卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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星なき天に 翼は開き
果てなき飢えに 王は還る




47.黒天の聖餐

 

 

 朱の柱へ張りついた黒いものが、急に離れた。

 

 ゼルキオンの右手へ戻っていく。俺はその肩へ重さを掛け直し、首を狙って刀を振った。刃が肩口へ入り、岩へ血が散る。その上へ雷を落とし、傷口へ火を流した。

 

 あいつの指が、ゆっくりと開いた。

 

「お前に斬られた数を、途中から数えていなかった」

 

 喉から血が流れていた。胸も腹も裂け、岩へ押しつけられた身体の下には、赤いものが広がっている。それでも、俺を見る目は変わらなかった。

 

「俺も数えてないよ。そろそろ最後にさせてほしいんだけどな」

「そうだな。俺も、このまま斬られ続けるつもりはない」

 

 胸の孔へ、黒いものが集まった。

 

 俺は刀を振り下ろした。ゼルキオンの肩が裂ける。口から血が零れ、その向こうで唇が動いた。

 

『喰らい尽くせ⸺神無き最後の晩餐(ラ・ウルティマ・セナ)』

 

 漆黒の霊圧が噴き上がった。

 

 俺は遠くへ移った。さっきまでいた岩場から、黒い柱が空へ伸びる。朱の火も、その中を走っていた雷も見えなくなった。次の瞬間には、こちらまで霊圧の奔流が届いた。

 

 囲いへ張られた星の光が、黒く染まった。

 

 朱の柱へ力を送る。だが、光が戻らない。柱の表面を黒が這い上がり、頭上へ渡した光まで覆っていく。俺は刀を振って正面を割ろうとした。

 

 刃の火が消えた。

 

 切っ先まで纏っていた朱が、根元から黒へ塗り潰される。振り抜いた先にも、切れ目は見えなかった。刀を戻す間に、足元の朱の線まで消えた。

 

 俺は更に遠くへ移ろうとした。

 

 身体が動かなかった。

 

 望んだ場所は見えている。さっきまでなら、それだけで着けた。だが今は、足元を黒い霊圧が流れ、伸ばした腕も、握った刀も、同じ場所に残っていた。

 

 瞬歩を踏んだ。

 

 横へ抜ける。すぐに肩から黒い奔流を浴び、身体が傾いた。足を置こうとしたところには、もう地面がなかった。砂岩が崩れ、その下から大きな亀裂が広がっていく。

 

 地鳴りが響いた。

 

 近くからだけではない。遥か向こうの砂丘が崩れ、その更に先でも尾根が沈んだ。地下から響く音が幾つも重なり、俺のいる空まで震わせていた。

 

 頭上へ目を向けた。

 

 星がなかった。

 

 ゆめと広げた夜空が、黒に塗り潰されていた。光の一つも残っていない。遠くまで見渡そうとしても、ゼルキオンから放たれた漆黒が、空と砂原の境を覆っていた。

 

「……ゆめ」

 

 柄へ添えられた手の感触はあった。

 

『ここにおりんす。お前様、お手を離さんで』

 

 俺は刀へ力を送った。

 

 身体の内を巡らせ、外から取り込む流れへ繋ぐ。だが、その先が続かなかった。大気に満ちていた霊子へ触れようとすれば、黒い霊圧が押し返してくる。取り込む前に喰われ、伸ばした力まで削られていった。

 

 もう一度、繋ごうとした。

 

 胸の奥が詰まった。

 

 内から外へ、外から内へ。幾十年も途切れずに続けてきた流れが、俺の身体のところで止まっていた。巡らせても、戻ってこない。刀から返るゆめの力だけを受け、俺は歯を食いしばった。

 

 虚の気配が、次々に消えていた。

 

 砂丘の向こうへ逃げた群れも、地下へ潜ったものも、霊圧が届いたところから途切れていく。遠くにいた中級大虚(アジューカス)が、四本の脚を突っ張っていた。その背が崩れ、肩が失われ、最後には仮面まで消えた。

 

 ゼルキオンは、そちらを見てもいない。

 

 この霊圧だけで、存在を保てなくなっている。

 

 並みの死神でも、ここには立てない。それより下なら、刀を抜く間もなく消えてしまうだろう。俺は自分の身体へ力を留めながら、失われていく気配を追った。

 

 数が、多すぎた。

 

 これが虚圏へ広がり続ければ、どうなる。

 

 三界の拮抗という言葉が、頭を過った。目の前の相手を止めなければならない。そう考えた時、黒い柱の中で翼が開いた。

 

 左右が揃っていなかった。

 

 一方は長く伸び、もう一方は途中から大きく欠けている。縁には幾つもの穴があり、何かに喰い千切られたような形のまま、黒い霊圧の中へ広がっていた。

 

 その中央に、ゼルキオンがいた。

 

 黒かった両腕は白くなっていた。白かった身体には黒が広がり、額から二本の角が伸びている。その下に見える顔には、仮面の名残一つなかった。

 

 傷がない。

 

 喉も、胸も、腹も戻っていた。焼けていた腕には白い肌があり、幾度も斬った肩にも跡がない。あいつは両足で立ち、ゆっくりと首を動かした。

 

 身体の表面を、飢えが覆っていた。

 

 掌だけではない。肩も胸も、開いた翼の先までもが黒いものを纏い、その外へ漆黒の霊圧を放ち続けている。

 

 俺は左手を向けた。

 

 重さを掛ける。

 

 ゼルキオンは沈まなかった。

 

 更に力を込めた。腕にも脚にも、頭にも掛ける。だが、あいつは顔を上げたまま、こちらへ歩いてきた。足元の岩が、踏まれる前に消えていく。

 

 雷を落とした。

 

 頭上で白く光ったものが、黒い空へ呑まれた。ゼルキオンまで届かない。続けて火を放つ。掌から噴いた朱が、数歩も進まずに黒く染まり、見えなくなった。

 

 俺は胸へ刀を振った。

 

 あいつの身体に、傷はつかなかった。

 

 白い右手が持ち上がった。

 

「……全部、か」

 

 七夜の夢へ意識を向けた。

 

 黒い霊圧の奥にいる身体を捉えようとする。だが、肩も腕も分からない。目に見える姿を追うほかなかった。その姿が消えた時、俺は刀を胸の前へ戻した。

 

 腹へ拳が入った。

 

 息が抜けた。

 

 刀を合わせるところまで届かなかった。白い腕が目の前にあり、その拳が腹へ埋まっている。俺は左手で手首を掴もうとした。

 

 顎を蹴り上げられた。

 

 頭が後ろへ跳ね、空が回った。歯が砕け、口の中へ血が広がる。身体を起こそうとしたところへ、ゼルキオンの掌が胸を叩いた。

 

 下へ飛ばされた。

 

 背中から砂岩へ落ちる。岩が割れ、身体がその中へ沈んだ。俺は肘をついて起きようとしたが、腹の奥で激しい痛みが走った。

 

 戻らない。

 

 拳の入ったところへ手を当てる。息を吸っても、傷を受ける前の身体へ戻る感触がなかった。口から零れた血が、胸元へ落ちていく。

 

『お前様。お立ちなんし』

 

 俺は刀を岩へ突き、身体を持ち上げた。

 

 頭上が赤くなった。

 

 顔を上げる。

 

 ゼルキオンの右手に光があった。その周囲へ黒が集まり、瞬く間に大きくなっていく。俺は横へ瞬歩を踏もうとした。

 

 虚閃(セロ)が放たれた。

 

 視界が埋まった。

 

 右も左も、上も見えない。赤い光の縁を探す間もなく、黒い奔流が身体へぶつかった。刀を前へ立てる。腕が押し戻され、肩が軋み、足の下の岩が消えた。

 

 俺は霊圧を噴き上げた。

 

 全身へ留め、刀の前へ集める。だが、正面から押し寄せるものが多すぎた。腕が胸へ叩きつけられ、その上から光が流れ込んでくる。

 

 着物が裂けた。

 

 肩が焼け、腹の傷へ熱が入った。声を出したつもりだったが、何も聞こえない。身体が地面を削りながら後ろへ運ばれ、背中へ幾度も岩がぶつかった。

 

 光が途切れた時、俺は仰向けに倒れていた。

 

 黒い空が見えた。

 

 息を吸う。胸が痛んだ。もう一度吸おうとして、口から血を吐いた。右手には、まだ刀がある。

 

 俺は柄を握り直した。

 

 ゼルキオンが、傍へ降りた。

 

「戻さないのか」

 

 白い足が、俺の脇にあった。

 

「……戻してる、つもりなんだけどな」

「お前の夢は、ここまでか」

 

 俺は刀を横へ振った。

 

 足を狙った刃が、踏まれた。

 

 岩へ押しつけられる。刀を引こうとしたところへ、ゼルキオンの膝が胸へ落ちた。骨の折れる音が、身体の内から聞こえた。

 

 俺は血を吐き、左手をあいつの顔へ向けた。

 

「破道の九十⸺黒棺」

 

 黒い壁が立ち上がった。

 

 ゼルキオンの肩を越える前に、その壁が崩れた。あいつの霊圧へ呑まれ、棺の形さえ残らない。白い指が俺の左手首を掴んだ。

 

 身体が持ち上がった。

 

 俺は右の刀を、あいつの首へ向けた。肘を打たれ、刃が下がる。そのまま顔へ拳が入った。

 

 一度。

 

 身体を捻ろうとしたところへ、もう一度。

 

 目の前が白く弾けた。左手首を掴まれているせいで、離れられない。足をゼルキオンの腹へ当て、蹴り離そうとする。

 

 掴んでいた手が離れた。

 

 胸を蹴り抜かれた。

 

 俺は後ろへ飛び、残っていた岩壁へ叩きつけられた。壁が崩れる。落ちてくる岩を刀で払い、膝をついて身体を支えた。

 

 口から血が垂れた。

 

 何を、願えばいい。

 

 俺はゆめを呼ぼうとした。

 

 火は消された。雷は届かなかった。刃を遠くへ届かせても斬れず、傷は戻らず、望んだところへ移ることもできない。

 

 守りも、目も、重さも。

 

 叶えてもらったものが、全部ここにあるはずだった。

 

 だが目の前には、黒しかなかった。

 

『お前様』

 

 ゆめの声が聞こえた。

 

 柄へ指が触れている。それだけは、まだ分かった。俺は唇を開き、息と共に声を出した。

 

「あと、一つ……だったよな」

『ええ。お前様の望みを、お聞かせなんし』

 

 もっと強い火。

 

 もっと速い雷。

 

 あいつにも届く刃。

 

 考えた端から、今まで頼んだものが浮かんだ。そのどれも使いたかった。ゆめは叶えてくれた。それが今、何一つ届いていない。

 

 では、何を。

 

 何なら、この黒を越えられる。

 

 顔を上げた。

 

 ゼルキオンの掌が、また赤く光っていた。

 

 俺は横へ跳んだ。瞬歩へ繋ぎ、崩れた岩場を抜ける。視界の端から虚閃が迫った。刀を立て、身体を捻る。

 

 左肩から、光を浴びた。

 

 足が地面を離れた。横へ飛ばされ、砂原へ落ちる。転がる身体を止めようとして、左腕をついた。

 

 肘が折れた。

 

 俺は呻き、刀を握った右手だけで身体を起こした。ゼルキオンが歩いてくる。欠けた翼の下で、白い両腕が揺れていた。

 

 傷を戻したい。

 

 そう願えば、四夜と同じになる。

 

 守りたい。斬りたい。逃れたい。

 

 それも、もう願った。

 

 九つもあると思っていた。

 

 最後の一つを、口にできない。

 

「何を探している」

 

 ゼルキオンが足を止めた。

 

 俺は刀を持ち上げた。切っ先が揺れる。右腕まで力が回りきらず、血に濡れた柄が掌の中で滑った。

 

「……お前を斬る方法だよ」

「まだ、その刀でか」

「ああ。手放すつもりはない」

 

 白い掌が、俺の頭へ伸びた。

 

 俺は刀を突いた。

 

 胸へ向けた刃が、その手に払われる。拳が頬へ入り、身体が横へ倒れた。地面へ肩を打ち、折れた左腕に重さが掛かった。

 

 叫びが漏れた。

 

 俺は右の肘をつき、また身体を起こした。立つところまでは届かなかった。膝を引き寄せ、刀を前へ置く。

 

 頭上で、霊圧が膨れた。

 

 ゼルキオンが俺を見下ろしていた。その掌に赤い光が集まり、周囲から漆黒が流れ込んでいく。

 

 ゆめの指が、俺の指へ重なった。

 

 俺はその手を握ろうとした。

 

 何を願えばいいのか、まだ分からなかった。

 

 それでも、刀だけは離せなかった。

 

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