細めし瞳に 刃は潜み
伸びゆく先に 春は遠し
「一年だって?」
俺が聞き返すと、平子は面倒そうに頷いた。
五番隊へ来て、まだ廊下を歩いている。今日は佐伯たちの稽古が済んだ頃に顔を出すつもりだったのに、門を入るなり平子に捕まった。見ていってほしいものがあるというので、俺は庭へ向かっていた足を戻したところだ。
「六年のところを、一年で出てきよったんです」
「へえ。それは早いねぇ」
「早いで済まされても困りますわ。教える方かて、次に何渡したらええか考えなあきませんから」
「お前さん、困ってるの?」
「俺は、これからです」
平子が戸の前で足を止めた。
中から返事がある。入ってええぞと声を掛けると、一人の子が出てきた。銀色の髪に、細められた目。随分と大きな死覇装を着ているように見えたが、袖から出した手は、ちゃんとこちらへ揃えられていた。
「初めまして。
頭が下がる。
俺も少し屈んで、その顔を見た。
「烏有玄十郎。よろしくねぇ」
「知ってます。十番隊の隊長さんやろ」
「うん。今日から五番隊?」
「昨日からです」
「じゃあ、俺より一日早く、ここの道を覚えたんだねぇ」
市丸が笑った。
「まだ迷いますよ。似たような廊下ばっかりで」
「俺も昔、違う部屋へ入ったよ」
「昔やのうて、この前も俺の部屋通り過ぎたでしょう」
平子が横から言う。
あれは向こうで佐伯の声がしたからだよ。そう返すと、ほな今度から声出して待っときますわと言われた。そこまでしてもらわなくても、戸は開けられるんだけれどねぇ。
市丸は俺たちを見上げていた。
口元は笑ったままだ。平子が庭へ行くぞと声を掛けると、すぐに脇へ退いて道を空ける。その腰に、小さな刀があった。
身体に合わせているのだろうか。
目を向けたところで、市丸の手が柄へ添えられた。
「見ます?」
「いいの?」
「ここで抜いたら、怒られそうですけど」
「分かっとるなら、庭へ出てからにせえ」
平子が先に歩き出す。
市丸もついていくので、俺はその隣へ並んだ。歩幅は小さい。けれど、曲がり角で俺たちが少し早くなっても、あいつは同じところにいる。
俺の目に気づいたらしく、顔が上がった。
「何です?」
「よくついてくるなと思って」
「置いていくつもりやったんですか」
「ううん。もう少し、ゆっくり歩こうかと思ったんだよ」
「ほな、このままでええです」
返事をして、また前を向く。
爺さんと歩いていた頃、俺はあの背中ばかり見ていたねぇ。追いつくと頭を押さえられ、離れると遅いと呼ばれた。こちらにも都合があると言ったら、なら俺より先を歩けと笑われたものだ。
この子は、俺の顔まで見ながら歩いている。
「隊長さん」
「うん?」
「前、来はった時、平子隊長と刀合わせたんやってね」
「うん。聞いたの?」
「皆、よう話してますよ。庭が逆さまになったんやろ」
「俺には、そう見えたよ」
「変な感じやねぇ」
見てみたいのかい。
聞く前に、平子が振り返った。
「人の始解の話聞く前に、今日は自分の刀、ちゃんと見てもらえ」
「はいはい」
「はいは一回や」
「はい」
今度は、俺も笑ってしまった。
*
佐伯は庭の端にいた。
藍染と並び、稽古を終えた子の話を聞いている。こちらへ気づくと一礼したが、俺は手を上げ、そのままでいいと伝えた。
市丸は俺の横から庭を眺めていた。
誰かを探しているのかと思ったが、平子が呼ぶと、すぐそちらへ顔を向ける。庭に残っていた五番隊の男が、刀を持って近づいてきた。
「昨日と同じでええ。解放なしで一本。止めるところは分かっとるな」
「はい」
男が答える。
市丸も頷き、短い刀を抜いた。向かいの男が構える間も、腕は下げたままだった。あの位置なら、手首へ先に届くねぇ。俺がそう思ったところで、平子の声がする。
「始め」
男が踏み込んだ。
肩へ向かった刀が、途中で下がる。市丸の手を狙ったのだろう。けれど、その手はもう引かれていた。短い刃が男の刀へ触れ、市丸の足が内側へ入る。
男の胸元で、切っ先が止まった。
「そこまで」
平子の声を聞いてから、市丸が刀を下ろした。
男は自分の刀を見る。もう一度と頼みかけたところを、平子に手で止められていた。
「先に、今の確かめとき。手ぇ狙うたんやろ」
「はい」
「そこまではええ。外された後、何見とった」
「刀を……」
「せやな。刀は見えてたな。ほな、こいつの足は?」
男の目が、市丸の足元へ落ちる。
市丸は何も言わなかった。刀を下げたまま、平子が話し終えるのを待っている。俺は少し近づき、その小さな肩の向こうから男の立っていたところを見た。
ああ。思っていたより、深く入ったんだねぇ。
「もう一度、動いてもらっていい?」
「ボクですか」
「うん。今の一歩だけ」
市丸が元の場所へ戻る。
男にも刀を構えてもらい、ゆっくり同じところへ振ってもらった。今度は俺も横から見る。手を引く時、踵が僅かに浮いた。
「そこ」
声を掛けると、市丸が止まる。
「もう、入るつもりだったの?」
「手ぇ斬られたら、嫌ですから」
「避けるだけでもいいでしょう」
「離れたら、また振ってきますやん」
あっさり返されてしまった。
俺は男の刀を見る。長さはこちらが上だ。市丸が後ろへ下がれば、次も向こうから届く。最初から近づくつもりで待っていたなら、腕を下げていたのも、そこへ振ってほしかったのかい。
「上手く来てくれたねぇ」
「来てくれへんかったら、別のこと考えます」
「うん。それも見たいね」
市丸の顔が、こちらへ向いた。
平子も俺を見る。
「今日は、こいつを見てもらうだけですよ」
「うん。見てるよ」
「今、刀へ手ぇやりかけたでしょう」
「まだ、触ってないよ」
柄の手前で止まった手を、開いて見せる。
平子は納得してくれなかった。俺の横へ立ち、市丸には先ほどの男と動きを確かめるよう言う。あいつははいと返事をしたが、戻る前に、もう一度こちらを見上げた。
「隊長さんとは、あかんの?」
「俺はいいよ」
「そっちが先に返事せんといてください!」
平子の声で、庭の向こうまで顔が上がった。
佐伯もこちらを見ている。
俺はまだ、刀を抜いていないよ。そう見せるように腰から手を離したら、あいつは少しだけ目を伏せた。
信じてもらえていないねぇ。
藍染が隣から歩いてくる。その手には、市丸が部屋へ置いてきたらしい鞘があった。
「ギン。先に、こちらを」
「おおきに」
短い刃が納まった。
藍染は男へも声を掛け、さっき受けたところを見せてもらっている。市丸はその横へ立ったが、俺へ聞いた返事は、まだ待っているようだった。
「平子。少しだけなら、どう?」
「少しで済みます?」
「お前さんが止めてくれたら」
「俺の仕事増やす方へ話持っていくん、上手なりましたねぇ」
平子が息を吐く。
それから、市丸へ顔を向けた。
「聞いたな。止めたら、そこで終いやぞ」
「はい」
返事が早い。
俺も羽織を脱ごうとしたが、佐伯が近づいてくる前に、平子にそのままでええと言われた。
「脱いだら長なるでしょう」
「そんなつもりはないよ」
「着とっても、刀は振れます」
それは、そうだねぇ。
俺は袖を少し寄せ、市丸の向かいへ立った。
*
「好きなところへどうぞ」
ゆめを抜くと、市丸の顔が少し上がった。
俺の刀を見ている。長さを確かめた後、今度は左手へ目が来た。さっき佐伯が皆へ教えていたのを、見ていたのかもしれないねぇ。
「掴むんも、ありですか」
「うん。お前さんも、好きにしていいよ」
「届くかなぁ」
笑ったまま、刀が抜かれる。
俺は左手を下ろした。今の間に踏み込むこともできただろうに、市丸は待っている。平子が始めと声を掛けて、ようやく足が動いた。
顔へ、切っ先が来る。
ゆめで外へ払うと、市丸は刀を引かず、そのまま下へ回した。俺の腕の下へ刃が入る。肘を引いて避けたところへ、今度は左手が伸びてきた。
袖を取るつもりかい。
俺も手を寄せる。けれど、市丸の指は布へ触れる前に閉じた。こちらの目が落ちたところで、短い刃が顎へ向かう。
「おっと」
ゆめの柄で受けた。
すぐ近くに、市丸の顔がある。目は細いままなのに、刃が止まったところは、ちゃんと見ているらしい。手首を返し、柄を避けてもう一度入れようとした。
俺は刀を立て、市丸の刃を外へ押す。
そのまま肩へ左手を置こうとしたら、あいつは下へ沈んだ。袖が指を擦り抜ける。足元へ向いた刀をゆめで止めると、今度こそ距離が開いた。
「よう避けはるねぇ」
「お前さんもね」
「ボク、まだ何にも触れてへんよ」
「うん。今の手も、掴まなくてよかったの?」
市丸が自分の左手を見た。
それから、口元を上げる。
「掴みにいったら、こっちが取られそうやったんで」
「そう。じゃあ、届かなかったわけじゃないんだねぇ」
返事の代わりに、あいつの刀が上がった。
今度は真っすぐ来ない。右へ一歩ずれ、俺が向きを変えるところへ踏み込んでくる。胸元へ来た刃を払うと、その腕が途中で緩んだ。
刀が、俺の刃から離れる。
ああ。それも、できるのかい。
短い切っ先が袖の下を通った。俺は肘を上げず、ゆめを持った手を引き寄せる。鍔へ当てて止めたところで、市丸の足がもう一歩入った。
近づけば、俺の刀は振りにくい。
そのつもりだったのだろう。けれど、こちらにも柄はあるよ。
握った手ごと向きを変え、柄頭を市丸の胸の前へ置いた。
足が止まる。
あいつの刀は、まだ俺の袖へ向いていた。そこから手を動かす前に、平子の声がする。
「そこまで」
俺は柄を離した。
市丸が半歩下がり、自分の胸元を見る。ぶつけてはいない。けれど、そこへ当たればどうなったかは、分かったらしいねぇ。
「……参りました」
「ありがとう。随分、近くまで来たね」
「近づいても、あかんかったですけど」
「うん。刀だけ見てると、ああいうものも来るよ」
俺が柄を見せると、市丸は自分の刀を持ち直した。
その先で叩くつもりなのかと思ったら、今度は反対の手へ渡しかける。平子が次は後やと言うと、素直に鞘へ納めた。
「今の、もう一回やったら変わります?」
「お前さんが変えたら、俺も考えるねぇ」
「ほな、一緒やね」
「うん。一緒に考えようか」
市丸が笑う。
さっき男へ向けていた顔と、同じだった。負けたのは悔しいのかもしれないけれど、俺の柄へ、まだ目が戻っている。
爺さんに初めて顎を小突かれた時、俺も同じように刀を見たねぇ。刃が届くところまで来たつもりで、あの人の手元へ顔を出していた。
「隊長」
佐伯に呼ばれ、そちらを見る。
「先ほど、柄を寄せる前に、左足を引いておられましたね」
「うん。あのままだと、膝がぶつかるから」
「そこから、もう一度前へ」
「見せようか?」
答えた途端、平子の手が上がった。
「今日は終わりです」
「今のところだけだよ」
「そんなん、さっきも聞きました」
佐伯まで、失礼いたしましたと頭を下げる。
俺が誘ったんだけれどねぇ。
ゆめを納めると、市丸もようやく俺の腰から目を離した。藍染がそちらへ声を掛け、次に行く場所を伝えている。今日は、まだ挨拶する者が残っているらしい。
「ほな、行ってきます」
「迷わず行けそう?」
「また同じとこ出てきたら、教えてください」
「いいよ。俺も、まだいるからねぇ」
そう返すと、平子に顔を見られた。
もう稽古はしないよ。口へ出す前に、市丸が小さく手を上げる。藍染の隣へ並び、廊下を曲がるところで、一度こちらを振り返った。
「今度は、袖ぐらい触りたいなぁ」
「うん。またおいで」
銀色の髪が、戸の向こうへ消えた。
俺は少し笑って、刀の柄へ触れる。
「一年で来る子も、いるんだねぇ」
「せやから、最初に言うたでしょう」
平子も廊下の先を見ていた。
やがてこちらへ向き直り、今度は自分の刀へ手をやる。俺が顔を上げると、あいつは先に口を開いた。
「抜きませんよ」
「まだ、何も言ってないよ」
「顔に出とるんです」
佐伯が隣で笑った。
仕方がないねぇ。今日は、もう帰ろうか。
そう思って歩き出したところで、平子に呼び止められた。
「そっち、門と逆です」
「ああ。そうだった」
曲がった先から、笑い声が聞こえた。
まだ、あの子も近くにいたらしい。
俺は平子の示した方へ向き直り、今度こそ佐伯と並んで門へ向かった。