灰になれば 夜も明けよう
燃え残る夢を お前は知らぬ
山本について歩きながら、何度か袖を持ち上げた。
長い。手を下ろせば膝の辺りまで布が垂れる。腰の帯も見慣れず、歩くたびに裾が脚へ触れた。ただ、邪魔だと思って肘を曲げると、布は勝手に外へ流れた。刀を持ち替えても柄に絡まない。着慣れないだけで、動くことには困らなかった。
「気になるか」
「ええ。これで五百年歩いてたら、もう少し飯を奢ってもらえたかなと思って」
「代わりに、厄介なものも寄ってきたじゃろう」
「そっちは、前の顔でも寄ってきましたよ」
山本は鼻を鳴らした。笑ったのかもしれないが、後ろからでは分からなかった。
家の並ぶ道を抜けると、草の低い荒れ地へ出た。遠くに林があり、その手前では地面の色が変わっている。近づいてみれば、草がないだけではなかった。土が黒い。ところどころ石が露出し、表面に丸く溶けたような跡が残っていた。
足を止めて、山本の背中を見た。
「ここ、先生が使ってる場所ですか」
「人の来ぬところを選んでおる」
「来ない理由まで、先生が作ったんじゃないですかね」
山本は答えず、荒れ地の中央へ進んだ。俺も後を追い、十歩ほど離れて向かい合う。
山本が腰の刀を抜いた。
「昨日の続きですか」
「お前の刀が、どこまでわしの炎を眠らせるか。試しておきたくての。」
「俺も気になりますけどね。服まで焼かないでくださいよ。これ、借り物かもしれないんで」
黒い刀を構える。山本は俺の長い袖へ目をやり、それから切っ先をこちらへ向けた。
「万象一切灰燼と為せ⸺
刀から噴き出した炎が、山本の頭上まで立ち上った。熱風に袖を煽られ、俺は目を細める。足元の草が燃え、露出した土まで赤く照らされた。十歩の距離があっても、顔へ火を近づけられたように熱い。
山本はその炎の中に立っていた。右手には燃える刀。着物にも髪にも火は移らず、こちらを見る顔さえ変わらない。
俺は柄を握り直した。
「……いやあ。これは、見に来てよかった」
声が弾んだ。あれだけの炎を前にして、まだ近づきたいと思っている。怖くないわけではない。ただ、五百年使ってきた刀が今は
山本の口元が僅かに上がった。
「ならば、よう見ておれ」
山本が刀を横薙ぎに振るった。
刃から放たれた炎が、地面を焼きながら迫ってくる。俺の背丈より高く、左右にも大きく広がっていた。後ろへ跳んだところで、追いつかれる。
黒い刀を、その正面へ突き出した。
「⸺
切っ先が炎に触れた。
そこから左右へ、火の揺らぎが止まっていく。俺を呑み込もうとしていた炎は、頭上へ折れかかった形のまま静止した。頬を焼いていた熱も消え、燃え盛る音まで聞こえなくなる。
俺は刀を横薙ぎに振った。
目の前で止まっていた炎が掻き消える。昨日の小さな火と同じだ。これだけ大きくても、眠ってしまえば熱くない。
「……全部、眠るのか。」
山本が言った。
「先生の火でも、眠ってもらえるみたいですね」
山本は動かずに待っている。俺が刀を構えると、向こうも燃える刃を持ち上げた。
地面を蹴った。
十歩の距離を一息で詰め、山本の肩へ斬り下ろす。山本は刀を横にして受けた。刃がぶつかっても音は鳴らず、流刃若火を包んでいた炎が動きを止める。
俺はそのまま押し込んだ。
山本の両足が土を削り、身体が後ろへ滑った。昨日の木刀とは違う。どちらの刀も折れず、込めた力が相手へ届いている。
「昨日より、よく押しこめますね」
「口まで、よく動くようじゃな」
山本が刀を傾けた。俺の刃が右へ逸れ、胸元が空く。そこへ踏み込んでくる山本に、空いた左手を向けた。
左の掌を、山本の右手首へ当てた。
「⸺
指の間から黒い霞が零れ、山本の手首を包んだ。その右腕が止まる。胸へ届くはずだった切っ先も、俺の着物を掠めたところで動かなくなった。
山本が右腕へ目を落とした。肘を引こうとしても、刀を持ち上げようとしても動かない。俺が手を離すと、腕は刀の重みに引かれて下がった。
追撃はせず、二歩下がった。
「……刀で触れる必要もないのか」
「触れればいいって言われましたから。手でもいけるかなと思って」
掌を見る。黒い霞は既に消えていた。刀を持つ右手と同じように、左手にもゆめの力がある。斬る必要さえない。掴んだ腕を眠らせれば、相手はそこから刀を振れなくなる。
山本は左手で流刃若火を受け取った。
「起こせるか」
「ちょっと待ってください。今、やってみます」
刀を下ろしたまま近づき、もう一度その右腕へ触れる。今度は指が動くところを思い浮かべた。
山本の手が、俺の手首を掴んだ。
「起きましたね」
「試すたびに眠らされては、かなわんな」
握られた手首に力が戻っている。山本は俺を離すと、刀を右手へ持ち替えた。
「刀を受ければ火が眠る。腕へ触れれば、腕も眠るか」
山本が右手を開き、握り直した。動くことを確かめると、俺から五歩ほど離れる。
「触れさせぬ方がよさそうじゃな」
「そう言って、遠くから焼くのはやめてくださいよ」
「そのための刀じゃ」
山本が刃を地面へ向けた。炎が足元から広がり、俺の左右を通って背後へ回る。振り返った時には火の輪が閉じ、逃げ道を塞いでいた。
前へ向き直る。山本は輪の外に立ち、刀を俺へ向けていた。
四方の炎が、一斉に内側へ倒れてくる。
俺は黒い刀を腰の高さへ構え、身体を回しながら一周薙いだ。
「
刃の触れた炎から動きが止まる。最後に背後の火を捉えたところで、熱が消えた。俺を囲む赤い壁は、頭上まで覆いかけた姿のまま眠っている。
もう一度、刀を振るう。眠った炎が掻き消え、黒く焼けた荒れ地が現れた。
その向こうから、山本が踏み込んでくる。消える火に紛れて距離を詰め、俺の左肩へ刀を振り下ろした。
黒い刃を頭上へ上げて受けた。両腕に重さが掛かり、足元の土が沈む。山本も両手で柄を握り、上から押し込んできた。
俺は膝を伸ばし、その刀を押し返した。
山本の刃が頭上へ跳ねる。空いた胸元へ突きを放つと、山本は半身になって避けた。切っ先が着物を浅く裂き、脇を抜ける。
山本の左手が、俺の手首を掴んだ。
刀を引けなくなったので、こちらも左手をその腕へ伸ばす。手枕を使うつもりだったが、触れる前に山本が手を放した。すぐさま横薙ぎの一刀が来る。
刀を引き戻して受けた。山本の炎が眠り、刃だけがぶつかる。今度は押し合わず、互いに一歩退いた。
「同じ腕を、二度も眠らされはせん」
「昨日は、俺がそれを千切ってましたね」
「掴むだけなら、昨日と同じじゃ。お前は今、触れるだけでよい」
山本は裂けた胸元を見た。指で布を摘まんだが、傷がないと分かると手を離す。
「その刀を相手に、長く打ち合うものではないな」
「先生は、まだ続ける気ですよね」
「お前も刀を下ろしておらんじゃろう」
言われて、笑った。
右腕も脚も疲れていない。むしろ、昨日は受けるだけだった一撃を押し返せるのが楽しかった。山本も俺の刀を避け始めている。五百年振り続けてきた剣に、ゆめが加わっただけで、ここまで変わる。
山本が刀を脇へ構えた。
「では、もう少し離れておれ」
俺が退くのを待って、燃える切っ先がゆっくり持ち上がった。
俺は十歩ほど退き、刀を構えた。
流刃若火の炎が、刃の周りへ集まっていく。山本の姿がはっきり見えるようになったが、熱は強くなっていた。足元の土が乾いて割れ、頬へ当たる空気が痛い。
山本が刀を振り下ろした。
正面から、炎が噴き寄せる。先ほどのような薄い壁ではなかった。地面を深く抉りながら、巨大な火の奔流が俺へ迫った。
黒い刀を両手で握った。
「⸺
踏み込み、真っ向から斬り下ろす。
刃が炎を捉えた途端、轟音が途切れた。頭上を覆っていた火も、地面を削っていた火も止まる。飛び散った土だけが俺の脚へ当たり、足元に落ちた。
刀を左へ振り払った。
炎が掻き消える。荒れ地には太い溝が残り、その向こうで山本が刀を下ろしていた。
俺は肩へ付いた土を払った。袖にも髪にも、焦げたところはない。
「……これも寝ますね」
山本はすぐには答えなかった。俺と自分の間に残った溝を見てから、黒い刀へ目を向ける。
「火力を上げても同じか」
「俺の方は、さっきと同じようにやりましたよ」
昨日、ゆめが言った言葉を思い出した。火も眠る。雷も眠る。あの座敷では、小さな燭台を見ていただけだった。
今は、流刃若火の炎まで消えている。
山本が刀を収めたので、俺も切っ先を下げた。
「今日は、ここまでじゃ」
「もう終わりですか」
「その刀が炎を眠らせることは、よう分かった」
近づいてきた山本は、俺の左手を見た。
「次は、お前が五百年の間に身につけた術を見せい」
俺は思わず顔を上げた。
「そっちも、見てもらっていいんですか」
「昨日から、そのつもりでおる」