焼けたる土に 朝は来て
空いたる席に 名は残る
もう、俺たちが止めておくものはない。
町の端まで確かめてから、ゆめへ意識を寄せる。離れる時にも、今は言葉が要らない。重なっていた温もりが胸の奥へ戻り、白銀の袖がほどけていく。掌へ帰ってきた刀を握れば、腰まで伸びた髪も見慣れた黒だった。
空の星が薄れる。煙の向こうに昼の色が戻り、崩れた塀へ日が当たる。随分と久しぶりに思えるけれど、ここへ来てから半日も経っていないのだろう。朝には爺さんの畑にいたのだから。
髪を括ろうとして、紐に乾いた血がついているのを見つける。誰のものか、もう分からない。ひとまずそのまま結び、刀を鞘へ戻すと、傍にいた死神が深く頭を下げた。
「ありがとうございました。あなたが来てくださらなければ、私どもも……」
「立てるなら、向こうを手伝ってくれ。瓦礫の下に、まだ運び出せてない人がいる」
礼を聞くのが嫌なわけではない。ただ、今それを受け取ると、足元に伏せた羽織へ目が向いてしまう。男が走っていくのを見送り、俺も梁へ手を掛ける。持ち上げれば下から腕が見え、すぐに二人が駆け寄ってきた。
その顔へ布を掛けるところまで待ってから、梁を脇へ置く。
こういう時には、力の使い道が幾らでもある。建物を退け、道を空け、運ぶ手が足りなければ自分で担げばいい。だから、立って考える時間は後に回す。俺の足はまだ動くし、両腕だってついている。
「烏有」
振り返れば、和尚が道の向こうにいる。さっきまでユーハバッハの傍にいたはずだが、今は一人だった。あの男の気配を探そうとする俺へ、和尚は近づきながら首を振る。
「あちらは、わしが預かった。今ここで、おんしの手を借りることはない」
「……生きてるんだな」
「残っておるものはある。わしも、確かめねばならん」
それ以上は聞かなかった。和尚が何もかも分かった顔をしていないことも、少し気に掛かる。けれど、あの男をここへ放り出して帰るつもりがないなら、今は任せていい。
「解放は収めたか」
「ああ。もう、必要ないだろ」
「そうじゃな」
大きな手が俺の肩へ伸び、途中で下がる。和尚も、俺の服についた血を見ているらしい。傷はない。自分のものなど、ほとんど混じっていないはずだった。
「よく止めてくれた」
「……止めたよ」
そこまで答えて、口を閉じる。
もっと早く、と言いかけた。それを今この人へぶつけたところで、俺が拾った羽織の数は減らない。使うと決めた時には、俺だって許しを待つ気などなかったのだ。
和尚は何も急かさず、道へ集まってくる死神たちを眺めている。担いだ身体を下ろす場所を探していた二人へ、俺は塀の崩れていないところを指した。
「俺は、先生のところへ行く」
「うむ。わしも、もう一度顔を見てから戻るとしよう」
並んで歩けば、皆が道を空ける。空けなくていいよ、と言うのも追いつかない。俺たちの前には担架があり、後ろには瓦礫があるのだから、そんなところで礼をしなくてもいいのに。
そう思っていた俺も、通りの先に先生を見つけると、少しだけ歩みが遅くなる。
刀はもう鞘へ戻っていた。長次郎が傍へ控え、集まった死神から報告を受けている。先生の前まで来た一人は、背筋を伸ばして口を開き、最初の言葉だけで喉を詰まらせた。
「隊長が……」
先生は、その先を待っている。
男は袖で顔を拭い、隊の番号と名を告げる。どこで敵と遭い、誰を下がらせ、最後に何を命じたのか。途中で声が震えても、先生は一度も口を挟まなかった。
「刀は」
「こちらに。ご遺体も、今、運んでおります」
「分かった。残る者を集めよ。隊を散らすな」
男が頭を下げ、戻っていく。俺はその背が道を曲がるまで見てから、先生の前へ立った。
「東は片づけた。途中で北と南へも回ったから、戻るのが遅くなったけど」
「見ておった」
「そうか」
先生の視線が、俺の刀へ下がる。それから袖へ、顔へ。昔なら、服を汚したくらいで何をしてきたと聞かれただろう。今日も汚れてはいる。洗って落ちるかどうか、帰ってみないと分からない。
「九番隊の隊長は、俺が着いた時には、もう死んでた。七番隊も。あとは、南で何人も見つけたけど……名前まで聞けてない」
「名は長次郎が集めておる」
「うん。刀も、できるだけ身体の傍へ戻してある」
言っておきたかったことを口にすると、今度は何を話せばいいのか困る。東にいた女の銃も、空へ浮かんだ輪も、先生なら知っておくべきなのだろう。だが、今それを順に説明する気にはなれなかった。
「敵は斬ったよ。ここへ攻め込んできた奴は、もう残ってない」
「ならば、よい」
先生は俺から目を外し、次に来た死神へ顔を向ける。
その声を聞いて、少し腹が立つ。よくないだろう、と思う。けれど先生が何を聞き、何へ答えたのかくらい、俺にも分かっていた。
敵が残っているか。まだ戦わせる必要があるか。
先生は、それを確かめたのだ。
俺の知らない隊長の名を、先生は知っている。集めた時の顔も、刀の使い方も、俺よりずっと多く覚えているはずだった。それを今、部下の前へ並べて話す人ではない。
「烏有様」
長次郎に声を掛けられ、顔を向ける。いつの間に持ってきたのか、手には水の入った椀があった。
「喉をお湿しください。先ほどから、声が掠れておられます」
「……そんなにか」
「ええ。ご自身では、気づかれにくいものですから」
受け取って飲めば、確かに喉が痛い。戦っている間、何度も叫んだ覚えはある。皆へ下がれと言って、運んでくれと言って、敵には何を言っただろう。服が汚れる、か。あの時は、まだそんなことを言えていた。
空になった椀へ目を落とす俺に、長次郎はもう一杯を注いでくれる。
この人も、さっきまで刀を握っていた。その手で今は水を運んでいる。そういうところを、俺は昔から何度も見てきた。
「ありがとう。あんたも、少し休めよ」
「残る者の数が分かりましたら。今は、各隊から人が戻っておりますので」
「じゃあ、俺にも手伝えることを回してくれ。ここで水だけ飲んでるのも、落ち着かない」
長次郎は先生へ目を向ける。先生が頷くと、すぐに二人の死神を呼び、俺へ道の先を示した。
やることがあるのは、助かる。
椀を返し、俺はまた袖をまくった。
*
夕方には、運び込む場所が足りなくなっていた。
壁が残っている建物を幾つか使い、床へ布を敷く。負傷者の方は、俺が傷を塞いだお陰で歩ける者も多い。だが、歩けるようになった手で、今度は帰ってこない者を運んでいた。
俺も何度か千里一重を開き、道の遠いところから人を通す。便利だ、と褒めてくれた男は、次に担架へ戻る時には泣いていた。返事を考えているうちに、もう聞いてくれる顔ではなくなる。
誰かが入口へ腰を下ろし、握った刀を見つめている。刃には血が残り、鞘へ収める気にもなれないらしい。俺も声を掛けずに通り過ぎ、奥へ運ばれた白い羽織の傍へ膝をつく。
九の字。
煙鉄という名は、もう覚えた。丸い眼鏡も、割れたまま顔の傍に置いてある。直せば使える形にはなるだろう。そんなことを考え、手を出しかけて、やめる。
どこまで触れていいのか、俺には分からない。この人を知る者に聞いてからにしよう。
「よく働きますね、あなた」
入口に、八千流が立っていた。
肩の傷は塞がっているが、着物は裂けたままだ。袖も髪も血に濡れ、刀を下げた姿だけ見れば、まだ次の相手を探しているようにも思える。俺の前へ並ぶ羽織を眺めてから、彼女はこちらへ歩いてくる。
「手が空いてるからな。あんたの隊は、どうだった」
「戻った者を集めています。数えるのは、部下に任せました」
「そうか。傷が残ってる奴がいたら、連れてきてくれ」
「あなたが治したのでしょう。あちらでも、皆が自分の身体を確かめていますよ」
なら、よかった。
そう言う代わりに立ち上がれば、八千流の目が俺の腰へ向く。戦う時には、いつもそこを見られる。この人の前で刀を抜くのには、俺も随分と慣れたものだ。
今日は、柄へ手を置かない。
「随分と、手早く終わらせてしまいましたね」
「長くやる理由がなかった」
「ええ。私の前にいた男まで、動かなくなりましたから」
「最後は、あんたが斬っただろ」
「そうですね」
口元に、僅かな笑み。
戦っていた時ほど楽しそうではない。それでも、この人は俺へ礼を言うために、刀の話を避けたりはしなかった。俺も、そちらの方が話しやすい。
「……あんたまで、ここへ運ばれてこなくてよかったよ」
言ってから、彼女の後ろに並ぶ羽織へ目を向ける。
八千流は俺の顔をしばらく見て、それから肩を並べた。何かを慰めるような言葉はなく、ただ一人ずつ、その顔を確かめていく。
「まだ、帰らないのですか」
「明日も、手が要るだろうから」
「では、山本のところへ。あの男も、まだ休んでいませんよ」
先生が休まないのは、知っている。
俺が行ったところで寝てくれるとも思えないが、水くらいなら置いてこられるだろう。長次郎に任せきりでは、あの人もいつまで経っても座れない。
八千流と別れ、外へ出る。空には本当の夕暮れがあり、壊れた屋根へ赤い光が当たっていた。
*
十一。
長次郎が告げた数を、俺は椀を持ったまま聞いていた。
各隊から戻った者の話が揃い、運ばれた身体も確かめられた。行方の知れない隊長は、もういない。一番と十一番を除く全ての隊が、隊長を失った。
先生の前には、十一振りの刀が置かれている。
柄の長いものも、鞘の細いものもある。俺が身体の傍へ寄せた刀も、その中にあった。持ち主を知らなければ、初めは形へ興味が向いたかもしれない。どう振るうのか、どんな名を呼ぶのか。
今は、誰もそれを呼ばない。
「各隊の残存兵力も、夜のうちにまとめます」
「負傷しておる者は使うな。動ける者から出せ」
「承知いたしました」
長次郎が下がると、先生は刀の列へ目を落とす。
俺が置いた水には、まだ口をつけていない。飲めよ、と言いかけてやめる。そういう一言を出せる時と、出さずに隣へ座っていたい時があるのだと、こんな歳になってから知ることもあるらしい。
「俺は、しばらく残るよ。道を直すにしても、物を運ぶにしても、使えるものはあるから」
「爺のところへは」
「連絡はする。朝に出てきたままだから、そろそろ怒ってるかもしれないし」
先生は返事をせず、ようやく椀を取る。
俺も自分の分を口へ運んだ。昼から何度飲んでも、口の中に煙の味が残っている。明日には落ちるだろうか。服は洗う。髪も解いて、血のついた紐を替えたい。
そうやって、明日することを幾つか思い浮かべる。
先生は水を飲み終え、椀を置いた。その手が一振りの刀へ伸び、僅かに曲がっていた位置を直す。隣の鞘とは触れないように、少しだけ間を空けて。
俺は、その手を見ていた。
「護廷は残す」
先生が口を開く。
「空いた席には、次を据える。隊は潰さぬ」
「……うん」
「二度と、このようにはさせん」
俺の顔へ向けた言葉ではなかった。先生は並んだ刀を見ている。俺もそちらへ目を戻し、何も足さずに頷く。
千年近く離れていた間に、この人は十三の隊を作った。
今日、その隊長が十一人死んだ。
俺が帰ってきた時には、もう皆ここにいた。まともに言葉を交わせた者など、ほとんどいない。名を覚えたのが死んだ後になってしまった人までいる。
先生には、集めた一人ずつの顔があるのだろう。
その隣で、明日も手を貸そうと思う。席を埋める話にまで口を出すつもりはない。けれど、明日の朝にも瓦礫は残るし、起きて働く者には水も飯も要る。
『お前様』
胸の内から呼ばれ、刀へ目を向ける。
『今宵は、こちらでお待ちいたしんす。お休みになれる時に、お越しなんし』
「……ああ」
声が漏れると、先生がこちらを見た。
「ゆめだよ。今日は、帰るのが遅くなるって」
「そうか」
それだけ言って、先生はまた刀の列へ目を戻す。俺も席を立たず、空になった二つの椀を傍へ寄せた。
外では、まだ人が歩いている。
誰かを呼ぶ声がして、別の誰かが返事をする。そのたびに、次は足音が近づいてくる。今夜は、それを聞いていたかった。
先生の椀へ水を注ぎ直すと、今度は、すぐに手が伸びた。