卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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帰りし影に 旧火は燃え
届きし夢に 深き戸は開く




53.旧火の御前

 

 

「俺の名前も伝えてくれ。烏有玄十郎。それなら、先生も分かると思う」

 

 二人は顔を見合わせた。正面にいた男がもう一度俺の名を確かめ、街道の方へ走っていく。残った一人は、俺から少し離れたところに立った。

 

 抜こうとすれば間に合う距離だった。俺は店先を塞がないように脇へ寄り、荷車が通るのを待った。布を売っていた男は、こちらを見ないふりをしながら、同じ布を三度も畳み直している。

 

「待ってる間、座っててもいいか。山から歩いてきたばっかりなんだ」

「……そこなら構わん。刀は抜くな」

「抜かないよ。先生に会いに来て、手前で騒ぎを起こしたら、会った途端に叱られる」

 

 道端の石へ腰を下ろした。男は立ったままだったが、俺が膝へ手を置くと、刀の柄から少し指を離した。

 

『帰ってきたばかりで、お叱りを受けるおつもりでありんすか』

「できれば、飯を食わせてもらう方がいいな」

「何だ」

「いや。こっちの話」

 

 男の目が、また俺へ戻った。

 

 俺は口を閉じた。先生に会う前に、話の通じない弟子だと思われるのも困る。

 

 川を渡る風が、店先の布を揺らしていた。帰ってきた男が道の向こうに見えるまで、俺はその端が捲れるのを眺めていた。

 

「総隊長がお会いになる。ついてこい」

 

 立ち上がりながら、俺は男の顔を見た。来た時より、随分と姿勢がよかった。

 

「先生、何か言ってた?」

「……遅い、と仰っていた」

「そりゃ、そうだろうな」

 

 俺は草履についた土を払い、二人の後へ続いた。

 

        *

 

 廊下の先から、先生の声が聞こえた。

 

「残った者は」

「二名です。頭目を追っておりますが、戻った者に傷があり、後詰めを求めております」

「送れ。追っておる二人には、逃すなと伝えよ。刀を振れる腕が残っておるうちに仕留めさせい」

 

 俺を案内してきた男が、戸の前で足を止めた。中の者が出てくるまで脇へ控え、それから俺の到着を告げる。

 

 返事を待つ間に、開いた戸の向こうが見えた。

 

 先生が座っていた。袖のない白い羽織から、太い腕が出ている。腰には刀があり、額には古い傷があった。顔へ刻まれた皺は増えていたが、こちらへ向いた目は覚えている。

 

 その傍に、もう一人いた。

 

 坊主頭の、大きな男だった。黒い髭が胸の辺りまで下り、膝へ置いた掌も大きい。俺を見ると、髭の上で口元が緩んだ。

 

 どこかで、見たことがあるような顔だった。

 

 あれほど大きな男に会っていれば、覚えていそうなものだ。けれど、旅の途中で会った誰を思い返しても、この顔には繋がらない。俺がその髭を見ていると、先生が口を開いた。

 

「いつまで戸口に立っておる。帰ったのなら、入れ」

「ただいま、先生。元字塾を探すつもりだったんだけど、随分と立派なところにいるんだな」

 

 中へ入り、腰の刀を外して座った。案内してきた男が一礼し、戸を閉める。

 

 先生は俺の顔から肩へ、肩から膝へと目を移した。旅の汚れは爺さんのところで落としてきたが、着物まで新しくしたわけではない。裾には繕った跡が残っていた。

 

「生きて戻ったか」

「ああ。長くなったけどな。先生も、相変わらず元気そうでよかった」

「儂が死んでおるとでも思うたか」

「思ってないよ。ただ、帰ってみたら町も道も変わっててさ。先生まで、知らないところへ移ってたら困ると思ったんだ」

 

 先生の目が、俺の傍に置いた刀へ向いた。

 

 昔なら、帰った挨拶が済む頃には庭へ出されていた。今日は客がいる。俺は黒い髭の男へ向き直り、頭を下げた。

 

「話の途中だったなら、後で出直すよ。帰ったことだけ、先に伝えておきたかったんだ」

「いやいや。わしも、おんしを待っておったんじゃ。ちょうどよいところへ帰ってきた」

 

 男が笑った。声が大きく、閉めたばかりの戸まで響きそうだった。

 

「わしは、兵主部一兵衛(ひょうすべいちべえ)。まなこ和尚と呼んでもらって構わんよ」

 

 まなこ和尚。

 

 その呼び名に、古い覚えがあった。前世で読んでいた漫画の、随分と後の方に出てきた男だった気がする。顔を見ても思い出せなかったのに、名前を聞くと、紙の上にあった黒い髭がぼんやり浮かんだ。

 

 ただ、何を話し、どんな力を使っていたのかまでは出てこない。先生の下で暮らした百年の方が、今はよほど細かく思い出せた。

 

「烏有玄十郎です。……待ってたって、俺を?」

「そうじゃ。虚圏で、随分と派手にやったようじゃのう。あれほどの騒ぎを起こした者が帰ってくるというのに、知らぬ顔もできまい」

 

 俺は先生を見た。

 

 先生は驚いていなかった。俺がここへ来る前に、和尚から聞いていたのだろう。畳へ置いていた手を膝へ戻すと、和尚が俺の刀へ目を向けた。

 

「黒い霊圧が広がった後に、白い霊圧が立ち上がった。虚圏の空に、見慣れぬ星まで現れた。おんしが帰ってきたと聞いて、まずは話を聞かせてもらおうと思うてな」

「それなら、俺だよ。黒い方は、戦ってた相手のものだけど」

 

 ゼルキオンの名を告げた。

 

 仮面を自分で剥いだ虚で、刀を持っていたことも話す。先生の眉が僅かに動いた。和尚は髭を撫でながら聞いていたが、相手がもう一度姿を変えたところで、手を止めた。

 

「二度、力を解き放ったか」

「ああ。初めの解放までは戦えてた。けど、その次は何も通らなかったよ。火も雷も、斬ったところへ届く前に喰われた。身体の外から取り込んでた霊子まで使えなくなって、ひどく打たれた」

 

 先生が俺の左腕を見た。

 

 折られたところに跡はない。俺は袖を少し寄せ、肘を曲げて見せた。

 

「ここも折られた。刀を握ってた右手だけは、どうにか残ったけどな」

「傷を戻す力も持っておったはずじゃ」

「それも使えなくなった。ゆめに叶えてもらった八つの夢が、全部止められたんだ」

 

 あの時の痛みを、まだ覚えていた。立とうとして左腕をつき、折れた肘へ身体の重さが掛かった。次に何を願えばいいのか分からないまま、刀だけは離さなかった。

 

 俺は鞘へ目を落とした。

 

「最後の一つで、ゆめと一緒になった。俺が探してた先へ届いたのは、その時だよ」

 

 先生の指が、膝の上で止まった。

 

 和尚も、口を挟まなかった。俺は二人へ顔を上げ、先生の目を見た。

 

「卍解の先へ、辿り着いた」

 

 口にしてから、息を吐いた。

 

 この人の下を離れる時、いつか答えを持って帰ろうと思った。現世の山を歩いていた時も、虚圏で何十年も座り続けていた時も、先生へ話すところを考えたことがある。

 

 ようやく、本人へ言えた。

 

「……そうか」

 

 先生は俺の刀を見ていた。俺も、その視線の先へ手を伸ばした。柄へ触れると、ゆめが静かに寄り添う気配があった。

 

「刀がなくなるんだ。身体も、声も変わる。俺とゆめが別々に見てたものが、一緒に分かるようになる。その世界にある霊子なら、遠くのものでも、自分の指みたいに動かせる」

「敵の身体もか」

「ああ。あいつが力を集めるところも、腕を動かすところも分かった。最後には、あれだけ喰われてた力を、こちらで動かせたよ」

 

 先生が立ち上がった。

 

 俺は途中まで伸ばしていた手を止め、その顔を見上げた。白い羽織の裾が畳を離れ、腰の刀が僅かに揺れた。

 

「刀を持て」

「……今から?」

「お前は、見せに戻ったのじゃろう。話だけ聞いて、よくやったとでも言うてほしいか」

 

 思わず笑った。

 

 帰ってきたばかりだというのに、この人はもう俺を斬るつもりでいる。けれど、膝へ置かれた手も、刀へ向いた目も、話をしていた間とは変わっていた。

 

「見せたいよ。先生には、最初にそう言ってもらいたかったくらいだ」

 

 刀を取り、腰へ差した。

 

 立ち上がろうとしたところで、和尚が大きな掌を向けた。

 

「待て待て。重國、おんしはどこでやるつもりじゃ」

「庭では狭い。外へ出る」

「外ならよいという話でもあるまい。虚圏の空を変えた力を、ここで解き放たせるつもりか。おんしの火まで加われば、帰ってきた弟子に、焼けた町を見せることになるぞ」

 

 先生は和尚へ顔を向けた。

 

 俺は半分上げた腰を、そのまま畳へ戻した。和尚は笑っていたが、先生が戸へ足を向けるまで、掌を下ろさなかった。

 

「わしも、その先とやらを見てみたい。じゃが、場所は選ばんとな」

「では、どこへ連れていく」

「無間じゃ。そこまで下りよう。わしもついていく」

 

 無間という名にも、聞き覚えがあった。

 

 地の底にある、暗い場所だった気がする。誰がいたのか、そこで何が起きたのかを思い出す前に、先生が戸の方へ声を掛けた。

 

「長次郎」

 

 廊下から返事があった。

 

 戸が開き、一人の男が入ってくる。俺へ目を向けた時、その足が僅かに止まった。こちらを見てから先生へ一礼し、戸の傍へ控えた。

 

「無間へ下りる。お前も来い」

「承知いたしました。こちらの方も、ご一緒に?」

「儂の弟子じゃ。長く留守にしておったが、ようやく帰ってきた」

 

 長次郎が、俺へ向き直った。

 

 その顔を見ているうちに、元字塾にいた頃の覚えが浮かんだ。先生の傍へ来ていた男だ。あの頃も、先生が刀を持って動けば、その後にいた。

 

「雀部長次郎(ささきべちょうじろう)です。お戻りになったと聞き、重國様がお会いになるなら、私もご挨拶をと思っておりました」

「烏有玄十郎。覚えてるよ。先生のところにいた頃、何度か会っただろ。俺は随分と、騒がしくしてたと思うけど」

「ええ。お二人が庭へ出られる時は、先に人を遠ざけておりました」

 

 俺は先生を見た。

 

「そんなことまでしてもらってたのか。俺は、いつも庭が空いてて助かると思ってたよ」

「お前は儂を見ておればよかった。長次郎、支度をせい」

 

 長次郎が一礼し、廊下へ出ていった。

 

 和尚も立ち上がった。座っていた時から大きな男だったが、同じ高さへ顔を上げると、黒い髭の向こうにある首まで太い。

 

 その掌が、俺の肩へ置かれた。

 

「さて。おんしがどんな道を歩いてきたか、わしにも見せてもらおうか」

「先生と斬り合うのを、見てるだけでいいのか?」

「まずはな。帰った弟子に刀を向けたくて仕方のない男を、あまり待たせても悪かろう」

 

 先生は返事をしなかった。

 

 戸口に立ち、俺が来るのを待っている。俺は肩から離れた和尚の手を見送り、腰の刀を直した。

 

『お前様。お帰りの挨拶で、ここまでなさるおつもりでありんしたか』

「飯を食ってからだと思ってたんだけどな。先にこっちになった」

『でしたら、ようお務めなんし。先生様も、お待ちでありんす』

 

 俺は先生の傍へ歩いた。

 

 近づくと、昔と同じ霊圧が分かった。収められていても、その奥にある熱は消えていない。俺が刀を抜けば、すぐにこちらへ向く。

 

「先生。手合わせでも、手は抜かないよ」

「抜けると思うておるなら、試してみい」

 

 先生の口元が上がった。

 

 俺も笑い、廊下へ足を出した。

 

 帰ってきた報告に、刀を交えることになる。長く留守にした分まで斬られそうだったが、今日は俺からも見せられるものがあった。

 

 階段へ続く廊下の先で、長次郎が待っていた。

 

 俺たち四人の足音が、下へ向かって重なった。

 

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