幾千の刃に 花は舞い
帰りし風に 季は巡る
庭へ下りると、八千流が足を止めた。
塀の向こうへ顔を向け、それから俺を見る。腰へ差した刀には、もう手が添えられていた。
「どこまで行くつもりですか。遠いのでしたら、先に場所を教えてください」
「尸魂界の外れの方だよ。昔、歩いたところに、何もない岩場があった。少し待ってくれれば、ここから繋げられる」
俺は庭の中央へ歩き、両手を開いた。
覚えている岩場へ意識を向ける。乾いた谷を越えた先にあり、周囲には家も畑もなかった。道を通す先を定め、足元へ霊子を集めた。
〈
庭の上へ、道が開いた。
向こうに白い岩が見える。乾いた風がこちらへ抜け、縁側へ置かれていた草履を揺らした。
八千流が戸口の縁へ手を伸ばした。
「あなたが作ったのですか」
「ああ。歩くのも好きなんだけど、帰りまで同じ道だと、たまには面倒でさ」
「便利なものを作りますね。これなら、あなたを見つけてから待たずに済みそうです」
「使い道が、それしか浮かばないのか?」
八千流は答えず、道へ入った。
俺も続いた。先生と長次郎が渡り終えてから、背後を閉じる。さっきまで庭にあった木も、建物の屋根もなくなり、四人の周囲へ荒れた岩場が広がった。
遠くに、低い山が見えた。
以前来た時より岩が崩れていたが、周囲に人の気配はない。八千流は足元を一度踏み、そこで刀を抜いた。
「ここなら、よいのでしょう」
「ああ。俺たちしかいないよ」
刀を抜きながら、先生へ目を向けた。
先生は長次郎を連れ、離れた岩の上へ移っていた。こちらを見て腕を組む。その顔には、止めるつもりも、手を貸すつもりもなかった。
俺は八千流へ向き直った。
長い黒髪が、風に流れていた。
「では、見せてください。総隊長の下で、どんな剣を覚えたのか」
「先生のところを出てからの方が、長いんだけどな」
「それも、見れば分かります」
八千流が踏み込んだ。
顔へ迫った切っ先を横へ流す。こちらの刃へ触れた刀が滑り、手首へ向きを変えた。俺が柄を引くと、今度は喉へ戻ってくる。
最初の一歩から、殺すつもりだった。
俺も胸へ刃を返した。八千流は受けずに身を沈め、俺の刀の下へ入る。膝へ向けた斬撃を避けると、その姿はもう右にあった。
刃が合った。
そこから、幾度も刀を合わせた。
頭上へ振り上げていた刀が、次には腰の脇へ置かれる。大きく踏み込んだと思えば、俺の返す刃へ半歩だけ寄り、振るう間を潰してきた。同じ高さへ斬りつけても、受ける角度が毎度変わる。刃の腹を押され、鍔元を絡め取られ、空いた手で柄まで打たれた。
先生に教わった受け方を使えば、それを崩す刀が来る。
流魂街で身につけた斬り方へ変えれば、八千流の足運びも変わった。そのたびに俺は刀を戻し、次の一太刀へ向け直した。
八千流。
これほど多くの剣が、一人の身体へ収まっている。
けれど、そのすべてを見てからでも、俺の腕は間に合った。
虚圏で長く座り、霊子を循環させ続けた身体だった。足を置き直すにも、押された刀を引き戻すにも、余分な力を込める必要はない。霊圧を大きく放たずに、八千流の刃を追えていた。
白い羽織へ、赤い線が増えていく。
八千流は止まらなかった。肩を斬られても刀を持つ腕を変え、脇腹へ傷が入れば、その側を後ろへ引いて踏み込んだ。血の落ちる位置が変わるたびに、向こうの剣も変わった。
俺の袖にも、切れ目が入った。
突きを外して踏み込んだところへ、八千流が柄を離し、左手で刀を取り直していた。追っていた右腕の下から刃が返り、手首を浅く斬った。
血が指へ伝う。
八千流が、笑った。
「今のは、届きましたね」
「そうだな。持ち替えるのは見えてたのに、そっちへ来ると思わなかった」
「次は、もう少し深く入れます。あなたも、そのつもりで返してください」
その言葉と共に、霊圧が増した。
砂が足元から吹き飛び、黒髪が背へ広がる。八千流の殺気が俺の身体へ向けられた。首も、胸も、刀を持つ腕も、その目が順に確かめていた。
俺は刃を立てた。
ここからの刀は、さっきまでより速かった。
岩場を移りながら斬り結ぶ。八千流が俺の受けを外して胸へ刃を入れようとしたところで、瞬歩を踏んだ。その肩の横へ出て刀を振ると、向こうもすぐに身体を向ける。
受けた両腕が、沈んだ。
俺は刀を押し込まずに引き、足を置き直して次を振った。八千流の肩から血が噴く。それでもこちらへ向いた切っ先は下がらず、斬られた身体を寄せながら、俺の腹へ突きを放った。
その刀を、鍔元で外へ払った。
八千流が手首を返すより早く、俺は前へ出た。胸元へ肩を寄せ、刀を持つ腕を押し上げる。空いた首へ刃を向けた時、向こうの左手が懐へ入った。
小さな刃が出てきた。
俺はその手首を掴み、外へ開いた。
八千流の刀は頭上にあり、もう一つの刃は俺の左手の向こうにある。右手の刀を、その喉へ添えた。
風が、二人の間を通った。
八千流は俺を見ていた。首へ触れている刃を見ようともせず、そのまま僅かに顎を上げる。
「……まだ、出せるのでしょう」
「何を?」
「その身体へ収めている力です。私が速くなっても、あなたの呼吸は変わらなかった」
俺は、掴んでいた手首を見た。
八千流の指は小さな刃を握ったままだった。放せば、またこちらへ向けるつもりなのだろう。
「出せるよ。でも、今はこれで届いた」
「ええ。届きました」
八千流の目が、細くなった。
「その先も、見たくなりました」
俺は少し笑った。
「また今度にしてくれ。帰った日に、先生とあんたの両方へ全部出してたら、明日から何をするんだよ」
「明日も、同じことができます」
遠くで、先生が笑った。
俺は八千流の手を放した。刀を喉から離しても、向こうはすぐには退かなかった。二本の刃を下ろし、俺の顔をしばらく眺めている。
「今日は、私の負けですね」
「ああ。そうしてくれると助かるよ」
「今日は、と言いました」
八千流が、小さな刃を懐へ戻した。
首の傷へ指を当て、その指についた血を見た。口元には、まだ笑みが残っていた。
*
それから、瀞霊廷で三月ほど過ごした。
長次郎が用意してくれた部屋へ荷物を置き、塾へ通った。昔の建物は残っていなかったが、朝になると稽古の声が聞こえる。庭の端へ立って眺めていれば、先生が俺を見つけ、教えてやれと顎を向けた。
初めは、相手をするだけのつもりだった。
けれど刀を合わせれば、踏み込みを直したくなった。鬼道を見れば、詠唱の途中で霊力を乱すところが気になる。気づいたことを伝えているうちに、昼の膳まで用意されるようになった。
先生は、礼を言わなかった。
翌朝には、別の者を俺の前へ連れてきた。
「先生。俺、ここへ勤めるって言ったか?」
「暇そうに庭へ立っておったのは、お前じゃ」
「見てただけだよ。今日は町へ行こうと思ってたんだけどな」
「では、昼までに済ませい」
結局、町へ出るのは夕方になった。
その頃には、護廷十三隊の者たちとも顔を合わせていた。先生の古い弟子と聞いて挨拶に来る者も、何も言わず俺の刀を見る者もいる。
八千流との手合わせの話は、俺が話す前に広まっていた。
本人が隠す気もなかったらしい。
「私に勝った人を、知らずに通り過ぎるのは惜しいでしょう」
そう言って、また俺を岩場へ誘った。
何度か応じた。毎度、先に見せた剣とは違う刀が来た。俺も別の受け方を試し、鬼道を交え、八千流がその場でどう返すかを見た。
帰る時には、二人とも着物を直す必要があった。
新しいものを買いに出て、そこで飯を食い、宿へ戻る。山や砂原にいた頃にはなかった日々だった。
ただ、三月も経てば、爺さんの山へ帰る頃合いだった。
今度は早く戻ると言ったばかりだ。ここでまた何十年も過ごしてからでは、茶を飲みながら笑われるに決まっている。
俺は部屋へ広げていた紙を束ね、荷物へ入れた。
先生に帰ると伝えたのは、その翌朝だった。
「もう出るか」
「一度、爺さんのところへ戻るよ。旅の話も途中だったしな。こっちへは、また顔を出す」
「今度は、何百年も掛けるでないぞ」
「だから、先に言いに来たんだろ。道も繋げられるんだから、前みたいにはならないよ」
先生は、机の上へ目を戻した。
そこには幾つもの報告が置かれていた。俺が来た時より増えた束もある。長次郎が運んでくるたび、先生は読み終えたものを脇へ寄せ、次を開いていた。
「玄十郎」
荷物を持ち直したところで、呼ばれた。
「山へ戻る道は、もう覚えておるな」
「ああ。一度帰ったからな」
「ならば、ここへの道も忘れるな」
俺は戸口から、先生を見た。
筆はもう紙へ向けられていた。返事を待っている顔ではなかったが、俺はその背へ言った。
「忘れないよ。飯を食いに来るたび斬り合うのは、勘弁してほしいけどな」
「腹を空かせて来い。斬り合うた後の方が、よう食える」
廊下へ出ると、長次郎が待っていた。
包みを差し出される。中には握った飯が入っていた。
「帰り道で召し上がってください」
「すぐ着くよ?」
「では、着いてから。厳十斎殿にも、よろしくお伝えください」
俺は包みを受け取った。
塾へ来たばかりの頃には、自分で寝床を探し、食うものを手に入れるだけで一日が終わった。今は戻るところがあり、出ていく時には、誰かが飯を持たせてくれる。
庭へ下り、山へ向けて道を開いた。
その先から、冷たい風が吹いてきた。先生の庭とは違う、湿った土と薪の匂いがした。
『今度は、随分と早いお帰りでありんすな』
「爺さんが驚くところ、見られるかな」
『お前様のお顔を見れば、まず畑へ行けと仰るかもしれんせん』
「それもありそうだな。こっちでも、結局働いてたのに」
俺は包みを懐へ入れ、道を渡った。
向こうの庭で、鍬を持った爺さんが顔を上げた。