卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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隔てる山河に 道は眠り
渡らぬ岸にも 灯はともる




20.彼岸の道標

 

 

 昨夜考えた言葉を、朝のうちに紙へ書きつけた。白縫の詠唱には、巻きついたものへ沿い続ける働きも加える。声に出して辿り、長すぎるところを削っていると、老人が後ろを通った。

 

「今日は山へ行かんのか」

「これを書いたら行くよ。爺さんは?」

「麓じゃ。塩が切れる」

「じゃあ、俺も行こうかな」

 

 筆を置き、紙を重ねた。老人が棚から袋を取る間に、俺も刀を腰へ差した。

 

 家を出てしばらくは、並んで歩ける道が続く。畑の脇を抜けた先で細くなり、そこから谷へ下っていく。何十年も歩いてきた道だった。どの岩が滑るかも、雪が残りやすいところも覚えている。

 

 谷へ入る手前で振り返ると、木々の間から家の屋根が見えた。

 

「近くに見えるんだけどな」

「何がじゃ」

「家。ここから麓まで行って戻ると、結構歩くだろ」

「嫌なら、帰りは走れ」

「爺さんを置いて?」

「塩も置いていけ」

 

 俺は笑い、先へ足を向けた。

 

 前世で読んだ死神たちは、穿界門(せんかいもん)を通って現世へ行っていた。鬼道衆(きどうしゅう)が門を開き、地獄蝶(じごくちょう)に導かれて世界を渡る。蝶を連れずに入った一護たちは、断界(だんがい)を走ることになった。

 

 けれど今は、鬼道衆もいない。門の管理を頼める場所もなければ、地獄蝶を連れていく当てもなかった。

 

 現世へ行くなら、自分で道を用意する必要がある。

 

 その前に、この山で試せることがあった。

 

「麓と家を繋げられたら、買い物も楽になるよな」

「誰が繋ぐ」

「俺」

「なら、塩を買ってからにせい」

 

 老人は谷の向こうを指した。木々の隙間に、村から立つ煙が見えていた。

 

 俺はそこへ目を向けながら、昨夜の続きを考えた。

 

 白縫には、巻くという働きを持たせられた。炎には、狙ったところへ飛ぶ働きを与えられる。門を作るなら、そこを通ったものが、もう片方の門へ出るように定めたい。

 

 最初は、この山の中でいい。

 

 入口と出口の両方を自分の目で見られるところに作り、何が通ったかを確かめる。それができれば、次は谷を挟んで試せる。

 

「爺さん。帰ったら、少し付き合ってくれないか」

「また石か」

「石も使うと思う。でも、今度は消さない」

「そうか」

 

 老人は足元の枝を踏み越えた。

 

「消したら、呼べ」

 

        *

 

 岩場の両端へ、平たい石を一つずつ置いた。

 

 片方は俺の足元にあり、もう片方は老人の傍にある。間は二十歩ほどだった。どちらの石も、霊子のまとまりを捉えられる。

 

 掌を開き、足元の石の上へ霊子を集めた。

 

 白い輪が立ち上がる。大きさは茶碗ほどにした。老人の傍にも同じ輪を作り、それぞれへ意識を向けたまま、小石を一つ拾った。

 

「そっちを見ててくれ」

「見ておる」

 

 手元の輪へ、小石を入れた。

 

 指を離すと、小石は輪を抜け、そのまま足元へ落ちた。老人の傍には何も出てこない。

 

 俺は落ちた石を拾った。

 

 輪は二つとも残っている。片方へ入ったものを、もう片方へ送るつもりで作ったが、まだその働きが通っていなかった。

 

「ただの輪っかだな」

「石を投げれば、こちらまで来るぞ」

「それだと、俺も投げてもらうことになるだろ」

「投げてほしいのか」

「今はいいよ」

 

 石を掌へ戻し、二つの輪を見た。

 

 手前を入口、向こうを出口と考えていた。そのために、輪の内側へ小石を運ぶ力も加えていた。けれど小石は、輪を通った先でも俺の手元にあった。

 

 いったん両方を解いた。

 

 今度は、離れた二つを繋いだところから作る。白縫を枝へ巻く時にも、どこへ触れ、どう続くかまで術へ含めた。

 

 荷から紙を出した。昨夜、ゆめと話した後に書き足した言葉を、二つの石へ意識を向けながら辿る。

 

【踵を失くした巡礼 戸口に伏せる双頭の獣

逆さに架かる橋 水底に沈む七つの敷居

盲いた番人は鍵を呑み 帰らぬ客は鈴を鳴らす

東の窓に西の月 南の棺に北の花

隔てよ 連なれ 互いの背を踏み彼岸へ至れ

閉じた瞼の裏に戸を開き 千里の果てを一歩に畳め】

 

 白い輪が現れた。

 

 手前の輪の内側が、薄く揺れた。向こうの岩場が透けて見えていたところへ、別の景色が重なる。老人の着物が大きく見え、すぐに崩れた。

 

 輪が歪む前に、力を引いた。

 

「今、そっちにも何か見えたか」

「お前の手が見えた」

「俺は、爺さんの着物が見えた」

「では、次は手を振れ」

 

 もう一度作った。

 

 同じ詠唱を辿り、二つの口を繋ぐ働きを保つ。輪の内側に老人の膝が現れた。顔を上げれば、老人は離れた石の傍に座っている。それなのに、手元の輪を覗くと、すぐ向こうに着物の皺まで見えた。

 

 俺は小石を近づけた。

 

 輪の内側へ入った先が、指の間から見えなくなった。老人が身を屈める。

 

「出てきたぞ」

 

 まだ石を離していない。

 

 俺は指で摘まんだまま、少し引いた。老人の傍へ出ていた先も引っ込む。もう一度差し入れると、老人が指を添えた。

 

 小石を引かれる感触が、こちらの手へ届いた。

 

「離すよ」

「よい」

 

 指を開いた。

 

 老人が小石を持ち上げた。俺の傍には落ちていない。二人の間に広がる岩場にも、転がったものはなかった。

 

「……渡ったな」

 

 輪を保ったまま、俺は息を吐いた。

 

 老人は小石を裏返し、欠けた縁を撫でていた。それから、懐へ手を入れた。

 

「これも通るか」

「通してみてくれ」

 

 出てきたのは、以前戻してもらった石だった。

 

「そっちが持ってたのか」

「お前が机へ置いていくからじゃ」

 

 輪の向こうから、石が差し出された。

 

 俺は受け取り、掌へ載せた。欠けたところも、白い筋もそのままだった。老人の指が離れると、いつもの重さが手へ掛かった。

 

 石を置いてから、水を入れた竹筒でも試した。

 

 蓋を開け、少しだけ傾ける。流れた水は輪の内側へ入り、老人の側に置いた椀へ落ちた。こちらの地面は濡れていない。椀には水が溜まり、老人が指先を浸した。

 

「冷たい」

「そりゃ、さっき汲んだからな」

 

 水を止め、竹筒を置いた。

 

 小石も、水も、もう片方へ届いた。俺は輪へ手を近づけ、指の先を差し入れた。老人が向こうで手を上げる。

 

 その指が、俺の指へ触れた。

 

「分かるか」

「ああ」

 

 手首まで入れ、動かしてみた。老人の傍で、自分の手が開く。握れば拳になり、引けばこちらへ戻った。

 

 俺は手を抜き、二つの輪を閉じた。

 

 岩場には、初めに置いた平たい石が残っていた。水の入った椀は老人の足元にあり、竹筒はこちらにある。

 

 その間に何が通ったかを、紙へ書いた。

 

「次は、お前が入るのか」

「もう少し大きくしてからな。今の穴じゃ、頭も通らない」

「頭だけ来られても困る」

 

 老人が椀を持って立ち上がった。

 

 俺も紙を荷へ入れた。家へ戻る途中、向こうで触れられた指を何度か曲げた。今はもう、普通に自分の手元にある。

 

 そこを通って、身体ごと向こうへ歩いていく。

 

 帰ったらゆめにも話そうと思った。

 

        *

 

 その日から、山で試すことが一つ増えた。

 

 初めは岩場の端から端へ。次は、道の曲がり角を挟んで。入口から出口が見えなくなっても、そこへ出した小石は届いた。

 

 輪を広げる時には、内側へ映る景色が崩れやすかった。人が通れる大きさにした途端、向こう側の地面が斜めに見えることもある。俺は二つの口の向きを揃え、入った足が、出た先の地面へ着くように直した。

 

 老人は出口に座り、通したものを確かめてくれた。

 

 石の次には薪を渡した。長い枝も通し、籠も送った。籠の中へ水の入った椀を置いて通した時には、向こうで老人が持ち上げるまで、水面が揺れずに残っていた。

 

「そろそろ、俺も通るよ」

「いつじゃ」

「今」

 

 岩場に立てた口を、頭が当たらない高さまで広げた。

 

 向こう側に老人が見える。俺は刀の鞘を左手で押さえ、一歩を差し入れた。足の裏が、出口の岩へ触れた。

 

 そのまま身体を進める。

 

 袖が白い縁を過ぎ、顔へ当たる風が変わった。次の足を出した時には、老人が目の前にいた。

 

 振り返ると、輪の向こうに、さっきまで立っていた石が見えた。

 

「どうじゃ」

「……歩いただけだったな」

 

 刀も荷も、身につけたままだった。腕を上げ、足を動かし、自分の霊子へ意識を向けた。通る前に捉えていた身体の構成が、そのまま残っている。

 

 老人の横を離れ、もう一度口を通った。

 

 初めの石の傍へ戻る。

 

 往復してから術を解くと、白い縁が細くなり、二つとも消えた。俺は岩場を歩いて老人のところへ行った。

 

「渡れたのに、歩いて戻るのか」

「今のところを、向こうからも見ておきたくて」

 

 老人が腰を上げたので、空いたところへ座った。

 

 足元の岩には何も残っていなかった。遠くの石も、いつもの場所にある。そこへ道を作り、閉じた後には、また歩くだけの距離が残った。

 

 紙へ、人が通ったことを書き加えた。

 

 試す場所は、少しずつ広がっていった。

 

 谷の両岸に口を作り、林の向こうへ出る。麓へ下りた帰りには、途中の松の傍から家の外へ繋いだ。初めてその道を通って帰ると、老人はまだ薪を割っていた。

 

「早いのう」

「今日は、谷を歩いてないからな」

 

 背負っていた袋を下ろした。買ってきた塩と油を渡すと、老人は袋の口を開き、中を確かめた。

 

 それからは、買い物の帰りにも術を使った。

 

 始めた頃には、繋いだ先を一息も見失えなかった。何度も使ううちに、詠唱を辿れば道が開くようになった。口を通った先に何があるかを定め、迎える側と送る側を繋ぐ。旅人も、戸口も、橋も、唱える時には術の働きと結びついていた。

 

 千里一重(せんりひとえ)。

 

 そう名づけた術を使い始めてからも、季節は幾度も巡った。

 

 手合わせの後に試し、畑仕事を終えてから紙へ書く。夜にはゆめと詠唱を辿った。最後の一節まで唱えた時に、初めの言葉で定めたものが崩れていないか。開いた口を通り終えるまで、帰る道も保てるか。実際に使いながら、言葉へ込める働きを確かめた。

 

 やがて、名を呼ぶだけでも道を開けるようになった。

 

 岩場で初めて小石を渡した日から、三十年ほどが過ぎていた。

 

        *

 

 秋の終わり、麓で魚を買った。

 

 塩を振って焼けば、夕飯にできる。老人が欲しがっていた油も買い、紙に包んだ魚と一緒に袋へ入れた。

 

 村を出て、松のある道まで歩く。

 

 枝の下へ立つと、山の上に家の屋根が小さく見えた。以前は、ここから谷へ下り、向こうの斜面を登っていた。

 

 俺は袋を持ち直し、空いた手を前へ向けた。

 

【踵を失くした巡礼 戸口に伏せる双頭の獣

逆さに架かる橋 水底に沈む七つの敷居

盲いた番人は鍵を呑み 帰らぬ客は鈴を鳴らす

東の窓に西の月 南の棺に北の花

隔てよ 連なれ 互いの背を踏み彼岸へ至れ

閉じた瞼の裏に戸を開き 千里の果てを一歩に畳め

千里一重(せんりひとえ)】

 

 白い縁が、俺の前へ立ち上がった。

 

 開いた口の向こうには、家の庭が見える。縁側に置かれた籠と、干してある大根。その傍で、老人が豆を選っていた。

 

 俺は道を通り、庭へ出た。

 

 草履が土を踏む。松の下では頬へ当たっていた風が、ここでは家の陰に遮られていた。

 

「戻ったよ」

「魚か」

「よく分かったな」

「袋から尾が出ておる」

 

 見ると、紙の端がずれ、魚の尾が覗いていた。袋を置いて包み直してから、背後の口を閉じた。松の幹が見えなくなり、その向こうにはいつもの山道が残った。

 

 老人へ油を渡し、俺も縁側へ座った。

 

「豆、手伝おうか」

「魚を先にやれ」

「分かった」

 

 袖を捲り、水を汲みに立った。

 

 山を歩いて帰っていた頃より、ずっと早い。夕飯の支度にも間に合い、買ってきた魚をその日のうちに焼ける。

 

 水場へ向かう途中、さっき口を開いたところへ目を向けた。

 

 この山で、離れた場所を繋ぐ道は作れた。

 

 次に作りたいのは、三界を渡れる鬼道だった。

 

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