折れたる旗に 風は止み
名を呼ぶ声に 雨は降る
腹と胸へ、銃口が一つずつ。
近い。ここまで近ければ、俺でも外さずに撃てそうだ。銃を使ったことはないけれど、わざわざ試させてもらう気にもなれない。右の弾を刀へ触れさせ、左は身体をずらして脇の下へ逃がす。
背後で、塀が吹き飛んだ。
袖が背中へ打ちつけられ、髪へ瓦の欠片が入る。……そう来るか。当たらなくても、近くで破裂すればいい。俺も鬼道を作る時には色々と考えるけれど、使われる側に回ると、ただただ腹が立つものだな。
爺さんにも、こんな顔をさせていたのかもしれない。庭を壊したことなら、何度かある。あれは後で直したから許してもらえたと思っていたのだけど。
「避けても、無駄だ」
「そうみたいだな。服が汚れる」
刀へ残した弾を払い消し、そのまま右の手首へ刃を返す。ヨハンは銃を捨てて退き、左の一挺で俺を撃ちながら、空いた手へ次を作っていた。武器を手放すのにも、随分と思い切りがいい。
あちらには、いくらでも替えがあるのか。少し羨ましい。俺が刀を取り落とした時は、拾うより先に先生の蹴りが飛んできたし、今ゆめを放り投げようものなら⸺。
『お前様。何やら、よからぬことを』
「思っただけだよ。やってないだろ」
『そのようなこと、やられる前にお止めいたしんす』
ごもっとも。俺の刀は、拾えば済むというものでもなかった。
迫る光を受け、返して消す。その間にもヨハンは下がり、俺の手首へ、踏み込んだ膝へ、次の弾を置いてくる。顔ばかり狙ってくれるなら楽なのだが、こいつは俺の動きをよく見ているらしい。刀を返すたびに右手を撃たれては、こちらも気分よく振れない。
では、見てもらうのはここまでにしよう。
「
袖の外へ、淡い香を流す。
ヨハンの銃口が俺から外れる。けれど、撃つのをやめたのは一瞬だけで、すぐに両腕を広げ、通りいっぱいに弾を撒き始めた。見えないなら近づけさせるな、か。目を失って慌てる奴より、よほど手強い。
普通に斬り合っていたら、いい相手だったろうな。
今日は、その普通に付き合ってやるつもりがない。
頭上へ跳び、男の背へ回る。左右へ伸びた腕を刃で撫でれば、銃声はそれきり途切れる。俺は肩へ刀を入れ、そのまま脇腹まで引き下ろした。
外套の下から血が溢れ、男の膝が揺れる。それでも倒れずにいるのは、胴へ浮かんだ青い筋のお陰らしい。ニキータと同じものだ。さっき見ておいてよかった。もう一度、何をしているのか考えながら斬る手間が省ける。
正面へ戻り、香を収める。俺を見つけたヨハンは、次に、自分の動かない両腕へ目を落とした。
「……斬り合う気は、ないのか」
「斬ってるだろ。今も」
「こちらに撃たせもせずに」
「撃たせたら、後ろが吹き飛ぶんだよ。さっきので懲りた」
俺一人なら、避けているだけでもいい。けれど、この町へ来た用事は、ヨハンの射撃に付き合うことではない。先生に言われたことも、倒れた隊長のことも、全部そのまま残っている。
男の口元から血が流れ、髭を濡らしていく。まだ銃を離さないところを見ると、諦めたわけでもなさそうだ。
「山本の弟子、だったな」
「ああ」
「陛下のところへは、行かせん」
足元の石畳が削れ、外套の裾へ白い光が巻きつく。
今度は、自分の周りへ集めるのか。腕を眠らせても、最後に使えるものは残してある。こういうところは、見習いたい。俺も刀を握れないからといって、そのまま斬られてやったことはないのだから。
ただ、その先まで使わせてやるほど、暇ではない。
首へ刀を振り抜くと、集まりかけた光が散る。ヨハンの身体が前へ崩れ、両手の銃を石畳へ打ちつける。その音を聞いてからも、俺はすぐに背を向けず、二挺が形を失うまで待った。
捨てた銃に撃たれるのは、一度で懲りている。
「ゆめ。後ろの連中は」
『まだ、鎖の中においでで』
振り返ると、兵たちは俺を見ていた。弓を作りかけた者もいるが、誰もまだ放っていない。ヨハンが倒れたところを、よく見ていたのだろう。
だからといって、逃がせるわけでもない。
俺が近づくと、一人が何かを叫ぶ。陛下、と聞こえたところで刀を上げ、その続きを聞かずに斬る。残った兵が弓を向けてくれたお陰で、俺も迷わず次へ刃を返せた。
*
七の字が、血で濡れている。
門の前へ倒れていた隊長の背に、それがあった。毛皮をつけた大きな男で、胸にも腹にも穴が開いている。少し離れたところに、腕と刀。俺は両方を身体の傍へ寄せ、羽織を戻した。
この人の名も、聞いておきたい。
けれど、周りにいる者は誰も答えてくれない。生きた気配を探し、瓦礫の陰から一人を引き出すと、男は隊長を見るより先に俺の袖を掴んだ。
「南へ……」
「何があった」
「隊長たちが、敵を追って……こちらからも、加勢を……」
そこまで言って、息が続かなくなる。俺は壁へ背を預けさせ、胸の傷へ掌を当てた。喋らせるために治しているのではないけれど、続きを聞かなくていいのは助かる。南を探れば、幾つもの強い霊圧が重なっていた。
その一つが膨れ、すぐに細くなる。
まだ、生きている。
「分かった。人を呼ぶから、ここで待っててくれ。傷は押さえておいて。今のうちに立とうとしなくていい」
近くの死神へ道を繋ぎ、男を任せる。そのまま両手を開き、南へ千里一重を通した。
屋根を渡って行けば、途中にいる敵も斬れる。怪我人も拾える。そうして一人ずつ片づけてきた結果が、今、足元にある七の羽織だった。
東には九番隊の隊長がいた。
俺が相手をしていた間に、ここでも死んだ。
次へ着いた時にも同じものを見るのなら、どれだけ上手く刀を振れたところで、今日は帰って先生に自慢などできない。
*
道を抜けた先で、白い雨を浴びた。
刀で受ける。返して消す。二本、三本と払ったところで、流石に顔を上げたくなる。何だ、これは。上から撃ってくるにしても、限度というものがあるだろう。
空へ浮かんだ大きな輪から、矢が降っている。
近くの死神たちは塀へ逃れ、仲間を引いて走っていた。その頭上にも白が迫るので、左手を向けて壁を立てる。
「縛道の八十一⸺
矢が壁を叩く音を聞きながら、その下へ皆を寄せる。一人がこちらへ礼を言いかけたが、今は後にしてもらった。俺も、上を見たまま返事をする余裕がない。
輪が、一つではないのだ。
隣の通りにも、その向こうにも。下に並ぶ兵たちが霊子を集め、頭上へ送り込んでいる。弓を引く奴と、矢を作る奴を分けるどころか、全員でこんなものを動かしていたのか。
俺が一人で鬼道をいじり、ゆめに付き合ってもらい、何十年もかけて工夫してきた横で、あちらは人を集めてしまったらしい。
……そりゃあ、集まるよな。力も、撃てる数も。
感心したくなる癖は、どうにも治らない。けれど今度は、口に出す前に目の前のものが見えた。
道の中央に、白い羽織。
塀の下にも、その先にもある。握られた刀は血で濡れ、周囲には滅却師の死体が積もっていた。誰も、ここでただ撃たれながら待っていたわけではない。それぞれが敵の列へ入り、斬り進み、そして倒れたのだろう。
生きている気配を探す俺へ、八千流の霊圧が届く。
まだ斬り合っている。肩から血を流しながら、大きな男へ刀を振り、横から来た矢も受けていた。あの人は、今日も笑っている。
先生も、長次郎も生きている。
ほかは。
袖を引かれ、顔を下ろす。若い死神が、道の先を指していた。血に濡れた手で俺の袖を汚したことにも、気づいていないらしい。
「動かしても、返事をされません……隊長が、もう……」
「……ああ」
その先を、言わせたくなかった。
男の手を袖から外し、断空の下へ戻す。指していた身体へ目を向けると、確かにもう力は感じられない。俺がそこへ走っても、名前を聞ける相手が一人増えるだけだ。
「動ける人を集めてくれ。怪我人は、この壁の下へ。あの人も、運べるなら運んで」
「あなたは、どちらへ」
「ここにいる。上のあれを、止めるから」
夜渡を放ち、一つの輪を眠らせる。返す刃で消せば、俺たちの頭上から白い雨が途切れた。その下へいた兵たちがこちらを見上げる前に、蒼火墜を列へ叩き込む。
ここは止まる。
けれど、隣ではまだ降っている。
更に向こうでも。俺が次の輪へ刀を向けたところで、遠くにあった死神の霊圧が一つ、途絶えた。
『お前様』
「分かってるよ」
刀を胸の前へ寄せる。
和尚に言われたことは、覚えている。使わずに済むなら使うな。使わねばならない時には、理由を聞かせろ。
今、あの人がどこにいるのかは分からない。
後で、話す。叱られるなら、叱られてもいい。ここで刀だけを振り続けて、次に誰の羽織を拾うことになるのか、それを見てから話すくらいなら。
「烏有玄十郎」
背後から声が響き、俺は振り返る。
和尚が立っていた。白い矢が肩へ届く前に折れ、足元へ落ちる。いつ来たのか聞くより先に、その目が道へ伏せた羽織に向いた。
笑ってはいない。
「和尚。あんたに聞かせる理由なら、そこら中にある」
「ああ。見えておる」
大きな掌が、俺の肩へ置かれる。
「この戦争を終わらせられるか」
「終わらせる。この場所を、これ以上好き勝手に荒らさせない」
和尚は一度頷き、空へ浮かぶ輪を見上げる。それから俺へ目を戻し、肩に置いた手を離した。
「ならば解け。卍解も、その先も。わしが許す」
柄を握る手に、ゆめの温もりが重なる。
もっと早く使っていれば、とは思う。
けれど、その続きを考えている間にも、断空の向こうで白い矢が砕けている。今、俺を見ている死神たちまで、さっきの隊長と同じところへいかせるつもりはない。
「ゆめ。久しぶりの卍解だ」
『ええ。お前様の思う通りに』
俺は刀を持ち上げる。
白い雨の下へ、二人の夜が広がっていく。