返りし景に 刃は迷い
交わしし太刀に 笑みは咲く
「隊長。そっちは見てるだけでお願いしますよ」
五番隊へ入って、まだ刀も抜いていない。
平子は俺の隣を歩きながら、庭へ顔を向けた。十番隊の子たちは先に着いている。榛名が相手の子へ礼をし、その横で槇島が二人分の刀を預かっていた。
刳屋敷は、今日は来ていない。
来るかと尋ねたら、俺まで行ったらお前が遊べんだろうと言われた。そんなことはないよと返したけれど、あいつは十一番隊の連中と約束があるらしい。
「ちゃんと聞いてます?」
「うん。歩法からだったねぇ」
「そうです。斬り合い始めるんは、もうちょい後ですから」
「分かってるよ」
あいつの目が俺の腰へ落ちる。
刀は、差したままだよ。
少し見せるように手を離すと、平子はようやく庭へ下りた。五番隊の子がすぐ顔を上げ、こちらへ礼をする。平子が片手を上げて返すところを見て、俺も隣へ並んだ。
うちの子だけではない。
あいつが声を掛ければ、ここにいる皆が聞く。いつからそうなったのかと思ったけれど、掃討戦でも同じだったねぇ。俺と喋っている間に、屋根の上へ二人残すよう言っていた。
「ほな、始めよか。まずは、普段組んどらん相手と二人ずつ」
声を聞きながら、俺は縁側へ座った。
佐伯と藍染が庭の反対側へ回る。人数を揃えてしまえば、後は皆、自分で相手を見つけていた。最初に榛名と向かい合った子が、一歩前へ出る。
次には、その背へ回っていた。
榛名もすぐ振り返る。肩へ伸ばされた手を外し、相手の脇へ入った。五番隊の子が慌てて離れると、その背後で平子が笑う。
「相手が振り向くまで、待っとったらあかんやろ」
「はい!」
「もう一回。今度は、あっち向かせんようにやってみ」
榛名が頷き、元の位置へ戻る。
俺も膝へ肘を置いた。あの子は踏み出す前に、榛名の顔を見るねぇ。見られていると分かるから、榛名も待てる。
次には言ってやろうか。
そう思ったところで、平子が先にそちらへ歩いていった。
*
藍染が眼鏡を外した。
畳んで縁側へ置き、その前へ刀を抜く。佐伯も向かいへ立っていた。皆の稽古が一巡したところで、二人が手合わせをすることになったのだ。
「解放と鬼道はなし。斬術と歩法だけで、まず一本な」
平子が言う。
二人が頷いた。佐伯も眼鏡の置かれた方へ一度目を向け、それから藍染へ礼をする。
「お願いいたします」
「こちらこそ。お手柔らかに」
俺は座り直した。
お前さんの刀も、ちゃんと見せてもらうのは初めてだねぇ。
藍染が構える。肩に力が入っていない。佐伯が足を動かすと、その刃の先が僅かに上がった。
「始め」
佐伯が踏み込んだ。
肩へ落とした刀を、藍染が斜めに受ける。刃が滑り、佐伯の刀が外へ抜けた。そのまま懐へ入ろうとした藍染へ、佐伯の左手が伸びる。
藍染は触れさせなかった。
半歩退き、手の下から刀を返す。佐伯の袖が揺れ、その脇へ来た刃を嵐天が止めた。今度は佐伯が押し込み、藍染がそれに合わせて足を引く。
綺麗に受けるねぇ。
こちらの刀へ、長く付き合わない。押される前に刃を離し、佐伯が次を出すところへ自分の先端を置いていた。
「はっ!」
佐伯が短く息を吐く。
顔へ向けた切っ先を藍染が払った。その瞬間、佐伯の姿が消える。右へ出た時には、もう腰の高さで刀を振っていた。
藍染が刃を下げる。
音が鳴った。
受けた刀を押し返さず、藍染はその場で身体を回した。佐伯の刃が前へ流れる。その肩へ返した刀を、佐伯が柄の近くで受け止めた。
近い。
俺が膝から手を離した時、佐伯は刀を立てたまま相手の足元へ入っていた。藍染も退かず、左肩を引いて刃の通るところを空ける。
二人の袖が擦れた。
佐伯の刀が空を斬り、藍染の先端がその胸へ向く。けれど、佐伯はもうそこにいなかった。藍染の左へ抜け、その背へ刀を返す。
藍染が振り返った。
間に合うんだね、お前さん。
二本がぶつかる。藍染の足が地面を滑ったが、刀は下がらない。佐伯も追い、もう一度上から打ち込んだ。
「っ!」
藍染が受ける。
佐伯は押すのをやめた。相手の刃が上がったところへ、自分の刀を引き戻す。藍染が構え直す前に瞬歩で脇へ入り、胸元へ切っ先を止めた。
「そこまで。佐伯副隊長の一本」
平子の声がした。
藍染が自分の前へ止まった刃を見る。少しして息を吐き、刀を下げた。
「参りました」
「ありがとうございました」
佐伯も刀を退ける。
俺は二人の足元を見ていた。佐伯の最後の一歩へ、藍染も顔を向けていたねぇ。刀を戻すのが、ほんの少し遅れた。
佐伯がこちらへ来る。
「隊長」
「うん。最後、よく変えたね」
「押したままでは、また外されると思いましたので」
藍染も隣へ来て、眼鏡を取った。
「受けたところから、こちらが動くのを待っておられたんですね」
「一度目と同じようには、参りませんでしたから」
「ええ。二度も付き合っていただけるとは、思わない方がよかった」
眼鏡を掛け、藍染が笑う。
俺はそちらへ顔を向けた。
「お前さん、刀を離すところが上手いねぇ」
「ありがとうございます」
「次を入れようとした時には、もう空いてる。佐伯、最初は困ったでしょう」
「はい。手を添えるところまで、避けられました」
「見ていましたので。佐伯副隊長は、近づくと左手もよく使われる」
佐伯の目が自分の手へ落ちる。
俺も少し笑った。覚えたことを使えるようになると、今度はそれを覚えられる。山では何度もやったけれど、今日は別の相手に言われたねぇ。
「次は、そこも変えてみようか」
「はい」
「俺の副隊長と喋りながら、次の勝ち方考えんといてください」
平子が戻ってきた。
あら。聞いてたのかい。
「お前さんも入る?」
「それ、話にですか。稽古にですか」
「どっちも」
「欲張りやなぁ」
平子が俺の前で足を止める。
庭では槇島たちが、さっきの二人の動きを確かめていた。藍染へ声を掛けた子もいる。あいつはそちらへ頷き、どこからかと尋ねながら歩いていった。
俺は立ち上がる。
平子が、嫌そうな顔をした。
「まだ、ええ言うてませんよ」
「でも、刀へ手をやったでしょう」
「隊長が立ったからです」
そう言いながらも、あいつは庭の真ん中へ向かった。
*
「始解は、構わへんのですね」
「うん。俺は、このままで」
「途中で眠らされて終わりいうんは、勘弁してくださいよ」
「ちゃんと見せてもらうよ」
平子が刀を抜いた。
俺もゆめを抜き、羽織を佐伯へ渡す。あいつは受け取った後、皆をもう少し離れさせた。平子も自分の隊の子たちへ場所を空けるよう声を掛け、こちらへ向き直る。
「始めは、普通に?」
「お好きなようにどうぞ」
返事の途中で、平子が来た。
胸へ伸びる刀を左へ払う。そのまま手元へ返すと、平子は柄を引き、俺の刀の下へ身を沈めた。腰へ横から刃が来る。
ゆめを下げて受けた。
平子の足が外へ動く。俺も向きを変え、刀を重ねたまま少し押した。あいつはすぐ刃を離し、その先から顔へ突いてくる。
「おっと」
頭をずらす。
頬の横を刀が通った。俺が手首へ左手を寄せると、平子はそれを見てから引いた。佐伯の手合わせを見ていたのは、藍染だけではなかったねぇ。
「お前さんも、よく避ける」
「掴まれたら、そのまま転がされそうですからね!」
高いところから刀が落ちる。
受けて返すと、あいつは後ろへ跳んだ。俺も追って一歩入る。頭上へ上げたゆめを見て、平子は左へ抜けようとした。
そちらへ先端を向ける。
平子が足を止めた。
「……途中で変えるん、速すぎません?」
「お前さんも、ちゃんと止まったでしょう」
「止まらな刺さりますやん」
刀を下げたあいつが、少し笑う。
その指が柄の端へ掛かった。
〈倒れろ、
柄の先に輪ができた。
平子がそこへ指を通す。刀身へ並んだ穴が見え、くるりと一度、刃が回った。俺はその動きを追い、ふと鼻へ触れたものに気づく。
甘いねぇ。
何の香りだろうと考えたところで、庭がひっくり返った。
足元に、空がある。
俺は踏み出しかけた足を戻した。塀の向こうへ伸びていた枝が、下へ垂れている。縁側にいる皆まで逆さまだった。
平子が笑っている。
「どうです」
「……随分、変わったねぇ」
あいつが動く。
右から来た刀へゆめを向けた。刃は合わず、反対側で袖が鳴る。左の袖を見るつもりで顔を向けると、目に入ったのは右だった。
俺は一度、足を止めた。
「止まっててええんですか」
平子の刀が上がる。
俺は前へ出た。目の前にいたはずの相手が遠ざかり、背へ風が触れる。ゆめを返すと、ようやく音が鳴った。
刀を合わせたまま、少し笑ってしまう。
「お前さん。面白いもの、持ってるねぇ」
「こっちは、もうちょい困ってもらいたいんですけど!」
平子が刀を引く。
俺は追いかけず、その場で柄を握り直した。右へ返すつもりで動かした刃を見て、次に左手を開く。
ああ。
見えているものへ、そのまま手を出すと違うところへ行くんだね。
『お前様。お袖を切られておいでで』
「うん。分かってるよ」
「分かってるだけで、何とかなるもんやありませんよ」
平子の声がした。
今度は、刀を合わせる直前で向きが変わる。俺の手元へ来ると思った先端が、肩へ上がった。そちらへゆめを寄せかけ、手首を返す。
刃が鳴った。
平子の目が少し細くなる。
俺もその顔を見た。左右を考えてから振っていると、あいつが次を出してくる。覚えたつもりになったところへ別の角度から入るので、俺も同じ構えのままではいられない。
爺さんに、片腕を後ろへ縛られた時を思い出した。
使えない方で受けようとして、何度も頭を叩かれたねぇ。今は手が動く分、余計なことまでしてしまう。
「もう一本、お願い」
「何本でもどうぞ!」
平子が瞬歩で抜ける。
俺も足を出した。
近づくつもりで退きかけた身体を、すぐ踏み直す。平子の刃が襟へ来た。ゆめの根元で受け、そのまま相手の刀へ沿わせる。
あいつが引く。
俺はその手元を追った。見えている平子の肩とは違うところで、袖が揺れている。そこへ足を運び、刀を返す。
平子が跳んだ。
俺の先端が、白い羽織の端を掠める。
「っ、今の!」
声が聞こえた方へ、すぐには向かない。
俺は地面を蹴った。
平子の目が俺を追う。刀を戻すより早く、その脇へ出た。ゆめを横へ向け、肩へ届くところで止める。
あいつの足が、動かなくなった。
逆さまの庭で、二人とも黙っている。
俺が少し首を傾げると、平子は自分の肩へ目を向けた。
「……参りました」
甘い香りが薄れる。
庭が元へ戻った。俺は足元を一度見て、ようやく刀を下げる。平子も逆撫を戻したが、その顔はまだ、俺の方へ向いていた。
「どうしたの?」
「いや。今の、もう合わせてきはりました?」
「何度か、違うところへ振ったでしょう」
「何度かで済む方がおかしいんです」
平子が自分の袖を見る。
端が少し切れていた。俺も左の袖を上げ、こちらもだよと見せる。
「一度目、ちゃんと貰っちゃった」
「袖だけで言われても、嬉しなりませんわ」
そう返してから、あいつが息を吐いた。
俺はゆめを納め、もう一度庭を見る。分かっていても、さっきまでの景色がまだ頭へ残っていた。縁側の皆が普通に座っていることまで、少し変に思えてくる。
「味方がいる時は、先に言ってあげてねぇ」
「そら、言いますよ」
「うん。俺も、隣にいたら斬りにくい」
「そこは先に、俺が何とかします」
平子が庭の端へ顔を向ける。
五番隊の子たちが、こちらを見ていた。目が合うと、何人かが慌てて背を起こす。
「見とったか。始解使うたら、そのまま勝てるわけちゃうぞ」
「……今のを、見本にするんですか」
「俺も嫌やわ。せやけど、見たやろ」
返した子が口を閉じ、それから頷いた。
俺も隣へ立ったまま笑う。平子は少し嫌そうにこちらを見たが、今度は俺にも何も言わなかった。
*
「隊長。袖を」
佐伯が羽織を持ってきた。
俺が受け取ろうとすると、その前に切れたところを見られる。肌には届いていないよと伝えたら、承知しておりますと返された。
「伏見へ、お渡しください」
「うん。そうだったねぇ」
隣で平子が自分の袖を隠しかける。
藍染はもう見ていた。
「そちらも、お預かりします」
「これくらい、自分で言う」
「では、お忘れなく」
「子供やないんやぞ」
俺は羽織を着て、二人を見た。
さっきまで刀を合わせていたのに、戻れば袖の話になる。佐伯も藍染も、こちらが勝ったか負けたかだけでは済ませてくれないらしい。
「隊長」
榛名が近づいてきた。
平子へ一礼し、俺へ向き直る。何を聞きたいかは、さっきから顔に出ていた。
「あの中では、どのように見えておられたのですか」
「お前さんたちが、頭を下にして座ってたよ」
「……我々まで」
「うん。最初は、そっちを見ちゃったねぇ」
榛名が縁側を振り返る。
槇島まで自分の座っていたところを見たので、俺もそちらへ顔を向けた。実際に逆さまになったわけじゃないよ。そう付け足す前に、平子が話へ入る。
「そっちに気ぃ取られたら、もう斬られとるいうことです」
「はい」
「見慣れたもんほど、勝手に頼ってまうでしょう。知らん能力が来た時は、そこも疑わなあかん」
榛名が頷いた。
俺は平子の横顔を見る。
さっき、もう一本と頼んだ時には、あいつも嬉しそうだったねぇ。刀を合わせるのも、こうして皆へ話すのも、まだしばらく付き合ってもらいたくなる。
「平子」
「はい?」
「また、お願いしていい?」
「それ、こっちから言うところです。今日で済ます気ぃありませんよ」
俺が頷くと、平子も少し笑った。
藍染はその後ろから、俺の切れた袖へ一度目を向ける。それから佐伯を呼び、先ほどの手合わせについて尋ね始めた。
左へ出た後、さらに踏み替えましたね。
あいつが足を置いてみせると、佐伯も隣へ立った。槇島たちが寄っていく。俺も覗きたくなったが、平子が先に肩へ声を寄せた。
「今日は、あっちへ入らんといてください」
「まだ何もしてないよ」
「二人で確かめとるところでしょう」
俺は口を閉じた。
佐伯が藍染の刀を借り、刃を受けたところからゆっくり動かしている。藍染も頷き、自分の手首の向きを直した。
そうだったねぇ。
俺は平子と一緒に、少し離れて立つ。
やがて佐伯がこちらを見た。何か聞かれるのかと思ったが、あいつは軽く頭を下げ、そのまま藍染へ向き直った。
俺がいなくても、続きを始められる。
それを眺めていたら、平子が小さく息を吐いた。
「……次は、袖以外も届かせますからね」
「うん。楽しみにしてるよ」
返事をすると、あいつはまた俺の顔を見た。
何を見ていたのか、少しして首を振る。それから皆へ顔を戻し、終わった組から片づけるよう声を掛けた。
俺も、今日こそ服を忘れずに持って帰ろうか。
切れた左の袖を畳み、佐伯たちの話が済むまで、もう少し隣で待つことにした。