燃ゆる野に 影は残り
送る掌に 夕日は沈む
春水が、俺の土産を勝手に開けている。
包みを持ってきたのは俺で、机へ置いたのも俺だ。だから食ってもらうことに異存はないのだけど、帰ったばかりの隊長へ茶を淹れてくれてもいいのではないかねぇ。そう言うと、春水は菓子を一つ置き、こちらへ湯呑みを寄せてくれる。
「冷めないうちにと思って、先にいただいてました」
「それ、俺の湯呑みだよね」
「ええ。そろそろ戻られる頃だと、榊庭さんが」
「帰る時刻まで覚えられてるのか。俺より詳しいなぁ」
座ると、向かいの十四郎が包みをこちらへ向け直す。ちゃんと俺の分も残してくれている。春水だけだったら、帰りが遅いですよと言われて空の紙を渡されたかもしれない。
この二人が初めて十番隊へ来てから、もう百五十年ほどになる。
顔を見れば、名前より先に昔の稽古を思い出すようになった。春水が十四郎を担いで俺から逃げようとした日のことも、よく覚えている。今それを話すと、春水はすぐ別の話を始める。十四郎の方は、まだ楽しそうに聞いてくれるのだけど。
「今回は、どちらまで?」
「南の方。川を渡った先に、食ったことのない実があってねぇ。持って帰ろうかと思ったんだけど、途中で全部食っちゃった」
「では、こちらは?」
「帰り道で買った。宗玄には言わないでくれる?」
「包みを見れば、分かるんじゃありませんか。店の名前が入ってますよ」
春水の指が紙を叩く。
……そういうところは、見なくていいのに。
菓子へ手を伸ばしたところで、廊下から足音が近づいてくる。宗玄だった。俺が戻ると知っていたなら、こっちへ来る用事まで用意していただろう。二人の前だからといって、帰ったばかりでね、と逃げるのも難しい。
「お戻りのところ、恐れ入ります。現世への増援が決まりました」
差し出された紙を受け取る。
近頃は、これが増えた。
討伐の要請ではない。今いる人数では魂葬が追いつかないので、手を貸してほしい。昨日までいたところへ戻らねばならない者もいる。俺が出掛ける前に現世へ送った組も、まだ帰ってきていない。
「向こうの隊士は、休めてる?」
「交代で休息を取らせています。ただ、担当の地域を広げることになりましたので、今の人数を減らすわけにはまいりません」
「じゃあ、俺も行こうか。場所を教えてくれる?」
宗玄が紙の下を指す。以前にも通った土地だった。山と川があって、川沿いに村がある。道を覚えている分には、探す手間が省ける。
「隊長まで出向かれるほどなのですか」
十四郎の視線も、紙へ落ちる。
「人数が要る仕事だからねぇ。俺も一人分にはなるよ。向こうで休めてない奴がいたら、帰してやれるし」
「俺たちにも、できることがあると思います。一番隊へ戻って、伺ってみます」
「うん。先生の言うことを聞いておいで。勝手に俺へついてきたら、俺まで叱られるから」
春水は菓子を口へ入れ、十四郎と共に立ち上がる。話を聞いた途端に行く気になってくれるのは、ありがたい。ただ、こいつらにも休みの日はあるのだ。俺の留守に茶を飲んでいたくらいなら、そのまま飲んでいてくれてもよかったのだけど。
門まで一緒に出ることにして、残りの菓子を宗玄へ渡す。
「皆で食って。俺の分もいいから」
「お食事は、お済みですか」
「さっき食ったよ。これは別の分」
「では、包帯はこちらを。使った分を戻してくだされば、補充しておきます」
いつの間にか、袋まで持っている。
俺が行くと言うと思っていたのかねぇ。受け取った袋には、包帯のほかに小さな紙包みが二つ入っていた。薬かと思って開ければ、握り飯だ。
別の分は、まだあるらしい。
*
川へ近づく前から、焦げた匂いがした。
木の橋は途中で落ち、岸へ繋いでいた舟も半分ほど燃えている。川向こうの田には人影があるけれど、こちらから声を掛けても振り返らない。生きている者には、俺の姿も声も届いていないようだ。
隊士の気配は、村の外にあった。
白い布を巻いた木の傍で、死んだ者たちが待っている。並んでいるというより、動けずにいるのだろう。座り込んだ男の隣に女がしゃがみ、その向こうでは刀を持ったままの者が村を見ていた。
こんなにいたのか。
道を進みながら数えようとして、途中でやめる。木の後ろにも、畑の端にもいる。報告の人数は、書いた時にここへいた人数なのだ。俺が読むまでに増えた分は、俺が見なければ分からない。
「隊長」
俺へ気づいた隊士が、頭を下げる。
千鳥もこちらへ来た。袖の端が焼け、土で汚れている。怪我はないようだけど、いつからその姿で動いていたのだろう。
「今来たよ。向こうも、こっちと同じくらいいる?」
「川向こうは、まだ全員を見つけられていません。家から動こうとなさらない方が多く、村の中を一軒ずつ回っています」
「そっか。まず、ここを手伝うねぇ。休んでない奴は、順番に飯を食っておいで」
「ありがとうございます。私も、この方を送ったらいただきます」
千鳥が顔を戻した先に、若い男がいる。
まだ生きているつもりなのか、胸の鎖を着物の下へ押し込もうとしていた。指の間から零れるそれへ、何度も手を伸ばす。俺は少し離れたところで足を止め、千鳥の声を聞く。
「お身体は、あちらにあります。先ほど、ご一緒に確かめましたね」
「分かってる。分かってるけど、俺がいなくなったら、あいつはどうする。畑も、まだ」
「こちらに残っても、畑を耕すことはできません。奥様のお傍におられても、お声は届かないのです」
男が家の方を見る。
戸口に、女が座っていた。膝へ何か抱えている。近づいてみると、着物だった。血を洗った跡が残り、片袖だけが濡れている。
男がそこへ戻ろうとするので、俺は隣を歩く。あと少しくらいは、待てる。
「あの人に、言っておきたいことがある?」
「……米がある。床の下に、袋で。焼けてねえはずなんだ。種にする分も分けてあるから、あいつが見つけてくれれば」
「床のどの辺り?」
「竈から、三枚目。板が外せる」
そこへ入ると、まだ家の中に煙の匂いが残っていた。竈の傍へ膝をつき、教えられた板を持ち上げる。袋は二つ。小さい方へ手を当てれば、米の形が分かる。
見つけてくれれば、か。
板を外したまま、小さい袋を床へ出す。戸口から見えるところへ置いておくと、女が顔を上げた。誰もいない家の中を見渡し、それから袋へ近づいてくる。
俺は、その脇を空けた。
女の手が袋を開く。中を見たところで唇が動いたけれど、声にはならなかった。袋を胸へ抱え、床へ座り込む。その傍で、男も膝をつく。
こちらを見てくれ、と呼ぶ声は、やっぱり届かない。
俺がしてやれるのは、袋を出すところまでだ。この人の代わりに、毎日ここへ帰ってくることはできない。
「……ありがとな」
男が、俺を見上げる。
「向こうへ行けば、もう畑の心配もしなくていいのか」
「向こうで腹が減る奴もいるよ。俺なんか、よく食う方でねぇ。畑をやってる知り合いもいる」
「死んでも、畑か」
「やりたくなったらでいいんじゃない。まずは、行ってから考えよう」
男の口元が、少しだけ緩む。
俺は刀の柄頭を、その額へ添えた。
光が消えてから、床板を戻した。
空いた袋を置く場所には、もう米を抱えた女がいる。立ち上がれるようになるまで、俺までここで見ていたら、泣くのを待っているようで気が引ける。
戸口を出ると、千鳥が次の家から戻ってきた。
「少し、時間を掛けてしまったねぇ」
「いえ。こちらも、今終わりました。隊長、先ほどの方のお名前は」
……聞いていない。
床板の場所と、袋が二つあったことは覚えているのに。
「名前、聞きそびれちゃった。次の人には、ちゃんと聞くよ」
千鳥は頷いて、紙へ目を落とす。
そこにはもう、何人もの名前が並んでいた。
*
日が沈む頃になって、ようやく川向こうへ渡れた。
舟は使わず、落ちた橋の上を飛び越す。歩けない魂は隊士が運び、こちらへ来られる者には、岸で待っていてもらう。向こうの死神が戻るまでに日が暮れてしまうと、別のところへ移ってしまう者もいるらしい。
俺は上流まで走り、川沿いの家を見て回った。
焼けているものも、残っているものもある。戸を閉めたまま誰もいない家へ入ると、隅に子供が二人いた。俺の刀を見て、小さい方が泣き始める。
ああ、これは失敗したなぁ。
腰から外して戸口へ置き、離れたところへ座る。手を見せてもまだ怖がっているので、懐から紙包みを出した。
「飯は、食べられそう?」
大きい方が首を振る。
腹は減っていないらしい。だったら、食える俺が食ってもいいか。包みを開けて一口齧ると、二人とも俺の口を見ている。
「……お侍?」
「今は、迎えに来た方。お前さんたちのほかに、誰かいる?」
小さい方を抱いたまま、大きい方が首を振った。
聞きたいことは、まだある。けれど、その腕が震えているのを見て、次はやめておく。まず一緒に外へ出てもらおう。刀が怖いなら、俺が後で取りに戻ればいい。
握り飯を食い終えたところで、戸口に千鳥が現れた。
俺の刀を見つけ、部屋の奥を見てから、そこで腰を落とす。刀は拾わない。二人がこちらを向くまで待って、ゆっくりと名前を名乗ってくれた。
先ほどまで泣いていた子が、姉らしい子の腕から顔を出す。
……やっぱり、千鳥に来てもらう方がよかったのかねぇ。
俺も自分の名前を教え、今度はこちらから尋ねてみる。小さい方が答えるまで、少し待つ。姉が口を挟もうとすると、その袖を引っ張った。
自分で言いたいらしい。
その声を聞いてから、二人を送った。まだ子供の手を引いていた姉の姿も、一緒に光の中へ消えていく。
俺は戸口へ戻り、刀を腰へ差し直す。
「ありがと。こっちは、名前も聞けたよ」
「はい。書いておきます。隊長、少し休まれては」
「俺は平気。千鳥こそ、飯は食った?」
「いただきました。こちらへ来る前に」
その返事を聞いて、外へ出る。
暮れかけた道に、俺たちを待っている者がいた。いつからそこに立っていたのか、足元に長い影が伸びている。先に送ってほしいと言うので、名前を聞いてから刀を持ち上げた。
また一人。
光を見て、畑の端からも人が来る。こちらへ集まってくれるなら、探す手間は省ける。ただ、皆が並んでくれたところで、今日のうちに回れる家が減るのだ。
千鳥に川向こうの隊士を呼んでもらい、俺はここに残ることにした。
送るたびに、空が暗くなる。
最後に残った男へ柄頭を添える頃には、遠くの山の上で赤いものが揺れていた。夕日ではない。あそこにも村があったはずだ。
『お前様。あちらにも、おいでになるので?』
「うん。俺だけなら、すぐ行けるからねぇ」
戻ってきた千鳥へ、向かう先を伝える。ここにいる連中は、交代の者が来たら帰してほしい。宗玄にも知らせてもらおう。俺が帰る時刻を、また覚え直させることになる。
「隊長。あちらは、別の組が回っているはずです」
「じゃあ、そいつらを手伝ってくるよ。こっちが終わったって、伝えてあげたいし」
足元へ意識を向けると、千鳥が何か言いかけた。
俺の腰の袋を見ている。出掛ける前に宗玄が渡してくれたものだ。包帯は何人かへ使ったが、まだ残っている。
「大丈夫。ちゃんと持ってるよ」
袋へ手を当てる。
まだ刀を抜く用事もなかったし、俺自身はどこも傷ついていない。向こうもそうであれば、迎えに来たよと言って歩けばいいのだ。
ただ、今日はまだ、その迎えを終えられそうになかった。
向こうから吹いてきた風にも、煙の匂いが混じっていた。