降り立ちし影に 古きを知り
見送りし空に 明日を仰ぐ
「烏有。お前さんまで荷物を持って、どうするつもりだい」
曳舟に言われ、俺は抱えた箱を見る。
この前、紐を掛けていたものだ。持ち上げた時には何も言われなかったのに、十二番隊の門を出ようとしたら止められた。
「向こうまで運ぶよ」
「向こうって、どこまで?」
「迎えに来てくれるところまで」
「ああ。なら、頼もうか。お前さんだと、そのまま乗っていきそうだからね」
隣で、喜助が口元を緩めた。
まだ二番隊の死覇装を着ている。今日は夜一の後ろへ戻らず、曳舟の荷を一つ預かっていた。試験の日は決まったと聞いたけれど、あいつの卍解を見せてもらうのは、もう少し先だ。
後ろで、大きな声がした。
「それ、こっちへ寄越せ!」
小柄な子が喜助の包みを取ろうとしている。喜助はすぐ渡したが、その子は受け取ってからも、何か言いたそうに顔を見上げていた。
「ありがとうございます」
「礼なんかええわ。うちの隊長の荷物やろが」
十二番隊副隊長、
曳舟のところへ来るたび、廊下で声を聞いていた子だ。今日も声はよく通る。けれど、包みの紐が緩んでいないか確かめる間だけは、誰にも何も言わなかった。
曳舟がその頭へ手を載せる。
「頼むよ、ひよ里」
「……分かっとる」
俺は箱を持ち直し、先へ歩いた。
ここへ来るまで、何人も曳舟を呼び止めた。皆、もう挨拶は済ませたと言う。それでも顔を見ると、もう一度声を掛けたくなるらしい。
俺にも覚えがあるねぇ。
旅へ出る前、先生のところへ何度も行った。別の用事を考えて訪ねたつもりが、向こうには分かっていたのかもしれない。最後には、忘れ物があるなら戻ってくればよいと言われた。
「何を笑ってるんだい」
「曳舟も、忘れ物があるといいねぇ」
「縁起でもないことを言うんじゃないよ」
「取りに帰ってこられるでしょう」
曳舟がこちらを見る。
少しして、箱の底へ目を落とした。
「そいつを置いていこうかね」
「駄目だよ。喜助が、続きを作るって言ったんだから」
「じゃあ、忘れ物はなしだ」
笑われてしまった。
門を出ると、佐伯が待っていた。道の先へ目を向けてから、俺の抱えた箱を見て、代わりましょうかと手を出してくれる。
「大丈夫。今日は、落とさないよ」
「本日だけでなく、お願いいたします」
喜助が隣で笑う。
その声を聞きながら歩いていると、遠くで低い音がした。佐伯が先に空を見上げる。俺も顔を上げ、白い空へ落ちてくるものを見つけた。
大きいねぇ。
話に聞いていたより、ずっと大きかった。
*
春水と浮竹もいる。烈は曳舟を見つけると、少し場所を空けてくれた。俺はそちらへ箱を運び、佐伯へ預かってもらってから、先生の横へ並ぶ。
扉が開いた。
最初に見えたのは、見覚えのある大きな髭だった。
「おお。揃っておるのう」
和尚が降りてくる。
声を聞くと、俺もつい片手を上げた。この前は流魂街の空から聞こえたけれど、今日はちゃんと顔がある。先生へ挨拶をした後、その目がこちらへ向いた。
「烏有。息災か」
「うん。和尚も、久しぶりだねぇ」
「顔を合わせるのはな」
大きな手が、俺の肩へ触れた。
重いねぇと思って顔を上げると、和尚はもう曳舟へ目を向けている。俺もそちらを見るつもりだったが、その後ろから出てきた男の髪へ、先に目が留まった。
随分と、前へ伸びている。
「何見てやがる」
「いや。扉へ当たらないんだねぇと思って」
「ああ?」
男がこちらを向く。
その横を、細い女の人が通った。背後から伸びた幾本もの腕が、扉へ触れずに畳まれる。俺がそちらまで目で追うと、今度は別の男が片手を上げた。
「Hey! こっちは見てくんないの?」
こちらは、よく笑っている。
四人とも白い羽織を着ていた。けれど、先生たちの並ぶところへ立つと、それだけでは揃って見えない。俺は初めて会う三人を順に見てから、和尚へ顔を戻した。
「紹介してもらっていい?」
「おんしから尋ねるとは、珍しいのう」
「今日は、知らない人が三人もいるからねぇ」
背後で、春水が小さく咳をした。
和尚は気にせず笑い、まず、こちらへ手を上げていた男を示した。
「
俺の手が、腰へ落ちた。
王悦の目もついてくる。
「そうそう。それを作ったのが、チャンボク」
「……お前さんが」
柄へ触れたまま、もう一度顔を見る。
あの頃、刀を持っていなければ、俺はどうしていただろう。死んだ者の傍から拾い上げ、抜いてみた。自分のために用意されたものではないと知りながら、それでも手放さなかった。
その先で、ゆめが話してくれた。
「世話になってるよ」
王悦が少し顔を傾ける。
「そりゃ、そいつに言ってあげなよ」
「うん。言ってる」
「なら、いいじゃん」
笑った口元を見て、俺も少し笑った。
和尚が次の者へ手を向ける。
「
今度は袖を見てしまった。
千手丸の目が、俺の手元へ落ちる。細い腕が一本伸び、袖口を軽く持ち上げた。縫い目を眺める仕草が、伏見に似ている。
「ほう。随分と直して着ておるの」
「うちの子が、繕ってくれるんだよ」
「大事にしておるのは、その者の方であろう」
「俺も、大事に着てるよ」
「ならば、もう少し長く保たせてやれ」
袖が離れた。
佐伯が横で頭を下げている。お前さんまで、俺の代わりに返事をしなくていいでしょう。
けれど、帰ったら伏見へ話してやりたいねぇ。
お前さんが毎日直しているものを、最初に作った人へ会ったよと。そう言えば、きっと袖より先に、どんな縫い方をしていたか聞かれる。
「こっちも紹介が要るか」
「うん。まだ聞いてないよ」
「
前へ伸びた髪の男が、顎を上げた。
俺が名を繰り返す前に、その目が隣へ動く。
「烈。久しぶりじゃねえか」
「御無沙汰しております。麒麟寺様」
烈が頭を下げた。
俺は二人を見比べる。
知り合いだったのかい。
「今は、四番隊の隊長だったな」
「はい」
「教えたもんは、使ってるようだな」
「おかげさまで。今も、助けられております」
麒麟寺の口元が上がった。
俺は烈へ少し顔を寄せる。
「何を教わったの?」
「回道です。貴方が旅に出ておられた間に」
「……烈に回道を教えたの、お前さんだったんだねぇ」
麒麟寺がこちらを見る。
「何だ。お前も使うのか」
「うん。烈にも、見てもらったよ」
「なら、雑に覚えちゃいねえだろうな」
烈が、隣で微笑んだ。
俺は頷きながら、昔の手を思い出していた。傷を塞ぐ光を見せてもらった時、便利なものを覚えたねぇと言った。あいつはその手で刀を取り、これなら、もう少し続けられますと笑ったのだった。
あの時には、教えた相手のことまで聞かなかった。
麒麟寺は、どんな顔であの理由を聞いたのだろう。
「何か、おかしいですか」
「ううん。お前さんが教わってるところも、見たかったと思ってねぇ」
「今からでも、御一緒に伺えますよ」
麒麟寺が鼻で笑う。
「見物で済むと思うなよ」
「……そういうところも、似てるねぇ」
烈に顔を向けると、何も返されなかった。
*
「さて。曳舟」
和尚が名を呼ぶ。
皆の目が、そちらへ向いた。俺も烈との間を空け、曳舟が前へ出るのを見た。さっきまで隣を歩いていたのに、今は向こうの四人へ一人で歩いていく。
和尚は、その顔を見て頷いた。
「迎えに来たぞ」
曳舟が頭を下げる。
ひよ里が包みを抱え直した。喜助も姿勢を正し、夜一の隣へ立っている。俺は佐伯から箱を受け取り、持ち手を確かめた。
「王属特務、零番隊。儂らは霊王と霊王宮を守る者じゃ」
和尚の声が広場へ通る。
「そして、尸魂界に新しきものを生み出した者を、霊王様の御意志によって迎え入れておる」
俺は王悦へ一度目を向けた。
斬魄刀。
千手丸の方を見ると、あの細い腕が既に曳舟の荷へ伸びていた。ひよ里の持つ包みは取らず、別の箱を一つ受け取っている。
どちらも、俺が生まれるより前からあった。
作った者がいると、考えなかったわけではない。けれど、今日、本人の顔を見るまで、刀も衣も、ずっと昔からあるものとしか思っていなかったねぇ。
「曳舟桐生。おんしが生み出した義魂と、それを用いる義魂丸。その功は、尸魂界に認められた」
喜助が曳舟を見ていた。
俺も、その横顔を見る。
同じ机で紙を広げていた。俺の霊力を少し借りて、喜助の金具と繋いでみせた。上手くいかなければ、笑って次を試した。
その途中にも、こういうものを作っていたんだねぇ。
「以後は、儂らと共に霊王宮へ上がってもらう」
「承りました」
曳舟が顔を上げた。
その声を聞いてから、先生が前へ出る。俺も箱を持ったまま、少し後ろへ下がった。
「長きにわたり、十二番隊をよく率いた」
「こちらこそ、お世話になりました」
「上でも、励め」
「はい」
短いやり取りだった。
先生は曳舟を見ていた。あいつもすぐには頭を下げ直さず、しばらくその顔を見ている。それから深く礼をし、俺たちの方へ戻ってきた。
春水が先に声を掛ける。
「向こうでも、御元気で」
「ああ。お前さんも、飲みすぎるんじゃないよ」
「最後まで、それですか」
「最後だから言っとくんだろう」
浮竹が隣で笑った。
夜一は、喜助の背を軽く押す。あいつは一歩出てから、曳舟へ向き直った。
「御教授いただいたこと、活かせるように努めます」
「うん。試験、頑張りな」
「はい」
「その後も、だよ」
喜助が少し笑う。
曳舟も笑って、その肩へ手を載せた。何か言うかと思ったが、そのまま軽く叩いて離す。
俺は箱を差し出した。
「これ、忘れずにね」
「お前さんが、ずっと持っててくれたじゃないか」
「うん。ちゃんと渡しておこうと思って」
曳舟の両手へ、重さが移る。
手を離すと、急に空いた掌が気になった。もう持つものはない。懐へ入れていた菓子も、今朝、十二番隊で渡してしまった。
曳舟は箱を受け取り、喜助へ少し傾けてみせる。
「持っていくよ」
「ええ。お気をつけて」
ひよ里だけが、まだ包みを抱えていた。
曳舟がそちらへ手を伸ばす。けれど、すぐには受け取らず、小さな肩へ先に触れた。
「ひよ里」
「……何や」
「今まで、ありがとうね」
顔が上がる。
俺は二人から目を離し、天柱輦の方を見た。扉の前で、王悦が千手丸から荷を受け取っている。麒麟寺もそちらへ戻りかけていたが、こちらを見て足を止めていた。
「うちも、世話になった」
後ろから声がした。
いつもより小さかった。曳舟が何か答え、包みの擦れる音がする。俺が顔を戻した時には、ひよ里の手も空いていた。
「あんまり、無理すんなよ」
「お前さんに言われるとはね」
「うるさいわ。言うとかな、聞かんやろが」
曳舟が声を上げて笑った。
ひよ里の頭へ、もう一度手を置く。今度は少し長く、そのままだった。
*
和尚が俺を見つけたのは、曳舟の荷が全部収まってからだった。
「どうじゃ。今日は、共に来るか」
隣で佐伯の顔が上がる。
俺も天柱輦を見る。開いた扉の向こうで、曳舟がこちらへ顔を向けていた。あいつまで、俺の返事を待っている。
「今日は、見送りだよ」
「そうか」
「うん。また会いたいとは、言ったけどねぇ」
和尚が笑った。
大きな声だった。ひよ里までそちらを見るので、俺も少し笑ってしまう。
「来る時は、先に知らせよ」
「分かったよ」
先生の目がこちらへ向いた。
何か言われる前に顔を向けると、出るなら隊へ話しておけと頼まれる。今日は帰るよと答えたが、今日だけの話ではないらしい。
「佐伯にも、ちゃんと言うよ」
「お願いいたします」
返事が早かった。
「お前さん、そんなに心配?」
「今のお話を、隣で伺いましたので」
佐伯へ頷き、俺は扉へ目を戻した。
王悦が、その前へ立っている。俺の腰へ一度目を落とし、それから片手を上げた。
「烏有チャン」
「うん?」
「そいつ、大事にね」
「うん。もちろん」
柄へ手を添える。
ゆめが、内側で少し笑った。
『よう、お返事なさいました』
「だって、大事でしょう」
『ええ。わっちも、お前様が』
俺の口元が緩む。
王悦がそれを見て笑い、先に中へ入った。千手丸も続く。俺の袖へもう一度だけ目を向けていったので、今度会う時には、できるだけ新しいものを着てこようか。
麒麟寺は、烈へ顎を上げた。
「じゃあな」
「はい。どうぞ、御健勝で」
「お前は、人のことばかり気にしてんじゃねえぞ」
烈は微笑んだまま、一礼した。
俺もそちらへ顔を向けたが、何も尋ねなかった。今なら、前より少しだけ、あいつを診る者がいたことを嬉しく思える。
和尚が最後に乗り込む。
曳舟が入口へ寄ったので、俺は手を上げた。皆もそちらへ顔を向ける。ひよ里は両手を下ろしたまま、真っすぐに見上げていた。
「じゃあ、行ってくるよ」
いつもの声だった。
「うん。行ってらっしゃい」
俺が返すと、ひよ里の声も重なった。
扉が閉じる。
俺は手を下ろさずにいた。天柱輦が空へ向かい、白い雲の方へ遠ざかっていく。もうこちらは見えないかもしれない。けれど、途中でやめるのも変な気がして、その姿が小さくなるまで見送った。
隣で、誰かが長く息を吐く。
喜助だった。
あいつも空を見ていた。懐へ帳面は入っているのだろうかと目を向けたが、今日は取り出さない。両手を下ろしたまま、曳舟の消えた先へ顔を上げていた。
「喜助」
「はい」
「次は、お前さんの番だねぇ」
こちらへ顔が向く。
「……随分と、高いところを仰いますね」
「試験だよ」
「ああ。そちらですか」
笑ったあいつの横で、夜一が肩を揺らした。ひよ里は何も言わず、先に十二番隊へ向かう道へ歩き出す。
喜助がその背を見る。
少しして、夜一へ一礼し、後を追った。
俺は佐伯と並び、もう一度空を見上げた。曳舟の姿は、すっかり見えなくなっている。
「帰ろうか」
「はい」
歩き出すと、袖が手の甲へ触れた。
俺はそいつを少し持ち上げ、縫い直されたところを見る。千手丸に言われたことを、伏見へどう話そうか。まずは作った本人に会ったところからだねぇ。
それから、喜助の試験の日も空けてもらおう。
見送りが済んだばかりなのに、帰って話したいことが幾つもできていた。