裂かれた胸に 夜は深く
散りゆく花に 夢は還る
次の刃を、首へ向けた。
ゼルキオンの身体が横へ滑る。振り抜いた先で、遠くの岩壁が斜めに割れた。胸から流れた血が空中へ筋を引き、その向こうで黒い掌がこちらを向く。
俺は雷を落とした。
ゼルキオンは腕を引き、肩の脇へ通した。その下から火を走らせる。胸元へ迫った炎を黒いものが包み、燃え始めたところごと左へ投げ出した。
俺はもう一度刀を振った。
今度は腹。
ゼルキオンは身体を捻った。白い服の脇が裂け、その向こうへ伸びた傷が砂原を割っていく。俺は足を進めながら刃を返し、避けた頭へ雷を落とした。
黒い波が上へ広がった。
雷がその中へ呑まれる。俺はそこへ火を流し、燃える波の下から胸を狙った。ゼルキオンは右へ抜けるが、刃は肩を掠め残っていた袖を血と共に切り落とす。
まだ動けるのか。
胸の傷は深かった。腹も幾度か斬っている。火を喰った内側まで焼かれているはずなのに、あいつは俺が次の動作に移るたび、その先へ目を向けていた。
「振ったところまで斬れるようになったか」
ゼルキオンが胸へ触れた。
指が傷口の縁をなぞる。流れる血を見てから、俺の刀へ目を戻した。
「火も雷もお前の刀にはなかった。今度はその刃まで変わる。まだ欲しいものがあるらしいな」
「あるよ。お前が相手だと、どれから頼もうか悩むくらいには」
「ならばもっと見せろ。ここまで来て出し惜しみはするな」
俺は笑い、刀を肩の上へ戻した。
あいつは避けられる。
俺が斬った先へ傷を届かせても、その位置から身体を外されれば当たらない。初めの一撃で胸を斬れた後は、首も腹も、致命傷になるところから避けていた。
それなら、避ける先まで追えばいい。
左へ火を放ち、右へ雷を落とした。ゼルキオンが上へ抜けたところへ刀を振るう。その身体が下へ沈み、胸の前を刃が通った。俺は腕を返し、落ちていく方へ次を向けた。
ゼルキオンが両手を開いた。
周囲の黒いものがあいつの前へ集まる。
俺は構わず振り下ろした。
黒い壁が割れ、その向こうでゼルキオンの左肩が裂けた。血が飛ぶ。だが割れた両側は残っていた。
俺は横へ瞬歩を踏んだ。
そこにも黒いものがあった。
足を置く先から押し寄せ、下へ抜けようとしたところへ更に広がる。俺は火を浴びせ、燃えたところを刀で割った。その隙間へ身体を通す。
ゼルキオンが目の前にいた。
こちらへ来ていたのか。
左手を向け雷を落とす。あいつはそれを右の掌で喰らいながら、左腕を伸ばしてきた。火を纏う刀を戻すより早く、黒い指が俺の腹へ届く。
俺は身を捻った。
腹の左側がなくなった。
熱いものが腰へ流れ、脚まで伝った。刀を握る手を下げずに後ろへ抜ける。ゼルキオンの指先へ、俺の着物の朱が僅かに残っていた。
息を吸う度腹の奥が痛んだ。
左手を当てれば指が入る。俺はそこへ力を集め、血が流れ出るのを抑えた。足へ巡らせる量も変え、身体を支え直す。
ゼルキオンの掌からまた黒いものが広がった。
俺は刀を振りその腕を狙った。あいつは肘を引き、代わりに黒い波をこちらへ飛ばしてくる。火で包み、横へ逃れた。動くたび、腹から熱いものが零れた。
『お前様。こちらを向いておいでなんし。わっちの声が聞こえておりんすね』
「聞こえてるよ。少し深く持っていかれたな」
『少しで済ませるには、よう血を流しておいでで』
「ああ。これはそのままにしとけない」
俺は火を広げた。
ゼルキオンとの間へ朱の幕を立て、頭上から雷を落とす。黒い波が火を包むたび、内側から炎が噴いた。その向こうであいつが動くのを見ながら、刀を握り直した。
「ゆめ。失ったところを戻したい。傷を受ける前の身体へ、何度でも戻れるように」
腹へ当てた手から血が落ちた。
『四夜。散った花なら、わっちが拾いんしょう。お前様の春は、まだ終わりんせん』
掌の下が温かくなった。
腹の奥へあった空洞が埋まり、指へ肌が触れる。失ったものが戻る感触を、身体の内から捉えられた。腰から脚へ続いていた痛みが引き、胸も肩も、傷のあったところから軽くなる。
頬へ触れた。
血はついたが、その下に傷はなかった。
「……ありがとな。助かったよ」
柄へ、ゆめの指が重なった。
俺は左手を下ろし、ゼルキオンを見る。朱の幕へ開いた穴の向こうから、あいつもこちらを見ていた。
「腹を戻したのか」
「ああ。お前には、まだ斬られたくないからな」
「先ほどは、血も出ると言っていたが」
「出るよ。今も服は血だらけだろ。ただいつまでも流してるつもりはないんだ」
俺は刀を振った。
ゼルキオンが横へ抜ける。その肩へ雷を落とし、下から火を立ち上げた。白い姿が朱の中を通る。俺は瞬歩で追いつき、腹を狙って刃を向けた。
黒い掌が迫った。
今度は引かなかった。
左肩を差し出し、あいつの右腕を斬った。黒い指が肩へ入る。そのすぐ下から失った肉が戻り、俺は刀を返してゼルキオンの胸を狙った。
あいつが身を反らした。
顎から頬へ、細い傷が走る。
俺は肩を引き抜き、ゼルキオンの背へ回った。傷はもう塞がっていた。だが、黒いものに触れた時の痛みは残る。歯を食いしばり、次の刃を振った。
ゼルキオンが振り返った。
切っ先が胸へ向かう前に、左の掌が刀の脇へ来る。俺は腕を引き、あいつの手へ火を浴びせた。燃える指が握られ、黒い塊がこちらへ投げられる。
俺はその下へ抜けた。
腹へ雷を落とす。
ゼルキオンが身体を折り、下がった頭へ刀を向けた。あいつは左へ退いた。俺もそちらへ瞬歩を繋ぎ、首を狙って刃を払う。
白い姿がまた消えた。
背後へ意識を向ける。
腹へ、黒い手が突き出る、思わず呻き声とともに口から血が溢れた。
ゼルキオンが俺の背中へ回っていた。突き込まれた腕の周りから身体が戻り、その先でまた喰われていく。俺は左手で相手の肘を掴み、足を前へ踏んだ。
刀を後ろへ突いた。
刃が何かへ入った。
ゼルキオンの腕が引かれる。俺は前へ抜け、身体を返した。腹の穴は塞がり始めている。ゼルキオンの胸にも、黒い刀身が入った跡があった。
俺は口元の血を袖で拭った。
痛みで、目の奥が熱かった。
それでも足は動く。腹が戻れば息も吸えた。失ったまま倒れることはなくなったが、喰われる瞬間の感覚はなんとも言い難い不快感がある。
爺さんが腕を落とされた時も、こうだったのだろうか。
戻せると分かっていても斬られる痛みはある。胸へ刀を突き込まれた中で、あの人は相手の刃を折り、残った男を斬ろうとしていたと言っていた。
俺は、ゆめと共にここに立っている。
まだ動ける身体があり、握れる刀があった。
「……爺さんにまた話してもらわないとな」
小さく呟くと、ゆめが柄へ触れた。
『お帰りになってからのお話は、わっちも聞かせていただきんすよ』
「ああ。まずはこの食いしん坊に付き合ってからだな」
ゼルキオンが胸の傷へ手を当てた。
こちらへ突き出した腕にも、赤い筋が幾つも残っていた。俺の身体を喰らっている間、眠りと火の中へ差し入れていたのだ。
あいつも傷を負っている。
ただその腕を下げなかった。
「戻るまで待たずに斬り返すか。お前も随分と面倒な男だ」
「背中から腹を抜かれたんだぞ。振り返って挨拶してる余裕はないよ」
「俺を見ずに、よく胸へ入れたな」
「お前の腕が腹をぶち抜いてきたからな。その後ろにいるくらいは分かる」
俺は腹へ残った血を拭い、刀を立てた。
今の一度で、あいつは俺が戻るところまで見た。次は腕を抜かず、そのまま喰い続けるかもしれない。首を狙うか、刀を持つ手へ来ることもあるだろう。
こちらも、もう同じようには受けない。
雷を落とした。
ゼルキオンが掌を上げる。その足元へ火を走らせ、俺は右へ瞬歩を踏んだ。横から首を狙って振るうと、白い姿が背後へ流れた。
追った。
更に一歩。
ゼルキオンは俺の刃が届く前に身を沈め、左へ抜けた。速さだけで追いつこうとすれば、刀を振るう前に次へ移られる。俺が雷と火を置いたところを見て、まだ何も来ていない方へ足を踏み出していた。
俺は刀を下げず、ゆめへ声を掛けた。
「次は、行きたいところへすぐ移れるようにしてくれ。途中を走らずに、お前と一緒にそこへ着けるように」
ゼルキオンが掌をこちらへ向けた。
赤い光の周囲へ、黒いものが集まる。
『五夜。待たせた夜を数えるよりも、今宵は共に参りんしょう』
柄を握る指へ、ゆめの手が添えられた。
俺はゼルキオンの背後を見た。
次の瞬間にはそこにいた。
雷を受けるために持ち上げた腕が、目の前にある。あいつが振り返る前に、その脇へ刀を入れた。血が飛び、白い服へ朱の火が燃え移る。
ゼルキオンの左手が背後へ伸びた。
俺は頭上へ移った。
腕を引き上げる間もなく、刀を振り下ろす。ゼルキオンは右へ逃れた。その先へ移り、刃を横へ払った。
胸が裂けた。
黒い波が俺を囲む。
俺はその外へ移った。
身体へ触れるものはなかった。先ほどまでいた場所を黒い波が閉ざし、その向こうでゼルキオンがこちらを向いた。
俺は刀を構えた。
「ゆめ。今のちゃんと一緒に来てたか」
『ええ。お前様のお手を離すほど、遠い道ではござりんせんでしたよ』
笑いが零れた。
どこへ移っても、身体を巡る流れは続いていた。刀も夜も、ゆめも、俺と共にある。
ゼルキオンが右の掌を向けた。
俺はその左へ移り、その腕を斬った。肩から火を浴びせ、反対へ回ったところから腹へ刃を向ける。避けた先にも、もう俺がいた。
あいつの膝が僅かに折れた。
首へ刀を振った。
ゼルキオンが両手を広げた。
黒いものが、全身から溢れた。
俺は遠くへ移った。目の前にあった白い姿が小さくなる。その周囲から、飢えが丸く広がっていた。上も下も、背後も正面も、黒いものに包まれていく。
火を放った。
外側から燃え始めたところへ雷を落とし、刀を振った。黒い塊が割れ、その向こうでゼルキオンの肩から血が飛ぶ。
だが、あいつは身を退かなかった。
こちらを向いたまま、両手を広げていた。
星の光が、黒い縁へ沈んだ。
地面がなくなっていく。さっきまで俺がいた場所も、雷の落ちた空も、その内へ入っていった。喰われた火は中で燃え続け、黒い塊のあちこちから朱に透けていた。
俺は更に離れた。
ゼルキオンの周囲へ戻れば、どこへ着いても飢えの中だった。
「お前が何処へ来ても、迎えてやろう」
声が聞こえた。
黒いものの奥から、ゼルキオンが俺を見ていた。
「まだ、五つだろう。残りも見せてみろ」
俺は刀を持ち上げた。
朱の火が、切っ先から零れる。頭上にはまだ星があり、ゆめの指が、俺の指へ重なっていた。
「欲張りだなお前」
黒い波へもう一度刃を向けた。
「俺も人のことは言えないけどさ」