「ううん」
俺も茶を取る。
お前さんも、そうやって見るんだねぇ。
*
庭へ出たのは、平子が帰ろうと言ってからだった。
喜助が箱を開けてしまったのだ。
俺が頼んだわけではないよ。藍染に中身を聞かれ、ほんの少しだけと蓋を外した。出てきた金具へ夜一が手を伸ばすと、部屋ではおやめくださいと言う。
それなら外で。
そうなってしまった。
「帰る言うたところやろ」
「見てからでもよかろう」
「夜一さんまで、何でそっち側やねん」
言いながら、平子も庭へ下りる。
喜助が持ってきたのは、以前から試している捕縛の仕掛けだった。金具は小さくなっている。掌へ収まったものを見て、俺は最初に曳舟へ持っていった箱を思い出した。
今日は、紙が焦げていないねぇ。
「片手を空けたまま、使えるようになった?」
「そこは、何とか。ただ、捕まえる方が動きますと」
「動くじゃろう。捕まるのを待ってくれる者などおらぬ」
「ええ。ですから、夜一さんにお願いするのは、もう少し後にしたいんスけど」
夜一はもう、袖を上げていた。
喜助がこちらを見るので、俺は少し笑って首を振る。今日は俺から頼んでも待ってくれないと思うよ。あいつは金具を佐伯へ渡し、地面へ杭を打ってもらった。
「まずは、逃げるだけにしてくださいね」
「分かっておる」
「壊すのは、次でお願いします」
「壊れたら、お主の作りが悪い」
白い糸が夜一の手首へ掛かった。
喜助が金具へ指を当てる。杭の傍からもう一本が伸び、夜一の足へ向かった。あいつは先に踵を浮かせ、横へ抜ける。腕の糸が張ると、今度は手首を返した。
金具が鳴る。
佐伯の掌から、小さな光が散った。
「……あ」
喜助が声を出す。
夜一は抜けた手を見てから、何もしておらぬぞと言った。俺たち全員が見ていたのだから、そこは分かってるよ。
「今、引かれる前に緩んだねぇ」
「ええ。締め直す方が、追いつきませんでしたか」
喜助が金具を受け取る。
すぐに帳面を探そうとしたが、藍染が先に、箱の横へ置いてありますと教えた。あいつは礼を言いながら取りに行き、屈んだまま筆を動かし始める。
平子がその背を見る。
「一回で終わりそうか」
「直すところが見つかったんじゃないかな」
「ほな、終わらんな」
こちらへ向き直り、今度こそ帰りますと言う。
俺も頷いて門へ向かった。藍染が箱の蓋を脇へ寄せ、庭の真ん中を空ける。喜助へ挨拶してから追いついてきた。
「お付き合いいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ。次は五番隊へ行くよ」
「お待ちしております」
平子がその隣で振り返る。
「稽古の日までに、勝手に組増やさんといてくださいね」
「増えたら、知らせるよ」
「増やす前に知らせてください」
佐伯が横で頷いた。
それなら、まずあいつへ言えばいいねぇ。俺がそう返すと、平子はもう一度佐伯へ頭を下げた。今日は随分と、そちらへ頼み事が多い。
門の前まで来たところで、庭から夜一の声がした。
「平子!」
あいつが足を止める。
俺も振り返った。夜一は金具を覗いていた顔を上げ、こちらへ手を振っている。
「そのうち、隊長同士で手合わせをしようぞ」
「袖引っ張らん約束が先です」
「その時は刀を持て」
「聞いとらんな」
平子が溜息をつく。
けれど、すぐに片手を上げた。
「ええですよ。日ぃ決めたら、言うてください」
夜一が笑った。
俺は門の脇へ寄り、二人を見送る。藍染が一礼し、平子もこちらへ顔を向けた。
「ほな、また」
「うん。またねぇ」
歩き始めた羽織が、風で少し膨らむ。
平子の手が袖へ向かい、途中で止まった。隣で藍染が何か言う。聞こえなかったが、平子が振り向いて言い返したので、また似合うと言われたのかもしれない。
俺は二人が角を曲がるまで見ていた。
「隊長。お戻りになりますか」
佐伯に呼ばれ、そちらへ顔を向ける。
庭では、喜助がまた杭へ糸を掛けていた。夜一は今度こそ待つつもりらしく、縁側へ座っている。あいつがこちらへ目を向け、早く来いと片手を上げた。
「佐伯。次の隊首会、いつだった?」
「明後日です」
「そっか」
俺は門を離れた。
明後日は、五の字の羽織を探そう。声を掛けるのは終わってからにして、今日は何を言われたか、あいつに聞かせてもらおうか。