掲げし白に 名は残り
伏せたる刃に 春は逝く
白縫を引き、ニキータの喉へ刀を入れる。
銃を空へ向けられたままの右腕が邪魔をして、女は十分に身を捻れない。俺の刃を見ながら左手へ短い銃を作ると、こちらではなく、自分の右手首へ押しつける。
ためらいのない銃声。手首から先が落ち、白縫に吊られた銃が宙へ残る。その間に女は後ろへ退き、喉へ向けた俺の刃を胸で受けた。
白い上着の下を、青い筋が走っている。
刃が皮膚へ食い込まない。胸へ霊力を巡らせ、外から入ろうとするものを押し返しているのか。弓も銃も作る上に、自分の身体まで守れるとは、随分と便利な使い方を知っている。
聞いてみたいことはある。敵でなければ、の話だけど。
柄へ力を込め、そのまま押し切る。青い筋ごと胸が裂け、刃の進む先から血が噴き出す。ニキータは唇を噛み、俺の刀から逃れるように後ろへ跳んだ。
「それも、破るのね」
「先生の皮膚も硬かったからな。斬れない度に逃げてたら、稽古にならなかったんだよ」
返事をしながら、左へ回る。
女の目は俺を追えている。けれど、銃口がこちらへ届くまでには、腕を動かす時間が要る。その肘へ刃を触れさせ、半ば曲がったところで眠らせれば、引き金に掛かった指も止まる。
俺は胸へ切っ先を向け、踏み込んだ。
刃が背中へ抜ける。ニキータの口から血が溢れ、白い襟へ広がっていく。身体を守る青は、もう胸へ集まってこない。
刀を抜くと、女は膝をつき、残った右腕を石畳へ押しつける。
切れた手首の先に、白い光。
手がなくても、そこへ銃を作れるらしい。最後まで器用な奴だ。そんなことを思いながら刀を上げる俺へ、ニキータは顔を向けようとしない。
「……陛下は、まだ……」
見ているのは、先生の炎が立つ方だった。
俺の刃が、その首を落とす。
石畳へ崩れた身体の傍で、白い光が薄れていく。手首に生まれかけていた銃も、白縫へ吊っていたものも形を失い、東の空へ新たな線が張られることはなかった。
自分の手首を撃ってまで逃れたのだから、生きることへ執着していたのだろう。それなのに、最後まで俺へ銃を向けようとした。逃げる先には、自分が仕える男がいたはずなのに。
あいつのために戦うことを、帰ることより先に選んだのか。
今更聞けないし、分かったところで、斬らずに済んだわけでもない。
『お前様。あちらのお方を』
「ああ。分かってる」
血を払い、瓦礫へ埋もれた白い羽織へ向かう。
梁を持ち上げた先に、大きな身体が横たわっている。丸い眼鏡は片方が割れ、口元から顎へ血が固まっていた。刀を握った右手には、まだ柄が収まっている。
胸にも、脇にも、背にも穴がある。
あの線の下で戦えば、正面の女へ近づく間にも、別の場所から撃たれる。建物の陰へ入ろうと、屋根へ上がろうと同じことだ。周りを壊して進んだところで、女が次の矢を撃てば、そこにまた銃口が増える。
俺は眠らせて消せた。
この人は、そのたびに刀で受けるか、避けるか、撃たれながら進むしかなかったのだろう。
「……九番隊隊長、
声に顔を向けると、塀の陰から死神が出てくる。片脚を引きずり、袖で口の血を拭いながら、男は隊長の前へ膝をついた。
「私どもを下がらせて、あの女を追われました。周りの敵は、ほとんど隊長が斬られたのですが……途中から、どこへ動いても矢が飛んできて」
「ああ。ここへ来る途中で見たよ。今は、全部消してある」
「では、あの女も」
「もう斬った。ここへ戻ってくることはない」
男の手が羽織へ伸び、めくれた裾を直そうとして止まる。身体の下へ挟まっているのだ。肩を少し持ち上げてやると、男は両手で布を引き出し、胸へ掛け直す。
「……ありがとうございます」
そのまま、顔が下がる。
俺は何も返せず、隊長の傍に散らばった白い兵へ目を向けた。切れた胴、落ちた腕、壁へ叩きつけられた身体。女がここに残っていたからといって、この人が何もできずに倒されたわけではない。
それでも、死んでしまえば、こうして部下に羽織を直される。
さっきまであった強さを、俺はその跡から想像するしかない。
通りの先から二人、動ける死神が近づいてくる。こちらを見つけると、走っていた足が鈍くなる。羽織の下にある顔を確かめた一人は、口を開いたまま、その名を呼べずにいた。
「この人と、怪我人を頼む。北へ抜けるには、どっちだ」
「突き当たりを左です。ですが、あちらもまだ交戦しているはずで……」
「そっちへ行く。運ぶなら逆へ。ここの屋根には、もう仕掛けは残ってないから」
膝をついていた男が、隊長の刀へ手を添える。
俺も一度だけ、そちらを見た。
この人の名前を、先生の前で口にすることになる。
それが帰ってからの報告になるのか、戦っている最中に伝えねばならないのか。まだ分からないまま、俺は北へ足を向ける。
*
曲がった先にも、白い兵がいる。
こちらを見つけた一人が弓を上げ、その後ろでは、別の死神へ矢が向けられていた。俺を相手にする者と、目の前の相手を殺す者。全員でこちらへ振り返ってくれれば楽なのだが、そう都合よくはいかないらしい。
「
刃から放った弧で前列の弓と腕を眠らせ、その間へ瞬歩で入る。首を斬り、隣の胸へ刀を返す。二人が崩れる頃には列の向こうへ抜け、別の死神を狙っていた男の喉へ刃を通していた。
背後から来た矢は刀で受け、返して消す。
放った兵がもう一度弦を引こうとするので、その胸へ赤火砲を返してやる。白い服へ火が広がり、密集していた列が左右へ割れる。
「今のうちに下がってくれ! 怪我人を先に!」
塀の前で戦っていた死神たちへ声を掛ければ、一人が負傷した仲間の腕を肩へ回す。もう一人は刀を握ったまま、こちらへ歩み寄ってきた。
「私も残ります。一人くらいは、受け持てます」
「一緒に運んでくれ。その人、片脚じゃ地面を蹴れないだろ」
「ですが、ここをお一人に任せるわけには」
「頼んでるんだよ。俺が全部斬り終わるまで、そこで待っててもらう方が困る」
男は俺の顔を見て、それから仲間へ向き直る。
二人で肩を支えれば、負傷者の足も地面から離れる。路地へ入っていく三人を追って銃口を向けた兵へ踏み込み、腕ごと斬り下ろした。
帰ってくれれば、守る背中が三つ減る。
先生なら、ここへ残して敵を引き受けさせることも考えたのだろう。俺には、そちらの方が面倒だ。兵の矢に混じった味方の刀まで、いちいち避けながら戦いたくはない。
『お前様。道の奥にも、まだおいでで』
「見えてる。家に火がつかないように、頼むぞ」
左手を開き、通りへ掌を向ける。
「破道の三十三⸺
青い炎が、道の幅いっぱいに走る。
弓を構え直した兵も、塀へ逃れようとした兵も、その中へ呑まれていく。家の軒へ届く前に炎を絞り、道の先まで押し通す。煙の下で白い服が崩れるのを確かめ、俺は屋根へ上がった。
北にあるはずの塔が、斜めになっている。
その手前には、上半分を失った家が幾つも並ぶ。道をえぐった溝は門まで続き、塀の切れ目も一軒や二軒では済まない。あの隊長が建物ごと壊して進んだ東とは、また別の戦いの跡だった。
強い者同士が、ここでぶつかった。
けれど、今感じられる強い霊圧は一つだけ。その傍にあったはずのものは、もう戻ってこない。
屋根の端へ踏み出すと、銃声が響く。
額へ迫る光を刀で受ければ、次は右脇へ。刃を返して一発目を消し、身を捻って二発目を袖の外へ逃がす。背後の瓦が砕ける音を聞きながら、俺は撃った男を見据える。
白い髪と、眼帯。口元には髭がある。
両手に一挺ずつ銃を持ち、崩れた門の前に立っていた。ニキータのように周囲へ仕掛けを置いている様子はない。二つの銃口は、どちらも真っすぐ俺を向いている。
「東が静かになったと思えば、お前か」
足元に、白い羽織が見える。
顔を確かめようとする俺へ、男は右の銃を撃つ。弾を眠らせ、続けて左から来たものも刃へ触れさせれば、二つの白が宙へ残る。それを払い消すところまで見て、男は目を細めた。
「ニキータも、その刀で斬ったのだな」
「ああ。あんたの仲間だったのか」
「同じ陛下へ仕える者だ。お前たちが、そこに倒れている者を隊長と呼ぶのと、そう変わらん」
そう言う声に、怒りは感じられない。
仲間の死を聞いても銃口は揺れず、俺が動けば、その先へ撃てる構えのままでいる。ニキータも、俺が斬った兵も、今日は死ぬかもしれない。初めからそう承知して、ここへ来たのだろう。
だからといって、この男の気持ちまで軽いとは限らない。
刀を持つ俺にも、顔へ出さずに戦った覚えくらいはある。
「あの人を殺したのは、あんたか」
「そうだ。強い男だった。部下を退かせた後は、最後までこちらへ来た」
「……そうか」
俺の知らないところで、この男と隊長は斬り合っていた。
その最後を聞いている間にも、西から新たな霊圧が膨れ上がる。どこかの隊長が、まだ敵と戦っている。こちらが話し終わるのを、ほかの戦場が待ってくれるわけではない。
「名前は」
「ヨハン・ザイドリッツ」
「烏有玄十郎だ。先生には、東を片づけろと言われてる」
「ならば、道を間違えたな」
「東だけ済ませて戻ったら、こっちのことも聞かれるだろうからさ」
ヨハンの左手が、僅かに下がる。
その肩越しを、白い兵が数人走っていく。俺を囲むつもりなら、左右へ分かれるはずだ。あいつらが向かっているのは、負傷した死神たちが退いた先だった。
屋根の上から、その列へ左手を向ける。
「縛道の六十三⸺
金の鎖が兵たちを絡め取り、走っていた足を止める。
ヨハンの左の銃口が、そちらへ向く。
鎖を撃たせる前に屋根を蹴り、兵の列と男の間へ降りる。白い弾を刃で受け、払い消しながら踏み込めば、右の銃がこちらを追ってくる頃には、俺の切っ先も男の胸へ届いていた。
「ほかへ手を出す暇は、やらないよ」
ヨハンが半歩退き、刃を避ける。
胸元へ差し入れた刀の両側から、二つの銃口が俺を向く。後ろへ退かせたつもりが、その距離からでも撃つのか。
なるほど、ニキータより、こっちの方が接近され慣れている。
男の背後では、兵が鎖を引きちぎろうと足を踏ん張っていた。
俺がそちらへ向ける手は、今はない。
だから、先に斬る。
「よかろう。お前からだ」
引き金へ掛かった指を見ながら、俺は刀を返す。
白い閃光が、二人の間を埋めた。