卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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ほどける契りに 声は残り
帰りゆく袖に 風は宿る





51.夜明けの帰路

 

 血の残った砂へ、風が通っていた。

 

 ゼルキオンのいたところをしばらく眺めてから、俺は袖の中で手を開いた。白銀の指が見える。その向こうにある砂も、遠くの岩も、自分の身体と同じように分かった。

 

 けれど、もう戦う相手はいない。

 

 ゆめへ、帰ろうと伝えた。声にする前にその思いが届き、同じ身体の内から頷く気配が返ってくる。重なっていた力を、ゆっくりと解いた。

 

 白銀の髪へ黒が戻った。

 

 肩を覆っていた長い袖が細くなり、金の模様が消えていく。身体つきも元へ戻った。掌の中へ重さが生まれ、指を閉じると、そこには刀の柄があった。

 

 俺は刃を見下ろした。

 

 ずっと握ってきた刀だった。もう一度その形で会えたことが、少し嬉しい。鞘へ収めると、虚圏を覆っていた星も薄れていった。空には、見慣れた月が残る。

 

「……戻ったな」

 

 自分の声がした。

 

『お戻りになりんしたな。先ほどのお姿も、ようお似合いでありんしたけど』

「先生のところへ、あのまま帰るわけにもいかないだろ。俺だって分からなかったら、面倒なことになる」

『声をお掛けになれば、分かりんしょう』

「その声まで二人分だったじゃないか」

 

 柄へ掌を添えた。ゆめが笑っている。

 

 髪を後ろへまとめ、紐で括った。黒髪の中に、金も白も朱もない。着物の襟を直してから足を踏み出すと、砂が草履の下で鳴った。

 

 こんなふうに歩くのも、久しぶりだった。

 

 卍解を続けるようになってからは、いつも夜を連れていた。身体の周りへ眠りを広げ、ゆめの力を巡らせたまま旅をしていた。今は砂が裾へ当たり、風が襟元へ入ってくる。

 

「もう、出しっぱなしにしなくていいな」

『お前様は、随分と長う夜更かしなさいんした』

「ああ。付き合わせたな。これからは、ちゃんと休もう」

『そのように仰って、また何か思いつかれるのでござりんしょう』

「思いついたら、その時に相談するよ。しばらくは帰ることだけ考えたい」

 

 俺は崩れた岩場を抜けた。

 

 まだ、立ち止まっていたところが見える。ゼルキオンに叩きつけられた岩壁は崩れ、虚閃の通った先には長い溝が残っていた。どこへ足を向けても、戦いの跡があった。

 

 砂丘の上まで登り、一度だけ振り返った。

 

 あいつの身体はない。けれど、ここで戦ったことは忘れないだろう。胸の内へその名を留め、俺は刀の位置を直した。

 

「ゆめ。帰ったら、まず爺さんのところへ行こう」

『ええ。お茶を頂けるとよろしゅうござりんすな』

「飯も食いたい。あそこの芋、うまかったからな」

『土産もなしで、お膳へ座るおつもりで?』

「……何か持って帰るべきだったか」

 

 見渡す限り、白い砂だった。

 

 ここへ来る途中には林もあったが、爺さんの畑へ植えて育つかは分からない。石なら幾つか持っている。だが、それを土産だと言って渡せば、また紙を押さえるのに使えと言われそうだった。

 

「話なら、山ほどあるんだけどな」

『それを、お聞かせになればよろしゅうござりんす』

「ああ。長くなるぞって、先に言っとこう」

 

 左手を、虚圏へ据えた。

 

 右手には、尸魂界を思い浮かべる。山の雪と、土の匂い。爺さんの家を出た時に見た道が浮かび、その先へ繋ぐ力を整えた。

 

 幾度も開いてきた道だった。今は、両端を結ぶために何をしているのか、以前よりはっきり分かる。俺は急がず、覚えている言葉を最初から唱えた。

 

【左手に座す灰の番人 右手に眠る砂の花嫁

 三つに裂けた冠 互いの岸を知らぬ双子

 橋を喰らう蛇は尾を呑み 戸を守る鳥は眼を閉じる

 此岸に靴を 彼岸に影を 帰らぬ者に帰るべき門を

 隔てる壁よ背を向けよ 閉ざせる闇よ身を横たえよ

 左に留め 右に招け 離れし両の掌を一条に結べ

 星の届かぬ淵に梁を渡し 名もなき空に敷居を据えよ

 我が立つ岸より 我が望む岸へ

 三つの世を隔てる帳よ⸺今ひとたび、道となれ】

 

 黒い口が開いた。

 

 その奥へ霊子の足場を渡す。先へ続く道を確かめ、俺は一歩を踏み入れた。白い砂原が背後へ遠ざかり、月の光も見えなくなる。

 

 刀は、腰にあった。

 

        *

 

 土を踏んだ時、草の匂いがした。

 

 出口の前に細い木が生えていた。枝を避けて外へ出ると、葉が肩を擦る。俺は道を閉じ、周囲を見渡した。

 

 山の形には覚えがあった。向こうへ折れた尾根と、その下に続く谷。そこを目印に戻ってきたのだが、手前にあった道は草へ埋もれていた。

 

「……こっちだったよな」

 

 木の間を歩いた。前に足を置いたはずのところへ根が張り、岩の傍には知らない木が育っている。俺は尾根を見ながら進み、谷を横切る水音へ耳を向けた。

 

 温泉で百年。現世で三百年。虚圏でも、それに近い年月を過ごした。

 

 爺さんの家を出てから、七百年ほどになる。

 

 指折り数えていたら、とても待てない長さだった。けれど俺には、山を下り、海を渡り、砂原を歩いた日々がある。その途中で考えたことも、立ち止まった場所も思い出せる。

 

 それだけのことをして、今は同じ山へ帰ってきていた。

 

「爺さん、いるかな」

『お前様より、遥かに長う生きておいでのお方でありんすよ』

「そうだけどさ。どっかへ出かけてるかもしれないだろ。七百年もあれば、家を移したっておかしくない」

『でしたら、お探しになりんしょう。帰る途中でまた旅になっても、わっちはお付き合いいたしんす』

「できれば、今日中に飯へありつきたいんだけどな」

 

 川を越えると、見覚えのある岩があった。

 

 片側だけが大きく張り出している。その傍を通った時、爺さんが腰を下ろして待っていたこともあった。俺は岩へ掌を当て、そこから斜面を登った。

 

 木々の向こうへ、屋根が見えた。

 

 足が少し速くなった。枝を避け、坂を上がり切る。畑があった。畝の間に緑が並び、その向こうで、鍬を持った男が背を向けている。

 

 細い背だった。

 

 着物の裾を上げ、土へ鍬を入れている。抜いた草を端へ寄せてから、男が顔を上げた。

 

「爺さん」

 

 鍬が止まった。

 

 逆瀬川厳十斎(さかせがわげんじゅうさい)が振り返った。俺の顔を見て、腰の刀へ目を落とす。それから鍬を畝の外へ置き、土のついた掌を払った。

 

「長い散歩じゃったな。途中で道でも失くしたか」

「失くしたことなら、何度かあるよ。今日はちゃんと、ここへ繋いできた」

「その割には、下の林から来たようじゃが」

「道のあったところに、木が生えてたんだよ。前より歩きにくくなってないか」

「木も育つわ。お前が出てから、何度冬を越したと思うておる」

 

 厳十斎が畑から上がった。

 

 傍まで来て、俺を見上げる。顔へ目を向け、肩と腕を眺めた。袖に隠れているところまで確かめるように見てから、腰の刀へ視線を戻した。

 

「随分と変わったの」

「見た目は、そんなに変わってないだろ」

「見た目だけならな。何をしてきた」

「山ほどあるよ。現世も虚圏も回ったし、術も作った。最後には、危うく喰われるところだった」

「それで、喰われずに帰ってきたか」

「ああ。ゆめと一緒にな」

 

 俺は柄へ手を添えた。

 

 厳十斎がその手を見た。俺が話すのを待っている。七百年分を、どこから話せばいいだろう。考えていると、爺さんが先に家へ向き直った。

 

「まずは上がれ。そこに立たせたまま聞く話でもなかろう」

「飯もある?」

「芋なら掘ってある。腹が減っておるなら、自分で焼け。儂の分もな」

「帰ってきて早々、働かせるのか」

「七百年も畑を手伝わなんだ奴が、何を言う」

 

 笑いが漏れた。

 

 厳十斎が戸を開けた。俺は草履の土を落とし、後に続く。家の中には、乾いた薪と茶の匂いがあった。

 

 腰の刀を外し、手の届くところへ置いた。

 

「……ただいま」

 

 厳十斎は棚から椀を二つ出していた。こちらを振り返りもせず、片方を俺の前へ置く。

 

「おう。よう帰った」

 

 俺は椀を受け取り、火の傍へ座った。

 

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