開かれし掌に 形は変わり
受け継ぎし袖に 明日は宿る
「そんなに見られると、抜きにくいんスけど」
喜助が柄へ掛けた手を止めた。
俺は少し顔を上げる。まだ始まってもいないのに、隣の烈までこちらを見ていた。そんなに近づいたつもりはなかったけれど、先生より一歩前へ出てしまっていたらしい。
「楽しみにしてたからねぇ」
「ええ。それは、よく伝わってきます」
「烏有。戻れ」
「うん」
元の場所へ戻ると、少し離れていた夜一が笑った。お前さんも、さっきまで喜助へ何か言っていたでしょう。こちらの目に気づくと、あいつは腕を組み、顎で前を示した。
今日は、喜助の隊長試験だった。
一番隊の隊舎から離れた場所に、石の塊が幾つか置かれている。喜助が先に運び込んだものだという。俺も一つ持とうとしたが、試験を受けるのは僕ですからと断られた。
いつもなら、箱くらいは渡してくれるのにねぇ。
「浦原喜助」
先生に呼ばれ、喜助が顔を向ける。
「始めよ」
「はい」
抜かれた刀が、身体の前へ来た。
喜助の顔から笑みが薄れる。庭で金具を覗いている時にも、時々こんな顔をしていたねぇ。こちらが話し掛けるのを少し待ちたくなる顔だ。
〈卍解〉
霊圧が広がった。
俺は羽織の袖を押さえ、喜助の後ろを見る。長い髪が現れ、その下から白い顔が覗いた。大きい。目を上げていくと、女の姿が喜助の背を越えて立っていた。
〈
紅姫。
名前を聞き、腰のゆめへ少し手を添える。先日会った男は、この刀も、あの刀も作ったのだと言っていた。
同じ浅打から、こうも違う姿になるんだねぇ。
喜助が石へ手を向けた。
表面に一本、線が入る。割ったのかと思ったが、欠片は落ちなかった。その両側へ幾つも縫い目のようなものが並び、石の真ん中が開いていく。
向こうの地面が見えた。
大人が一人、通れそうな穴だった。喜助はそこへ片腕を入れ、内側の縁を示す。
「触れたものを、造り変えます」
「削ったのではないのですね」
烈が尋ねると、喜助は頷いた。
「ええ。形を変えたんです。ですから、こちらも」
今度は自分の袖を上げた。
腕へ、同じ線が走る。
俺はそちらへ目を寄せた。血は出ていない。けれど、裂けたところを縫い合わせたような跡を、自分の腕へ作るのは、あまり見慣れたものではなかった。
「生きている身体にも使えるんだね」
「はい。自分の身体でしたら、こういう使い方もできます」
喜助が刀を握り直す。
先生の許しを受けてから石の前へ立ち、刃を振った。大きな塊の上半分がずれ、地面へ落ちる。あいつはその重い音を聞いてから、俺たちへ腕を見せた。
「腕の造りを変えて、力を増しています。ただ、御覧の通り、傷を塞ぐだけの能力ではありません」
烈が傍へ進んだ。
喜助は刀を下げ、腕を差し出す。指を曲げてもらい、手首の動きを確かめるところは、普段の診察とよく似ていた。けれど、烈の目は縫い目から離れない。
「感覚は」
「あります」
「動かしにくくは、ありませんか」
「慣れるまでは、ありましたね。力を入れすぎると、ほかがついてこなくなりますから」
俺も自分の腕を見た。
昔、霊力を通すところばかり気にして、足を痛めたことがある。速く動けたので、次も同じように踏み込んだ。帰り道になってから歩けなくなり、爺さんに担がれたのだった。
あいつは、身体そのものへ手を入れるのかい。
「喜助。それ、自分以外にも?」
「使えますよ。ただ、試してみたいとは、おっしゃらないでくださいね」
「まだ、言ってないよ」
「聞かれる前に、申し上げておこうかと」
夜一が向こうで笑う。
喜助も少し笑ったが、先生へ顔を戻すと、すぐに続きを話し始めた。届く範囲にも限りがあること。相手を捉えたつもりでいても、そこから離れられれば追い直さなければならないこと。
俺は穴の開いた石へ目を戻した。
あの向こうへ出たいと思えば、普通は砕く。砕けなければ、もっと強く斬ろうとする。俺も随分、そうしてきたねぇ。
喜助は、通れる形へ変えてしまった。
「お前さんらしいね」
「そうですか?」
「うん。机へ置いたものも、よく分けてるでしょう。俺がまだ見てるのに、もう次の形にしてる」
最初に持ってきた金具は、小さかった。
それが箱へ増え、曳舟の机へ広がり、今ではうちの子たちまで使っている。壊れたものを渡すと、あいつは嫌な顔より先に、どこから壊れたのかと聞いた。
今日も、同じ目をしている。
「これは、直すだけでは済みませんよ」
喜助が自分の腕を見る。
「使い方によっては、壊す方が早い」
「うん。だから、お前さんが選ぶんでしょう」
あいつの顔が上がった。
俺は頷き、先生の隣へ戻る。もう少し見ていたかったけれど、これは俺へ刀を見せるためだけの場ではなかったねぇ。
先生が幾つか尋ねた。
喜助は一つずつ答え、求められればもう一度手を動かす。分からないところは、分からないと口にした。夜一も今度は何も挟まず、その背を見ていた。
やがて先生が杖をつく。
「そこまでじゃ」
大きな女の姿が消えた。
喜助が刀を納める。袖を下ろす前に、烈がもう一度腕を確かめた。あいつは大丈夫ですと答えたが、それだけで退いてもらえる相手ではないよ。
俺も、よく知っている。
*
十二の字が、喜助の背にあった。
廊下の先を歩いているだけなのに、つい、そちらを見てしまう。今朝、一番隊で先生から任命を受けた時にも見た。あの箱を抱えてうちへ来ていた子が、今日は白い羽織を着ている。
「烏有隊長。背中に、何かついてます?」
「ついてるよ。十二って」
「ええ。そういう羽織を頂きましたので」
「似合ってるねぇ」
「ありがとうございます。まだ、引っ掛けそうで落ち着かないんスけど」
喜助が袖を少し持ち上げた。
隣の夜一が、その手を下げさせる。
「いつまでも触るな。余計に気になるじゃろう」
「夜一さんは、すぐ慣れました?」
「儂は似合うからな」
「なるほど。参考になります」
「その顔は、なっておらんな」
俺も笑って門を見た。
ひよ里が立っている。
こちらへ気づいても、迎えに歩いては来なかった。喜助が先に礼をし、十二番隊隊長として名を告げる。その間も、あの子の目は白い羽織へ向いていた。
「知っとるわ。何遍も来とったやろ」
「ええ。今日からは、戻る先がこちらになります」
「ほな、さっさと入れや。皆、待っとる」
ひよ里が背を向ける。
曳舟の時には、自分から荷を取りに来ていたねぇ。今日は喜助が持つ包みを一度見ただけで、そのまま先へ歩いていった。
喜助は何も言わず、後を追う。
俺たちも庭まで入らせてもらった。隊士たちが並んでいる。その中には、曳舟のところへ来るたびに顔を合わせた子もいた。俺へ頭を下げかけたので、先に喜助を見るよう目を向ける。
今日は、あいつが前へ立つ日だよ。
「浦原喜助です。よろしくお願いします」
喜助が頭を下げた。
顔を上げ、皆を見る。いつもの笑い方だったが、すぐに冗談を足すことはなかった。
「こちらへは何度もお邪魔しましたが、まだ教えていただくことばかりです。まずは、皆さんの仕事を見せてください。僕からも、始めたいことがありますので」
ひよ里が横を見る。
「始めたいこと?」
「ええ。そちらは、改めて御相談します」
「勝手に決めてから言うなよ」
「決める前に、お話ししてるじゃないスか」
「今ので何が分かんねん!」
声が庭へ響いた。
後ろにいた子の肩が少し動く。笑いかけたらしい。ひよ里がそちらを見ると、すぐに背が伸びた。
喜助はその顔まで見てから、もう一度口を開く。
「順番に、お名前も伺いたいんですけど。今日、現世へ出る方はいらっしゃいます?」
「三人や。先に出した」
「では、その方たちは戻ってから。ほかに、持ち場へ戻る必要のある方は、そちらを優先してください」
ひよ里が一人を呼んだ。
倉の鍵を渡し、昨日の続きを頼む。その子が返事をして列から離れると、喜助は向かいの者へ名前を尋ねた。
俺は夜一と少し下がった。
あいつが十二番隊の子へ礼をするのを見る。金具を持ってきた時にも、机を空けてくれた子へ、そうしていたねぇ。
夜一も口を出さなかった。
皆がそれぞれの持ち場へ戻る頃、ひよ里が喜助を呼ぶ。案内するから来いと言われ、あいつは包みを抱え直した。
「こちら、置いてきても?」
「自分の部屋へ置けや」
「ええ。その部屋が、まだ分からなくて」
「……こっちや!」
ひよ里が大きな足音で廊下へ上がる。
喜助はこちらを振り返った。俺たちへ礼をしようとしたので、手を上げて先へ行ってもらう。
待たせたら、また呼ばれるよ。
*
隊長室の戸は、開いたままだった。
夜一が二番隊へ戻り、俺も帰ろうとしたところで、喜助に呼び止められた。少し話したいことがあるという。
机の上には、まだ包みが一つだけ置かれていた。
曳舟が座っていた場所へ喜助が腰を下ろす。俺も向かいへ座ったが、つい机の端を見る。あの皿はもうない。食べられるものか尋ねる前に、駄目だよと止められたねぇ。
「お茶は、少し待ってください。どこにあるか、聞いてきますので」
「いいよ。お前さんも、今座ったところでしょう」
「そう言っていただけると、助かります」
喜助が包みを開いた。
出てきたのは帳面と、紙の束だった。見覚えのある線が覗いている。まだ同じ金具を直しているのかと思ったが、あいつはそれを端へ置き、別の紙を俺へ向けた。
「技術開発局のことなんですけど」
俺も座り直す。
曳舟の前で話していた時より、字が増えていた。何を調べるかだけではない。誰が作り、誰が使い、持ち帰られたものをどこで調べるか。そこへ喜助の字で名が添えてある。
「先生には?」
「設立については、お許しを頂きました。人数も場所も、これから整えることになりますが」
「そう。よかったねぇ」
「ええ。ただ、僕一人では始まりませんので」
その指が、紙の一か所へ触れた。
まだ何も書かれていない場所だった。
「一人、誘いたい相手がいるんです」
「もう決めてたの?」
「隊長になる前から、気になってはいました。ですが、二番隊へ連れてくる話ではありませんでしたから」
廊下で足音が止まった。
ひよ里が湯呑を二つ持っていた。机へ置きながら、喜助の紙を覗く。
「誰や」
「蛆虫の巣にいる方です」
「……は?」
湯呑から、手が離れなかった。
喜助はそちらへ顔を向ける。笑って誤魔化すかと思ったが、あいつは相手の名を口にした。
「
俺は喜助を見る。
蛆虫の巣の話は知っていた。夜一のところへ行った時にも、そちらへ向かう者を見たことがある。あそこにいる者へ、今度は一緒に来ないかと誘うのかい。
「向こうも、出たいと言ってるの?」
「いえ。そう簡単に頷いてくださる方ではないですね」
「何やねん、それ。出てきたない奴を、わざわざ連れてくる気か」
「まずは、話を聞いてもらわないと。こちらも、まだお誘いしてませんから」
ひよ里が腕を組む。
俺も紙へ目を落とした。喜助が何を頼むつもりなのか、そこには書いていない。
「喜助。何を任せたいの?」
「僕とは違うところから、研究を進めてもらいたいんです。同じものを見ても、あの方なら別のものを作るでしょうから」
曳舟の机で、二人が並んでいた時を思い出した。
俺が糸の切れたところを話し、曳舟が器へ溜めた霊力を確かめる。喜助は両方を聞いて、また金具を開いた。
あの時も、よく喋っていたねぇ。
けれど、蛆虫の巣にいる男が、同じように隣へ座ってくれるとは限らない。
「うまく話せそう?」
「どうでしょう。嫌われてはいそうですけど」
「もう嫌われとんのかい!」
喜助が頭を掻いた。
俺は茶を一口いただく。曳舟のところで飲んだものと同じ味がした。ひよ里はまだ立ったまま、喜助を見ている。
あいつは紙を畳んだ。
「猿柿副隊長。明日、付き合っていただけますか」
「何でうちが」
「僕が何をしようとしているか、見ていただきたいんです」
ひよ里の口が閉じた。
喜助は返事を急かさず、畳んだ紙を帳面へ挟む。俺も湯呑を机へ置き、腰を上げた。
「じゃあ、今日は帰るよ」
「もう、よろしいんですか?」
「うん。また来る。今度は、そいつの返事も聞かせてねぇ」
喜助が頷いた。
廊下へ出ると、後ろでひよ里の声がした。
「朝から行くんか」
「ええ。こちらの仕事を確かめてから、出ようかと」
「ほな、その前に来い。まだ見せてへんところがある」
喜助が礼を言う。
俺は振り返らず、門へ向かった。途中で十二番隊の子とすれ違い、もうお帰りですかと尋ねられる。
「うん。隊長なら、部屋にいるよ」
答えてから、少し笑った。
あそこへ喜助がいることに、俺も慣れていこうか。