閉ざされし戸に 望みを告げ
並びし影に 問いは生まれる
side:猿柿ひよ里
刀を預けろと言われた時点で、帰りたくなった。
こっちは副隊長やぞ。そう言いかけた横で、浦原はさっさと腰から刀を外していた。受け取った男も慣れたもので、そのまま奥の棚へ収める。うちの分まで待つように手を出され、仕方なく渡した。
「何やねん。丸腰で入らなあかんのか」
「ええ。中の方に奪われると、困りますから」
「奪わせへんわ」
「皆さん、そうおっしゃるんですけどね」
腹の立つ笑い方や。
昨日から何度、その顔を見たやろう。何を聞いても大抵は答えるくせに、聞いたうちだけが余計に苛立つ。曳舟隊長なら、言いたいことくらい先に分かってくれた。
比べてもしゃあない。
そう思うたところへ、浦原が先に歩き出した。
「猿柿副隊長。こちらです」
「分かっとる!」
追いついてから、少しだけ周りを見る。
蛆虫の巣。
名前は知っとった。隠密機動の管轄で、危ないと見なされた連中を閉じ込めとくところや。けど、入ってみたら牢の外に人がおった。
壁へ寄り掛かっている奴も、こっちを眺めている奴もいる。浦原へ声を掛ける者までおった。久しぶりですねぇ、と返す声が、うちの隊舎へ来た時と変わらへん。
「知り合いか」
「前の持ち場ですから。こちらへは、よく」
「そんなん聞いてへんぞ」
「ええ。今、お話ししました」
蹴ったろか。
足へ力が入ったところで、近くにいた男が立ち上がった。こっちへ来る。うちが身体を向けるより先に、浦原の手が伸びた。
男の手首が止まる。
「今日は、御案内しているところなんです。また今度にしていただけます?」
「隊長になったらしいな」
「おかげさまで」
「偉くなったもんだ」
男が手を引いた。
浦原も離す。揉めたうちに入らんような顔で、また先へ歩いていった。うちは男を見てから、その背を追う。
丸腰で入れる理由を、少しだけ聞いた気がした。
せやけど、褒めたるほどのことでもない。
「今の、何や」
「御挨拶です」
「もっと普通にさせろや」
奥へ進むと、ようやく檻があった。
中に、一人だけ座っている。
そいつは浦原の顔を見るなり、露骨に嫌そうな顔をした。ああ、なるほど。嫌われているという話だけは、ほんまやったらしい。
「何の用だネ。今度は見世物まで連れてきたのか」
「誰が見世物や!」
「猿柿副隊長です。僕の隊の」
浦原が横から答えた。
男の目が白い羽織へ動く。
「その格好は、何の冗談かネ」
「十二番隊を預かることになりました。今日は、涅さんをお誘いに」
「断る」
「まだ、内容をお話ししてないんスけど」
「君の下で働く話だろう。ならば、聞く必要はないヨ」
もう終わったやんけ。
うちは浦原を見る。ところが、こいつは帰る顔をしてへんかった。檻の前へしゃがみ、向こうが座ったまま見られる高さへ顔を下ろす。
「技術開発局を作ります。研究のための場所と人員を揃えて、継続して取り組めるようにしたいんです」
「君が好きに使うための、かネ」
「僕も使いますよ。ですが、涅さんにも使っていただきたい」
マユリの指が、膝の上で動いた。
興味がないなら、もうこっちを見んかったらええのに。そう思ったが、浦原の話も止まらへん。
用意する場所。持ち込める器材。今、十二番隊に残っている研究。
途中からは、うちの知らん話まで出てきた。
「その設備で、何を調べるつもりだネ」
「最初は使えるものから。必要なものは、作り足していきます」
「最初から不足しているじゃないか」
「ですから、手を貸していただけませんか」
マユリが鼻で笑った。
けど、今度は断らんかった。代わりに幾つか尋ね始める。浦原も即答したり、そこはまだ決めていませんと返したりしている。
うちは檻の横へ寄った。
こいつら、うちがおらんでも同じように話すんやろうな。そう思ったら面白くなかった。昨日、見てほしいと言うたんは、そっちやぞ。
「おい。連れてきたら、こいつに何をさせるんや」
「副局長をお願いしようと思っています」
「はぁ?」
マユリまで顔を上げた。
そこは、うちと同じ顔になるんかい。
「十二番隊では三席として。研究では、僕と一緒に局を動かしていただきたいんです」
「勝手に席まで決めとんなや!」
「受けていただけるなら、というお話です。猿柿副隊長のお仕事を、そのままお願いするわけではありませんよ」
「そんなん心配しとらんわ!」
ほんまに、そこやない。
昨日来た隊長が、今日、檻の中の男へ副局長を頼んでいる。うちの知らんところで話が進むのが嫌やった。せやのに、今、目の前で聞かされても腹が立つ。
曳舟隊長やったら。
また浮かんだ名前を、うちは口の中で止めた。
「君の次に置くと言うのかネ」
マユリが尋ねる。
浦原は頷いた。
「ええ。僕がいなくなれば、局の研究も設備も、あなたが引き継ぐことになる」
うちは横を向いた。
軽く言うなや。
昨日までおった人が、もうおらん。空いた部屋へ、別の奴が座っている。その話を、こいつは自分が消える時の誘い文句に使う。
「……お前が、おらんようになったら?」
聞き返す声が、思うたより低くなった。
浦原がうちを見る。
「ええ。研究を、僕がいる間だけのものにはしたくありませんから」
その顔は、笑ってへんかった。
言い返そうとしたところで、檻の中から声が来た。
「先に死ぬ予定でもあるのかネ」
「できれば、長く続けたいと思ってますよ」
「ならば、退屈な仕事ばかり持ち込まないことだ」
マユリが立ち上がった。
うちはそっちを見る。さっきまで壁へ預けていた背が離れ、檻の向こうへ足が来ていた。
「見てから決めるヨ。その研究室とやらを」
「ええ。御案内します」
浦原が立つ。
うちも背を起こした。帰る時には、こいつもついてくるらしい。朝、隊舎を出る時には二人やったのに。
「勘違いするなヨ。君を認めたわけではない」
「承知してます」
「している顔には見えないネ」
「そういう顔なんや、こいつは」
口を挟むと、二人ともこっちを見た。
何やねん。
先に睨み返したら、マユリは浦原へ目を戻し、ようやく一つ頷いた。
「そこだけは、同意しておくヨ」
*
十二番隊へ来たのに、喜助がいなかった。
代わりに、ひよ里が大きな板を運んでいる。片側を隊士の子が持ち、二人で廊下の角を曲がろうとしていた。ぶつかりそうだったので、俺も端へ手を添える。
「こっちへ持てばいい?」
「あ、烏有隊長。そっち、持ち上げてくれるか」
「うん」
少し上げると、板が柱を抜けた。
ひよ里が息を吐く。置き場所を聞くと、そのまま奥だと言われた。案内してもらいながら進む。喜助に会う前から手伝うことになるのは、前にもあったねぇ。
「何を作ってるの?」
「棚や。持ってきたもん、床へ置きよるから」
「そんなに増えた?」
「増えた。人も、箱も、よう分からんもんも」
最後のものは、俺もよく見たよ。
部屋へ入ると、机が二つ並んでいた。向かい合わせではない。窓際に一つ、部屋の奥にもう一つ。その間へ紙や器が積まれていて、通るには横を向いた方がよさそうだった。
棚板を壁際へ下ろす。
ひよ里が手を払ったところで、奥の机から声がした。
「そこで切らせるなヨ。木屑が入る」
「まだ何もしとらんわ!」
男が一人、こちらを見る。
こちらの顔より先に、羽織の字へ目を向けた。俺も立ち上がり、そいつへ顔を向ける。
「涅かな」
「そうだが」
「烏有玄十郎。よろしくねぇ」
マユリ。
喜助に名前を聞いた日にも、昔覚えた顔を思い出そうとはした。けれど、今、目の前にいる男を見ている方が早かった。俺が近づくと、その手が紙の上から退く。
「十番隊隊長が、何の用だネ」
「喜助に呼ばれたんだよ」
「ならば、浦原がいる時に来ればいい」
「いると思ったんだけどねぇ」
ひよ里が、鼻から息を吐いた。
「倉や。持ってくるもんがある言うて出てった」
「そっか。じゃあ、待たせてもらおうか」
座るところを探す。
椅子はあったが、箱が載っていた。動かしていいか聞く前に、マユリがそちらへ手を向ける。
「触るな」
「中に何が入ってるの?」
「触ってから確かめる癖があるなら、ここへ来る前に直しておきたまえ」
俺は手を下ろした。
そう言われると、曳舟にも似たようなことを言われたねぇ。あの時は、食べるものだと思っただけだったけれど。
「じゃあ、立って待つよ」
「そこも邪魔だネ」
「お前が物置いとるからやろ!」
ひよ里が箱を持ち上げた。
マユリの顔がそちらへ向く。何か言う前に別の机へ載せられ、椅子だけが俺の方へ押されてきた。
「座って。こいつの言うこと、全部聞いとったら門の外まで戻されるわ」
「ありがとう」
腰を下ろす。
マユリはひよ里を見ていたが、やがて自分の紙へ目を戻した。俺も、その手元へ少し顔を寄せる。
小さな器へ、何か入っていた。
黒い欠片に見える。触ってはいないよ。目だけ向けていたら、マユリの指が器を回し、こちらから見えない方へ寄せてしまった。
「それは、何を調べてるの?」
「説明を聞いて分かるのかネ」
「聞いてみないと、分からないねぇ」
男が顔を上げた。
怒ったのかと思ったが、少しして、器が机の真ん中へ戻ってくる。
「虚の残した霊圧を、どれだけ長く採取した状態で保てるか。それを確かめている」
「へえ。喜助も一緒に?」
「途中までのものを寄越してきたのだヨ。測る前に変質するなら、比べた結果にも意味がない」
「そこも直してくれたんだね」
「まだだ」
返事が早い。
俺も器へ目を戻した。喜助がいつも持ってくるものは、こうして向こうの机にも増えていくのだろうか。あいつにとっても、続きを任せられる相手ができたんだねぇ。
マユリが別の紙を取る。
「虚圏に長く滞在していたと聞いたが」
「うん。随分と歩いたよ」
「ならば、こちらの記録を見たまえ」
紙が、俺の膝へ来た。
喜助を待つだけのつもりだったので、少し笑ってしまう。名を告げた時には帰れと言われたのに、今は読むものを渡されていた。
俺は紙を広げた。
*
「もう、始めてらしたんですね」
喜助が戸口へ現れた時、俺は机の横で砂の中へ指を入れていた。
浅い皿に敷かれた、細かな白い砂だった。虚圏のものではない。砂の中へ隠れていた虚の話をしたら、ひよ里が外から持ってきてくれた。
「お前さんを待ってたんだよ」
「ええ。お待たせしました。……それで、こちらは?」
「潜る向きを見せてたの。あの虚は、頭から入らなかったからねぇ」
喜助が箱を下ろす。
マユリはそちらを見ず、紙へ何か書いていた。俺が覚えているところを話すたびに、いつ見たか、どこで見たか、近づいた時に何が変わったかと尋ねられる。
大きかったよと答えたら、どの程度だと聞き直された。
爺さんにも、そう言われたねぇ。見たものを話せと言われたのに、怖かったとしか答えられない。あの時は本当に、そればかり覚えていたのだけれど。
「地面に潜った後は、霊圧が小さくなったんですか」
喜助が隣へ来る。
「うん。俺が追ってなかったら、分からなくなってたかもしれない」
「潜る前に自分で抑えた可能性は」
マユリに聞かれ、俺は頷いた。
「あるよ。砂へ入ったからなのかは、分からないねぇ」
「ならば、分けて記録しておくべきだネ。そこを一緒にされては困る」
紙が俺へ戻ってきた。
俺が話したところへ、幾つか印が増えている。砂へ潜ったことと、霊圧が小さくなったこと。その間を繋いでいた線が消されていた。
そう。お前さんは、そこから確かめたいんだね。
「ありがとうございます。こちらの器でも、試してみましょうか」
喜助が箱から二つ取り出す。
マユリの目が、すぐそちらへ向いた。一つを手に取り、蓋を外して中を見る。俺には何が違うか、まだ分からなかった。
「内側を替えたのか」
「ええ。前のものでは、残る場所に偏りがありましたので」
「その偏りごと測る方が早い」
「最初に集める時点で変わってしまうと、後から調べたいことが増えた時に困るでしょう」
「何もかも残そうとすれば、容れ物ばかり大きくなるヨ」
「ですから、今、どこまで残せるか試したいんです」
マユリが喜助を見る。
喜助も、器から目を離さなかった。俺は砂から手を抜き、ひよ里の持ってきてくれた布で指を拭く。
二人とも、相手の言った通りにはしないらしい。
けれど、器は突き返されなかった。マユリが自分の机から別のものを持ってきて、喜助の隣へ置く。蓋の内側を指し、ここはまだ同じだと言った。
「はい。そちらは、比べてから替えます」
「ならば、先にこちらへ入れたまえ。混ぜるなヨ」
「承知してますよ」
ひよ里が俺の横へ立った。
「毎日やで、これ」
「うん。よく喋るねぇ」
「飯も忘れよる」
「それは、俺も言えないかな」
「あんたまでかい」
呆れた顔をされてしまった。
俺は布を返し、机の端へ目を向ける。喜助が持ってきた箱に、別の紙も挟まっていた。誰かの名前が並んでいる。その中に、さっき棚板を運んでいた子の名もあった。
「皆で使うの?」
「ええ。現世へ持っていっていただく分も、これから作ります。ただ、まだ試している途中ですから」
「持ち帰った時には、中身が変わってたら困るものねぇ」
「はい。それで、烏有隊長にも御相談したかったんです。虚圏で御覧になったものを、伺えないかと」
俺はマユリを見る。
先に、随分と聞かれたよ。
あいつもこちらを見ていた。喜助へ何か言うのかと思ったが、膝へ渡されていた紙を指すだけだった。
「続きを話したまえ。途中で止まっている」
「うん。次は、逃げた時の話だったね」
「待ってください。僕にも、最初から」
「後で読めばいいだろう。今、同じ話をさせてどうする」
喜助が口を閉じた。
ひよ里が少し笑う。俺も笑って紙を机へ載せ、空いているところを指で示した。
「じゃあ、喜助はここを見てて。砂から出てきたのは、俺の後ろだったんだよ」
二人の顔が、こちらへ向く。
俺も椅子を少し寄せた。長く旅をしたので、こういう話なら、まだ幾つも覚えている。
今日は喜助に何を見せてもらうのかと思っていた。
先に話すのは、俺になったねぇ。
「……茶、飲むんか。飲まんのか」
ひよ里の声で、三人とも顔を上げた。
盆の上に、湯呑が四つ載っている。さっきから待たせていたのだろうか。俺が手を伸ばすと、先に紙を退けろと言われた。
喜助が帳面を閉じる。
マユリも器を自分の方へ寄せた。空いたところへ湯呑が並び、ひよ里がようやく椅子を引いて座る。
「飲んだら、棚も片づけるで。そこの二人」
「はい」
「私まで数えるなヨ」
「お前のもん置く棚やろが!」
声が響いた。
俺は茶をいただき、向こうの机を見る。曳舟がいた頃よりも、置いてあるものが増えていた。次に来る時には、あの棚も埋まっているかもしれない。
それなら、先に覗いてから座ろうか。
湯呑を下ろした喜助が、もう帳面へ手を掛けていた。