卍解せずにはいられない。   作:lalaland

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夢と呼んで 聞き流した
名も知らぬ お前の声を




2.無銘の刃

 

 

 山本重國に会うことになった。

 

 男の後ろを歩きながら何度かその名前を頭の中で繰り返した。記憶にあるのは長い髭を蓄えた爺さんの姿だ。額の傷も閉じているような目も、怒った時の顔も覚えている。ところが塾を開いていた頃に何歳だったかと言われると、まるで分からなかった。

 

 学校を作ったのが確か二千年くらい前だったはずだ。今から二千年後に一護が生まれるのか、それとももっと先なのか。考えても答えは出ない。五百年も前に読んだ漫画の細かい数字を、今さら思い出せと言われても困る。

 

 それでも楽しみだった。

 

 刀を拾った頃、俺は人が刀を抜くたびに逃げていた。少し扱えるようになってからも、相手が何人いるか、逃げる道がどこにあるか、そればかり見ていた。違う剣を見たいと思えるようになったのはもっと後だ。自分が今日も生きて帰れると思えるようになるまで、随分とかかった。

 

 その俺が山本重國の剣を見に行く。前世で読んでいた時には、この男と打ち合うなど想像しても仕方のないことだった。それが今は歩いていけば会えるところにいる。

 

 足が勝手に速くなっていたらしく、前を歩く男が振り返った。

 

「急がずとも塾は逃げん。お前の方が俺より行き先を知っているような歩き方だな」

「いや、知らない。楽しみにしてるだけだよ」

「先生の稽古を受けてからも、そう言えるといいが」

「そこはお手柔らかに頼むさ。初対面の相手を斬り倒すような人じゃないんだろ?」

「理由もなくは斬らん」

 

 思っていたより安心できない返事だった。

 

 元字塾は低い塀に囲まれた建物だった。門の向こうで木刀の音がしている。二人の男が庭で打ち合っていたが、こちらに気づくと手を止めた。案内役が奥へ声を掛け、一人が木刀を置いて建物へ入る。

 

 待っている間、俺は庭を眺めていた。踏み固められた土には足を滑らせた跡が何本も残っている。軒先の木刀も一見して使い込まれていると分かった。飾りに刀を持っている連中の集まりではなさそうだった。

 

「何を連れてきたかと思えば」

 

 戸の開く音に顔を上げた。

 

 額に傷のある男がこちらを見ていた。記憶の中よりずっと若い。背も肩も思っていた以上に大きかった。見上げながら、ようやく挨拶を思い出す。

 

「烏有玄十郎です。剣を教えてると聞いて、話を伺いたくて」

「先生。道で五人の賊を倒していた者です。刀を抜かずに済ませたそうで」

「抜いても腹は膨れないんで。残った一人から飯を売ってもらいました」

 

 山本は俺の顔を見た。次いで腰の刀へ視線を下ろし、近くにいた門下生へ手を出す。差し出された木刀を受け取ると、もう一本をこちらへ投げてよこした。

 

「まずは見せてみい」

 

 受け取った木刀を握る。柄の辺りが磨かれていて、誰かが長く使っていたものだと分かった。

 

「借り物で大丈夫ですか。俺、こういうので稽古したことあんまりないですよ」

「使い方まで違いはせん」

「折れた時に困るなと思って」

「その時は、その時じゃ」

 

 山本が庭へ下りたので俺も腰の刀を外した。縁側へ置くと、さっきまで稽古をしていた男が場所を空けてくれる。礼を言って庭へ戻り、山本と向かい合った。

 

 木刀の先が俺の胸を向いていた。近づこうとして足が止まる。間合いに入る前から、こちらの進むところへ切っ先がある。正面から打てば受けられるだろうし、横へ回ればそれに合わせて動くだろう。試しに右へ足を出すと山本の木刀が僅かに動いた。

 

 俺はそのまま踏み込んだ。

 

 打ち下ろした木刀を受けられる。触れた瞬間に力の向きが変わり、こちらの刃が外へ逸れた。山本の手元が上がる。顔へ来る一打を身体を沈めて避け、低い位置から脇へ返した。

 

 今度は逸らされる前に柄を引き、鍔のない木刀同士を近いところで押し合わせる。力を込めると山本の足が土を削った。こちらが押した分だけ退いたところで相手の肩が回る。背中へ通そうとした木刀が俺の手首へ来た。

 

 左手を離し、右手だけで木刀を引き戻す。空いた左手を向けると山本の袖が膨らんだ。胸へ押し込んだ力を受けられたのだと分かる頃には、向こうの切っ先が喉へ伸びていた。

 

 首を引き、木刀を横へ合わせた。

 

 大きな音が鳴った。山本の木刀を上へ弾き、もう一歩入る。胸元へ柄を向けたところで相手の左手がこちらを向いた。細いものが腕へ巻きつき、肘の動きを止める。

 

 腕へ力を集めて引くと拘束が砕けた。破片が散る間に山本の膝が上がる。受ければ足が止まるので腰を捻って外し、肩を押した。

 

 山本が退いた。

 

 俺も追おうとしたが手元が急に軽くなった。握っている木刀の先が半分ほどなくなっている。山本の手にも短くなった木刀が残っていた。折れたところが今になって土へ落ちる。

 

「……だから聞いたんですけど」

「お前一人のせいでもなかろう」

 

 山本は木刀を下ろした。こちらも下ろすと、庭の外へ退いていた三人が何とも言えない顔で見ている。人の使っていたものを壊したのだから申し訳なくはあった。

 

 ただ、それより先に気になることがあった。

 

 山本重國と打ち合って、まだ身体が動く。腕も脚もいつものように使えている。木刀が折れなければ、もう少し続けられた。

 

 転生したこの身体は随分と才能があるらしい。

 

「剣は誰に習った」

「決まった相手はいません。見せてもらったり、真似したりですね。生きて帰れた時は次も使おうと思ってました」

「どれほどの間、そうしてきた」

「五百年くらいです。途中から数えてないんで、少し違うかもしれませんけど」

 

 山本が木刀から手を離した。門下生が受け取ったが、折れた先を拾うことまで忘れてこちらを見ていた。

 

「五百年、仕える者もなくか」

「ずっと一人だったわけじゃないですよ。一緒に山を越えた奴も、長く世話になった村もあります。ただ、そこに居続ける理由がなくなるとまた歩いてました」

 

 山本が縁側へ向かう。俺にも座るように言ったので、折れた木刀を返して後を追った。

 

 水の入った椀が出てきた。飲んでいる間に山本が俺の刀を持ち上げる。勝手に抜かれて少し落ち着かなかったが、止める理由もない。鞘を引いて刃を見た山本はすぐ収めずに柄へ視線を移した。

 

「これも五百年か」

「はい。死んでた男から借りました。あの頃は持ってるだけで少し安心できたんです。抜き方もろくに知らなかったんですが」

「今は木刀でも変わらず使えるようじゃな」

「木刀の方は先に折れましたよ。こいつなら、もう少し持ったと思います」

 

 手を出すと山本は刀を収めて渡した。いつもの重さが戻る。柄を握ったまま、さっきの打ち合いを思い返した。

 

 この刀なら次の一打も受けられた。

 

 そう考えてから、山本の刀も折れたわけではなかったことを思い出す。続ければ向こうも同じように変わるだろう。そこまで試したくなる相手に会ったのは久しぶりだった。

 

「さっき、木刀へ随分と力を通しておったな」

「そうしないとすぐ折れるんで。刀にも通してますよ。刃こぼれさせると後が面倒ですから」

「手入れも自分で覚えたか」

「人に聞きました。最初は研げばいいと思ってたんですけどね。削りすぎだと怒られました」

 

 その男には油の使い方も教わった。刀を磨いている間だけ、こちらへ顔を向けずに話す男だった。何度か飯を分けてもらったが、こちらが尋ねなかったのでとうとう名前は知らないままだ。

 

 今なら聞いておけばよかったと思う。あの人に会わなければ、この刀の形は随分変わっていただろう。

 

「先生。この刀にも名前があるんですよね」

 

 山本の目が俺の手元へ向いた。

 

「斬魄刀のことを知っておるのか」

「話くらいは。ただ、こいつもそうなのかは今日まで考えたことがなくて」

 

 前世では知っていた。斬魄刀には名前がある。名前を聞き、その名を呼ぶことで刀は姿を変える。始解に卍解。読んでいた頃は次に誰の刀が明らかになるのか、それだけで続きを待てたものだ。

 

 しかし、この五百年間、腰の刀を斬魄刀だと思ったことは一度もなかった。ここがBLEACHの世界だと分かって初めて結びついたのだ。人を吹き飛ばした力も、目で追えない速さも、拾った刀が何百年も折れずにいることも。

 

「名前を聞くにはどうしたらいいんでしょう。こちらから話しかければ答えてくれるんですか」

「既に向こうから話しかけておるかもしれんぞ」

「俺にですか。聞こえてたら、さすがに気づくと思いますけど」

「眠っておる時でも構わん。誰かに呼ばれた覚えはないか」

 

 眠っている時と言われて、昔見た夢を思い出した。

 

 誰かに話しかけられたことがある。顔は覚えていないし、何を言われたのかも曖昧だ。ただ、こちらが聞き返すと相手がひどく苛立っていた。それも一度ではなかった気がする。

 

 起きている間は生きるのに必死だったから、寝ている時くらい静かにしてくれと思ったことまで覚えていた。夢の中の相手に文句を言って、目が覚めればそれきりだった。

 

 最近も似た夢を見なかっただろうか。

 

 探し始めると思い当たる夜が幾つもあった。知らない場所に立っている。知らないはずの相手が俺を知っているように話す。何の話だと尋ねるとまた怒られる。嫌な夢だったと片づけて、翌日には忘れていた。

 

「……あるかもしれません。夢だと思ってまともに聞いてなかったんですが」

「その相手が何を言うたか覚えておるか」

「そこがどうにも。俺が話を聞かないせいで怒ってた気はします」

 

 腰の刀へ目を落とした。

 

 こいつが黙っていたのではなく、俺が聞いていなかったのか。

 

 眠っている時に斬魄刀の声を聞く。前世で読んでいれば不思議にも思わなかっただろう。ところが自分の身に起きていたとなると、そんなものだとは考えもしなかった。俺にとって夢は夢で、目が覚めた後の空腹や寒さの方がずっと大事だったのだ。

 

「もし、あれがこいつだったなら随分待たせましたね」

「次に会えばそう言うてやれ。こちらへ言っても刀の機嫌は直らん」

「機嫌、直してくれますかね。五百年ですよ」

「知らん。わしが怒らせたわけではない」

 

 言われて笑った。確かに山本へ尋ねても仕方のない話だった。

 

 あの夢の相手がこの刀の声だったのかは、まだ分からない。ただ、思い出す理由ができた。次に同じ夢を見たら何を言っているのか聞いてみよう。前は怒っていたが、今度はこちらにも話したいことがある。

 

 刀へ添えた手を離すと山本が庭へ目を向けた。門下生の一人が折れた木刀を拾い、もう一人と断面を見比べている。俺を連れてきた男も加わり、何か話していた。

 

「先生はあいつらにも同じように教えてるんですか」

「同じようにはいかん。お前は教わりに来るには長く剣を使いすぎておる」

「変な癖がついてるってことですか」

「それで生きてきたのじゃろう。こちらの形へ直して、次に死なせては意味がない」

 

 山本は俺の左手を見た。

 

「先ほども柄を離した。両手で振るう方が強く打てるが、お前には空いた手でできることがある。ならば離す理由がある」

 

 褒められているのかと思ったが、声はそういう調子ではなかった。山本は庭の男たちへ目を戻し、続けた。

 

「あやつらには、まず両手で握らせる。お前を見て真似したところで同じことはできん」

 

 庭の三人を見た。木刀を一本横へ差し出した男が片手で持ち直している。俺たちに見られていると気づくと、慌てて両手へ戻した。

 

 少し昔の自分を思い出した。

 

 速く動く男を見て同じように踏み込もうとしたことがある。足の置き方も身体の向きも、それなりに真似したつもりだった。実際にはその場で足を滑らせただけだったが。見えているものが全部ではないと覚えるまで、痛い目にも遭った。

 

「俺、見せに来る方でもよさそうですね」

「そのつもりで明日も来い。お前が道で拾ったものを、こちらも見たい」

 

 話が決まるのが早かった。

 

 ただ、今度は弟子を押しつけられたという感じではなかった。山本自身が見ると言っている。その男の剣も術も、俺はまだ見足りない。

 

「じゃあ、俺にも鬼道を見せてください。さっき腕に巻きついたやつ、あれもそうですか」

「こちらの名も知っておるのじゃな」

「知ってるのと使えるのは別ですけどね。さっきは固いものが巻きついてきたんで、引き千切っただけです」

「霊子を固めたものじゃ。お前のように千切れる相手ばかりなら、あの程度では役に立たんがな」

 

 鬼道、と聞いて忘れかけていた詠唱の一節が浮かんだ。

 

 黒棺だ。藍染が唱えるあの言葉を覚えたくて何度も読み返した。人に聞かれないところで真似したこともある。最初の一節を思い出すと続きも出てきた。五百年も使わずにいた記憶が、こんなところで残っている。

 

「先生。覚えてる詠唱があるんですけど、試してもいいですか」

「何の術じゃ」

「黒棺です」

 

 山本がこちらへ顔を向けた。

 

「誰に教わった」

「昔、詠唱を知る機会があったんです。ただ、その頃は使えるとは思ってなくて」

「詠唱を知っておりながら、使わずにおったと?」

「さっきまで、それが鬼道だってことも忘れてましたから」

 

 自分で言っていても妙な話だった。山本が怪訝な顔をするのも分かる。だが、五百年間ここを昔の日本だと思って暮らしていた事情まで話せば、もっと説明が要る。

 

「随分と都合のよい物忘れじゃな」

「俺もそう思います。覚えてたのが役に立つか、一度試したいんですよ」

 

 山本は俺を見たまま少し考え、やがて立ち上がった。

 

「ついてこい。ここで放たれては困る」

 

 建物の裏手から木立を抜けると、土の露出した斜面へ出た。麓には大きな岩がある。山本はそこを指し、俺の隣から少し離れた。

 

「あれを狙え。術が乱れれば、わしが止める」

「お願いします」

 

 岩へ右手を向けた。離れた相手を吹き飛ばす時と同じように力を集めながら、覚えている言葉を声にする。

 

「滲み出す混濁の紋章 不遜なる狂気の器 湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる」

 

 口にしてから、続きが間違っていないか考える余裕まであった。何度も真似した詠唱だ。あの頃はこの右手から何も出なかったし、唱え終わった後に残るのは、誰にも聞かれていないかという心配だけだった。

 

 今は岩の周囲に黒い影が伸びている。

 

「爬行する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形」

 

 影が厚みを増して立ち上がった。岩の左右を覆い、奥を塞ぎ、頭上へ伸びていく。目の前で出来上がっていくものを見て、声に少し力が入った。

 

「結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ 破道の九十・黒棺」

 

 黒い壁が閉じた。

 

 岩を囲んだ棺へ幾本もの黒い刃が突き入る。右手を向けたまま、その光景を見ていた。砕けた石が飛んでくることも、土煙が上がることもない。中の岩は完全に隠れていた。

 

 やがて黒棺が消えると、岩のあった場所に細かな石片が崩れ落ちた。背後の斜面まで削れている。もう少し近いものを狙っていたら、俺たちの立つ場所も巻き込んでいただろう。

 

 右手を握って開いた。放った分だけ力を使った感覚はあるが、まだ余裕があった。

 

「……本当に使えた」

 

 思わず笑うと山本がこちらを見た。

 

「詠唱だけ覚えておったという話、嘘ではあるまいな」

「そこは本当ですよ。使ったことがあれば、さすがに忘れません」

「九十番台を初めて放って、その顔か」

「いや、驚いてますよ。嬉しい方が先に来てるだけで」

 

 前世であれほど真似した術が、今は俺の手から出た。岩の跡へもう一度目を向ける。あそこに黒棺を出したのが自分だと思うと、どうしても口元が緩んだ。

 

 山本は崩れた斜面へ近づき、足元の石片を拾った。指の間で転がしてから落とし、俺を振り返る。

 

「他にも覚えておるのか」

「幾つかは。ただ、最後まで唱えられるかとなると怪しいですね」

「思い出したものは先に言え。試す場所はこちらで決める」

「じゃあ、また見てもらえるんですか」

「放たせてよい術か聞くと言うておる」

 

 それでも試すなとは言われなかった。俺は頷いて山本の後を追った。塾へ戻る間にも他にどんな詠唱を覚えていたか考えていたが、黒棺の言葉ばかりが繰り返し浮かんだ。

 

 庭へ戻ると門下生たちがこちらを見た。木刀を持ったまま裏手を気にしている。山本は稽古を続けるように言ってから、縁側へ腰を下ろした。

 

 俺も隣へ座り、置いていた刀を手に取った。黒棺を放った右手で柄を握る。こちらにも名前があるのだ。今まで夢の中で聞き流してきた相手が、次は何を言うのか気になった。

 

「もう少し、ここにいてもいいですか。聞きたいことが増えてきました」

「明日も来いと言うたろう」

 

 山本が庭へ向かって声を掛けると、一人が建物の奥へ走っていった。残る二人には別の木刀で稽古を続けろと言う。

 

「部屋を空けさせる。外で寝る癖があるとしても、ここへ来たからには屋根の下を使え」

「泊めてもらえるなら助かります。何か手伝うことがあれば言ってください」

「それは明日のお前を見て決める」

 

 帰り道の心配がなくなったので、俺は縁側に置いていた荷物を引き寄せ、長く歩いてきた足を伸ばした。

 

 庭で木刀の音が再び鳴り始めた。二人ともさっきより慎重に相手を見ている。片方が左手を離しかけ、すぐ握り直したところで山本が名前を呼んだ。

 

 怒られるのかと思えば、なぜ離そうとしたのかを聞いている。男は木刀を持ったまま考え込み、やがて俺がやっていたからだと答えた。

 

「ならば烏有に聞け」

 

 山本がこちらへ顔を向けた。

 

 どうやら手伝うことはもう決まったらしい。俺は荷物を置き直し、裸足で庭へ下りた。

 

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