受け止めし手に 声は届かず
閉ざされし瞳に 影は蠢く
拳西の腕を押し返すと、今度は反対の拳が来た。
顔の横を通して半歩入る。近づいた肩へ手を置き、そのまま地面へ伏せさせようとした。けれど拳西は足を踏ん張り、喉の奥から声を絞る。
痛むのかい。
手を緩める前に、白い指が俺の袖を掴んだ。引き寄せられる方へ足を出して肘を押さえる。拳西の身体が傾き、背後へ回した俺の刀が首の傍を通った。
斬るつもりはないよ。
「縛道の六十一、
六枚の光が胴へ刺さった。
拳西の足が止まる。俺は腕を離し、刀を下げた。白い仮面が振り返ろうとしたが、首だけではこちらへ届かない。そのまま肩を揺すり、光へ身体をぶつけ始めた。
「拳西。聞こえる?」
返事はなかった。代わりに仮面の口が開く。奥へ光が集まるのを見て、俺はそちらへ掌を寄せた。
虚閃。
何度も向けられたものだった。あの口から出てこなければ、構える前に分かっただろうねぇ。
放たれる瞬間、顎を上へ向ける。
光が木々を抜けて空へ走った。照らされた枝の向こうに、九番隊の幕が見える。その下にも人が倒れていた。
あそこまで、早く手を貸しに行きたい。
「ゆめ」
『ええ』
柄を握り直す。拳西はまだ動こうとしていた。光へ食い込む腕を見てから、俺は刀を胸の前へ立てる。
〈現を離れ、夢路を辿れ。待つ夜に果てはなし、
刃が霞へほどけた。
拳西の肩へ触れる。せめて眠っている間は、痛むことまで忘れていてほしかった。あの家で待っている者たちも、今夜は同じように眠らせてやれればいいのにねぇ。
喉から漏れていた声が途切れた。
上がりかけた頭が下がる。俺はその身体を支えてから六杖光牢を解き、根の張っていないところへ寝かせた。
仮面は消えない。
胸の上下を確かめ、その顔へ手を近づける。指先が触れると固かった。外から被せられたものなら、縁へ爪を掛けられるはずだ。けれど頬へ続くところまで一つになっている。
剥がしたら、お前さんまで傷つくのかい。
俺は手を退け、傍に落ちていた羽織を拾った。背の九を見てから畳み、頭の下へ敷く。
そこで葉が鳴った。
枝の間から白い足が来る。拳西へ向かうのかと思ったが、その先にいたのは、俺が最初に助けた男だった。
瞬歩で間へ入る。
蹴りを前腕で受けると、相手が宙で身を捻った。もう片方の足が顔へ向く。その足首を掴み、木から離れたところへ下ろした。
白だった。
こちらも顔が隠れている。さっき戸の前で子供へ手を振っていた指が、俺の喉へ伸びてきた。
「お前さんもか」
手首を受け止める。白は腕を引かず、そのまま頭からぶつかろうとした。俺は横へ回って肩へ触れる。
眠りへ落ちた身体を抱き留めた時、白の髪が袖へ掛かった。
草がついていた。
村まで走ってきて、また戻っていったばかりなのにねぇ。
二人を並べ、ほかの者へ目を向ける。近くに立っている霊圧はなかった。けれど倒れている者の中には、まだ息のある子がいる。
俺はそちらへ膝をついた。
「待たせたね」
腹へ当てた手が血で濡れた。男の唇が動く。俺が顔を近づけると、聞こえたのは隊長という声だった。
「うん。拳西もいるよ。今は眠ってる」
目が俺の肩越しへ向こうとする。身体を起こそうとしたので、その胸へもう片方の手を添えた。
「動かなくていい。俺が見てるから」
男の指が袖へ掛かった。
掴む力は弱かった。けれど離させる気にもなれず、そのまま傷へ回道を通した。
*
森の奥が光った時、私は村の屋根へ上がっていた。
拳西隊長の霊圧へ、よく知るものが重なる。隊長はもう着かれたのだろう。けれど九番隊の者たちは、こちらへ戻ってこなかった。
村を頼む。
そう言われたばかりだった。
「榛名。全員、家の中へ。見回りに出した組も戻せ」
「はっ!」
返事を背に聞き、私は森へ向いたまま刀を抜いた。人を集めた家は二つある。その間の道を押さえれば、どちらへも出られる。
隊長の霊圧が変わった。
山で何度も向かい合った気配だった。私は柄を握り直し、森から目を離さない。助けを待つ者を残して行かれる方ではない。今あちらで刀を解放されたのなら、それが必要な相手がいる。
その時、黒い蝶が下りてきた。
『佐伯。拳西と白が倒れてる。二人とも姿が変わって、隊士へ襲い掛かってた』
息を詰めた。
聞き直す相手は目の前にいない。蝶は隊長の声で、そのまま続けた。
『眠らせたけれど、戻らないんだ。烈と喜助へ来てほしい。九番隊にも負傷者がいるから、運べる者をつけてね。お前さんたちは村から動かなくていいよ』
私は蝶へ手を寄せた。
承知しましたと返し、すぐに伝令を呼ぶ。一番隊へ異変を伝え、四番隊と十二番隊へ隊長の言葉を届けてもらう。口にする間にも、拳西隊長と白副隊長の顔が浮かんだ。
昼には二人とも、ここへ来られていた。
「副隊長」
榛名に呼ばれる。
戸の傍に住民が立っていた。森の光を見たのだろう。私が下りると、何があったのですかと尋ねられた。
「九番隊に負傷者が出ています。今は烏有隊長が救助に当たっておられます」
男の顔が強張る。
私もその目を見ていた。大丈夫だと言えば、家の中へ戻ってくれるかもしれない。けれど隊長から届いた言葉を、聞かなかったことにはできなかった。
「こちらは我々が守ります。中へお戻りください」
榛名が戸を開けた。
男が入るのを見届け、私はもう一度屋根へ上がる。隊長の霊圧は森にある。拳西隊長のものも、先ほどとは違うものを含みながら、まだそこにあった。
消えてはいない。
そう確かめてから、村へ続く道へ目を戻した。
*
傷を塞いでも、目を開けない者がいた。
呼吸はある。首へ指を当てれば脈も分かる。けれど声を掛けても肩を叩いても、こちらへ顔が向かなかった。
俺が眠らせたのは二人だけだ。
倒れたところで頭を打ったのか。それとも、あいつらにも別の何かをされたのか。顔を照らすために鬼道の灯りを寄せ、瞼へ手を添える。
遠くで足音がした。
顔を上げるより先に知った霊圧が近づく。平子が木々の間から出てきた時、俺は男の肩から手を離した。
「平子。こっち」
「……何ですの、これ」
俺の顔を見る前に、拳西のところで足が止まった。
続いて来た者が二人いる。一人は鉢玄だった。大きな身体を屈め、倒れていた隊士の傍へ膝をつく。もう一人は周囲へ目を走らせてから、少し離れた木の向こうへ向かった。
「九番隊の異変で出されたん?」
「ええ。隊長が先に来てはるとは、途中で聞きましたけど」
平子が拳西の前へしゃがむ。
仮面へ伸ばしかけた手が止まった。その先にある口元を見てから、白へも顔を向ける。
「二人とも、これですか」
「うん。隊士へ向かってたから止めた。今は眠ってるよ」
「外れへんのですか」
「触っただけ。どこまで本人の身体か分からなくてね」
平子の手が下りる。
俺も隣へ膝をついた。眠りは続いている。けれど中で混ざり合っている霊圧までは、静かにならなかった。
拳西のものを探すと、ちゃんとある。
それなのに、一緒に虚まで眠っているようだった。
「隊長。あっちにも、二人」
向こうへ回った者に呼ばれた。俺はすぐに立つ。平子も続こうとしたが、拳西へ一度目を戻した。
「ここ、お願いします」
「分かりました」
鉢玄が答えた。
俺たちは木を回り、倒れていた二人へ近づく。一人の胸へ手を当てたところで、平子が隣の男を見た。
「東仙」
返事はない。
血のついた死覇装へ平子の手が寄る。俺も隣へ回り、傷を確かめた。背に傷があった。布を開くと、平子が向こうから灯りを寄せてくれる。
「生きてる?」
「ええ。息はあります」
「じゃあ、こっちへ手を貸して。少し横へ向けたい」
二人で身体を動かす。
平子は何も聞かなかった。俺が手を当てるところを空け、必要な時だけ男の肩を支える。その顔へ声を掛けていたが、やはり返事はなかった。
皆を見つけられたわけではない。
それでも今は、ここにいる者からだ。
手当てを終えて拳西たちのところへ戻る頃には、四番隊の子たちも着いていた。烈が俺を見つけ、その手元へ目を落とす。
「烏有さん。お怪我は」
「俺のじゃないよ」
「では、どなたから?」
俺は最初に助けた男を示した。
傷は閉じたけれど血を流している。ほかにも意識が戻らない者がいる。話している間に、烈はもう男の傍へ座っていた。
「皆さん。こちらからお願いいたします。運ぶ前に一度、私へ声を掛けてください」
隊士たちが散る。
俺も隣へ座ろうとしたが、烈が森の入口へ顔を向けた。
「浦原隊長も来ておられます。お二人のお話は、御一緒に伺いましょう」
喜助は拳西を見ていた。
平子が隣に立っている。いつものように、あいつの顔へ何か言っているわけではなかった。喜助が屈み、仮面の縁へ目を寄せる間も、黙ってその手を見ている。
「喜助」
呼ぶと顔が上がった。
「隊長が眠らせたんですね」
「うん。触れる前から、この姿だったよ」
「どれくらい経ちました?」
「白が村を出てから、そう経ってない。二人とも、その間に」
喜助が白を見る。
俺もそちらへ目を向けた。眠っていれば、いつもより小さく見えるはずなのにねぇ。白いものが顔を覆っているだけで、抱えてきた時まで別の者を運んでいるようだった。
「途中で意識は?」
「戻ってない。眠らせる前も、俺の声に返事はなかったよ」
喜助が頷く。
触れてもいいかと尋ねられたので、俺は拳西の傍を空けた。あいつの指が首へ添えられる。それから腕を取り、変わってしまった皮膚を確かめ始めた。
烈も来た。
喜助は場所を譲りながら、自分が見たところを伝える。烈の手が胸元へ下り、しばらくして顔が上がった。
「傷を塞ぐだけでは、元へ戻りませんね」
「……ええ」
喜助の返事が低かった。
俺は二人の間へ座った。拳西の顔を見て、白を見てから、喜助へ尋ねる。
「何が起きてるか、お前さんには分かる?」
喜助はすぐには答えなかった。
胸へ置かれた烈の手が退く。その下でも拳西は息をしている。俺はそれを数えながら待った。
「死神の魂魄が、虚へ変わろうとしてるんです」
平子の顔が動いた。
「虚に?」
「はい。少なくとも、今のお二人には虚の反応がある。それも外からまとわりついているんじゃなく、御本人の魂魄に」
俺は拳西の手へ目を落とす。
握れば、まだあいつの指だった。
虚と刀を合わせたことは何度もある。斬って送った先に、ちゃんと帰る場所があればいいと思ったこともある。
けれど、お前さんはもう帰ってきてるでしょう。
部下を連れて、皆が待っている九番隊へ。
「戻せる?」
喜助の指が止まった。
俺はその顔を見る。分からないところを分からないまま、いいよと言ってほしいわけではなかった。あいつもそれは分かったらしく、笑わずに頷く。
「方法を探します。今の状態を、もう少し調べさせてください」
「うん。必要なものは?」
「まずは、お二人を運べる場所へ。ここではできることが限られます」
「四番隊へお連れしましょう。負傷された皆さんも、まとめてお預かりできます」
烈が言った。
平子がすぐに立ち、担架を運んでいた子を呼ぶ。俺も白の傍へ回った。持ち上げようと腕を差し入れたところで、その指が僅かに曲がる。
まだ眠っている。
それでも内側から動こうとするものがある。俺はもう一度肩へ触れ、ゆめと一緒に眠りを深くした。
「烏有隊長」
烈がこちらを見る。
「運ぶ間も、お願いできますか」
「うん。俺がついてるよ」
白を担架へ下ろす。
拳西の方には平子がいた。羽織を頭の下へ戻し、持ち手へ手を掛けた隊士に、上げるぞと声を掛けている。
俺は空いた片手を見た。
血が乾いて、指を曲げると皮膚が引かれる。こいつを洗う前に、まだ声を掛けなければならない者がいた。
「佐伯へ、先に伝えてくれるかな」
近くの子へ頼む。村は引き続き守ってほしい。俺は二人について四番隊へ行く。そこまで話し、最後にもう一つだけ言い添えた。
「拳西も白も、生きてるって」
隊士が頷いて走る。
俺も担架の隣へ並んだ。喜助は向こう側を歩きながら、眠っている拳西の顔を見ていた。
今夜は、あいつにも帰ってもらえそうにないねぇ。
「喜助」
「はい」
「俺にできることがあったら、すぐ言ってね」
顔が上がる。
いつもなら、まだ試していないものを持ってこられるところだった。今日はあの箱も帳面もない。あいつは拳西へ目を戻し、それから俺へ頷いた。
「お願いします。隊長にしか頼めないことも、ありますから」
俺は白の肩へ手を置いたまま歩き出す。
村を出る時、佐伯には一緒に来てと言った。今度はあいつを待たせることになる。けれど、連れて帰る者は増えたよ。
まだ二人とも、自分では歩けないけれどねぇ。