卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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濡れたる袖に 道は伸び
帰りを待つ灯に 雨は止む




69. 山雨の道連

 

 

 俺だけ荷が少ない。

 

 門へ集まった顔を見渡して、ようやく気づいた。千鳥は腰の後ろへ小さな袋を提げ、ほかの連中も肩や背に何かしら担いでいる。俺の方は刀と、懐へ入れた握り飯が二つ。これでも一人旅よりは用意したつもりなのだけど。

 

「隊長、こちらもお持ちください」

 

 宗玄から渡されたのは、包帯の入った袋だった。

 

 開けてみると、薬まである。これを使う羽目にならなければいいなと思いながら腰へ結ぶと、今度は折り畳んだ紙を差し出された。

 

「三日後にお戻りになる予定で、よろしいですね」

「うん。今回は寄り道しないよ。皆もいるからねぇ」

「皆様がご一緒ですから、確認しております」

 

 俺一人なら多少遅れてもいい、とは言っていない顔だ。

 

 分かっているよ。俺が集落へ寄れば、こいつらまでついてくる。山の向こうが気になっても、今回は先に帰ろう。気になるところへは、また行けばいいのだから。

 

「その紙は?」

「携帯する分です。帰還後、どなたかの記憶だけを頼りに報告をまとめなくて済むように」

「なるほど。俺も何か書く?」

「是非」

 

 即答だった。

 

 千鳥が横を向く。肩が少し動いているので、笑っているのだろう。こっちは帰る日を確かめられ、紙まで渡されたところなのに、随分と楽しそうだ。

 

 まあ、俺も千鳥が宗玄に捕まっていたら、同じように笑う気はする。

 

 紙を濡らさないよう袋の内側へ入れ、皆へ声を掛ける。

 

 宗玄は門の前に残った。こちらが道を曲がるまで見送るつもりらしく、振り返るとまだ姿がある。手を上げれば、いつものように頭が下がる。

 

 帰る日を言ってから出掛けるのも、随分と馴染んだものだ。

 

        *

 

 山へ入る頃には、雨が降り始めていた。

 

 木の下を選んでも、葉に溜まった雫が首へ落ちる。袖で拭いたところへまた来るのだから、途中からは諦めた。俺の後ろでは、荷へ布を掛け直した男が、紐を締めている。

 

「前は、ここから右へ入りました」

 

 千鳥が指した先に、細い獣道がある。草が倒れて、何かを引きずった跡も残っていた。佐伯を運んだ時のものらしい。先へ踏み込む前に皆を止め、俺は濡れた土へ膝をついた。

 

 血の匂いは、もう薄い。

 

 代わりに木の幹へ、爪を立てた跡がある。上から下へ長く引かれていて、皮の内側まで裂けていた。

 

「ここ、通る時にもあった?」

「ありませんでした。少なくとも、この木には」

「そっか。じゃあ、こっちを追ってきた奴が戻ったのかもしれないねぇ」

 

 幹の向こうへ目を向ける。

 

 いる。

 

 右手の斜面へ一つ。もう少し高いところに二つ。正面にも、根の張り出した窪みへ潜っているものがあった。見える顔だけ数えていたら、先に山を下りたくなっただろう。こいつらは、枝の陰へ身体を伏せて待っている。

 

 昨日ならともかく、今日は待たせる理由もない。

 

「千鳥。正面を見てもらえる?」

「何体ですか」

「すぐそこに一体。俺は右へ行くよ。残りの皆は道を空けといて。押し合うと、帰る時に転ぶから」

 

 千鳥の刀が抜ける。

 

 背後でも、鞘を払う音が続いた。緊張するのは仕方がない。一度ここで仲間を斬られているのだから、俺がいると言われたくらいで全部忘れられるわけでもない。

 

 足元へ目を落とした男が、石を脇へ退ける。

 

 いいねぇ。それができるなら、まだ周りを見ている。

 

 俺は道から外れ、右の斜面へ上がった。

 

 最初の一体が、木を蹴る。

 

 獣に似た身体だった。前脚が異様に長く、白い仮面の下から顎が二つ突き出している。あれで腕を挟まれたら面倒そうだ。自分で取り上げる分には構わないが、部下へ試してもらうようなものではない。

 

 爪が、俺の頭へ落ちてくる。

 

 半歩だけ横へ避け、顎の下から刀を入れた。刃が仮面を抜けたところで手を返す。向こうの木まで斬ってしまわぬよう、そこで止める。

 

 白い顔が割れ、身体が崩れていく。

 

 その後ろから二体目。

 

 こちらは口が大きかった。枝へ絡みついていた尾を離し、俺へ喰いつこうとしている。どうしてこう、山へ来る奴は口から入ってこようとするのだろう。話があるなら、先に言ってくれたらいいのに。

 

「悪いねぇ。今日は連れがいるから」

 

 突き出した刀が、口の奥へ届く。

 

 身体を捻って抜き、足元へ落ちる枝を避けた。これで二体。高いところに残ったものは、こちらを見たまま動かない。

 

 逃げる方を探している顔だった。

 

 そこで逃がすと、今度は誰がこの山へ入るだろう。

 

 俺は空いた手を上げた。

 

「破道の四⸺白雷(びゃくらい)」

 

 指先から抜けた光が、白い仮面を貫く。

 

 木の皮が少し焦げた。火まではついていない。雨の日でよかったと思うべきか、もう少し狙えばよかったと思うべきか。先生なら後者だろうなぁ。

 

 刀を下げ、道の方へ顔を向ける。

 

 千鳥は、まだ斬っていなかった。

 

        *

 

 正面の虚は、腹を地面へつけている。

 

 蜘蛛のように脚が多い。頭を低く伏せ、道へ踏み込んだ千鳥の足元へ、左右から爪を伸ばしていた。

 

 千鳥が一歩退く。

 

 虚は追う。そこで後ろにいた男が刀を振り、伸びてきた脚を一本落とした。身体が傾き、反対側の脚が持ち上がる。その下から別の男が踏み込んだが、こちらは届かない。

 

 虚が腹を捻り、刀を避ける。

 

 千鳥の方を見失ってはいない。脚を斬った男へ口を向けたまま、残る爪で彼女の退く先を塞いでいた。

 

 なるほど。

 

 何度も通じたやり方なのだろう。顔の正面へ刀を集めて、その間に足元から一人を取る。佐伯も、こいつにやられたのかもしれない。

 

 俺は斜面を下り、道の端で待つ。

 

 まだ、手は出さなくていい。

 

「下がって。こちらへ引きます」

 

 千鳥が声を掛けると、前の二人が道の左右へ分かれた。

 

 虚が、空いたところへ頭を突き出す。

 

 追わせるつもりだったらしい。千鳥は刀を構えたまま退き、爪が届く手前で木の横へ回った。伸びた脚が幹へ当たる。

 

 頭が、僅かに横を向く。

 

 その顔へ、右の男が斬り込んだ。

 

 刃は仮面へ届いたが、浅い。虚の口が開く。喉の奥へ赤い光が集まり、男の胸へ向き直った。

 

 そこは、まずいねぇ。

 

 俺が指を伸ばすより先に、千鳥の刀が下から入る。

 

 顎が跳ね上がった。

 

 放たれた光は頭上へ抜け、枝を吹き飛ばす。その隙に左の男が踏み込み、今度こそ仮面の割れ目へ刃を通した。

 

 脚が土を掻く。

 

 千鳥が刀を抜くと、白い顔が崩れ始めた。足元へ伸びていた爪も消え、男たちがようやく息を吐く。

 

 俺も、上げていた手を下ろす。

 

 頭上から折れた枝が落ちてきたので、それだけは受け止めた。戦いが済んでから、こいつに頭を叩かれては少し悲しい。

 

「今の、よかったよ。上を向かせたの」

「隊長が止めてくださるかとは思いましたが、間に合いましたので」

「うん。俺を待たずにやってくれる方が、助かるねぇ」

 

 千鳥は頷き、男の刀へ目を向ける。

 

「仮面へ入れる時、踏み込みが浅くなっていました。戻ってから、そこをやりましょう」

「はい。……もう一歩、入るつもりだったのですが」

「怖かった?」

「口が、こちらを向きましたので」

 

 俺は受け止めた枝を脇へ置く。

 

 その返事をするのにも、少し勇気が要っただろう。千鳥の前なら、分からなかったことにして済ませられないと知っている。

 

「口は向くよ。向こうも、斬られたくないからねぇ。次はそれを見て、どっちへ避けるか考えとこう。千鳥が上げてくれたけど、毎回同じところから助けてもらえるとは限らない」

 

 男が、虚のいた地面へ目を戻す。

 

 土に幾つも穴が開いている。あの脚がどこへあったかも、まだ分かる。それを辿るように足を置き直し、千鳥へ何か尋ねていた。

 

 もう少し、話す時間をやりたい。

 

 けれど、奥にもいるのだ。

 

「続きは帰ってからにしようか。こっちも、先を見てこないと」

 

 顔を上げた皆へ、俺は山の奥を指した。

 

        *

 

 窪みの向こうに、古い道があった。

 

 石を積んだ跡が草の下へ続いている。昔はここを通る者がいたのだろう。奥へ進むと屋根の落ちた小屋まで見つかり、その横に、虚が喰い散らしたらしい骨があった。

 

 皆の足が、そこで止まる。

 

 俺は小屋の中を覗いた。人の霊力はない。残った気配も古く、今朝まで誰かがいたようなものではなかった。

 

 それでも、帰らなかった誰かの家だ。

 

 棚へ椀が一つ残っている。雨が入って、その中に水が溜まっていた。傾けて空にしてやりたくなったが、先に外へ出る。

 

「千鳥。皆と、そっちへ寄ってて」

 

 小屋から少し離れたところに、岩がある。

 

 その陰へ動いてもらってから、俺は山側の斜面へ近づいた。木の根が重なって見えるだけの場所だったが、その下に口が開いている。

 

 穴だ。

 

 大きな身体を押し込んだものが、奥からこちらを見ていた。

 

『お前様。よう隠れておいででありんす』

「こっちがいなくなるまで、待つつもりかねぇ」

 

 刀を握り直す。

 

 穴の奥で、霊力が集まった。

 

 俺へ向けたものではない。右へ寄せ、岩の向こうを狙っている。今の話し声で場所を覚えたのか、それとも初めから全員を見ていたのか。

 

 どちらでも、待ってやる理由はなくなった。

 

 穴から光が噴き出す。

 

 俺はその前へ立ち、掌を翳した。

 

「縛道の八十一⸺断空(だんくう)」

 

 壁へ赤い光がぶつかる。

 

 山の木々が揺れ、濡れた葉が頭へ落ちてきた。袖まで泥が跳ねている。帰ったら洗ってもらおうなどと思ったところで、壁の向こうから腕が伸びた。

 

 光では抜けないと分かったらしい。

 

 指は六本あった。一本ずつに長い爪がつき、壁の端を回ってくる。あれを全部斬るより、頭を出してもらう方が早そうだ。

 

 俺は断空を残したまま、左へ回った。

 

 穴の奥の顔が、こちらを追う。

 

 身体を引きずり、木の根を押し広げ、白い仮面が外へ出てくる。思ったより大きい。佐伯を担いでいた連中が、これまで出てくるのを待たずに帰ってくれてよかった。

 

 口が開いた。

 

 今度は、俺へ。

 

「そうそう。こっちを見ててくれればいいんだよ」

 

 踏み込む。

 

 下顎の横へ刃を入れ、そのまま仮面を斜めに抜く。腕が俺を掴もうとした頃には、もう背後へいた。刀についた血を払い、崩れ始めた身体へ顔を向ける。

 

 六本の指が、空を握った。

 

 その奥にも、霊力が二つ。

 

 刀を納めるのは、もう少し後にしよう。

 

        *

 

 小屋へ戻ると、千鳥が雨漏りするところを避けて紙を広げていた。

 

 討伐した数と、残っていた骨と、ここまでの道。宗玄が知りたがりそうなことを、俺よりずっと綺麗な字で書いている。

 

「隊長。奥は、もういませんか」

「うん。穴の底まで見てきた。こっちへ通じる道も、ほかにはなさそうだよ」

「では、この辺りを確かめてから戻ります」

 

 返事をすると、男たちが小屋の周りへ散る。

 

 俺も一緒に見て回った。床下へ手を入れ、倒れた材木を退け、骨の残っている場所を確かめる。刀を振って済むところが終わってからも、こういう用事がある。

 

 雨は、まだ止まない。

 

 小屋の棚へ戻ると、椀はさっきより水を溜めていた。

 

 俺はそれを空にして、屋根の残っているところへ置き直す。誰のものか分からない。どこから来た人かも、何人で暮らしていたのかも。ただ、ここを通るなら、もっと早く来たかったなとは思う。

 

「隊長。こちらも、報告へ書いておきますか」

 

 千鳥が、俺の手元を見ている。

 

「うん。住んでいた人がいたって。近くで、何か聞けるかもしれないからねぇ」

 

 彼女は紙へ目を戻した。

 

 初めて隊を預かった頃なら、こういうものまで自分で持ち帰ろうとしたかもしれない。今は、聞いてくれる者も、探してくれる者もいる。俺がここへ残り続けなくても、次の仕事を頼めるのだ。

 

 任せられることが増えた。

 

 その分、知らない顔を覚えることも増えている。

 

「隊長、帰りは同じ道ですか」

 

 外から声がする。

 

 尋ねた男の袖は泥だらけだった。藪へ入って確かめてくれたのだろう。俺も似たようなものだから笑えないけれど、これで門へ戻れば、宗玄はまた洗い物の心配をするはずだ。

 

「途中まではね。下の道へ出たら、集落へ寄ろう。雨を凌げるところもあるだろうし、ここの話も聞きたいから」

「……寄り道は、なさらないのでは」

「これは仕事だよ。ちゃんと紙へ書ける方の」

 

 千鳥が顔を上げる。

 

 皆もこちらを見た。どうも、納得してくれるまで少し掛かりそうだった。

 

「三日後には帰るからねぇ。そこは、宗玄にもそう伝えてくれていいよ」

「分かりました。では、こちらの分にも書いておきます」

 

 千鳥の筆が、また動く。

 

 俺は懐から握り飯を出し、包みを開いた。一つを食い終わる頃には、外で荷を整える音が始まっている。

 

『お前様。お連れのある旅も、悪うござりんせんな』

「うん。ただ、俺が言ったことを、皆覚えてるんだよねぇ」

 

 ゆめの笑い声がする。

 

 帰る日も、寄り道しないと言ったことも。

 

 覚えてくれる奴がいるなら、俺も忘れないようにしよう。

 

 残りの握り飯を包み直し、腰の袋へ収める。戸口へ出ると、千鳥たちはもう揃っていた。

 

「じゃあ、帰ろうか」

 

 声を掛ければ、顔が上がる。

 

 俺は今日もその数を確かめてから、先へ歩き出した。

 

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