卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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放たれし光に 影は裂け
笑みなき春に 花は散る




61.白羽の凶弾

 

 

 先生の火を目印にするのは、簡単だった。

 

 煙を追うまでもない。近づくほど喉が乾き、屋根へ足を置けば、瓦の裏まで熱くなっている。昔はこれを浴びながら、次にどこを斬られるか考えていたのだから、俺もよく弟子を続けたものだ。

 

 もっと優しい先生を探す機会はあった。

 

 ただ、あの人に一度も勝たずに出ていくのが嫌だった。そんな理由で居座った結果、今では帰った途端に刀を抜かれる間柄である。長生きをしても、人付き合いが上手くなるとは限らないらしい。

 

 屋根の端へ降りると、炎の向こうで二本の刀がぶつかった。

 

 先生と、黒髪の男。

 

 大きな刀を持つ男が先生の刃を受け、押し返している。白い外套の裾は焼けていたが、その顔にはまだ余裕があった。周囲の兵が退く間にも、自分から炎の中へ踏み込んでいく。

 

 強い。

 

 もっとも、虚圏で最後に向き合ったあいつほどではない。あの飢えを思い出せば、目の前の炎にはまだ息のできる隙間があった。

 

「玄十郎殿!」

 

 長次郎が俺を見つけた。

 

 左肩の布が血で濡れている。刀を下げてはいなかった。先生へ横から矢を向ける兵を見つけ、俺へ顔を向けたまま一突きで喉を貫く。

 

 この人も、随分と手際がいい。

 

 普段は茶を出してくれる手で、相手の喉を迷いなく刺す。俺が長次郎の淹れた茶を好きなのと、長次郎が戦場で優しいのとは、何の関係もなかった。

 

「先生に会いに来たんだけど、取り込み中だな」

「敵の首魁です。ユーハバッハと名乗りました」

 

 その名に、何かが引っ掛かった。

 

 黒い髪。濃い口髭。白い服。

 

 そうだ。あの顔を、俺は紙の上で見たことがある。

 

 どんな声で喋り、何をしようとしていた男なのか。そこまで思い出すより早く、二人の刀が離れた。先生の火が吹き上がり、ユーハバッハが外套を翻す。

 

「玄十郎!」

 

 先生は、こちらを見なかった。

 

「来たならば、東へ回れ。あちらにおる連中を片づけい」

「そっちは、二人で足りるのか」

「儂の獲物へ手を出したいのか」

 

 聞き方を間違えた。

 

 この人にとっては救援より、横取りの方が気になるらしい。刀を握ったまま先生の横顔を見ると、ユーハバッハがこちらへ目を向けた。

 

「山本。戦場へ弟子まで連れてきたか」

「お前を斬る者は、儂一人で足りる」

 

 先生の刃が、男の喉へ走った。

 

 受けた大刀の縁から火が散る。長次郎は二人の間を見ながら、半歩だけ横へ移った。俺が出ていく前から、先生とこの人はこうして戦っていたのだろう。今も、互いに声を掛ける必要がない。

 

 だったら、俺のすることは決まっている。

 

「分かった。東を片づけたら戻る。終わってたら、飯くらい用意しといてくれよ」

「お前が遅ければ、儂らで食う」

「そこは待ってくれないのか」

 

 返事の代わりに、炎が上がった。

 

 長次郎が僅かに笑った。俺はそれを見てから、東へ向けて屋根を蹴る。

 

 先生が、敵の頭を斬る。

 

 俺は、その配下を斬る。

 

 昔、塾で稽古をしていた時より、ずっと単純な役割分担だった。少なくとも今日は、先生に背中を叩かれて構えを直す必要はない。

 

        *

 

 東の空に、白い線があった。

 

 一本や二本ではない。屋根の上から通りの奥へ、通りから更に向こうの塔へ。幾十もの光が斜めに交わり、その下で死神たちが倒れていた。

 

 初めは、矢の軌跡かと思った。

 

 けれど、消えない。

 

 放たれた矢ならば、飛んでいるか、何かへ刺さっている。頭上の光は両方だった。瓦や塀へ細い先端を食い込ませ、その間に霊子を引き延ばしている。

 

 屋根を渡りかけた死神が、その一本へ触れた。

 

 光が跳ねた。

 

 細い線の途中から矢が飛び出し、男の脇腹を貫いた。身体が崩れる。その下から別の死神が手を伸ばしたが、俺は先に二人の前へ降りた。

 

 刀で光を受け、返して消す。

 

 続けて飛んできた三本も、同じ刃へ触れさせた。二人を塀の下へ寄せる間に、頭上の線がまた白く瞬く。

 

 なるほど。

 

 矢を放つ場所を、増やしている。

 

 滅却師が弓から矢を撃つのは知っている。中国で会った婆さんも、手元へ霊子を集めていた。ただ、この相手は作った兵装を自分の手元へ置いておくつもりがないみたいだ。

 

 銃口をそこら中へ置けば、後ろを取る必要もないのだろう。

 

 考えた奴は、さぞ気分がよかったんだろうな。屋根へ登った相手が勝手に射線へ入ってくれるのだから。

 

「上へ出るな。この塀からも離れてくれ」

「ですが、隊長が向こうへ……」

「俺が行く。二人で動けるか」

「はい。運べます」

 

 負傷した男を背負わせ、光の少ない道へ向かわせた。俺は刀を肩へ寄せ、頭上の線を眺める。

 

『随分と、糸を張り巡らせておいでで』

「ゆめの糸の方が、触り心地はいいな」

『比べる相手は、お選びなんし。あちらはお前様を刺すためのものでござりんしょう』

 

 ごもっとも。

 

 横から銃声がした。

 

 こめかみへ向かってきた光を刀で受けた。眠った弾を払い消すと、通りの向こうに女が立っている。

 

 金色の髪を後ろで束ね、顔の脇へ青緑の房を垂らしていた。白い上着に黒い脚衣。抱えているのは、長い銃だった。その先には刃までついている。

 

 弓でなくてもいい。

 

 それは、前から知っていたことだ。霊子へどんな形を与えるかは、使う者が決める。矢を撃つ道具が弓でなければならない理由を、俺は自分の鬼道にも求めてこなかった。

 

 しかし、実物を見ると少し嬉しい。

 

 千年以上生きても、こういうところは治らない。敵の武器に感心している場合ではないと分かっていても、つい仕組みを見てしまう。

 

「それ、全部あんたが張ったのか」

「そうよ。綺麗でしょう。黒い服が動けば、よく見える」

 

 女は銃を下げなかった。

 

 俺の袖から髪へ視線を移し、最後に刀を見た。

 

「あなたも隊長?」

「違うよ。用事を言いつけられただけだ」

「それなら、戻って断ればいい。こっちはもう、何人か殺してるから」

 

 胸の奥に残っていた興味が、冷えた。

 

 女の後ろに、白い羽織が落ちていた。

 

 瓦礫へ半ば埋まり、誰のものかは分からない。袖から出ている手にも、握っていたはずの刀にも、もう力は感じられなかった。

 

「……そうか」

 

 俺は切っ先を下げた。

 

 誰だったのか、確かめたい。

 

 ただ、そのために目の前の女から視線を外すつもりはなかった。

 

「それなら、断るわけにはいかないな。先生に言われたこともあるけど、あんたをここから歩いて帰すのは、俺が嫌だ」

 

 女が引き金へ指を掛けた。

 

 頭上の線が、一斉に光った。

 

 左右から矢が来る。俺の背後にも、足元にも、白い先端が生まれていた。逃げる先へ狙いを合わせる必要さえない。逃げられる場所を先に埋めておく。

 

 兵を相手にした時のように、一人ずつ追いかける術ではなかった。

 

 けれど、俺を斬るために先生が振った刀は、こんなに待ってくれなかった。

 

「夜渡(よわたり)」

 

 横へ振った刃から、細い弧が走った。

 

 迫る矢を眠らせ、その向こうの光の線まで触れる。俺は刀を返した。空中へ張り巡らされていた白が、弧の通ったところから消えた。

 

 女へ向かって瞬歩を踏む。

 

 銃口が上がったが、撃たせるより先に刀を入れた。女は後ろへ滑り、銃の脇で刃を受ける。硬い音がした。

 

 銃床まで届く前に、女の左手が離れた。

 

 武器を捨てた。

 

 判断は早い。俺はそのまま踏み込み、肩へ刃を返す。白い上着が裂け、鎖骨の下から血が噴いた。女の顔が初めて歪む。

 

 背後で、捨てられた銃が光った。

 

 腰を捻って刀を振り、銃口を眠らせた。遅れて噴いた光は、筒を出る前に止まっている。返す刀で武器ごと消すと、女はもう次の銃を作っていた。

 

「近くでも撃てるんだな」

「近くの方が、外さないでしょう」

 

 銃声が重なった。

 

 避けた弾が頬の横を抜け、塀へ刺さる。そこから霊子が伸びた。更に後ろの屋根へ届き、新しい線を作ろうとしている。

 

 撃ったものが外れても、次の足場になる。

 

 厄介な作りだ。相手を追えば追うほど、周りへ銃口が増える。しかも、最初に張った線も残っている。女の肩を斬っただけでは、向こうの通りで飛び交う矢は止まらない。

 

 ならば、先にそちらを片づけよう。

 

「縛道の六十一⸺六杖光牢(りくじょうこうろう)」

 

 六本の光が、女の胴へ刺さった。

 

 身体が止まる。銃口だけがこちらへ向いたが、その腕へ刀を触れさせた。引き金へ掛けた指も、銃を持ち上げようとしていた肘も、その位置へ残った。

 

 俺は女の横を抜け、屋根へ上がった。

 

『お前様。あちらも、まだ繋がっておりんす』

「見えてるよ。残したら、また誰かが触る」

 

 霊圧を、刃へ集めた。

 

 広く放つなら、広いところで使いたい。家も、人も、触れさせたくないものが多すぎる。ただ、それを理由に手を止めるほど、俺とゆめの付き合いは短くなかった。

 

 縫い目を選ぶように、刃を通す先を決める。

 

 瓦のすぐ上。塀の縁。通りを斜めに塞いでいる三本。

 

 刀を振るたびに黒い弧が走り、白い線を眠らせた。返した刃へ合わせて光が消える。下で刀を構えていた死神が顔を上げたが、俺は次の屋根へ移っていた。

 

 女が組み上げたものは、町の四つの角へ繋がっている。

 

 その一つを消せば、また別の場所へ霊子が集まった。まだ張り直すつもりらしい。身体を止められていても、外へ置いた兵装は動かせるのか。

 

 いい腕だ。

 

 褒めるつもりは、ないけれど。

 

 女の立つところへ、左手を向けた。

 

「白縫(しらぬい)」

 

 細い糸が、銃を握った手首へ絡んだ。

 

 その腕を上へ吊り、銃口を空へ向けさせる。放たれた弾が頭上へ抜けた。俺は最後の太い線へ刀を振り、交差していた白をまとめて眠らせた。

 

 返す刃と共に、東の空が開いた。

 

 煙の向こうに、昼の青が見える。

 

 女へ目を戻すと、足元の石が割れていた。六杖光牢へ押し返す霊力が強くなっている。裂けた肩から血を流しながら、こちらを睨んでいた。

 

 俺は、その前へ降りた。

 

「名前を聞いてもいいか」

「……今から、覚えるつもり?」

「ああ。あそこに倒れてる人を誰が殺したのか、聞かれるだろうからな」

 

 女の目が、僅かに動いた。

 

 落ちている羽織を見たのか、俺の顔を見直したのか。銃を空へ向けられたまま、唇を開く。

 

「ニキータ・デスロック。陛下の親衛隊よ」

「烏有玄十郎。こっちは、山本の弟子だ」

 

 女の胴を留めていた光に、亀裂が入った。

 

 俺は刀を上げた。

 

 その時、北の方で霊圧が噴き上がった。強いものだった。幾つもの建物を越え、ここにある煙まで押し流す。

 

 そして、途絶えた。

 

 俺は振り返らなかった。

 

 誰かが倒れた。それを知るために、顔を向ける必要はない。

 

「先生には、東を片づけろと言われたんだ」

 

 六本の光が砕けた。

 

 ニキータが銃を引き下ろそうとする。その手首へ繋いだ白縫を引き、俺は一歩、間を詰めた。

 

「悪いけど、急ぐことにした」

 

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