戻らぬ姿に 手は添えられ
眠りの底に 声は届く
「それは、壊せないの?」
聞き返すと、喜助が頷いた。
作り方を尋ねたはずが、壊そうとした話まで聞いている。途中で分からないところを二度尋ねた。あいつはそのたびに言い直し、俺が拳西の手を確かめる間も待ってくれた。
けれど、最後の話だけは聞き違えようがなかった。
「自分で作ったものなのに?」
「ええ。困ったことに」
「……そっか」
喜助の手へ目が落ちる。
初めて持ってきた金具は、この掌へ載っていた。壊れたところを探しては直し、次には別のものを見せてくれたねぇ。今度は、もう作らなかったことにもできないらしい。
拳西の指が俺の手の中で曲がった。
眠りは続いている。けれど胸元の白い筋は、さっきより太かった。俺はその先を指で辿りかけ、途中でやめる。
「これを戻せるかもしれないのが、その崩玉なんだね」
「はい。ただ、使うことで今より変質が進む可能性もあります」
「それも先生へ話して」
「もちろんです」
戸が開いた。
先生は戻ってくるなり喜助を呼んだ。烈も拳西の胸から手を退けず、こちらへ顔を向ける。
俺たちは場所を移さなかった。
喜助はさっき俺へ話したことを、初めから伝え直した。死神と虚の境界について研究していたこと。その中で崩玉を作り、今は自分の手で壊すこともできずにいること。
先生は黙って聞いていた。
喜助の声が止まると、寝床へ目を向ける。
「使わずに戻す方法は」
「今の僕にはありません」
「使えば戻ると、確かめたわけでもないのじゃな」
「はい」
返事が部屋へ残った。
喜助は頭を下げなかった。先生もそれを求めず、烈を見た。
「卯ノ花」
「変化は続いております。回道を通した箇所にも、同じものが現れました」
烈が拳西の腕を示す。
白かったところへ、もう一つ筋が浮いていた。先生はその傍へ屈み、自分の目で確かめた。
「お二人をこのまま眠らせておくことはできます。ですが、それで今の姿に留められるとは申し上げられません」
「……うむ」
先生の手が膝へ戻る。
俺は拳西の顔を見ていた。皆で覗き込んでいるのに、文句の一つも言わない。起きていたら、そこまで顔を寄せるなと叱られたかもしれないねぇ。
「浦原。その崩玉は、今どこにある」
「こちらへ運ばせています。到着次第、お見せします」
「儂も立ち会う。処置を始める前に、何をするか話せ」
「……使っても、よろしいんですか」
「そのために呼んだのじゃろう」
喜助が口を閉じた。
先生は立ち上がり、拳西と白を順に見る。
「二人の身に使うのじゃ。分からぬことを、分かったように申すな。変わったことがあれば、その場で止めて伝えよ」
「はい」
今度は頭が下がった。
俺も白へ手を添え直す。目を覚ました時、部屋にいる顔を見て驚くだろうねぇ。先生まで待っているんだから、早く起きろと言ってやりたくなる。
けれど、まだ駄目だよ。
もう少しだけ、俺に預けておいてね。
*
ひよ里が箱を抱えてきた。
戸の前で喜助を見つけ、何か言いかける。その目が先生へ移ったところで足が止まった。
「入って、猿柿サン。そこへお願いします」
「……こいつで、合うてるんやろな」
喜助が受け取った箱には、布が何重にも巻かれていた。
ひよ里は渡した後も離れず、その手で最後の結び目が解かれるところまで見ている。蓋が開くと、俺も少し身を寄せた。
小さかった。
喜助の指がつまみ上げる。丸いものが灯りを受け、向こう側の指まで透かして見せた。
あれだけ話したものが、そこへ収まってしまうんだねぇ。
「それなん」
入口から平子の声がした。
ひよ里が振り向く。あいつはその横を通り、拳西の足元へ来た。
「使うなら呼べ言うたでしょう」
「今、準備をしているところです」
「せやから、今来たんや」
平子はそれ以上喜助へ近づかず、俺を見る。
まだ眠ってるよと答えると、拳西の方へ頷いた。
「何か持つんやったら言うてください。立っとるだけで済むんなら、ここにおります」
「うん。白の方を見ててくれる?」
「分かりました」
ひよ里も傍へ来かけたが、烈に呼ばれた。
白い筋がどこまで伸びたか、先ほどの紙と見比べてほしいらしい。渡された紙を両手で持ち、白の寝床へ回っていく。
喜助は拳西の胸元へ、細い線の入った板を添えた。
その隣へ崩玉を置く。すぐに何かが起きるわけではなかった。あいつは拳西の腕を調べたものを繋ぎ直し、紙へ伸びる線を確かめている。
「最初は拳西サンから。反応を確かめながら、少しずつ進めます」
先生が頷く。
烈は向かいから拳西の胸へ手を置いた。俺もその肩へ触れ、ゆめを呼ぶ。
『聞いておりんす』
「うん。お願いね」
喜助が顔を上げた。
「隊長。途中で眠りを変える時は、先に声を掛けてください」
「分かったよ」
「卯ノ花隊長も、変化があればすぐに」
「ええ」
喜助の指が崩玉へ寄った。
霊力が通る。
俺は拳西を見ていた。仮面の下で頬が動く。呼び掛けようとしたところで、肩が強く持ち上がった。
「喜助」
「そのままで」
拳西の指が寝具を掴んだ。
眠っているのに、歯を食いしばっている。俺は空いた手をその拳へ寄せた。爪が掌へ食い込む前に指を開き、自分の手を握らせる。
随分、力があるじゃないか。
そのくらいでいてくれた方がいい。何も返ってこない手を持っているより、こっちの方がずっと分かる。
烈の光が胸元へ広がった。
白い筋が浮き上がる。皮膚から離れるのかと思ったが、その下にも同じ色があった。
俺は顔を上げる。
「下にもあるよ」
「……ええ。見えています」
喜助の指が止まった。
紙の線が大きく曲がる。拳西の喉から声が漏れ、握られた手へさらに力が掛かった。
「喜助。眠りを深くする」
「お願いします」
ゆめと一緒に肩へ触れる。
拳西の腕が寝床へ戻った。けれど胸元の白いものは消えない。喜助は崩玉を離し、すぐに烈へ場所を譲った。
俺も手を動かさずに待った。
回道の光が肋の下へ移る。烈が呼吸を数え、首へ指を添えてから頷いた。
「今は、落ち着いておられます」
「……ありがとうございます」
喜助の手が下りた。
崩玉はまだ、その指にある。
「浦原」
先生に呼ばれ、顔が上がった。
「どうじゃ」
「虚化を解くことは、できていません」
俺は拳西へ目を戻した。
やっぱり、残っていた。
肩を掴んだ手を離したところで、どうにもならなかった。喜助が来れば何か変わると思った。あいつも同じように、これを持ってくればと考えたのだろうか。
「ただ、先ほどまでとは違います」
喜助が紙を寄せた。
俺もそちらを見る。並んだ線へ指を置き、一つずつ確かめていた。
「消せてはいません。でも、拳西サンの霊圧が戻っている。押し潰されていた方が、もう一度出てきています」
「本人のものが?」
「はい。隊長にも、触れて確かめていただけますか」
手首へ指を移す。
森で触れた時には、どちらを辿っても同じものへ行き着いた。今も虚のものはある。けれど、その中から拳西を探そうとすると、さっきより早く触れられた。
俺はもう一度確かめる。
長く刀を合わせた相手ではない。それでも、今日の昼には声を聞いた。村へ入ってきた時にも、俺より先に隊士へ道を空けていたねぇ。
「……うん。いるよ」
喜助を見る。
「あいつの方が、さっきより分かる」
「でしたら、次はそちらを保てるか試します」
喜助が崩玉を持ち直した。
先生へ向き直り、今度は虚の反応を消そうとせず、拳西自身の霊圧が弱まらないところを探したいと話す。烈は胸へ置いた手を動かし、先ほどの変化を確かめ直した。
「元へ戻す処置では、なくなりますね」
「はい。まず、ご自身の魂魄を保てるようにします」
喜助の目が拳西へ向く。
「このまま、変わり続けさせるわけにはいきませんから」
先生は紙を見た。
俺には読めなかった線を、しばらく眺めている。それから拳西へ目を戻し、短く続けよと言った。
俺も握られた手を持ち直す。
元の姿でなくてもいいと、決めてしまいたいわけではなかった。起きた拳西がどう思うかも、まだ聞いていない。
けれど、お前さんに聞くためにも。
今はここで、止まってほしい。
*
白の処置が済む頃には、窓が明るくなっていた。
ひよ里が紙を替える。平子は白の腕を支えたまま、喜助が指を離すところを見ていた。
「もう、ええんか」
「はい。一度下ろしてください」
寝具へ腕が戻る。
俺は肩へ手を添えたまま、白い筋を見ていた。途中から、伸びなくなっている。拳西の方も同じだった。烈が印をつけたところから、まだ増えてはいない。
「これで、止まったの?」
喜助はすぐには頷かなかった。
白を調べた紙を見て、それから拳西の方へ戻る。二人を確かめ終えて、ようやく俺を見た。
「今は。ただ、これからも同じ状態を保てるか、見ておく必要があります」
「うん」
「虚化が解けたわけではありません。眠りを解いた時に、また暴走する可能性もあります」
平子の手が白から離れた。
俺も拳西を見る。顔を覆っているものは、そのままだった。戻せなかったと聞かされる前から、皆の目に見えている。
喜助は寝床の前へ座った。
崩玉を容器へ戻す。その指が蓋へ掛かったところで、先生が声を掛けた。
「それは、この部屋で預かる。今後も使うなら、儂と卯ノ花へ知らせよ」
「はい」
「研究の記録も出せ。今夜の処置とは別に、確かめねばならぬことがある」
「承知しました」
喜助が容器を差し出す。
先生は受け取ってから、窓の外へ顔を向けた。廊下では四番隊の子が交代している。朝になったことを、ようやく足音でも知った。
「少し休め、浦原。次に手を動かす時、誤ってもらっては困る」
「……でしたら、記録をまとめてから」
「座って書け」
烈が椅子を寄せた。
喜助はそれを見て、小さく息を吐く。
「ありがとうございます。じゃあ、お借りします」
座ると、すぐ紙へ手が伸びた。
眠るつもりはなさそうだねぇ。けれど、俺も人のことは言えない。拳西の隣へ座り直すと、平子まで白の傍へ腰を下ろした。
先生が戸のところで振り返る。
「変化があれば呼べ」
「うん」
「烏有。起こす時もじゃ」
「分かってるよ」
杖の音が遠ざかる。
俺は拳西の手を寝具へ戻しかけた。握られていたところに跡が残っている。喜助へ見せたら、強く掴まれていましたからねと言われるだろうか。
その時、指が動いた。
俺は手を止める。
さっきまでの、腕ごと持ち上がろうとする動きとは違った。離しかけた俺の指へ、拳西の親指が触れている。
「烈」
呼ぶと、すぐに来てくれた。
胸へ手を添え、顔を覗く。喜助も筆を置いた。平子が立ち上がりかけたが、俺は空いた手でそのままと伝える。
眠りは、まだ深い。
その下から何かが触れた。
『お前様』
ゆめの声がした。
俺は頷く。いつもなら、そのまま眠らせておくところだった。今は、手の中へ戻ってきた力を確かめたい。
「喜助。少しだけ、浅くしてもいい?」
「……待ってください」
あいつが拳西の傍へ膝をつく。
胸元と紙を見比べ、烈の方へ顔を上げた。烈も首へ添えた指を離さずに頷く。
「すぐに眠らせられるようにしておいてください」
「うん。手は離さないよ」
近くの子へ、先生を呼んでもらう。
喜助が道具を寄せ直す間、俺は待った。拳西の指はもう動いていない。気のせいだったかと思いかけて、さっき触れられたところを見た。
今度はこちらから、少し握る。
「拳西」
返事はない。
けれど、名前を呼ぶのは久しぶりだった。ずっと顔を見ていたのにねぇ。
喜助がこちらへ頷いた。
俺はゆめと一緒に、眠りを緩める。
拳西の胸が大きく動いた。
肩が上がる。烈の手がその下へ入り、息を吐くのを待っている。俺は動かず、その顔を見ていた。
白い仮面に、細いひびが入る。
砕こうとはしなかった。
ひびの向こうで瞼が動いた。拳西自身のものだった。もう少し見せてほしくて、俺は顔を寄せる。
「聞こえる?」
唇が動く。
掠れた息が漏れた。喜助が水へ手を伸ばしかけ、烈に待つよう言われる。
拳西の目が開いた。
こちらを見たのかは分からない。焦点の合わない目が天井を動き、俺の顔の辺りで止まる。
握っていた手に、力が戻った。
「……白は」
平子が顔を上げた。
俺も、すぐには答えられなかった。
何度声を掛けても、返ってこなかった。あの森からここまで抱えてきて、眠らせ直すたびに、次は起きてくれるのかと考えた。
それで、最初に聞くのがお前さんの副隊長かい。
「いるよ」
隣の寝床が見えるよう、少し身体をずらす。
「一緒に連れて帰ってきた。今は眠ってる」
拳西の目がそちらへ向いた。
平子が寝床の脇へ退く。白はまだ眠っていた。朝の光が髪へ掛かり、ひよ里がその顔へ落ちていた一房を払ってやる。
拳西の肩が下がった。
「そう、か」
目が閉じかける。
俺は手を離さず、もう一度だけ声を掛けた。
「うん。だから、お前さんも休んで。話は、後で聞くよ」
小さく、指が動いた。
それを返事にして、今度は眠ってもらう。呼吸が深くなるまで待ってから、俺はようやく顔を上げた。
喜助が拳西を見ていた。
筆も持たず、紙へも目を向けていない。烈がその肩へ声を掛けるまで、同じところを見つめていた。
「浦原隊長。今のお声も、残しておいてください」
「……はい」
喜助が紙を取る。
平子は白の隣へ戻り、膝へ手を置いた。
「こっちは起きたら、腹減った言いそうやな」
「うん。何か用意しておこうか」
「まだ食べさせてはなりませんよ」
烈に言われ、二人で口を閉じる。
その向こうで、喜助が少しだけ笑った。
戸の外から杖の音が近づいてくる。
俺は拳西の手へ目を戻した。まだ白いものは残っている。元へ戻せたとは、とても言えなかった。
それでも今度は、先生へ聞いてもらえるねぇ。
ちゃんと、こいつの声がしたよ。