並びし影に 春は萌え
交わる刃に 道は開く
先生に呼ばれた日に限って、俺の机は綺麗だった。
宗玄にも見せてやりたい。昨日まで棚の二段を占めていた紙が片づき、筆まで洗ってある。これなら、どこへ出掛けるつもりですかと聞かれても堂々と答えられる。先生のところだよ。しかも、ちゃんと呼ばれている。
「本日は、お戻りになるのですね」
「なるよ。先生に会うだけだからねぇ」
「承知いたしました。では、夕方の打ち合わせはそのままに」
……綺麗にした机へ、もう次の用事が来るらしい。
それでも、宗玄が持っていた紙は一枚だけだ。帰ってからでもいいと言ってくれるので、ありがたく甘えて隊舎を出る。山へ行った時の報告も済ませたばかりだし、今日は何を頼まれるのだろう。道を繋ぐ用事なら、先に昼飯を食っておきたいなぁ。
そんな心配は、一番隊の庭へ入ったところでなくなった。
若いのが二人、刀を持って立っている。
一人は俺へ気づくなり背筋を伸ばし、もう一人は、その隣で頭を下げた。こちらは少しだけ遅い。俺の腰を見てから顔へ戻ったようだから、どんな刀を持っているのか気になったのだろう。
「烏有。こっちじゃ」
縁側の先生に呼ばれ、そちらへ足を向ける。若い二人もついてくるので、今日は見ているだけで済まなさそうだ。
「儂が教えておる者たちじゃ。お前にも、一度見てもらおうと思うてな」
「俺でいいの? 先生が見てるなら、教えることもそんなに残ってない気がするけど」
「お前がどう見るかを聞いておる」
はいはい。そういうことなら。
若いのへ顔を向けると、白い髪の方が先に名乗ってくれる。
「
「
京楽。浮竹。
どちらも、どこかで聞いたような。
先生から話されたことがあっただろうか。顔を見直してみても、初めて会う相手だと思う。これだけ長く生きていると、名前を覚えているのか、似た響きを聞いただけなのか、そこから怪しくなってくる。
まあ、今日から覚えればいいか。
「烏有玄十郎。十番隊を預かってる。こちらこそ、よろしくねぇ。二人とも、飯は食った?」
「ええ。いただいてから参りました」
「僕も。もう少し食べておけばよかったかな」
京楽が庭を見ている。
俺もそちらへ顔を向けた。よく踏み固められた土に、刀の届きそうなところまで何もない。逃げようと思えば塀までは使えそうだけど、先生の前で塀を越えるのは、俺だって勧めない。
「そんなに長くはやらないよ。先生、俺は何をすればいい?」
「二人の相手をせい。刀は抜かんでよい」
「……先に決めてくれちゃったねぇ」
京楽の目が、もう一度俺の腰へ落ちる。
今度は分かりやすかった。
「抜かない方が難しいと思うなら、そうしてみていいよ。先生が言ったことだからって、遠慮することはないからね」
浮竹が柄へ手を添える。
京楽も笑って頷いたが、こちらはまだ抜かない。俺が先に庭へ下りるのを待ち、隣の浮竹へ何か短く言っている。
相談する時間くらいはあげよう。
刀を腰に差したまま袖を寄せ、二人が並ぶのを待つ。浮竹は正面、京楽は俺から見て左へ少し離れる。こちらの顔を挟むほどでもなく、互いに刀が届きそうなところだった。
近いねぇ。
味方がそこにいたら邪魔になる、と言われたことはないのだろうか。先生へ目を向けても、何も言う気はないらしい。
では、見せてもらおう。
*
先に来たのは、浮竹だった。
踏み込みが素直だ。こちらの胸へ届くところまで足を運び、途中で腕を縮めない。俺は斜めに避け、通り過ぎる刃の横から手首へ触れる。
その手を取る前に、左からもう一本。
京楽の刀が、俺の肘へ入ってくる。
なるほど。近かったのは、これか。
浮竹の腕を離し、京楽の刃が通る分だけ身体を引く。追ってきた浮竹の刀へ指を添えて横へ流すと、その下から京楽が手を伸ばした。
俺の袖を掴むつもりらしい。
「そこまで取るのかい」
「刀だけでは、どうも間に合いそうにありませんので」
取られる前に腕を上げる。京楽の手が空を掴み、こちらの脇へ浮竹が入った。
今度は俺の足を見ている。
二人とも、先生から何を聞かされて来たのだろう。初めの一度で無理だと思ったなら、もう少し距離を取ってもいいはずなのに、どちらも離れようとしない。
俺が下がる先へ、京楽が回る。
そちらを見れば浮竹が斬り、浮竹へ手を出せば京楽の刀が近づく。忙しいねぇ。先生が黙って見ているのも、少し分かる。
浮竹の刀を避け、その肩を軽く押す。
これで京楽の方へ寄ってもらえば、二人の足が一度止まる。そう思った俺の前で、浮竹が身体を捻った。押された勢いを残したまま一歩踏み出し、京楽の前を空ける。
その向こうから、刃が来た。
俺は腰を引き、切っ先を見送る。浮竹が向き直るまでの間に京楽へ手を伸ばすと、今度はあちらが刀を引いて、俺の指を狙った。
よく続くなぁ。
そして、こちらが欲しくなったところを、なかなか触らせてくれない。
「お前さんたち、いつも一緒にやってるの?」
「相手は、大抵こいつです」
浮竹が答える間にも、京楽の刀は動いている。俺がそちらを押さえれば、浮竹は続きを言わずに踏み込んできた。
話を振ったからって、待ってくれないのもいい。
手首を掴み、浮竹の刃を下げる。そこへ入ってきた京楽の刀を、鞘の先で受けた。二人の腕が近づいたところへ足を運び、その間を抜ける。
振り返る前に、背中へ一度ずつ。
「はい。今ので二人とも斬られたつもりになってね」
浮竹がこちらを向く。
京楽は自分の肩越しに背を見ようとしてから、諦めたように息を吐く。
「抜いていないのに、それは少々ずるくありませんか」
「そこまで入ったら、抜く暇くらいはあるよ。試してみる?」
「いえ。今ので、よく分かりました」
返事は軽い。
けれど、刀を納めるつもりもないらしい。浮竹へ目を向け、立つ位置を変えている。俺も止めずに待っていると、二人の距離がさっきより少し広がった。
いいねぇ。まだやる気がある。
俺が抜いていないことより、自分たちの背中へ触れられた方が気になるのだろう。そうでなくては、ここから直すところがなくなってしまう。
浮竹が息を整える。
俺はその呼吸が落ち着くのを待ち、次は自分から二人の間へ踏み出した。
*
「先生、俺が見てもいいと思ったよ」
縁側へ戻ってそう言うと、先生の眉が寄った。
褒めるところから入ったつもりなのに、伝わらなかったらしい。庭では二人が、最後に立っていた位置へ戻っている。終わりと言われたのに、まだ話すことがあるようだ。
「何がじゃ」
「片方へ向いたら、もう片方がちゃんと来る。どっちか一人を見てれば済む時間が、あんまりないんだよねぇ。離しても、また二人で届くところへ戻ってくるし」
浮竹が何か言い、京楽が自分の足元を指す。
俺が間へ入った時、二人とも俺の方を向いた。そのせいで互いの退く先が重なり、京楽の踵へ浮竹の足が触れたのだ。今は、どちらが先に回るべきだったか話しているのだろう。
「ただ、二人でやれてる時ほど、片方がいなくなったら困りそうかな。今日はずっと、どっちも動けたからね」
「そこも、見せたか」
「うん。一度、浮竹に座っててもらった」
そうした途端、京楽は前へ出てこなくなった。
俺の手が届きそうになるたび浮竹の前へ戻るので、今度はあちらを追うだけでよくなる。本人も途中で気づいたらしく、最後には浮竹を担ごうとしていた。
そこからは、刀を振る暇もなかったのだけど。
「自分だけ逃げろとは、言えなかった?」
「言うたところで、お前なら聞いたか」
先生がこちらを見る。
……俺の話に戻すの、上手いなぁ。
「今なら、先に援けを呼ぶよ。担いで走りきれそうなら、そのまま行く。無理なら、ほかの手を考える」
「ならば、それを教えよ」
話が早い。
先生は俺の返事を待たず、二人を呼んだ。こちらへ並んで座ると、浮竹が先に頭を下げる。京楽も続いたが、その目は俺の鞘へ向いていた。
「まだ、気になる?」
「ええ。結局、一度も抜かせられませんでしたから」
「先生に言われたからねぇ」
「そう仰られると、次は山本先生のいらっしゃらないところでお願いしたくなりますね」
先生が咳払いをする。
京楽は顔を戻し、浮竹は口元へ手を添えた。笑うなら二人で笑ってくれていいのに、こっちまで堪えたくなるではないか。
「烏有のところへも通え。お前らには、まだ教えることがある」
「先生。それ、俺は今聞いたんだけど」
「さっき頼んだ」
「二人を見るだけじゃなかった?」
先生はもう答えない。
浮竹から、改めてよろしくお願いいたしますと言われる。こうなっては断りにくい。いや、断るつもりもないのだけど、宗玄に知らせることが一つ増えたなぁ。
「いいよ。俺が留守の時もあるから、来る日は先に決めようか。十番隊なら、担いで逃げる稽古もやってる。さっきよりは、ちゃんと運べるようになると思うよ」
「是非、お願いします。春水に落とされては困りますから」
「僕だって、落とすつもりはなかったよ。あれほど追われるとは思わなかっただけで」
「追ってくる相手はいるよ。乗せ直すまで待ってくれたら、俺も助かるんだけどねぇ」
京楽が肩を落とす。
浮竹はまた笑った。こちらはさっきから、担がれたことを少し楽しそうに話している。もっと乱暴に運ばれた覚えでもあるのだろうか。
その辺りは、これから聞けばいい。
来る日を決めて立ち上がると、二人も縁側から下りてきた。門まで見送ってくれるつもりらしい。
「十番隊は、帰り方から教わるのだと聞きました」
浮竹が、隣で言う。
もうそんな話になっているのか。俺は京楽の方も見たが、あちらは浮竹の続きを待っていた。
「今日のように、相手から離れられない時にはどうするのか。それも伺いたいです。俺一人ならともかく、春水を運びながらでは、同じようには動けませんから」
「うん。まずは、二人とも担げるようにしてもらおうか。どっちが怪我するか、決めて出掛けるわけじゃないからね」
「僕は、担いでくれる方が元気なら、それで構わないんですけどねぇ」
「お前が元気な時は、俺を頼むぞ」
「はいはい。その時には、落とさないように気をつけるよ」
いい返事だった。
軽く言いながら、京楽は浮竹の歩く速さに合わせている。庭で離れていた時よりも、今の方が近い。俺が前へ出ても、二人は並んだままついてきた。
門の前で足を止め、来る日をもう一度確かめる。
「じゃあ、待ってるよ。稽古の後は飯でも食っていこう」
「そちらも、ご指導に含まれるので?」
「食える時に食っとくのは、大事だよ。先生のところで、俺も結構覚えたから」
背後から、烏有、と声がした。
聞こえていたらしい。
俺は先生へ振り返って頭を下げ、二人には手を上げて門を出る。京楽が何か言って、浮竹が笑う。その声を聞きながら、帰ったら宗玄へ何と話すか考える。
稽古をつける相手が、二人増えた。
ついでに、飯を食う口も二つ。
夕方の打ち合わせには、それも持っていこう。