卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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連なる星に 境は溶け
醒めぬ夜に 夢は寄り添う




37.永夜の連理

 

 

 峡谷の底へ下りると、砂の下から白い枝が突き出ていた。

 

 屈んで掘ると、枝は更に下へ続いている。折れたものが埋まっているのかと思ったが、指で砂を除くうちに、太い幹が現れた。上を見れば、岩壁の途中にも同じような枝がある。

 

 林ごと、砂へ埋もれたらしい。

 

 俺は幹の傍へ立ち、谷の奥へ目を向けた。岩壁に挟まれた道が曲がり、その先にも白い枝が覗いている。足元からは、湖の傍より濃い霊子の流れを感じた。

 

「随分下まであるな。砂がなかった頃には、この辺りも林だったのかもしれない」

『お掘りになって、確かめられるので?』

「気にはなるけど、全部掘ってたら、また何十年も居つくことになりそうだ。向こうから見えてる枝を辿ってみるよ。どこかで根元まで出てるかもしれない」

 

 幹から手を離し、歩き始めた。

 

 頭上の星は、峡谷へ下りてからも見えていた。細く開いた空へ幾つも灯り、岩壁の縁を照らしている。俺の傍へ落ちてきた砂は、肩へ触れる前に消えた。

 

 卍解を保ったまま、岩の間を抜ける。

 

 外から迎えた霊子が身体を巡り、その中へ、ゆめの力が重なっていた。湖を離れた時より、流せる量が増えている。それでも、歩く脚には余分な力を込めなかった。

 

 地面を砕かず、枝も折らずに進める。

 

 岩壁の低くなったところで、幹の根元が見つかった。太い根が石を抱え、下へ伸びている。俺はその隣へ荷を下ろし、紙を広げた。

 

 座っていた湖の次に、この谷を描く。

 

 脇へ霊子の流れを書き添えると、筆先から落ちた墨が少し滲んだ。風は紙へ届かず、白い砂も寄ってこない。卍解している間は、外で筆を持つのも楽だった。

 

『お前様。こちらへ来られてから、まだお眠りになっておりんせんね』

「そういえば、そうだな。眠くなったら休むつもりだったけど、歩いてるうちに、次が見たくなってた」

『お身体は楽でも、お休みまでお忘れにならぬように』

「分かった。今夜はここにしよう。書き終わったら、そっちへ行くよ」

 

 筆を置き、荷から敷くものを取り出した。

 

 幹へ背を預ける。卍解は解かなかった。刀を膝へ横たえ、身体を巡る流れを保ったまま目を閉じると、川の音が聞こえ始めた。

 

        *

 

 ゆめのいる楼閣で、茶を飲んだ。

 

 戸は開いていた。向こうの屋根を越えて星が見え、川から上がった風が、俺の袖へ入ってくる。外では風を眠らせていたのに、ここでは頬へ触れた。

 

 ゆめは、その隣へ膳を置いた。

 

「お腹は、お空きになっておいでで?」

「不思議なくらい減らないよ。湖にいた時から飯は随分減ってたけど、卍解してからは、歩いても刀を振っても平気なんだ」

「それでも、お茶までお忘れになっては、わっちがお出しするものに困りんす」

「それは飲むよ。ここへ来る楽しみまで減らすつもりはないからな」

 

 椀を口へ運んだ。

 

 温かかった。膝に置いてからも、その温もりが掌へ残る。俺は指を開き、川の方へ顔を向けた。

 

 水の上へ、星が映っていた。

 

 夜空だけを見ていた頃には気づかなかったが、川に映る光も増えている。外で卍解した時に広がった星と、同じ並びを探してみた。朱の橋の上に、見覚えのある三つがあった。

 

「外で見える夜空も、ここにある星なんだな」

「お気づきになりんしたか」

「ああ。今までは、綺麗だなって眺めてた。こうして比べると、同じところが幾つもある」

 

 ゆめが俺の隣へ座った。

 

 川に落ちた星明かりへ、二人の影が重なる。外で巡らせている力へ意識を向けると、ここにいても、その流れが分かった。岩へ預けた背も、膝へ横たえた刀も、遠くなってはいなかった。

 

「卍解してる時は、俺の力も、ゆめの力も使ってる。こうしてここへ来ても、その感じが残ってるよ」

「お前様がわっちの名を呼ばれたまま、おいでになっておりんすから」

「今までは、戦いが終わったら解いてたからな。こんなふうに過ごしたことはなかった」

 

 椀へ、もう一度口をつけた。

 

 考えてみれば、卍解を使っている間は、相手ばかりを見ていた。何を願えば倒せるか。次の攻撃をどこから受けるか。ゆめと話していても、その場を凌ぐためのことが多かった。

 

 今は、急いで願う必要がない。

 

 刀を握っている時にも、飯を食う代わりに茶を飲んでいる時にも、同じ力が巡っている。それを一日中感じていられる。

 

「しばらく、こうして暮らしてみたいな。何か掴もうとして、ずっと力ばっかり追ってきたけど、普段どうなってるかも見ておきたい」

「では、わっちのところへも、今より多くお越しなんし。刀を握るお手ばかり見ておいででは、こちらのお顔をお忘れになりんすよ」

「忘れるわけないだろ。前より会いに来てるのに、まだ足りないのか」

「ええ。お前様がお歩きになる先を、わっちもお聞きしとうございんす」

 

 俺は笑い、椀を膳へ置いた。

 

 峡谷の林の話をした。幹の下まで伸びた根と、岩壁へ引っかかった枝。掘ってみようか迷ったことまで話すと、ゆめは袖で口元を隠した。

 

 結局、埋もれた林を全部掘るつもりだったのかと聞かれた。

 

 そこまでは考えていなかったが、一本くらいは、根の先を見たくなっていた。

 

        *

 

 谷を抜けてからも、夜を連れて歩いた。

 

 砂の少ない土地では、黒い岩が地面を覆っていた。表面は滑らかで、足を置くたびに星が映る。割れ目へ下りると、細い水の流れがあり、その先には浅い池が幾つも並んでいた。

 

 別のところには、石の柱が立っていた。

 

 一本ずつは細かったが、近づくと、上で枝分かれしている。柱の間を歩けば、切り立った山のように高いものもあった。俺はその上へ登り、遠くに見えた白い地平を眺めた。

 

 砂原へ戻った頃には、十年ほど過ぎていた。

 

 卍解は続いていた。

 

 初めのうちは、周囲へ眠りを広げるところまで意識していた。歩く先の地面を残し、触れるものを選び、巡らせる量が増せば霊圧を収める。その一つ一つを確かめていた。

 

 やがて、荷を下ろす時にも、紙を広げる時にも、手間が要らなくなった。

 

 触れようとした岩は消えない。座る地面も、そのまま残る。外から襲いかかってきたものは、俺がそちらへ顔を向ける前に眠った。

 

 砂丘を越えていた時、後ろで虚の咆哮が上がった。

 

 振り返ると、幾つもの脚を持つ虚が、砂を蹴って走ってきていた。低い頭から二本の角が伸び、開いた口へ赤い光が溜まる。俺はその足元から、少し横へ離れた。

 

 放たれた虚閃(セロ)が、砂丘の頂を削った。

 

 赤い光は真っ直ぐこちらへ伸び、俺の数歩手前で消えた。後ろから続いていた光も同じところで途切れ、虚の口が閉じる頃には、何も残っていなかった。

 

 刀を上げる必要もなかった。

 

 虚が砂へ爪を立てた。

 

 こちらへ飛びかかりかけ、途中で止まる。光の消えたところを見ているらしい。俺が一歩近づくと、脚が後ろへ動いた。

 

「そっちから来たんだろ。俺は、向こうへ歩いてただけなんだけどな」

 

 刀を下げたまま、進んだ。

 

 虚は身体を翻し、斜面へ逃げた。白い砂が噴き上がり、頭が砂丘の向こうへ隠れる。俺はその姿が見えなくなるまで眺め、元の方角へ向き直った。

 

『お追いにはならぬので』

「逃げたならいいよ。追っていったら、向こうの山まで寄り道しそうだ。今日は、あの石の並んでるところへ行ってみたい」

 

 遠くへ見える黒い線を指した。

 

 ゆめが笑った。

 

『そのお山も、いずれはお登りになるのでしょうに』

「まあ、帰りに気になったらな」

 

 砂丘を下りた。

 

 攻撃が届かなかったことよりも、その間に循環が一度も乱れなかったことが気になっていた。虚を見ても、刀へ力を込めようとしても、流れは続いていた。

 

 俺が一つずつ整えなくても、身体が保っている。

 

 その中にあるゆめの力も、十年前より身近に感じられた。

 

        *

 

 二十年を越えた頃、刀を握っていて、ふと手を止めた。

 

 白い岩の上だった。向こうには砂の斜面があり、その下で、細い枝の林が揺れている。俺はそこで刀を振り、歩きながら覚えた動きを繋いでいた。

 

 踏み込み、刃を返す。

 

 その間に、腕を巡る力を追った。刀へ渡ったところまで捉え、その先にあるゆめの力へ意識を向ける。以前はそこで、別の力に触れた感覚があった。

 

 今は、腕から続く流れのまま、刀の先まで分かった。

 

 左手を、刃の近くへ添えた。

 

 触れてはいない。それでも、切っ先まで、指先を伸ばした時のように近かった。俺は刀を動かし、同じ感覚が残るか確かめた。

 

「ゆめ。今、刀の先まで、手みたいに分かったんだ」

 

 返事を待ちながら、もう一度振る。

 

 今度は、刀を動かそうとしたところまでしか追えなかった。腕には力が巡っている。ゆめもそこにいる。けれど、さっきのように、その全てが一続きには感じられなかった。

 

『どのような時に、そうお感じになりんした』

「いつもの動きを続けてた時だよ。踏み込んで、刀を返して、そのまま次へ繋ごうとしてた。特別なことはしてない」

 

 そこで立ち止まり、刀へ目を向けた。

 

 構えてから、同じ動きを繰り返した。足の位置も、振る速さも変えなかった。それでも、先ほどの感触は戻らない。

 

 俺は肩の力を抜いた。

 

「……すぐに、もう一回とはいかないか」

『お前様。今は、わっちの力がどこにあるか、お探しになっておいでで?』

「ああ。さっきは、そのまま続いてたからな。どこでそうなったのか、もう一度確かめたかった」

『先ほどは、わっちとお前様を、お分けになっておいででありんしたか』

 

 刀を下ろした。

 

 思い返す。

 

 腕へ通った力も、刃へ乗った力も、動きながら感じていた。けれど、どこまでが俺のもので、どこからがゆめのものかは、考えていなかった。

 

 今は、それを探していた。

 

「……考えてなかったな。刀を振ってる間は、全部、そのまま使ってた」

『わっちも、お前様と共に振るわれておりんしたよ』

 

 柄を握った指へ、温かさが伝わった。

 

 それを追いかけようとして、やめた。少しだけ膝を曲げ、刀を構え直す。自分の腕を動かすのと同じように、刃を前へ送った。

 

 岩の縁へ、細い傷が入った。

 

 さっきの感触は、まだ戻らなかった。それでも、次の動きへ繋いだ。振り下ろし、返し、横へ払う。長く身体へ馴染ませた動きを、ゆめと共に続けた。

 

        *

 

 その夜は、ゆめの隣で長く過ごした。

 

 楼閣の戸口から、二人で川を眺めた。俺は昼間のことを話し、刀を握っていた手を開いた。ゆめがその掌へ、自分の指を置く。

 

「今は、こちらのお手がよくお分かりになるのでしょう」

「ああ。触れてるところも、指が動いたところも分かる」

「わっちも、分かりんすよ。お前様が、こうして触れておいでなのが」

 

 ゆめの指が、掌を辿った。

 

 俺はその手を握った。力を込めすぎないようにしていたが、ゆめは指を絡め、そのまま自分の膝へ置いた。

 

「昼間は、刀の先まで自分の手みたいだった。でも、ゆめがいなくなった感じはしなかったよ。ちゃんと、一緒にいた」

「ええ。わっちも、お前様の振るわれる先が分かりんした。次にどちらへ刃を返されるか、言葉で伺うより先に」

 

 俺は、握った手を見た。

 

 外の霊子を身体へ巡らせ始めた頃にも、初めは一つずつ追っていた。何度も続けるうちに、その境目を気にせず使えるようになった。

 

 ゆめとも、そうして近づけるのかもしれない。

 

 今日、一度だけ感じたものが、その先へ繋がっている気がした。

 

「また、刀を振ろう。明日は別のところまで歩いて、そこで試したい。ここへ来たら、その時どう感じたか、ゆめにも聞かせてもらいたいんだ」

「お急ぎには、ならぬので?」

「早く辿り着きたいよ。けど、今日の感じを無理に作ろうとすると、どうも戻らないからな。もう少し、一緒に使ってみたい」

 

 ゆめは頷き、俺の肩へ頭を預けた。

 

 髪飾りが、僅かに鳴った。俺は身体を動かさず、そのまま川へ目を向ける。向こうの屋根の上で、星が一つ、強く光った。

 

「……あれ、前からあったか」

「今宵、お見えになった星でありんす」

 

 ゆめも、同じ空を見ていた。

 

 その光が川へ映るまで、二人で待った。

 

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